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クライアント2

俺は女性を事務所へ招き入れた。

ドアが閉まると、外のネオンが窓ガラスに滲み、部屋の中に鈍い光を落とす。


彼女はそのネオンに目を向けたまま、何かを探すように指先を揺らしている。

落ち着きがない。

手にしたハンカチをやたらと握りしめ、何度も額の汗をぬぐっていた。


――警戒心と秘密。

この仕事じゃ、よくある組み合わせだ。


俺はそれを悟らせないよう、静かに観察を続ける。


「コーヒーでも飲みますか?」


カップを差し出しながら言う。

もっとも、見ての通りの事務所だ。当然インスタントだが。


金属音を立てる自動給湯機でお湯を注ぐと、彼女はすぐに首を横に振った。


「いえ、何も要りません。それより……これを」


差し出された手の中にあったのは、小さなデバイスだった。

液晶には意味の分からない記号が表示されている。

そして、それを持つ彼女の手は、かすかに震えていた。


俺に何かを伝えようとしている。

それは分かる。

だが、こういう時こそ焦らないのがコツだ。


「まぁ、お急ぎなのは分かりますが、少し待ってください」


声を落とす。


「インスタントですよ。1分で終わる。あとはミルクを注ぐだけですから」


コーヒーカップを手に、慎重に近づいてデバイスを受け取る。

指先に伝わる彼女の震えが、わずかに俺の心拍を狂わせた。


外の街は今日もクラクションとネオンの雨。

うるさい咳止めのCMが、昼夜の区別なく流れている。

だが、この事務所だけは、時間が止まっているみたいだった。


「へぇ……このデバイス。まだこんな物が生き残ってたんだ」


小さな金属の箱を手に取り、指先で軽く弾く。

設計は時代遅れだが、心臓部はまだ生きているらしい。


「この型の変換コネクタ……うちにあったかな」


思い出すより先に、俺は事務所の隅へ向かい、

ゴミか廃棄物かも分からないケースを漁り始めた。


絡まったケーブルの箱、埃まみれのチップ、古いVRグラス。

まぁ、それらしい物は一通り揃っている。


「あった……これだな」


指先で引き出したのは、錆びた金属の小片。

うっすら浮いたサビが、光の反射を邪魔している。


「見た目はこうですが……まぁ、なんとかなるでしょう」


片手でデバイスを押さえ、もう片方で変換コネクタを差し込む。

微かな火花が散ったが、問題はなさそうだ。


次の瞬間、デバイスは生き返った蛍のように、

ブルーのランプを元気よく点滅させ始めた。


机の上は埃まみれ。

ケーブルは絡まり、空気は油と古い電子機器の匂いで満ちている。

だが、こういう作業は嫌いじゃない。


この街も、この機械も、俺も――

捨てたもんじゃねぇ。


デバイスから読み取った情報を表示したモニタを睨みつける。

情報は揃っている……ように見える。

だが、どうにも違和感があった。


何かがおかしい。


こういう時は、他愛もない話で場をつなぐ。


「この辺は最近物騒でね。ついこの前も、二ブロック先のビルが吹っ飛びまして」


ここじゃ、それが世間話になる。

一昔前なら、新聞の一面を飾る大事件だろう。

だが今じゃ、嘘八百のタブロイド紙が片隅に載せる程度だ。

宇宙人の侵略が始まった、なんて見出しと並んでな。


「……ふーん。このデータ、フェイクだな」


指でモニタをなぞり、眉間に皺を寄せる。

微かに灯るLEDランプが、嘘を誤魔化すみたいにゆっくり点滅している。


だが、俺が組み込んだシステムは正直だ。

テントウムシのキャラクターが、このデータは偽装されていると教えてくれている。


盗難防止にしては、レベルが高すぎる。

圧縮量も異常だ。


「フフフ……ここで試されるとは。なかなかお人が悪い」


低く呟き、椅子の背にもたれかかる。


ここまでして守りたい“本物”か。

少し興味が湧いてきた。


回り道をさせて、真実に辿り着かせるつもりか。

これをくそ真面目に解こうとする奴は、大抵失敗する。

失敗しても、それらしい言葉でクライアントを誤魔化す。

二流止まりってのは、そういうもんだ。


だが、こういう面倒な代物は、それなりのホストが相手をする。


「どうれ……ちょいと細工が必要になりそうだな」


机の上の紙屑とケーブルの山を見渡す。


「貴方の真意は量りかねますが……幸い、こういうのは嫌いじゃないんですよ」


急かす客も多いが、作業はあくまで俺のペースだ。


「外、寒かったでしょう?」


何気ない会話で、彼女の意識を逸らす。


「こんな時期にわざわざ。大変ですね」


俺は再び埃まみれのボックスを漁り、部品をかき集める。

隠された真実を拾い出す準備だ。


さっき言った言葉は嘘じゃない。

俺は本当に、こういう面倒くさい細々とした作業が嫌いじゃない。


――こういう夜は、

放っておかれて冷めたコーヒーとフェイク情報がよく似合う。


もう一度デバイスを手に取り、その隅々まで目を走らせる。

フェイクの背後には、必ず本物がある。

そして、それを見つけるのが俺の仕事だ。


ジャンク品ケースを再度漁っていると、彼女が口を開いた。


「……で? どうしたんですか。貴方のような人が」


俺はいくつかの部品とケーブルを抱え、デスクに戻って腰を下ろす。


女性は、小さく息を吐いた。


「すべて……すべて盗まれたのです」


眉間にしわが寄る。


「盗まれた? 財産とか、貴重品とか……車とか?」


彼女は一瞬、目を大きく見開いた。

ネオンを反射した瞳が、ほんの一瞬、紫に妖しく光る。


「すべて……です」


不謹慎だとは分かっている。

それでも、俺は小さく笑ってしまった。


「……面白くなりそうだな」


この一言で確信した。

これから始まる物語は、

俺の退屈だった日常を、一瞬で変える。


そんな予感を――いや、確信をくれた夜だった。

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