第10話
突然現れたヴィエラと名乗る目を輝かせた女生徒から握手を求められ、勢いに押されるままアトリはつい右手を差し出してしまう。すぐにその手は相手の両手に包みこまれ、強く握りしめるや否や上下に勢いよく振り回された。
「感激です!…わたくし、ずっとアトリーチェ様とお話しさせていただきたかったんですの!」
「あたしと?」
「ええ!入学した頃からアトリーチェ様はわたくしの憧れなんです!…気品があって、優美で、知性も感じる…あぁ!完璧でございますわ!」
そう言って天を仰ぐヴィエラを前に、久しく正面から聞く事がなかった賞賛の言葉の数々で、さっきまでの気分の落ち込みが嘘のようにアトリの口角が上がっていく。しかしアトリにはまだ気掛かりな事があった。
「…それは、あたしがオスカーとベルを引き連れているから?」
そんな問いを聞いて、ヴィエラはきょとんと目を丸くした。
「なぜそこでお二方が?…確かに彼らも素敵な方々ですが、アトリーチェ様の魅力は他の人の存在とは全く関係ありませんわよ!だってほら、今もこんなにお美しいじゃないですか!」
そんなヴィエラの言葉で、アトリの口角はみるみる最大限まで上昇し、真紅の瞳は光を取り戻した。アトリは思わず席を立ち、もう一方の手でヴィエラの手を握り返す。
「——っ、分かってるじゃない!!」
するとその時、始業を知らせる鐘の音が鳴り響いた。それを聞いて周囲の生徒たちはせかせかと席につき始める。
教師が入ってくるのを一瞥し、ヴィエラは急いでアトリの耳に顔を近づけた。
(席、お隣いいですか?)
(もちろん!)
アトリも小声で、しかし弾んだ声で答える。
それから、男女別講義ではアトリはヴィエラと行動を共にするようになった。
*
数日後、アトリはいつも通りオスカーと向かい合って馬車に揺られていた。
「アトリ」
口を開いたのはオスカー。
「最近他の女生徒と行動する事が多いと聞いたが、本当か?」
「まぁ、そうですわね」
ヴィエラと話すようになってから数日、気難しいアトリだが早くも彼女を友人とみなすようになっていた。
「その人はどんな方なんだ?」
オスカーはいつも通りの笑みでそう尋ねたが、彼の碧い目は確かに何かを探っている様子だ。アトリはかすかに眉を顰めた。
「…そんなこと、あたしがオスカーに教えるほどかしら」
「……!」
いつも傲慢ながらも自分には従順なアトリーチェの珍しい反抗に、オスカーは思わず面食らってしまった。それでも笑顔は崩さず話題を続ける。
「それくらい聞いてもいいじゃないか。俺とアトリの仲だろ?」
「あら、繊細な乙女同士の友情に口を挟むつもりですの?オスカー様がそこまで無神経とは思いませんでしたわ」
「…へえ。アトリがそんな事言うとはな」
「言いますわよ」
これまで同年代の女友達が1人もいなかったアトリーチェがそんなふうに乙女の友情を語り出すとは思っていなかったので、流石のオスカーも驚いて追求を止めてしまう。ここで軽口の一つ二つで彼女を怒らせればボロも出たであろうが、彼もまだ一国の王子以前に13歳の少年である。いくら幼馴染といっても異性の秘密となれば尻込みしてしまうのであった。
しばらく微妙な沈黙が流れる中、アトリは淑やかに目を伏せながらも心中ではガッツポーズをしていた。
(ヴィエラ!あたしやりましたわよ!…やってやりましたわ!!)
*
話はその前日に遡る。
ヴィエラと共に授業を受けるようになって数日。2人は裁縫の授業で繕い物をしていた。作業中の女生徒たちのお喋りで教室は騒がしく、2人も例外ではなかった。
「そういえば、答えにくければ無理をせずともよろしいのですけれど」
ヴィエラは元々手先が器用らしく、着々と作業を続ける手元も見ずにアトリの目をじっと見て言う。
「どうしてわたくしが初めてアトリーチェ様に声をかけた時、あんなに暗い顔をしてらっしゃったの?」
「えっ」
あれ、やっぱりあたし機嫌悪かったのバレてたのね!?恥ずかしい…
せっせと集中して裁縫に挑んでいたアトリはヴィエラの問いに手を止める。元はお針子なんて平民の仕事よと見下していたアトリも、ジェーンとの特訓で傍目には手際よく見えるほどにはなったが、やはり気が散ってしまうとうまく出来ない。仕方なく手をそれとなく止めて、どう答えるかしばし悩む。
(ここで正直に言ってしまうのはあたしのプライドにかかわる…いやでも!折角できた友人なのだし、少しくらい言ってもいいのかも………)
「今から言うこと、失望しないかしら...?」
「程度によりますが、些細なことでは致しません!」
ヴィエラの快い返答に安心し、アトリは一つ深呼吸し、口を開く。
「……えーと、あたしね、…オスカーが怖いの」
「あら…それは、なぜです?」
流石に驚いたのか、ヴィエラも手を止め、目を丸くした。アトリも彼女に向き合って言葉を続ける。
「オスカーって、いつも自分が正しいみたいな感じじゃない」
「まあ、そんなイメージもありますね」
「だからオスカーの理想のあたしに沿わないと、何をされるかわからないのよ!…あの日は朝から妙なハプニングで気が動転してたこともあって、あたし変なことを言っちゃったのね。そしたらオスカー黙り込んじゃって。それでオスカーを怒らせてしまったあたし自身に怒ってたのよ...あの時のオスカー、ほんとに怖かったんだから!」
「……」
ヴィエラは無言のまま固まっている。い、言いすぎたかしら?…あたしこそ今怖い顔になってないかしら!?ヴィエラを怖がらせてないわよね!?
しかしそんな考えは杞憂に終わった。ヴィオラは悩むアトリの両手をぎゅっと握りしめた。
「それは…大変ですわね!」
「ヴィエラ!」
「わたくし思いますの。たとえ王子であろうと人の顔色を窺うなんてアトリーチェ様には相応しくない。しかもそれが貴女を悩ませているなら尚更ですわ。それならいっそ———」
「いっそ?」
「オスカー様方と距離をとってみては?」
「へ.......」
「オスカー様の正しさが皆の正しさとは限りませんわよ!」
…目から、ウロコ。そうだわ。あたしの一番の目標はオスカーに処刑されないこと。そして、そのためには怒りを爆発させないことが必要。あたしはオスカーとベルにその監視役になってもらおうとしてたけど…それって他の人の方がよくない?
「確かにそうよねヴィエラ!あたし、これからオスカーとはしばらく距離をとるわ!」
「それがいいと思いますわ!あと、ベルカント様やトーマス様といった仲の良い方も。彼らづてでアトリーチェ様の情報が伝わる可能性もありますし。あと何か聞かれてもわたくしの事は喋らないのがいいと思いますわ。」
「わかったわ!それじゃあヴィエラ、これから貴女があたしのことを見守って頂戴ね!」
「?………勿論ですとも!会話の受け流し方はわたくしが伝授しますから!」
そうして馬車での沈黙に繋がる。
おほほ、今日ヴィエラに会うのが楽しみだわ!
アトリは窓の外の流れる景色を眺めながらにやりと笑った。




