2 最初のレシピ
記憶を取り戻してから数日。私は来る日も来る日も、父の作る料理を観察し続けた。腕は確かだ。火の通し方も、塩加減も絶妙。しかし、どうしても「うま味」の欠如が気になってしまう。
「父さん、母さん。ちょっと試してみたいことがあるんだけど」
ある日の店じまい後、私は意を決して両親に声をかけた。二人は、急に大人びた娘の言葉に少し驚きながらも、優しく耳を傾けてくれる。
「試したいこと? なんだい、リナ」
「うん。いつものスープ、もっと美味しくできるかもしれないの」
私がそう言うと、父は少しだけ眉をひそめた。自分の料理に口出しされたのが、少しだけ不満だったのかもしれない。頑固な職人気質の父らしい反応だ。
「父さんのスープは美味しいよ。でもね、もう一つだけ、ほんの少しだけ、あるものを加えるの」
私はそう言って、市場の魚屋でこっそりもらってきた、魚の骨や頭、そして野菜の切れ端を鍋に入れた。この世界では、そんなものは家畜の餌か、捨てるだけのゴミだ。母は訝しげな顔をしたが、父は何かを感じ取ったのか、黙って私のやることを見ていた。
「これをね、ことこと煮込むの。焦げ付かないように、ゆっくりゆっくり」
前世の記憶を頼りに、私はアクを取りながら、じっくりと鍋を煮詰めていく。やがて、厨房に香ばしい匂いが立ち込めてきた。それは、この世界には存在しない、「出汁」の香りだった。
一時間後、黄金色に輝くスープが完成した。私はそれを濾して、塩と香草だけで味を調える。そして、小さな器に注いで、両親の前に差し出した。
「父さん、母さん。飲んでみて」
父は、半信半疑といった顔でスープを一口すすった。その瞬間、父の目が見開かれる。
「なっ……なんだ、この味は……!?」
続いて母もスープを口に運び、驚きの声を上げた。
「塩と香草しか使っていないはずなのに、すごく深い味がするわ……。野菜の甘みも、いつもよりずっと引き立っている……」
二人のその反応を見て、私は心の中でガッツポーズをした。これが、日本の、いや、地球の食文化が生み出した「うま味」の力だ。
「魚の骨と野菜のクズを煮込んだだけだよ。秘密の調味料」
私の説明に、両親は言葉を失っていた。ゴミ同然のはずのものが、これほどの味を生み出すとは信じられなかったのだろう。
翌日から、「リナの秘密のスープ」は「陽だまり亭」の新メニューとして店に出された。最初は「骨のスープだって?」と気味悪がっていた常連客たちも、一度その味を知ると、たちまち虜になった。
一口飲めば、滋味深い味わいが身体中に染み渡る。ごろごろ入った野菜は、スープのうま味を吸って、いつもより何倍も甘く感じられる。添えられた黒パンを浸して食べれば、パンの香ばしさとスープの風味が一体となって、えもいわれぬ幸福感が口の中に広がった。
噂は噂を呼び、「陽だまり亭」には新しい客が次々と訪れるようになった。店の前には行列ができ、スープは毎日売り切れ。王都の下町にある、ごく普通の定食屋が、たった一杯のスープによって、新たな歴史を歩み始めた瞬間だった。




