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ー序章ー 夜の街

「いつも通り、騒がしい街だ。」


 煙草の箱を指で軽く弾きながら、窓越しに街を見下ろす。この街は昔からそうだ。モラルよりも科学のほうが、いつも半歩だけ先を走っている。どちらが主役でどちらが脇役か、誰も決めないまま突っ走った結果、人の心だけが置き去りにされ、後ろで息を切らしている。


 それでも──いや、だからこそかもしれない。街角には古びた屋台が一軒、二軒と生き残っている。油の染みた鉄板に、煤で黒ずんだ暖簾。最新式の空飛ぶ広告より、よほど人間の匂いがする。未来に追い越された過去が、しぶとく残った数少ない心休まる場所だ。


 ネオンが瞬くたび、ビルの外壁は色の洪水に染まる。派手なCMが踊り狂うその光景を見ているだけで、目が疲れてくる。だが街は、それを「普通」として受け入れているらしい。


 最近じゃ、新発売の咳止めが人気だとか聞いた。副作用なし、眠気なし、効き目は個人差。あまりに曖昧で笑えてくるが、喉が渇いた連中にはそれで十分なんだろう。


 空を見上げれば、レトロな飛行船みたいなドローンが忙しなく飛び回っている。丸っこい姿は昔の絵本に出てきそうなのに、中身は最新鋭というふざけた代物だ。荷物とくだらない広告と、ついでにこの街の無責任さまで運んでくる。あいつらだけが景気よく飛んでいるように見えるのは、俺の気のせいだろうか。


 過去と未来が同じ皿に盛られ、ぐちゃぐちゃに混ざった街。ここじゃ時代ってやつは調味料みたいな扱いだ。どの味が残るかなんて、結局誰にもわからない。


 そんな街で生きていると、何が始まり、何が終わるのかなんて、神さまでも予想できない。俺の仕事は、その「予想外」の尻ぬぐいみたいなものだ。


 探偵稼業といえば聞こえはいいが、実際のところロマンの欠片もない。ほとんどが迷子のペット探しか、どこかでへそを曲げた子供を連れ戻す仕事だ。テレビで見るような銃撃戦も、市長暗殺の陰謀も、まずお目にかかることはない。


 もっとも、複雑な案件が皆無というわけでもない。あるにはある。だが大抵は、被害妄想の成れの果てみたいな話だ。やたらと陰謀だの盗聴だの言い張るわりに、蓋を開ければ何もない。そういう仕事は決まって後味が悪い。依頼人の顔に影が差すのを見るのは、あまり気分のいいものじゃない。


 警察に頼れない連中が、ここへやって来るのがデフォルトだ。問題は深く、解決しても誰も幸せにならない。そんな仕事が、世の中には山ほど転がっている。


 「──そういえば、あの時も……。」

 「いや、やめておこう。思い出すと、せっかくの紙タバコが不味くなる。」


 今じゃ、ニコチンをわざわざ煙から取り込むなんて、非効率の極みだ。健康管理AIも医療用ナノデバイスも、眉をひそめる行為だろう。それでも喜んで、進んでこんな古臭いやり方を続ける奴がいる。……まあ、俺のことだ。


 街の路地裏の一角。人通りもデータ通信量も、ぎりぎりまで削られたような薄暗い隙間に、古びた貸ビルが一つある。そこで俺は事務所を構えていた。

 ──いや、住んでいたと言ったほうが正しいか。探偵なんてものは、生き場所と寝場所の境界が曖昧になる生き物だ。


 安く貸してくれる婆ちゃんがいる。昔のよしみというやつだ。ただし条件がひとつある。たまにやって来る「普通じゃない奴ら」を追っ払うこと。黒いフードを被ったまま呟く連中や、異様な数のレシートを抱えて挙動不審になる奴、深夜に「上から呼ばれた」なんて言いながら階段を逆走する手合いだ。


 婆ちゃんは霊より強いが、変な人間には弱い。だから俺が防波堤になる。家賃代わりってわけだ。


 もっとも、そういう連中が集まるのも、このビルとこの街の味なんだろう。普通を装っているくせに、大きくズレている。そんな場所だ。


 日が落ち、やがて夜が来る。今年の寒さは、どうやら骨にまで染みるらしい。雪が降ると、依頼人の足は決まって鈍る。面倒事は山ほどあるくせに、肝心な時だけ家に籠もりたがる。


 降るなら降るで、せめて商売の邪魔にならない降り方をしてほしいもんだ。


 夜はこれからだ。

 街の冷え込みと同じくらい、厄介な案件の匂いがしている。寒さが何を連れてくるのかはわからないが、今年の冬将軍は、どこかの軍事独裁国家より強力な部隊を連れてきそうだ。


 そんなことを考えながら、俺は胸騒ぎが治まらない理由を探していた。

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