亭主様は、色々考えているようです。 3
俺の言葉を聞いたココット嬢は口元を覆うと、顔を紅潮させたままでブツブツと何かを言っている。
どうしたのだろうか?
面と向かって再び「好きだ」と言うのはあまりに恥ずかしすぎて、彼女が満足するような答えを、出せなかったのだろうか?
……気になる。
何を言っているの判らない俺は、彼女の小さな声を拾おうと耳に神経を集中させた。
俺の聴力は桁外れに良く、神経を集中すれば大騒音の中でも囁く声を拾う事が出来る。幼い頃は無駄に良い聴力の所為で、騒音に悩まされ気が狂いそうになった事もしばしば有ったほどだ。
彼女に出逢うまで、あまり役に立った事は無かったが、今日はこの特技がある事に嬉しく思う。
騒がしくも無く、ただ二人きりの静かな部屋で小さな声を拾うなど、造作無い事だ。耳を澄ませ、ほんの少しだけ、神経を彼女に集中すればいい。
―――俺の耳が拾った彼女の小さな呟きは、全く俺が予想していない内容だった。
……『飲み比べ』?
―――最近、誰かと飲み比べでもしたのだろうか。彼女も飲める口とは少々驚いたが、俺も今度彼女とやってみよう。
……『記憶が飛んだ』?
―――そんなに記憶が飛ぶほど飲んだのか……。彼女は酩酊すると記憶が飛ぶのだな。飲み比べをする際には、その点は配慮しなくては。
……『人様に言えない事を』?!
―――はぁぁっっ???!!!!
一体、何をしたんだっ?!
それは『飲み比べをして、記憶が飛んだ後』の事なのだろうか?!
……『お詫びをしなくては』
―――――っ!!!!!
『飲み比べをして記憶が飛んだ後に、人様に言えない事……そして、お詫び』 ……その意味する所は……。
『不倫』?!
まさか彼女がっ?
あり得ないだろうっ!!
「盗み聞きをしていました」とは言えない俺は、平静を装うのに必死だった。心は驚きに支配され、今にも立ち上がって、彼女を問い詰めたい想いで一杯になった。
……だが、彼女がそんな事をするはずがない、俺の聴き違いだ、と思い直し、顔には笑顔を張り付けた。
真っ赤な表情だった彼女が何とか落ち着きを取り戻し、妙に真剣な眼差しで俺を捕え、靴を脱ぎ捨てるとソファから床へ降りた。
何故か床へ姿勢を正した状態で座った彼女は、睨むような凄みのある視線を俺に向けた後、頭を床に擦り付けんばかりに下げた。
彼女の髪が床に流れ、その表情が隠れる。
―――こ、コレは『最上級の謝罪方法』!!
彼女の筋肉親父が、夜も明けきらない程の早朝に、店先で行っているのを見た事がある。筋肉親父が半泣きで奥さんに謝罪している姿は実に面白かった―――。
……いや、偶然通りかかった時に見かけたんだ。 やましい事は何もしていないぞ?
彼女がそんな謝罪をするなんて、やはり先ほど俺が推測した事は事実なんだろうか―――?
俺の考えを肯定するかのように、頭を下げ続けている彼女は半ば叫ぶように口を開いた。
「すみませんでしたっ!! 全く覚えていないんですっ!! 」
必死に頭を下げる彼女の顔は見えない。
だが、いつもの優しげな声音では無く、悲痛とも言える声は真実許しを乞う声音だ。
……挙式を挙げたその日に、妻から不倫の事実を告げられた男は、俺位じゃないだろうか。
先ほどまで花が舞っている程の幸福の嵐が吹き荒れていた俺の心は、彼女の今の謝罪の言葉により、極寒の極地で丸裸でブリザードに晒されているかのように一気に凍りついた。
凍りついた上に、所々ひび割れてさえいる様な気がする。
おそらく、後一撃でも彼女から口撃を受けたら、俺の意外に繊細な心は砕け散るだろう……。
歴代の女たちに浮気されようが、ここまで衝撃を受けた事は無かった。「さようなら」と笑顔で別れを告げる事も出来た。
今している謝罪は、全く覚えていないから許してくれという事か?
―――許すもなにも、不貞を働かれたと怒ってはいない。怒るのは、君を穢した顔も知れぬ男にだ。見つけたら、生きているのも嫌になるほど追いつめてやろう。
……だが、とりあえずショックだ。もの凄く残念だ。
それとも、あなたとは結婚できないという事か?
―――それは嫌だ。ココット嬢が浮気をしていても、不貞を働いたとしても、俺は君を手放すつもりは無い。
………どっちの「すみません」なんだっ???!!!!
とりあえず謝罪をしている顔を上げてもらい話を聞こうと、座っていたソファから立ち上がったが、かなりの精神的負担からか、頭から血流が一気に下がり、視界が暗くなった後、一度立ち上がった筈の俺の身体は再びソファへと沈む事となった。
コレが世に言う、ブラックアウト(意識が飛ぶ)なんだろうか……?
彼女が何かを言っているが、よく聞こえない……。
ああ、意識が無くなるなんて、マルスにのされた時以来だ。
かろうじて意識が飛ぶ寸前に、彼女が俺の名を呼んでくれたのは判った。
「―――リウヴェルさんっ?! 」
俺の名を呼ぶのは二度目だ、些細な事だがとんでもなく嬉しい……。
だが、『ヴェル』と呼んで欲しいとも微かに思った……。
勘違いが、勘違いを招き寄せる……(笑)
ココットの謝罪が「(告白も結婚の事も)全く覚えていません!」だったのに、亭主様は彼女の心の呟きを盗み聞きした挙句、変に勘違いして自爆してしまいましたね^_^;
さて、次回は真相暴露編に行きたいと思いますっ!!
そして、今回もまたまた小話が……。
読んでもいいよと思ってくださった方は是非どうぞっ☆
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『亭主様、両親に手紙を送る。』
とある町のとある宿屋に、一通の手紙が『超・速達便』で届いた。
『超・速達便』とは、通常料金の十倍の金額を出せば、どんな僻地へも三日以内に届けるという、配達員の意地と根性がかかった配達方法である。
その配達は、依頼を受けた者が請け負わなければならなく、また、断ることもできない。
不眠不休で馬をとばし、馬から降りれるのは、もよおす場合のみで、食事も馬上で摂る。そして、盗賊をも蹴散らして配達を遂行しなくてはならないという掟がある。
リウヴェルから依頼された配達員は、その依頼を完遂するべく、馬を走らせた。
野を越え山を越え、川を馬を引き連れながら泳ぎ、道中襲ってきた盗賊達を撒きながら、配達員は依頼先へとたどり着いた。
配達員は、宿屋で朝食を摂っていた身ぎれいな婦人に声をかけた。
「ホルスタイン様でしょうか? 」
婦人は口を手巾で拭うと、配達員に視線を移した。
「そうですが。……なにか? 」
「あああ~~、良かったぁ!! コレ、リウヴェル=ホルスタイン様から超・速達ですっ!! サインか判をくださいっ! 」
「それでは、サインで。 ……配達員さん、ボロボロねぇ。少し休んでいきなさいな」
「ありがとうございます」と配達員は礼を言うと、婦人に道中の事を切々と語った。婦人は、相槌を打ちながらも、時折出るあくびをかみ殺し、その話に聞き入った。
小一時間程配達員が話していた所、婦人の前に斧を担いだ巨漢の男が現れた。
「なぁ~にしてやがんだ? 人の嫁さんにちょっかい出すんじゃねぇよ! 」
巨漢は婦人を守るように、配達員に斧を突きだすと、子供が粗相をしてしまうほどの、鬼の様な形相を見せた。
配達員は顔面を蒼白にしながら硬直し、目の前に迫る斧の先に恐怖し小さい悲鳴をあげると、白目を剥いて机に突っ伏した。
婦人は苦笑いをすると、巨漢の男の肩を一つ叩き、説明すべく口を開いた。
「……ふふっ! 違うわよ。 彼はヴェルからの郵便を届けてくれたのよ。あの子ったら『超・速達便』なんて使うから。……ほら、配達員さんボロボロでしょ?道中の苦労を聞いていたのよ。それなのに貴方ったら! ―――ああ、今開封してもいいかしら? 直ぐに返事を書かなくては」
婦人は、リウヴェルからの手紙の封を指で大雑把に破ると、二枚の紙を取り出した。
一枚は、リウヴェルの筆跡の手紙。”同封の書類を開封したその場で記入後、直ぐに送り返してくれ”と書いてあった。
もう一枚は、『結婚誓約書』である。
「「――― けっ、けっ、結婚誓約書~~っ??!!」」
巨漢と婦人は声を合わせて、一枚の書類にくぎ付けになった。
28といういい歳の息子が、今まで結婚の「け」の字も口に出さなかったのに、いきなりそんな書類を送ってきたのだ。
―――とうとう身を固める気になったのか。あの息子は……。あの息子の心を射止めたのは、どんな子だろう?
当然二人は、目を丸くして一点の場所を見た。『妻』の欄を……。
「……書いて、ないわね? 」
「……書いてねぇ、な」
書いてあるのは、夫の欄であるリウヴェル=ホルスタインという男の諸々の事だけで、後は、白紙の状態であった。
「……一体誰と結婚するのかしら? 」
「……さあな? 」
二人は顔を見合わせると、ニヤリと含みのある笑いをし、巨漢が書類に必要事項を書きサインをしている間に、婦人が手紙を綴った。
婦人が手紙に封をすると、巨漢は机に突っ伏している配達員を叩き起こした。
「おぅっ! これを頼む。 代金は届け先から貰ってくれ。―――勿論、『超・速達便』で行ってくれっ!! 」
「お願いね。『超・速達便』で! 」
二日二晩、不眠不休で走った配達員は、碌な休憩もせずに、再度同じ行程をするのだった―――。
たった一通の手紙の為に……。
この配達員が、リウヴェルの元に辿りついた時、配達員の人格がややささくれ立っていたが、配達員の英雄と呼ばれる事になったのは、余談である。