場違いな買い物
入口には、くたびれた看板が立っていた。
総合衣類販売店『ネメシス』。
妙に堂々とした名前だ。
ガラス越しに中を覗くと、
色とりどりのポップが貼り付けられている。
だが、そのどれもが――
「……何年前の流行りだ、これ」
思わず呟いた。
いや、そもそも流行りなんてものを、俺はほとんど知らない。
知る必要がなかったとも言える。
田舎と都会で流行が違う、なんて話もあるが。
それ以前の問題だ。
俺にとっての服は、機能だ。
トレンチコート。
これさえあれば、大抵の状況はどうにかなる。
流行とは別物だがな。
「……さて」
扉を押して中に入る。
軽い鈴の音が鳴った。
店内は、思っていたよりも広い。
だが、どこか時間が止まっている。
並ぶ服。
整列したマネキン。
色あせたポスター。
どれも、“今”じゃない。
「……参ったな」
本当に、女性のものは分からない。
こういう時は、理屈じゃない。
視覚で判断するしかない。
――マネキン。
それから、似た体型の店員。
「それでいくか」
そう結論を出した瞬間だった。
「お客様、何をお探しで?」
……言ってる側から来た。
俺は心の中で舌打ちしつつ、振り向く。
店員は、年齢不詳の女だった。
目が笑っているようで、どこか値踏みしている。
特徴は、顔面に施されたピアスが、これでもかと並んでいた。
「えっと……」
一拍、間を置く。
「ワイフに頼まれてな」
口から出たのは、咄嗟の嘘だった。
「ちょっと洋服を買いに来たのさ。」
人差し指を、今思い出した風に立てて。
「あと、下着も」
自分で言っておいて、妙な違和感が残る。
“ワイフ”
便利な言葉だが、使い慣れていない。
「あら、それは何用で?」
店員が、わずかに口元を歪めた。
――ニヤッと。
「何用って……生活用だが」
俺は肩をすくめる。
「もっと言うなら、家でくつろぐタイプ」
一応、それらしいことは言ってみる。
すると。
「チッ、なら、あっちだよ!」
間髪入れず、店員は腕を振った。
方向だけ示して、それ以上は何も言わない。
「では、テキトーにどうぞ」
「……おい」
呼び止める間もなく、
店員はもう別の作業に戻っている。
まるで、最初から興味がなかったみたいに。
「……何だよ、それ」
思わず小さく呟く。
妙に、突き放された感じがした。
いや――
投げ捨てられた、か。
そんな感覚に近い。
だが、考えてみれば当然だ。
怪しいトレンチコートの男が、
“ワイフの下着を買いに来た”なんて言い出す。
まともに相手をする方がどうかしている。
「フフ……まあいい」
俺は軽く首を振る。
目的は、買い物だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
指し示された方向へ歩く。
そこには、色とりどりの布が並んでいた。
柔らかい素材。
軽いレース。
見慣れない形状。
「……」
一瞬、立ち止まる。
「……どうやって選ぶんだ、これ」
マネキンを見る。
細すぎる。
次に店員に目をやる。
ちょっと違うなぁ。
……参考にならない。
「……参ったな」
ポケットの中で、あのサイコロが触れた。
“1”。
女神様の機嫌。
「……まさか、これで決めろってか?」
小さく笑う。
だが、その笑いは、どこか本気に近かった。
この街は、こういう“くだらない選択”が、妙に意味を持つ。
そして――
その選択の先に、何かが待っていることも多い。
俺は、ひとつ、適当に手に取った。
「……これでいいか」
誰に言うでもなく呟く。
だがその瞬間、背中に、かすかな違和感が走った。
――視線。
この店には、俺と店員しかいないはずだ。
それでも。
「……気のせい、か」
そう言い聞かせる。
だが、探偵の勘ってやつは、
大抵こういう時、外れない。
俺は何気ない顔で、店内をもう一度見渡した。
静かな店。
動かないマネキン。
色あせたポップ。
そして――
何かが、“一つ多い”気がした。
気のせいならいい。
だが、もし違うなら。
「……面倒なことになりそうだな」
俺は、手にした布をそのままに、
ほんのわずかだけ、警戒のスイッチを入れた。




