地下
薄明かりの工房から、二人の影がゆっくりと階段の闇へ吸い込まれていった。
背後で工具の音が遠のき、代わりに、地下から立ち上る冷えた空気が皮膚を撫でる。
「ここは地下もあったのか?」
思わず漏れた俺の声に、前を歩く紫モヒカンが肩越しに笑う。
「なんなら地下鉄も走ってるぜ。もっとも、乗客は俺とスパーキーだけだ。荷物はガラクタの山だがな」
冗談めかしてはいるが、足音の反響がそれを否定していた。
この階段の奥行きは、個人の工房に付属するレベルじゃない。
「おいおい……これ、個人でどうこうする規模じゃないだろ」
「そりゃそうさ。俺一人じゃ無理だな」
やつは立ち止まり、振り返らずに続ける。
「まぁ、俺とあんたの仲だ。察してくれよ。一々、全部説明なんかしねえ」
薄く笑った気配の直後、壁際で鈍い音が二つ鳴った。
足で蹴られたスイッチが反応し、柔らかな振動とともに照明が段階的に奥へ、奥へと灯っていく。
「これ見りゃ、大体わかるよ」
階段を降り切った先に広がっていたのは、簡易ラボなんて言葉じゃ片付けられない空間だった。
まるで地下都市の一角を、そのまま切り取ってきたような光景。
大型の解析装置が低く唸り、稼働中のハイドロリックアームが静かに待機している。
壁一面には、古今東西の電子基板が博物館みたいに並び、床のレールを小型の搬送ドローンが忙しなく行き交っていた。
「全部が最新……って感じだな」
俺は周囲を見回しながら言った。
「だが、よく見りゃ、チラホラ古いもんもある」
「そりゃそうだよ」
モヒカンは迷いなく頷く。
「最新式には、どんなバグが含まれてるかわからんからな」
そう言って、ラボ最奥の棚を指さした。
そこには、他よりも明らかに年季の入った端末が鎮座している。
「昔、クレジットを扱うシステムに問題が出てな。一斉に停止したことがある」
「あぁ……あの大騒ぎか。街の自販機が全部沈黙したって話だろ」
「知ってるよな。当時は新型の量子署名アルゴリズムに更新された直後だった」
声のトーンが、少しだけ低くなる。
「実装した奴が、仕様書を斜め読みしたんだ。最新のバグフィックスが流行り始めた頃でな……結果、世界中のクレジット残高が、“存在したりしなかったり”し始めた」
「……笑えねぇな」
「そんなもんさ」
モヒカンは肩をすくめる。
「だからだ。古い物は動きは遅いが、“確実に動く”って保証がある。最新式は賢いようで、案外すぐ裏切る」
俺は一拍置いてから、例のデバイスのことを思い出す。
「……それで行くと、あのデバイスはどっちだ? 古いのか、最新式か」
「どっちでもない」
即答だった。
「強いて言うなら、“古いフリをした最新型”だ。一番タチが悪い」
「嫌な言い回しだな」
「だろ? まぁ、肝がどこに隠れてるか見てみようぜ」
モヒカンは歩き出しながら言った。
「こっから先は、俺の“本当の”ラボだ」
照明がもう一段階落ち、目の前の巨大な金属シャッターが、音もなく開いていく。
冷えた空気が一気に流れ込み、背中にぞくりとした予感を残した。
「さて……そのデバイス、渡してもらっていいか?」
「ああ。唯一の手がかりだ。丁重に扱ってくれよ」
「丁重に、ねぇ……そりゃ約束できねぇな」
モヒカンは笑う。
「“こいつ”の機嫌次第だしな」
「機嫌? 金属の塊に?」
返した瞬間、やつはニヤリと笑い、指を鳴らした。
直後、壁際のラックに収まっていた複数のアームが、ゆっくりと起動する。
獲物を待つ蜘蛛の脚みたいに、規則正しく角度を変えていく。
「今からこいつは、“分解したい”と騒ぎ出す」
「……待て」
「だが、完全に分解したらアウトだ。情報は自動消去される仕組みになってる」
嫌な沈黙が落ちる。
「つまり……」
「わがままなデバイスってわけだ」
モヒカンは淡々と言葉を並べる。
「分解したいのに、分解できない。分解しなきゃいけないのに、分解しすぎたら終わり。最高にめんどくさい代物さ」
「最低だな」
「最高だろ?」
心底楽しそうに言いやがる。
「こういう難物じゃなきゃ、俺の仕事は楽しくねぇ」
やつはデバイスを両手で受け取り、作業台中央の丸いプレートにそっと置いた。
天井から細いレーザーが何本も降り注ぎ、断層を切るように形状スキャンを始める。
「おい、この光……普通じゃないぞ」
「普通じゃないさ。“模倣品を焼くための光”だからな」
嫌な間。
「本物なら大丈夫。偽物なら……燃えて灰だ」
「今、それをさらっと言うな」
「黙って見てろ。ここが見せ場だ」
レーザーがデバイス表面をなぞり、
ふと、ある一点で完全に停止した。
「……止まったな」
モヒカンの声が、わずかに低くなる。
「やっぱり“ある”」
「何がだ?」
「隠し部屋だよ。データだけじゃない。物理的にな」
「隠し部屋……?」
「ああ」
やつは、楽しそうでもあり、警戒しているようでもある声で続けた。
「しかもこいつ……“開けてほしがってやがる”」
「それ、どういう意味だ」
「つまりだな……」
モヒカンは、レーザーの止まった一点を見つめながら言った。
「中に、誰かの意図が入ってるってことだ」
俺は息を吐く。
「本当に……挑戦状ってわけか」
「ああ」
紫のモヒカンが、ゆっくりと笑った。
「いよいよ“送り主”に触れるぞ」
冷えた空気の中で、
物語は、もう一段階深い場所へ踏み込んでいた。




