第13話:偽りの日常
「……どうですか?」
「……うん。いい感じ。」
燻製器の中身を取り出してみると、ルリが具合を確かめて頷いた。
「下処理が甘いかもってちょっと不安だったけど、大丈夫そうだね。」
「……意外と楽しいですね、こういうの。ルリさんがここに入り浸っているのもわかる気がします。」
燻製の調理は下処理から始まり、それなりに時間がかかる。
しかし、その分できた時の感動は大きかった。
「皆に味見してもらおっか?」
「はい。」
出来た燻製を持って食堂に向かう。
中に入ると、サヤカ以外の少女達全員が集まっていた。
「皆、新しい燻製できたよ。味見してみて。」
「……アンタ達、こんな時に何呑気なこと言ってんのよ。」
燻製を配っていると、カリンが苦い顔をしながら言う。
「サクラがいなくなったのよ!?そんなことしてる場合じゃないでしょ!?」
その剣幕に、ルリが顔をしかめる。
「……だから今、先生達が捜してるでしょ?私達は普段通りにしていなさいって言われたじゃない。」
「だからって―—!」
反論しようとカリンが椅子を倒しながら立ち上がった時、アヤが割って入った。
「まぁまぁ、落ち着きなよ。カリンちゃんの気持ちも分かるけどさ、先生達に大人しくしてろって言われた以上、私達にできることなんて無いよ。それにさ、一番ツラいのは同室のアスカちゃんじゃない?」
「…………そうよね、ごめん。」
アヤの言葉に冷静さが戻ったのか、カリンは椅子を戻して座り直した。
「……もう食べてもいいですか?」
一触即発の空気が弛緩したのを感じ取ったのか、ヒナコが聞いてくる。
「どうぞ。」
「やったー!」
アスカが促すと、目を輝かせ燻製にかぶりつくヒナコ。
それに続くように少女たちは次々に燻製を口に運ぶ。
「―—うぇ~。ンだよこれ。なんか変な味。」
どうやらスバルの口には合わなかったようだ。
「……香草を使ってみたの。口に合わなかったかな?」
「少し香りが強すぎるかもしれませんわね。これでは素材の味がわかりませんわ。」
ルリの言葉にユキナが答える。
「……私もちょっと苦手かも。ゴメンね?」
イノリも困ったような顔で感想を述べる。
「う~ん。あたしは好きだけどな。なんかすぅ~とする香りっていうかさ。」
「でも、なんだか変わった味かも。」
アヤとスミレが話しているのを聞きながら、アスカも手元の燻製をかじる。
炭火の苦みの中から香草の強い香りが鼻に抜けていく。
「……私も嫌いじゃないです。」
「スッゲーうめぇですよ!」
「うんうん!」
「アンタ達はなんでも美味しい美味しいって食べるじゃない。」
ヒナコとコナツにツッコミを入れつつ、カリンも燻製をかじる。
「……うん、アタシも苦手かも。」
「すぅ……すぅ……。」
メグはそんな騒がしさも気にならない様子で、机に突っ伏して眠っていた。
「……サヤカさんはどこにいるんですかね?」
「アイツの単独行動はいつものことでしょ?集まろうって誘っても逃げるだろうし。」
カリンの答えに納得はできる。確かにいつものことではあるのだが……。
「今、一人でいて大丈夫なのでしょうか?」
普段通りにしていろとは言われているが、人が一人いなくなっているのだ。
「私が捜してきますわ。同室ですから、お話くらいは聞いてくださるかと。」
サヤカの身を案じていると、ユキナが胸を張って答える。
「それが良いかも。サヤカちゃん、私達には心を開いてくれないし。」
「……えっ、ルリさんにもですか?!」
ルリは人の心に入り込むのがうまいと思っていたのだが、どうやらサヤカには通用しなかったようだ。
「あはは……。なんだか怖がられちゃって。」
「ルリは怒ると怖ぇからな~。サヤカがビビるのもしょうがねぇんじゃね?」
「もうっ!スバルちゃんっ!」
食堂が笑いに包まれ、どことなく緊張していた空気が弛緩する。
「むぅ……。とにかく、みんなも普段通りにね。サクラちゃんの捜索は先生たちに任せて、危ないことはしないでね。」
ルリの言葉に各々返事をする少女達。
サヤカのことはユキナに任せて、少女達は日常に戻ることにしたのであった。
カーテンを閉め切って毛布に包まる。それがサヤカの日常だった。
この孤児院が嫌いだ。様々な臭いが渦巻くここで信じられるものはほとんどなく、ユキナと二人で寝起きするこの部屋だけが安心できる場所だった。
何度も脱走しようと思ったが、それは自分に優しくしてくれるサクラやユキナをここに残して逃げるということである。それはできない。
……なにより、そんな大それたことを実行する勇気は無かった。
コンコン。
「!」
いつものようにベッドに寝転がってぼんやりとしていると、突如扉が叩かれこちらの返事を待たずに開かれる。
「……ここにいらしたのね、サヤカさん。」
部屋に入ってきたユキナは溜息をつきながら近づいてきた。
「談話室に行きませんか?あちらの方が暖かいですわ。」
掛けられた優しい声音に毛布の隙間から外を覗くと、ユキナの心配そうな顔が見える。
「……行かない。」
しかしいくらユキナからの誘いとはいえ、ここから出るつもりは無い。
「今、一人でいると皆さんを心配させてしまうかもしれませんわ。ですから——。」
「行かない。」
その後もユキナの誘いを断っていると——。
「……何か理由がありますの?」
ユキナが理由を尋ねてきた。
一瞬、心臓が跳ねる。ユキナにはどこまで話したことがあっただろうか。
——いや、そもそもこんな話を信じてもらえるのか?
「……ユキナは、血の臭いを嗅いだことはある?」
「血の臭い、ですの?いえ、無いですけれど……。」
ユキナはこちらの言葉に面食らったようでぱちぱちと目を瞬かせている。
「ここの人達からは血の臭いがするの……。大人も子どもも関係なく……。」
「……それって、屠殺小屋が原因なのでは?」
少女達は立ち入りを禁止されているが、ケンイチが狩猟した動物を解体するための小屋がある。恐らくユキナはそれが原因ではないかと考えたのだろう。
「そうかもしれない。でも、違う、と思う。」
震えながら自分を抱きしめる。屠殺小屋は、炭焼き小屋と畑のさらに奥にあるのだ。
そこから院内に臭いが充満するとは考えにくい。それに——。
「獣の臭いじゃない。何か別の臭いがするの。もしかしたら……人間の血の臭いかもしれない。」
「!」
もちろん、何の臭いかは憶測にすぎない。しかし、サヤカの鼻はその異様な臭いを嗅ぎ取っていた。
「そこまで嗅ぎ分けられるなんて、すごい嗅覚ですわね。」
「…………信じて、くれるの?」
「えぇ、もちろんですわ。」
友人が信じてくれたことに少し嬉しくなる。しかし、この嗅覚はそこまで良いものではない。
「こんな力、いらない。みんなから気味悪がられて、怖がられて。親からも捨てられて……。」
「ですが、その嗅覚はきっとサヤカさんの力になってくれるはずですわ。」
ユキナはまっすぐにこちらを見つめて肯定してくれる。
「……そんなこと…………。」
しかし、サヤカはそこまで自分を肯定することはできなかった。気まずい沈黙が流れる。
「……その臭い。ここにいる全員からしますの?」
微妙な空気を払拭するようにユキナが口を開いた。
「……うん。色んな臭いが混ざり合って、出所がわからないの。だから、怖い……。」
どんな臭いがするかわかっても、それがどこから、或いは誰からしているかまでは判別できないのだ。もっと鋭敏であればこんなに怯えなくとも良かったのだろうが、そんなに都合良くは行かない。
「その臭いって、私からもしますの?」
「うん。」
質問に頷くとユキナは自分の臭いを嗅いで首を傾げた。ユキナには臭いを判別できなかったようだ。
「けど、ユキナは大丈夫……。」
「なぜ、大丈夫なのでしょう?」
「ユキナとサクラはわたしより後に来たから、あの臭いがしなかった頃を知ってる。だから、信じられる……。」
ユキナが来たのはサクラの次であった。外から来たばかりを知っている二人だけがサヤカにとって安心できる人物なのだ。
「でしたら、最近来たアスカさんはどうですの?サヤカさん、随分怖がっているようですけれど……。」
ユキナの問いかけに、初めてアスカを見た時のことを思い出す。
「……アスカからは、最初からここと同じ臭いがしてた。……あの子は普通じゃない。」
アスカから漂う血の臭い。それはここに来たばかりにも拘らずこの孤児院に漂う異様な臭いと溶け合い、アスカ自身の臭いを消していた。
もしかすると、アスカは人を殺して——。
「……あぁ、それならもしかすると……。」
ユキナはそう言うと躊躇いがちにアスカがここに来た経緯を説明してくれた
どうやらアスカから直接聴いていたようだ。本人のいない所で話してしまうのは心苦しいのだろう、その表情は少し暗い。
「——そういうわけですから、恐らくご夫婦の死に触れていたのではないかしら。」
「そう、なんだ……。そんな事が……。」
そんなことがあったなんて知らなかった。アスカには悪いことをしたかもしれない。
「アスカさんは悪い人ではありませんわ。サヤカさんもお話してくだされば、きっと分かっていただけるはず。」
ユキナはそう言いながら窓際へと移動し、閉め切られたカーテンを開けた。
外は厚い雲に覆われており、少し暗い。
「でも……。きっと、アスカもわたしのこと嫌いだと思う……。」
初対面の態度は最悪だったのだ。植え付けられた心証は良いものとは思えない。
「そんなことありませんわ。アスカさんもあなたのこと、心配していらしたもの。それに——。」
意味深に言葉を切るユキナ。
サヤカは顔を上げ、次の言葉を待つ。
「“アスカ”と“サヤカ”って響きが似ていますもの。きっと仲良くなれますわ!」
「…………。」
「あ、あら?」
普段言わないであろう冗句にどう反応したものか迷っていると、ユキナが慌てだす。
「ダメかしら?こういうのは慣れませんわね……アヤさんに教わろうかしら……。」
「……フフッ……。」
その様子がおかしくて、サヤカは笑った。
「……コホンッ!とにかく、サヤカさんはもっと他の方とお話してみるべきですわ。」
「……うん、わかった。頑張ってみる。」
サヤカが頷くと、それを見たユキナは満足げに微笑んだ。
雲が切れたのか、カーテンの隙間から日の光が射し込んでユキナを照らす。
その姿はとても綺麗で、サヤカはなぜだかユキナを遠くに感じるのであった。




