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ビートルズが流れた日

作者: 大蔵良星
掲載日:2026/06/28

 大袈裟と言われるかもしれないが、ビートルズとの出会いは、今まで生きてきた中でも大きな出来事の一つであるように思う。もし、音楽の才能があれば、間違いなくミュージシャンになっていた。幸か不幸か、ミュージシャンにはなれなかったが。そんな大きな出来事を、言葉に残そうと思い、執筆してみた。今も、『ビートルズ』という言葉の響きは、脳の何処かが小さな刺激を受ける。大きな影響を受けていながら、それを現実の人生で何もいかせなかった人間の独り言と思って読んでもらえたら嬉しく思う。

 『Let It Be』それが最初に航太の心に刺さったビートルズの旋律だった。それまでにも幾度となくビートルズの旋律は耳にしていたと思う。英語の歌詞も理解できない小学生がその旋律から何かを感じて身を震わせたのだろう。その時の航太はこんな沼地に嵌っていた。

 航太が小学生の高学年になった頃、アメリカに憧れる想いが湧き上がっていた。その端緒は、いくつかの日本のテレビ局がアメリカの人気テレビドラマを放映していたであった。まだ政治に関心を持つ年齢ではなかったので、ドラマの内容に偏見なく素直に憧れを持った。ドラマに映し出されるアメリカ人は、みな広くて大きい家に住んでおり、その家々には高級そうな家具や家電製品が整然と備えられていた。食事も豪華で、日本人が滅多にお目にかかれなかった肉の塊が普通に出現していた。街には排気量の大きな車が所狭しと走り回り、渋滞すら起こっていた。後になって考えると、その社会は黒人などの低賃金労働者の犠牲の上に成り立っていた白人社会だった。『Making America Great Again』をスローガンに現れた大統領がいたが、何を持って『Great America』なのか説明もない。あの当時の白人社会を指して『Great America』と謳っているなら、アメリカはただのは白人至上主義エゴ社会だと思う。

 かたや住める土地が狭く貧しい日本では、『高度成長期』と呼ばれていた時代であったが、多くの人は狭くて、隙間風が吹き抜けるようなボロ家に住んでいた。しかも安っぽい家具の囲まれた狭い空間に、布団を敷いて寝起きしている生活だった。テレビ・ドラマに出てくるアメリカの家のダイニング・ルームなどというものはなく、布団を片付けたその空間に折り畳みの食卓を広げ、食事をする家庭がほとんどだった。街を走っている車は紫の煙を吐いて走る小さくて壊れそうなものばかりだった。それでも大人は、経済が発展する中、生活レベルを向上させることを夢見て必死に働いていた。そんな中で日本社会は、将来の日本を担う人材確保をもくときとした一つの施策として、教育水準を上げるべく子供達を受験戦争に駆り立てた。その子供達は、ドラマの中のアメリカの生活と実際の日本での日々の生活とのギャップが大きく過ぎて、現実として日本が将来目指している社会像を具体的に描くことができないでいた。子供によっては、目的を描けないまま大人の言うことに素直に従い受験戦争に突き進んだ者もいたが、航太にはできなかった。

 日本はあまりにも貧乏なので、人々がいくら勉強してもアメリカのように裕福な国になることはないと航太は思っていた。憧れのアメリカは遠くの国であり、自分達がそのような裕福な国の一部に入っているような絵は想像できなかった。『身の丈』という言葉があるが、その頃の航太の『身の丈』では見ることができない世界がそこにはあった。

 そんな意識の違いからなのか、航太のような子供達と大人達の間には大きなギャップが存在していたように思う。このような子供達の意識を引き上げたい大人達は、子供達に対して高圧的な態度で子供達に臨んだ。あの厳しい戦争と敗戦の泥沼の中を生き抜いたという体験が、自らの考えを確信的なもなり、それが子供達への高圧的態度に拍車をかけていたように思う。

 この大人達とは、親であり、教師でり、高度成長を具現化している働く人達であった。それらの人達は、日本の経済が成長するのに伴い、徐々に傲慢になって行った。古来の日本文化を破壊しながら工業化を推し進めて行った。東京に住む航太は、日本には野生動物など生息していないと思真剣に考えていたほどである。

 航太はこんな大人達に大きな不満を持っていた。『PTA』という言葉を覚えたのもこの頃である。子供達が新しい遊びを考えその遊びを楽しんでいると、『PTA』は恐ろしい秘密警察のようにそれを察知しその新しい遊びを止めさせるべく弾圧を始めるのであった。遊びに限らず子供達が新しいものを取り入れようとすると、それを理解できない大人達は、新しいものを取り入れた子供達を『不良』と呼び、とがめるのであった。航太には、大人達が子供の自由な行動や言動を奪う存在に映っていた。大人達の決め台詞は「まだ子供なんだから」、この一言で子供達から多くのものを奪って行った。

 当時は『教育ママ』と呼ばれる教育熱心な母親が台頭し、子供達に『教育ママ』の価値観を植え付けて行った。子供達の評価は、学校の成績と、どんな学校に進学したかで決めらるようになった。この価値観に基づく評価が低い者は、『不良』と呼ばれた。航太は、そんな価値観にも反発を覚えた。この価値観に基づくレールから外れた人間は無能なのか?受験のための勉強なんてまっぴらご免だった。

 そんな大人達に迎合し、媚を売る子供も現れた。 子供達の中にも航太と異なる価値観を持つものが現れた。というより、航太の方が異端なのか。いずれにせよ、立ち位置を間違えるといじめに遭う雰囲気の中で、毎日、気を張った学校生活を送るようになった。敵が多すぎる。気疲れの日々が続いた。

 航太は、アメリカ人の生活と日本人の生活の格差と、大人達への反抗心、そして一部の子供達から身を守ることへのストレスで、この世界から解放されたいとの想いが強くなった。『今の社会が戦争や隕石の衝突などで消え失せてしまえば、このストレスフルで不平等な世の中が吹き飛び、ゼロからの平等な社会が現れるのではないか』と他愛もないことを考えるようになっていった。こんなストレスフルで理不尽な世界がこの先何十年も続くのかと思うと消えてしまいたいような気持ちになった。そこには、おとぎ話のような美しい、純朴な子供の世界など欠けらもなかった。

 そんな時にクリスマス・プレゼントに買ってもらったソニーのトランジスタ・ラジオからビートルズの『Let It Be』が流れてきた。航太は、こんなに心に響くことがこの世の中にあるものなのかだろうかと思った。この空間が、航太と『Let It Be』 の曲だけになった。これを恍惚感と呼ぶのだろうか。航太は、航太を縛り付けていた何かから解き解き放された思いがした。心に響く音楽に出会うことで気分が変わることもあるのかとも知った。

 次の日、レコード屋に駆け込みレコードを買った。家に戻ると直ぐにそのレコードを家に古くからあったレコード・プレイヤーにかけた。それまで感じていた理不尽な思いも消えていた。『戦争』も『隕石』も消えていた。『PTA』や『不良』の文字も頭から消え去り、これから何か楽しいことが起こるような気がした。

 その時、既にビートルズが解散してから二年余りの時が過ぎていた。このタイミングのせいなのかラジオでは『ビートルズ特集』と銘打った番組がラジオの各局で絶え間なく組まれており、航太はテープレコーダーをラジオに繋げてビートルズの曲を録音した。当時、ラジオから曲を録音することは比較的普通に行われており、ラジオ局もそれを知っていたのか、曲にDJの声が被ることはほとんどなかった。そのため、航太は、数ヶ月でビートルズの全曲をほぼ網羅する録音テープのコレクションを築き上げることができた。押入に仕舞い込まれていた父親のクラッシック・ギターがあることを思い出し、それを引っ張り出しギターの練習をも始めた。将来、ビーオルズのようなバンドを組めることを夢みた。航太は、父親がギターを弾いている姿を見たことはなかったが、『父親にも音楽に憧れていた時期があったのであろう』と想像した。

 航太は、、日本の学生運動が下火になった高校生の頃、学生運動をテーマにした日本のフォークソング「いちご白書をもう一度」が流行り、その影響でアメリカ映画「いちご白書」を観た。大学生の時に本屋で偶然見つけた小説「ライ麦畑でつかまえて」を読み、学校生活への反抗心を描いた尾崎豊の『卒業』と出会った。それらの作品に出会う時期がもう少しずれていれば、それらの作品に共鳴し別の生き方を選択したかもしれないと、航太は思った。小説や映画、音楽も、それらと遭遇した人の年齢やその人が置かれている環境などにより反応も変わってくるのだろうか?ビートルズに話を戻せば、大勢の人が好む曲とはいえ、聞いた途端こんなに感動を覚えた曲は『Let It Be』が初めであった。不思議に思えたのは、『Let It Be』は大ヒット曲であるのに、誰しもが『Let It Be』に心を動かされるわけではないということである。当時の大人達は、ビートルズを『騒がしい音楽』と十把一絡げに扱い聞くこともせずにいたし、航太の周囲にいた友達には別のミュージシャンの音楽が好きな者もいた。音楽に全く興味を示さない者もいる。数年後、ビートルズの曲が公立中学の音楽の教科書に載ることになるのであるが、時代により評価は移りゆくものだと航太は思った。人にはある特徴を有する音楽をある年齢で聴くと活性化されるような神経細胞があろうか?航太の場合、その曲が『Let It Be』であり、聴iいた時期は思春期だから、特別な曲として記憶されたのであろうか。聴く時期が異なれば、その感動も違ったものになっていたかもしれない。

 1980年、航太、大学2年生の時、ジョン・レノンが凶弾に倒れた。街の至る所で『Imagine』が流れていた。この報に触れた時航太は、『俺がジョンに代わりImagineを伝えていかなければならない』と思った。ニューヨークのセントラルパークの『ストロベリー・フィールド』は寂しげだった。

 時は流れ、ビートルズから受けた熱い感情が十分に伝わってこないものであると感じた。『鉄は熱いうちに打て』というが、まさにそ通りである。でも、ビートルズは、今、聴いても色褪せることなく輝いているように思う。『芸術は長く人生は短し』ということかな。

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