女神は気まぐれに微笑む
「……やれやれ。そんなビッグマウスだとは思わなかったぜ」
俺が肩をすくめると、モヒカンは鼻で笑った。
「ビッグマウス?フッ……違うね。事実だよ」
あいつは、まるで煙草の煙でも吐くみたいに、さらりと言い切る。
「俺は“ゴーグルに触れた男”。
そしてあんたは――ゴーグルが残した最後の“選択”を拾った男だ」
選択、か。
「……何を選んだのやら」
口にしてみると、妙に軽く聞こえた。
だが、その言葉の中身は、どうにも笑えない重さを持っている。
あいつの言う“選択”。
それが俺をどれほど厄介な渦に放り込んだか。
考え出すと、胃の奥がじわりと痛む。
モヒカンは、そんな俺の顔を見て、わずかに口角を上げた。
「スーパースターってのはな、
いつも“リングに上がった奴”のことを言うんだ」
リング。
なるほど。
観客席で野次を飛ばす連中は、最初から数に入っていないわけだ。
「実力があるかどうかは……後からついてくる」
「……ずいぶん無責任な理屈だな」
「いいや、現実だ」
言い切る声に、妙な重みがあった。
俺は小さくため息をついた。
だが、不覚にも、口元がほんの少しだけ緩んでいた。
――こいつの言葉は、時々、心の奥の埃を払う。
癪だが、事実だ。
そのやり取りを、スパーキーが見ている――ように見えた。
いや、正確には“寝ているように見える”。
作業台の端で、犬型の金属外骨格がじっとしている。
丸まることもできない構造で、眠れるはずもない。
あれはただ、動いていないだけだ。
「安心しろ。こいつも落ち着いてる」
モヒカンは、つま先でスパーキーの横腹を軽くつついた。
コツン、と乾いた金属音が返る。
その音が、室内の静けさに奇妙な余韻を残した。
「……しかし」
俺は視線をデバイスから外さずに言う。
「天才に挑戦するって話だったよな。本当に勝算はあるのか?」
モヒカンは、にやりと笑った。
そして、棚の奥から――
妙なものを取り出した。
直方体の金属。
ただの箱にも見えるし、無骨な玩具にも見える。
「なんだそれは」
「決まってるだろ。女神様だよ」
「は……?」
思わず間抜けな声が出た。
「女神?こんな時に神頼みか?」
「違うよ。運試しってやつだ」
モヒカンは軽くそれを持ち上げ、指先で転がす。
「これがあればな。大抵の時限爆弾処理さえ、子供でもできちまう」
「おいおい……科学者らしくないな」
「まあいいさ。ただし――」
その声が、ほんのわずかに低くなる。
「“女神様”はな、ご機嫌によっては、
気まぐれで“破滅”も連れてくる」
「……おい、やめろよ、そういうの」
「だからだ。ちゃんとご機嫌取っておいてくれよ」
ひょい、と。
軽い動作で投げられたそれが、俺の手のひらに落ちる。
金属の冷たさが、じわりと皮膚に染み込む。
刻まれた“2”の目が、妙に生々しい。
――まるで、洞窟の奥からこちらを見返しているようだ。
「俺は、女の扱いが下手だからな」
「……サイコロの扱いもだろ」
「良く知ってるじゃないか。はっはっは……」
作業灯の光が、あの紫のモヒカンを照らす。
角度のせいか、影が歪んで――
まるで悪魔のツノみたいに見えた。
「まあ、そのサイコロ。ここで振ってみてくれよ」
「この台の上でか?」
「そうだ。“女神様”の機嫌を見るには、まず挨拶からだ」
俺は肩をすくめ、金属の塊をテーブルに置く。
コトン、と軽い音。
そして、指先で軽く放った。
――その瞬間。
空気が変わった。
サイコロは、転がる。
だが、それは“転がる”という言葉では足りない。
減速の気配がない。
摩擦を無視したように、
物理法則に喧嘩を売るように、回り続ける。
「……なかなか止まらねぇな、これ」
俺が呟くと、モヒカンは腕を組んだまま、満足そうに眺めている。
その顔は、どこか――
子どもの発表会を見守る父親みたいだった。
「すごいだろ。まあな……“普通”とは違う」
サイコロは、踊っている。
重力の向きすら疑っているみたいに、
ありえない軌道で揺れ、回り、跳ねる。
まるで――意志がある。
「何をどうしたら、こんな挙動になるんだ?」
「簡単な話さ」
モヒカンは、あっさりと言った。
「重心のズレがゼロに近い」
「……は?」
「人間が作っていい領域を、とっくに踏み越えてるってことだ」
俺は、サイコロから目を離せなかった。
「へぇ……。これも“ゴーグル”の置き土産か」
「ああ」
モヒカンは、静かに頷く。
「あいつにとっちゃ、こういうのは“暇つぶし”らしい」
――暇つぶし。
その言葉が、やけに重く響いた。
ようやく、回転が落ち始める。
最後の揺れ。
その一つ一つが、妙に美しい。
機械仕掛けの乙女が、祈りを終える瞬間みたいに。
そして――止まる。
モヒカンが、口元を歪めた。
「さて……出目で、今日の気分が分かるぜ」
静寂の中、あいつの声だけが落ちる。
「女神様の“機嫌”ってやつがな」
俺は、ゆっくりと視線を落とした。
――そこに出ていた数字を、まだ知らないまま。




