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亭主様と恋の種  作者: まるあ
第二章 種を育てた末に
19/58

知りたい事ができました。 3

 胸の中がモヤモヤします。


 

 咳き込むヴェルさんに対し、給仕の女性が手巾を渡して介抱しただけなのに。

 私も給仕の端くれですから、目の前でお客様が咳き込みだして、苦しそうなら同じ事をする筈です。

 お客様の背中を擦ったり、お水を手渡したり、おしぼりを渡したり……。

 なのに、何故こんなにも胸がモヤモヤして、重苦しいのでしょうか。




 私の胸中を表しているかのように、その足取りは重いです。

 テーブルを後にした私は店舗の奥で立ち止まり、どこに行ったらいいのかを迷った挙句、私の荷物が置いてあるヴェルさんの寝室へと向かう事にしました。



 慣れない家を探検でもしているかのように、めまぐるしく動く視線を彷徨わせながら廊下を進んでいる私の目に、壁に掛かった一枚の絵画が入ってきました。

 その絵画は、一つの幸せそうな家族の肖像画の様でした。

 壮年の精悍な男性が、椅子に座り微笑む柔和な貴婦人の肩に手を置いて、温かく見守るような視線を彼女に送っています。貴婦人の傍らには、おそらく十代の二人の青年が居り、一人は癖のある茶色の髪をした少年ともとれる年齢で、そのやや幼い顔に屈託の無い笑顔を浮かべています。もう一人は、癖の無い長い金色の髪を後ろに束ねている青年で、今の私の年齢とそう大差無いと思われます。そして彼は、男の服装をしていなければ、女性に見間違えるような、母親と瓜二つな柔和な顔立ちをしています。

 その顔立ちは、先ほどまで私の目の前に居たその人とそっくりで……。

 


 「……この金の髪の人は、ヴェルさん? 」



 ざらつく触感の絵画を指でなぞりながら、ヴェルさんだと思われる人物に辿りつきました。今よりも若い彼の姿は実に女性的で……何と言いますか、女の私から見ても見惚れる『美人さん』です。

 そして、どこか見覚えがある気がする、親しみのある美人さんです。

 


 「こんなに美人さんなら、きっと―――いえ、絶対にモテたに違いありませんね」 



 自分が思った事を口からポロリとこぼすと、何故かチクリと棘が刺さったかのように胸が痛みました。

 過去のヴェルさんどころか、今のヴェルさんについても私は満足に知りません。ただ、『家に毎日来てくれる常連さん』その様な認識しか有りませんでした。名前も昨日、式の後で聞いた位です。

 家族の事も疑問には思っていましたが、この肖像画は家族で間違いないでしょう。でも、今この家にはヴェルさん以外は住んで居ない様子です。それなら皆さんはどこに……?



 ヴェルさんについては、名前と『うさぎ亭』の亭主様の肩書以外、わからない事だらけです。


 

 ヴェルさんは、どんな人なのでしょうか?

 ヴェルさんは、私のどこを好きなのでしょうか?

 ヴェルさんのご家族は、どうして式に来なかったのでしょうか?



 

 普通なら、結婚する前に知っているべき事なのに、私は本当に夫となったヴェルさんの事を、何も知らないのですね……。 



 更に痛みを増す胸に、「どうしてこんなに胸が苦しいの? 」と僅かに疑問を抱きながら、私は肖像画を後にヴェルさんの寝室へと向かいました―――……。





 部屋の前に着き、室内に誰も居ない事がわかっていても、礼儀として一応ノックを数回しました。当然ながら返事は無かったのですが……。

 自分の部屋の扉を開けるのとは違い、緊張します。

 何度も深呼吸をして、ゴクリと喉を鳴らせた後、ヴェルさんの寝室の扉を緊張した面持ちで開きます。




 やましい事なんて何もないのに、室内に伸びる足が、慎重過ぎて忍び足になってしまいます。

 音を立てない様に進むと、視界の隅に人影が過ぎりました。急な人影に驚いて、心臓が大きくはねました。弾けるようにそちらを見ると、其処には驚いた表情をした私が映っていました。




 「―――っ! かがみ……」

 



 ドクドクと強く脈打つ胸を押さえながら、「視界によぎったのが、鏡に映し出された私の姿で良かった」と安堵の息が漏れます。同時に、鏡の中の私も安堵した表情をしています。

 鏡を凝視していると、横に私の荷物が置いてあるのに気が付きました。昨日の慌ただしく過ぎていった時間の中、お母さんが「アマレットちゃんが、あなたの為に用意してくれたのよ」と私に持たせてくれた荷物です。

 『アマレットちゃん』とは、私の兄の奥さんです。

 私にとって二つ上の義姉ですが、本人の希望が有り家族の皆が彼女を名前で呼んでいます。大きい兄とは違い、小柄で動きが素早い彼女は愛い子リスの様で、いつもニコニコとした柔和な笑顔を浮かべています。でも性格は温和な表情と違い、とても頑固なのです。『一度決めた事は死んでも遣り遂げる』がモットーらしく、それが原因で無理がたたり何度も倒れている女性なのです。

 いつだったか、「自分の釣った魚が食べたい! 」と言った彼女は、まだ日も昇らない空に雪がチラつく中、一人で船を出し海へ出かけて行きました。……そして帰ってきたのは、その日の夕方でした。両手に抱えて持つほどに、見事に大きな魚を釣って帰ってきました。

 その時の彼女の顔がとても満足気だったので、誰もが閉口し何も言えなかったのを覚えています。




 義姉の事を考えながら荷を漁っていると、昨日まで食堂で使っていたエプロンに気が付きました。

 毎日夕方になると急に混みだす店内はいつも慌ただしく、家族全員総力を挙げて日々それを乗り越えてきました。しかし、今の義姉は妊婦で、あと一月ほどで臨月を迎える大きなお腹をしています。私達家族は、まだ見ぬ小さな命に負担を掛けない様、義姉の負担を減らすべく動いていました。

 



 ……今日も、実家となった食堂は平常営業だと思います。

 もしも私が居なければ、お腹の大きな義姉が店に出ることになるのでは……?

 

 


 お腹の大きい義姉が、大皿をせっせと運んでいる姿が目に浮かびました。

 きっと「ココットが居ない分、私が頑張る!! 」とでも言って、止める家族を振り切り働いていると思われます。



 「―――行かなきゃ!! 」



 臨月間近の妊婦に、重い物を持たせてはいけません!

 そう思うや否や、エプロン片手に部屋を飛び出しました。

 重たい足取りで来た廊下を、今度は荒く慌ただしい足音と共に一気に駆け抜けます。

 廊下と店舗を繋ぐ扉を開き、店舗に出た所でヴェルさんを探しましたが見当たりませんでした。店舗中を見回しても、先ほど食事していたテーブルも片づけられていて、どこにも居ません。

 何も言わずに行くよりは、一度家に帰る旨を伝えてから帰りたかったのですが、こうなったら仕方が有りません。

 ついさっきまではまだ陽が高かったのですが、かなり長い時間、義姉の事を考えていたのでしょう。店舗の天窓から覗く陽は、食堂が開店する時刻である夕方を表わす茜色になっています。店舗に入る影が、かなり長くて夕暮れが近い事を教えてくれています。

 


 ――――急がなくてはっ!!




 ヴェルさんを探す事を諦めた私は、店内を出口に向かい駆け抜け、扉に手を掛け開きました。

 エプロンを固く抱きしめ外へと足を向けた時、聞き覚えのある野太く低い声が店内に響きました。



 「おい、嬢ちゃんっ! そんなに血相変えて何処に行くんだ? 」




 振り向いた私の目に入ったのは、白い調理服の袖を肘まで捲くり上げ、その立派な太い腕を強調するかのように胸の前に組んだマルスさんでした。

 マルスさんは赤ラインが入った帽子を取ると、怪訝な顔で私を見ています。


 


 ―――そうだっ!!

 マルスさんからヴェルさんに伝えてもらおう!




 「マルスさんっ!! すみませんが、家に帰ります!! ヴェ……リウヴェルさんにそう伝えてくださいっ! 」

 「―――ぇぇええええっ?! 」

 「ごめんなさいっ! 急ぐので!! 」



 

 目を丸くして驚いているマルスさんに一礼すると、下町の食堂へと駆け出しました。

 もどかしくも、走っている内に陽は段々沈んでいきます。夜の帳が下がり始めたかの様に、町を走り抜ける私の影が長く伸びて、街角には明かりが灯り、あちこちに店の呼子が立ち街ゆく人を店舗へと誘っています。




 ―――急がなきゃっ!!

   

 


 

 


 

 

 

 

 

 

新たな勘違いの予感到来……(=ω=)

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