4 消えたスパイスの謎
「陽だまり亭」が新しいスープで評判になってから一月ほどが過ぎた。私の厨房での立場もすっかり板につき、今では父と並んでメニュー開発をするのが日常になっていた。そんなある日の夕暮れ時、店の扉が勢いよく開き、見慣れた顔が飛び込んできた。
「リナちゃん、いるかい!」
息を切らして入ってきたのは、王都の衛兵を務めるガレスさんだ。歳の頃は二十代後半。たくましい体つきに、人の良さそうな笑顔が特徴的な、店の常連客だった。
「ガレスさん、いらっしゃい。今日は非番じゃなかったの?」
母がカウンターから声をかけると、ガレスさんは額の汗を拭いながら、どかりと席に腰を下ろした。
「それが、とんでもない事件が起きちまって……。ああ、トム、いつものスープを頼む。腹が減っては戦はできん」
父が頷いて厨房に戻るのを見届けると、ガレスさんは大きなため息をついた。その表情は、いつもの彼らしくなく、深刻な悩みを抱えていることを物語っていた。
「何かあったんですか?」
私がカウンター越しに尋ねると、ガレスさんは声を潜めて話し始めた。
「市場のスパイス問屋から、貴重な『サフラン』がごっそり盗まれたんだ。料理ギルドでも大騒ぎさ。サフランは高級料理には欠かせないからな。犯人は、腕利きの料理人に違いないって、みんな言ってる」
サフラン。前世でも、パエリアやブイヤベースに使われる高級スパイスとして知られていた。この世界でも、その価値は同じらしい。
「犯人は料理人、ですか」
私の相槌に、ガレスさんは「ああ」と頷く。しかし、私の中の佐藤美咲の記憶が、その結論に「待った」をかけた。
(サフランの用途は、料理だけじゃないはず……)
前世で読んだ雑学の本の知識が、頭の片隅で蘇る。サフランの黄色い色素は、染料としても使われる。そして、もっと重要な使い道が、もう一つあったはずだ。
その時、隣のテーブルに座っていた薬草売りの老人が、連れの商人に話しているのが聞こえてきた。
「まったく、最近は風邪が流行ってかなわん。鎮静作用のある薬草が、軒並み品薄じゃ」
鎮静作用。その言葉が、私の記憶の扉をこじ開けた。
(そうだ、サフランには鎮静作用や、婦人病の薬としての効能もある!)
私は、はっと顔を上げた。もし、犯人の目的が料理ではなかったとしたら?
「ガレスさん」
私は、スープを運んできた父と入れ替わるように、ガレスさんのテーブルに向かった。
「犯人は、料理人じゃないかもしれません」
「え? どういうことだい、リナちゃん」
私の唐突な言葉に、ガレスさんはきょとんとしている。私は、声をさらに潜めて続けた。
「サフランって、黄色い色が出ますよね。布を染めるのに使えませんか? それから、薬にもなるって、本で読んだことがあります。とても落ち着く香りだから、眠れない時にいいって」
もちろん、この世界の私が本で読んだはずもない。すべては、前世の記憶だ。しかし、六歳の子供の言葉としてなら、誰も疑わないだろう。
私の言葉に、ガレスさんの目が大きく見開かれた。
「染料……薬……。そうか、料理に使うとは限らないのか!」
ガレスさんは、がばりと立ち上がった。
「リナちゃん、ありがとう! おかげで目が覚めたぜ。料理人ばかり探していたが、範囲を広げて、染物職人や薬師の線も洗ってみる!」
そう言うと、ガレスさんはスープの代金をカウンターに叩きつけ、風のように店を飛び出していった。
数日後、事件は無事に解決した。犯人は、やはり料理人ではなかった。病気の妻のために、高価なサフランを薬として使おうとした、貧しい染物職人だったという。
この日を境に、ガレスさんは私を見る目を少し変えた。「陽だまり亭」の可愛い看板娘から、「侮れない小さな相談役」へと。そして、私の日常には、「料理」に加えて、「謎解き」という新しい楽しみが加わることになったのだった。




