意思のサイコロ
ポケットの中で、
サイコロがわずかに脈打った気がした。
冷たいはずの金属が、
まるで体温を持っているかのように、
じんわりと存在を主張してくる。
俺は足を止める。
ネオンが滲む夜の街。
雑音と光が混ざり合うこの場所で、
“それだけ”が妙に輪郭を持っていた。
「……なぁ、観察者」
誰にともなく、俺は呟く。
返事はない。
だが、こういう時は“いる”もんだ。
見ているやつがな。
「ここで提案がある」
俺は煙草を取り出し、
火もつけずに指先で転がす。
「このサイコロに興味があるようだが――
ちょっとこれについて、昔話でも聞かせていただきたい」
ポケットの中で、
サイコロが“コツン”と鳴った。
まるで返事みたいにな。
「安心しろ。退屈はさせねぇよ。
……俺は寝てるからな」
ふっと笑う。
「寝かしつけって事でも悪くない」
――その瞬間。
視界の奥が、わずかに“ズレた”。
サイコロには、ゴーグルの意志が含まれている。
奴らは、それに反応する。
つまり――
ゴーグルの所縁の連中って事だ。
さしづめ、“眷属”といったところか。
昔話、ってのはな。
大抵は脚色される。
美談にされたり、教訓をねじ込まれたり。
だが今回のは違う。
これは――記録だ。
誰も語りたがらない、
“未整理の真実”ってやつだ。
ゴーグルという男がいた。
機械の声を聞く男。
分解し、理解し、再構築する存在。
だがな、
本質はそこじゃない。
あいつは――
「境界を、越えた」
機械と人間の間。
プログラムと意思の間。
その曖昧な線を、
あいつは踏み越えたんだ。
普通の技術者は、
命令を与える。
だがゴーグルは違う。
“交渉していた”。
機械と。
対等にな。
それが何を意味するか、
わかるか?
機械は従うものじゃなくなる。
“選ぶ”ようになる。
誰に従うかを。
その結果が――
このサイコロだ。
ただの乱数装置じゃない。
これはな、
「意思を持った選択装置」だ。
振れば結果が出る。
だがそれは、
偶然じゃない。
選ばれている。
――観測者によって。
あるいは。
“作ったやつの残滓”によってな。
ゴーグルは、
完全なAIを作らなかった。
代わりに――
「意志の断片」をばら撒いた。
小さく。
気づかれない形で。
このサイコロも、その一つだ。
だからだ。
“奴ら”が反応するのは。
ゴーグルに関わった連中。
あるいは――
その技術に触れた存在。
そいつらにとって、
このサイコロは“信号”になる。
呼び水だ。
匂いみたいなもんだな。
血の匂いに、
獣が寄ってくるみたいに。
こいつを持ってるだけで、
居場所がバレる。
そして――
選ばれる。
敵か、味方か。
あるいは、
もっと別の何かとして。
「……で、だ」
俺はゆっくりと歩き出す。
夜の街が、
やけに静かに感じる。
さっきまであったはずの喧騒が、
一歩引いた場所にあるみたいだ。
「問題はここからだ」
サイコロを取り出す。
掌の上で転がす。
カラリ、と乾いた音。
だが――
その“軽さ”が、妙に不自然だった。
「これは、ただの置き土産じゃない」
ゴーグルは、
飽きた。
世界に。
だがな――
飽きたやつが最後にやることは、
だいたい決まってる。
「仕掛けを残す」
自分がいなくなった後も、
“遊べるように”な。
このサイコロは、
ゲームのトリガーだ。
振るたびに、
何かが動く。
確率じゃない。
条件だ。
見えないフラグが、
積み上がっていく。
そして――
ある瞬間。
“向こう側”が、開く。
「……趣味が悪い」
思わず苦笑が漏れる。
だが嫌いじゃない。
むしろ、
こういうのは得意分野だ。
面倒で、
理屈が通らなくて、
命の保証がないやつほどな。
「で、観察者」
俺は空を見上げる。
ネオンに塗りつぶされた、
偽物の夜空。
「アンタはどっちだ?」
見てるだけの存在か。
それとも――
既に、関わってる側か。
返事はない。
だがな。
沈黙ってのは、
肯定の時もある。
俺はサイコロを握る。
ぐっと力を込める。
「まぁいい」
どうせ進むしかない。
この手の話はな、
途中下車なんてできやしない。
「昔話は終わりだ」
俺は小さく息を吐く。
「次は――現実の話といこうか」
サイコロを、振る。
カラン、と音が響く。
転がる。
止まる。
出た目は――
「……なるほどな」
俺は笑った。
「やっぱり、そう来るか」
風が吹いた。
街の空気が、
ほんの少しだけ変わる。
嵐はまだだ。
だが――
“来る側”は、もう動いている。
その中心にあるのは、
俺か。
サイコロか。
それとも――
消えた天才の、残り香か。




