5 貴族様と秘密のサンドイッチ
「消えたスパイスの謎」の一件以来、「陽だまり亭」には奇妙な噂が立ち始めた。「あそこの店の小さな娘は、とんでもない切れ者らしい」。そんな噂が、客から客へと伝わっていったのだ。
そんなある日、店に場違いなほど上等な服を着た、線の細い青年がやってきた。年の頃は十五、六歳だろうか。顔色が悪く、いかにも食が細そうだ。彼は店のメニューを一瞥すると、困ったように眉を寄せた。
「何か、軽くて、すぐに食べられるものはないだろうか……」
その声はか細く、いかにも頼りない。私は、厨房の隅からその様子を観察していた。前世の記憶が、彼の正体を見抜いていた。あれは、身分を隠して街に下りてきた貴族だ。おそらく、堅苦しい宮廷料理に嫌気がさしているのだろう。
「父さん、私に任せて」
私は父に耳打ちすると、厨房にあった焼き立てのパンと、残り物の野菜、そして塩漬けの肉を取り出した。そして、パンを薄く切り、片面にバターを塗る。その上に、細かく刻んだ野菜と肉を挟み、もう一枚のパンで蓋をした。
「お待たせしました。特製『どこでもランチ』です」
私がそれを青年の前に差し出すと、彼は不思議そうな顔で、その奇妙な食べ物を見つめた。
「これは……パン、か? パンで具を挟んでいるのか?」
「はい。手で持って、そのままかぶりついてください」
青年は、おそるおそるその「サンドイッチ」を手に取り、一口食べた。その瞬間、彼の目が驚きに見開かれた。
パンの柔らかさ、バターのコク、野菜のシャキシャキとした食感、そして塩漬け肉の塩気。それらが一体となって、口の中に広がっていく。何より、手づかみで食べられる手軽さと、片手で食事が済むという斬新さが、彼には衝撃だったようだ。
「美味い……! こんな食べ方があったとは……!」
夢中でサンドイッチを平らげた青年は、満足そうな顔で代金を払い、店を去っていった。
数日後、城の使いと名乗る人物が店を訪れ、我が「陽だまり亭」は、王宮にサンドイッチを定期的に納入するよう命じられた。あの青年は、どうやら王族に連なる、かなり身分の高い人物だったらしい。
こうして、私の前世の知識は、また一つ、この世界に新しい食文化をもたらしたのだった。




