影の英雄達 ー過去ー
この散らかった部屋を片付ける気は、もうとっくに失せちまった。
下手に整理でもしたら、逆に“生活感ゼロの不気味な部屋”になる気がしてな。
――という言い訳が、どこまで通用するものか。たまに自分でも試してみたくなる。
煙草のヤニも、コーヒーの染みも、もはや家賃の一部みたいなもんだ。
この部屋はそうやって、俺が生き延びてきた痕跡だけでできている。
そんな部屋で、唯一“健康的にまぶしい”のが、壁に掛かった一枚の集合写真だった。
六人の影の英雄。
……いや、英雄なんて言葉を使うのは照れくさいな。ほとんど影だけで、光なんて当たっちゃいない。
場所はザハルの首都、バル・オルム。
砂と火薬と人間を一緒くたにして、強火で煮込んだみたいな街だ。
国際社会の真っただ中に、突如として生まれた軍事独裁国家。
日本大使が拘束された? 前代未聞?
あの国にとっちゃ、“今日の降水確率は30%”くらいの感覚だっただろう。
誘拐事件なんてのは、飼い犬が逃げた程度の出来事さ。
たまたま、その犬に選ばれたのが日本だった――それだけの話だ。
もっとも、こっちは捕まった側の話だがな。
国際的にも注目を集め、大使の安全確保と救出は最優先課題になった。
その任務を任されたのが、国際協力軍の中でも“影”で存在が語られる精鋭部隊。
特殊作戦群――通称「クロノ・ファントム」。
で、その中で「ちょっと行ってこい」って軽いノリで選ばれたのが俺だった。
「最高ランクの潜入技術と戦闘能力を持つお前なら」なんて、おだてられてな。
だが、そんなことはない。
あそこにいた連中は、全員が“最高の奴ら”だった。
写真の下には、マジックで小さくこう書いてある。
――「ミカドへ…愛をこめて」。
レオン・ハシバ=ミカド。
コードネームHAWK。……昔の名だ。
今の身分証明書に、そんな名前はどこにも載っていない。
“行って帰れる確率が高い”
選ばれた理由は、どうやらそれだけだったらしい。
正直に言えば、帰ってきたのは運だ。
あの日は、生まれて初めて神様に感謝した日かもしれない。
そして――
この写真の中には、ひときわ目立つ人物がいる。
忘れることなんてできない。
忘れるわけがない。
数ある精鋭部隊の中で、女性初の部隊長。
見た目はモデル。魂は溶鉱炉。態度は戦車。
目を閉じると、今でもあの場の空気が蘇る。
彼女は幹部連中の前で、静かに、だが鋭く言い切った。
――命令には従う。でも、その“質”は問い続けるべきです。
部隊は家族と言う気はありませんが、雑な作戦は国益すら損ないます。
生きて帰れない任務なら、私が先頭で死地に向かう覚悟はできている。
だからこそ、綿密な作戦立案をお願いします。……失礼します。
しびれるね。
泣かせる台詞だ。
言葉遣いは丁寧だが、要約すればこうだ。
――命令には従う。
――だが、命令がクソなら堂々と正す。
――兵を預かる以上、死ぬ覚悟も責任も全部自分が背負う。
――だから、上も手を抜くな。
会話なんてものは、余計な飾りを削ぎ落とせば、結局これだけになる。
彼女の言葉は冷静だった。
だが、言葉そのものが鋭く心に刺さる。
刺さるのに、正しい。
正しいからこそ、痛くて、怖い。
幹部連中に説教したと聞いた部隊の連中は、胴上げしようと待ち構えていた。
だが彼女は言った。
「当たり前のことを言ってきただけだ」
「それより、今から訓練の続きだ!」
そう言って、足早に立ち去った。
今思えば、あれは照れ隠しだったんだろうな。彼女なりの。
強靭。恐怖。熱血。美人。背が高い。
精神を含めて、すべてが鋼鉄だった。
彼女の前では、格闘術でさえ、俺の自信もプライドも、簡単に粉砕された。
だが、嫌な気分は一切しなかった。
本当に、完敗だったからな。
そんな部隊長だったからか、この部隊はよくまとまっていた。
……いや、“ファミリー”だったと言った方が正しいか。
皆、彼女を支えようとしていた。
だが、それ以上に――彼女はいつも、俺たちを支えていた。
そして、あの日が来た。
永遠なんてものは存在しないと、思い知らされる日が。
ある国会議員が、俺たちの部隊の存在をリークした。
世界中の特殊部隊に喧嘩を売ったようなものだ。
並の人間なら、この重圧には耐えられない。
数日後、その議員は国際会議の場で謝罪し、失言として処理された。
そして責任を取る形で、あっさり辞職。
後の調査で、その議員が某国に取り込まれていたことが発覚した。
最初は、甘い誘いに乗っただけだったのかもしれない。
だが、各国を渡り歩いて暗躍する連中の企みが、そんなに甘いはずがない。
一度弱みを握られれば、搾りかすからでも、さらに搾り取られる。
「使い物にならない」と判断された後の人生が、
生易しいものであるはずがなかった。
表舞台から消えた後、どうなったのか。
――考えない方がいい。誰一人、幸せにならない。
こうして「クロノ・ファントム」は、跡形もなく消えた。
他の部隊への影響を考えれば、それが最善だった。
運命、か。
便利な言葉だな。
解散の日、全員が違う名前と、違う人生を割り振られた。
寄せ書きも、卒業証書もない。
この警戒された状況で撮った、唯一の集合写真。
俺たちはもう――
写真の中でしか、集合しない。
それでも……
あの部隊長の声だけは、今も耳に残っている。
あれほど厳しくて、頼りがいがあって、ついでに美人で。
怒らせたら、生き残れる可能性はゼロパーセント。
そんな女は、他にいねぇ。
もし、もう一度会えるなら――
……まあ、最初に叱られるのは俺だろうな。
この汚部屋を見て、確実に。
すげぇ女だったよ。
本当にな……。
また、会えたらな。




