海を知らない猫
あるところに、海にあこがれる猫がいました。
猫は、海を見たことがありませんでした。
ある夜、海から飛んできた鳥が、海がどんなものなのか話をしてくれました。
「海はひろくて、青くて、白くて、黒くて、赤い。静かなところもあれば、ザザーッという音がずっと聞こえるんだ」
鳥が話す海のイメージを、猫は想像することができませんでした。
海の広さ、色、音、匂い、どれもわからなかったのです。
一体、海とはどんなものなのでしょうか。
ただ、鳥が話す海にあこがれる気持ちはおさえられませんでした。
「よし、明日、海にいってみよう」
猫は夜、寝る前に海に行こうと決めました。
朝、猫は思い切り起き上がり、顔を洗って、身支度をはじめました。
カバンにおサイフとお昼ご飯と、携帯電話を詰め込みました。
「えっと、ここから海までは……」
携帯で検索をして、電車とバスの時間を調べました。
最寄りの駅までは徒歩で、そこから電車に乗って、それから……
「よし、行ってきます」
家の鍵を締めて、駅まで歩き始めました。気持ちは子供の頃の遠足気分です。
海って、どんなところなんだろう。猫は期待と不安でいっぱいです。
駅について、切符を買う。まずはチューリップ鉄道の終点まで。
猫はホームで電車がくるのを待っていました。
腕時計をみると、あと数分で電車がきます。
猫は、電車がゆっくり到着して、降りる人を待って、乗り込みました。
車内には、まばらに人が座っていました。
猫は車両をきょろきょろしてから、空いている座席に静かにすわりました。
猫は、しっぽをそっと膝の上にのせました。
「次はさくら駅、さくら駅です。お降りの方は……」
車掌さんのアナウンスが列車内をかけめぐります。
「終点です。お忘れ物のないようご注意ください」
改札をでて、それから海行きの路線を探します。
大きな駅なので、路線が入り組んでおり、山行きだったり、もっと遠くへ行く路線もあります。
「えっと、シーグラス駅は……海行きの、あった、あの看板だ」
海行きの路線の看板をたよりに駅の構内を歩いていきます。
大きな駅なので、人もおおく、時にはぶつかってくる人も多いです。
「あっ、すみません」
猫は、ぶつかっては謝り、なるべくぶつからないようにすりぬけていきます。
再び切符売り場でシーグラス駅行きの切符を購入し、改札まですすみます。
切符を入れようとしたその時、
「あのぉ、すみませんが」
猫に声をかけてきたのは、犬のおばあさんでした。
「すみれ駅にいきたいんだが、どっちへ行けばいいかわかるかい?」
おばあさんは、杖をつきながら小さなメモを握りしめていました。
「孫に会いに出かけてみたんだけど、迷子になってしまって……」
猫は、おばあさんのメモを見せてもらい、すみれ駅行きの路線を一緒に探しました。
「おばあさん、こっちみたいです。途中まで一緒に行きましょう」
「悪いねぇ。あんたはどこへいくんだい?」
犬のおばあさんは、優しい声で聞いてきました。
「海まで」
「へぇ、海へ行くのかい?」
「はい。見たことがなくて」
「そうかい。あたしも若いころ、一度だけ見に行ったよ。いいところだよ」
猫は、すみれ駅の切符も一緒に買って、改札まで見送りました。
「ありがとうね。あんたも楽しんで」
猫はおばあさんに手をふって別れました。
海行きの電車がホームにつくと、都会の風がびゅーっと吹きました。
高層ビルの間にある駅のホームで待つ人たちの間を、強い風が吹き抜けていきます。
「ご乗車ありがとうございます。この電車はシーグラス駅行きです」
電車に乗り込むと、まばらに座っている人がちらっと猫をみてまた別の方向を向きます。
再び空いた座席に座り、窓の外を見ました。
いつもとは違う景色に、胸の高鳴りがやみませんでした。
「次はシーグラス駅、シーグラス駅です」
「ここだ」
猫は、見知らぬ駅におりたちました。
潮の混じった風が、猫のひげを揺らしました。
知らない匂いでした。
駅からは歩いて行けるとのことで、再び携帯を取り出し、検索をします。
「えっと、西口から降りて……」
人にぶつからないように、知らない道を、猫はひとり歩きました。
商店街を抜け、住宅街を抜けるころには、風の匂いが変わっていました。
空気が少しだけ、べたつく気がします。
どこからか、鳥の鳴き声も聞こえてきました。
猫は、海の匂いを追いかけるように歩きました。
シーグラス駅から歩いて数十分。
「これが、海?」
目の前いっぱいに、海が広がっていました。
太陽の光を受けて、きらきら光っています。
「これが、海なんだ」
猫は、しばらく言葉が出ませんでした。
海から吹く風が、猫の毛を揺らしました。
砂は、少しだけ痛いくらい細かくて、波の音は、ずっと途切れませんでした。
「冷たい」
ひんやりとした冷たい海水が猫の足を飲み込み、海へ戻る波と、新たにやってくる波。
寄せては返す波が、何度も猫の足を濡らしました。
猫は、いつまでも海を見つめていました。




