第9話 気持ちの整理
アレクサンドラもレイジーもルチル達も、魔王がクッキーを食べ、甘酸っぱい夕焼け色ジュースを飲み、お次にナッツ入りチョコを食べている様子を食い入るように観察していた。まるで生きている人間の子供のように動くのが信じられず、現実を受け止めるのに時間を要しているようだった。
「この通りなんです」
この通り、普通に人間として生きたいだけなんです。と蒼はこれまでの経緯も含め全て説明する。
アレクサンドラはショックを受けているような表情だった。
(アルフレドも時々似たような顔してたなぁ)
アルフレドが魔王にどういう立場で向き合うか迷っていたことに蒼は気付いていた。英雄の末裔の一人として、シノノメと一緒にいざという時は魔王を足止めするために画策していたことも今では知っている。
だが最終的に、彼は魔王と世界が共存することを受け入れた。いざ《《そうなる》》時が来るまでは。
『自分を——英雄の末裔として育てられた自分を納得させるために、ミュスティーがミュスティーでなくなった時のことは考えておきたいんだ』
彼は蒼に、自分がミュスティーを信じず勇者の浄化を望んでいるわけではないと伝えたかった。蒼に冷たい人間だと思われたくなかったのだ。今まで気付かなかった感情に振り回されながら。だから言語化した。自分の今の気持ちを。
蒼はアルフレドの言葉を聞いていたからこそ、今のアレクサンドラ達の心の中が少しだけわかるような気がした。彼らもアルフレドと同じように、魔王は浄化すべき存在として育ってきている。
一番最初に気持ちを言葉にしたのはレイジーだった。
「魔王もこのお菓子を美味しいって思うんだなぁ」
困ったなという感想が含まれているのがありありとわかる表情だった。
「オイシイ! モット!」
ルッチェがすかさず反応したので、蒼は急いでオウム用の皿にビスケットを追加した。すぐ側に座っているルチルの方はというと、レイジーと似たような反応だ。困り笑いになってビスケットを啄むルッチェを見ながらどうするべきか考えているようだった。
(ニーナは……)
小さな竜はサラミやソーセージをひとしきり食べた後、魔王をしばらく見つめ……というより睨みつけ、フンっと鼻から息を吐いたかと思うと、テーブルの上で昼寝をするように丸まった。ルチルに危害が及ぶことがないうちは様子見するつもりのようだ。
「その体は……どうなっている。成長しいつか死ぬのか?」
アレクサンドラはミュスティーを見てはいなかった。
「肉体的な成長はする。しかし成人するとそれは止まり、以降は外部的要因がない限り肉体が滅びることはない。魔王の力がそれを可能にする」
「つまり永久に魔王がこの世界に存在し続けると?」
「そうだ。今の段階では」
「ではそれを誰が見届ける? 魔王は知らないかもしれないが、普通の人間は死ぬんだ」
「ライル・エリクシアが手立てを考えてくれている」
「ここまで来て他人頼みだと?」
ミュスティーは質問に淡々と答え続ける。彼女が少しでも納得する取っ掛かりを得られるように。
(アレクサンドラさんの言い分はもっともなんだけど)
蒼は口出ししそうになるのをグッと堪えていた。ミュスティーの言葉でなければ今の彼女に届かない。
「ワタシがミュスティーとして存在する間、魔王の発生に怯える必要はない。世界の淀みも、この体なら少しずつ処理もできる。共栄はできると考えている」
「笑わせるな。お前の気まぐれ一つで崩れてしまう関係を共栄とは呼ばん」
(ああ。これは理屈なんてない拒絶だ……受け入れられないんだ……)
ああ言えばこう言う。しかし、なんだかアレクサンドラらしくない。彼女もまた何か変化があったのかと、蒼は思い詰めたような美しい顔を見つめている。そうしてパチリと二人は目が合った。
蒼の瞳の中に、アレクサンドラは自分の姿を見た。怯えて、不安で、不満で、苛立っている自分だ。
すると彼女は、急に肩の力が抜けたようになる。
(ん?)
もちろんその場の全員がその気配を察した。だから、なんとか平和的に新たな世界のあり方を話し合えるぞという期待感が増したはじめていたのだが……。
「その姿が悪いのだ! 我々を惑わせる策か!? 私の剣で魔王を浄化出来ずとも、人間の姿をした鎧を切り離すことはできるぞ!」
「ええええええ! 今、なんかいい流れになる感じだったじゃん!」
レイジーがふざけたように突っ込んだのは、彼女がいい笑顔で笑っていたからだ。
「そうだな! 本心を言おう! 私はショウと話して魔王浄化後のことを考えていた! なんの役目もない私だけのための未来だ! 人生でこれほど幸せだと感じたことはない!」
ついに彼女は剣を抜いた。彼女に見劣りしない美しい剣だ。
「その未来に魔王はいない。ここでお前を浄化して、英雄の一員としての人生を終わらせたいのだ!」
重大な役目から解放され、すっきりとした気持ちで新たな人生を歩みたいと意気揚々と語った。
「つまりは私情だ!」
「えぇぇぇぇぇ! 開き直りすぎじゃないですか!?」
蒼は急いでミュスティーの手を取り走り出す。振り下ろされた刃は、シノノメがうまくさばいてくれていた。
「いいのかアオイ。彼女は友人なのだろう?」
味方する方を間違えていないか? とミュスティーは必死に手を引いて走っている蒼に尋ねた。
「ミュスティーも同じ枠にいるんだから……この場合は私が味方したい方を味方することにするわ!」
残念ながら味方したからといって役には立たないけど……という言葉は飲み込む。
向かいから、申し訳なさそうに笑ったアルフレドと走ってくる。
「大丈夫だよ」
そう口元が動いているように見えた。
「うわぁ!」
後方にいたはずのシノノメが吹っ飛ばされて蒼達の横に倒れる。
「だだだ大丈夫です!?」
「ええ。離れていてください」
すぐに起き上がった彼にアレクサンドラが突っ込んでくるが、
「姉弟喧嘩は父上に禁止されているだろう?」
「父上の言いつけを守ったことがあるのか?」
アルフレドの参戦でニ対一の構図になった。そこでやっとアレクサンドラの侵攻が止まる。
なので蒼はそれはもう必死で距離を取る。ミュスティーと二人で息を切らしながら、中央広場を出ようとしたところで、見えない壁にぶつかった。
「悪いな。お前らに加勢してやりたいところだけど……やっぱりアレクサンドラの気持ちもわかるからさ」
「アレクサンドラニハ キモチヲ セイリスル ジカンガ ヒツヨウ」
レイジーとルチルはいつの間にか蒼達と一緒にいた。彼らがミュスティーに手を出すことはないが、もしアルフレドとシノノメがアレクサンドラに負けたなら、その時ミュスティーを庇うことはしないということだった。
「この壁は他に誰か入って怪我しないようにな」
「ホントウニ ツヨイヤツイガイハ アブナイカラ」
それに建物を、街を保護する目的もあった。
(この二人は認めてくれたんだ)
だからミュスティーのこの後の生活のことを考えてくれている。だが、やはり彼等にとっても旅の仲間は特別なのだ。
「あれ!? ちょっと! ライルさん!?」
「おいお前! 危ないぞ!?」
ライル・エリクシアが見えない壁の中に入っていた。息をぜいぜい言わせながらアレクサンドラの方へと向かっている。そしてそれに気がついたアルフレドとシノノメもライルの方まで後退した。
「え……なにしてんの?」
それぞれがライルの体に触れたのだ。もちろんアレクサンドラはその隙を見逃さないが、
「お。なんかアルフレドの動きが変わったな……ん? 加護が増えた!?」
レイジーがすかさず見抜く。
シノノメがライルを抱えて間一髪で退避し、ついに一対一の姉弟対決だ。
「と……突然始まったので焦りました……」
まだ息も絶え絶えなライルが蒼達に合流した。
「私の加護をアルフレドさんへ移したんです」
シノノメが状況に見合わずゆったりと答えた。
「そんなことできんのか!?」
レイジーだけでなく蒼も驚いている。だが思い起こせば何度かアルフレドとシノノメ、それにライルが三人で何か特訓をしている姿を見かけたことがあった。
「まあ……短時間ですが……」
「いやしかし。アルフレドさんの勘が当たりましたねえ」
「なんて好戦的な一族なんだ……」
アルフレドにはわかっていたのだ。姉が簡単に、戦わずしてこの提案を受け入れないだろうと。
『モヤモヤした感情を発散するために、絶対に暴れる』
彼が諦めたように語っていたとライルは呆れ声になっていた。
◇◇◇
「ずいぶんと強くなったじゃないか」
アレクサンドラは弟相手に嬉しそうだ。手応えのある相手と戦えることなど滅多にない。
「嫌味か!」
「以前はお行儀のいい剣だったろう。冒険者になると幅が広がるんだな」
シノノメの加護を使った練習は念のためしてきた。認めるのは悔しいが、やはりアレクサンドラは強い。久しぶりに実家で会ってそう感じていた。だから他人の手を借りることにした。
(少し前なら絶対にそんなこと考えもつかなかったな)
ライルもシノノメもあっさりとアルフレドの案を受け入れ、力を貸してくれた。なんだかこそばゆいような気持ちになったことを彼は思い出している。
(嬉しいんだけど、どうも照れちゃうんだよなぁ)
これまでにない感覚を味わっていた。
事前訓練が功をそうし、なんとか予知も使いこなせている。次々に繰り出されるアレクサンドラの攻撃を交わし、次の一手を繰り出し続けた。
アレクサンドラが嬉しそうな声から不機嫌な声色に変わっていく。
「人に興味がなかったお前が、魔王には温情を見せるなんてな」
彼の元婚約者リシュリー嬢が知ったらどう思うだろうと、彼の痛いところをついてきた。だが今の彼には響かない。
「好きな人の前くらい格好つけて当たり前だろう?」
「なっ!」
弟の予想外の言葉にアレクサンドラは本当にビックリとまさに虚をつかれた。そうしてその瞬間を逃さず、アルフレドの剣がアレクサンドラの剣を思いっきり吹っ飛ばす。
「……はぁ……」
アルフレドはその剣が遠くに落ちたのを確認して、地面に膝をつく。彼も限界だった。
「言うようになったじゃないか。本人の前でも期待しているぞ」
「負けて最初に言うのがそんな言葉かよ……」
アレクサンドラはご機嫌だ。いい汗をかいたとスッキリもしている。
「私の負けだ! 魔王よ。お前を殺そうとした女だ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
両手をあげてアレクサンドラは大声で叫んだ。
「ワタシは魔王のように振る舞わない! だから殺さない!」
ミュスティーも叫び返す。
「そうか。助かったよ。私にも未来ができたのだな」
憑き物が落ちたかのような、自然な笑みがそこにはあった。




