第2話 弟
漆間蒼と漆間秋臣。年齢は三歳差。仲がいいかと聞かれると、
「アルフレドとアレクサンドラさんよりはいいけど、アルフレドとフィアほどはないかな」
という答えが出てくる。
二人とも大人になった今、お互い特に干渉し合うこともなく。ここ数年は秋臣が大学生となり実家を出ていたので、隣人の翔の方が顔を見る機会が多かったくらいだ。
異世界にやってきてから蒼は、もう二度と弟の顔を見ることはないと思っていた。最後に会ったのは蒼が会社を辞める少し前。
(ゴールデンウィークだったかな?)
『うわ顔やばっ!』
目に光がなく顔全体に悲壮感が漂っていてヤバい、と弟が言いたいのはわかっているが、
『言いたいことはわかるが言い方どうにかしろ!』
そう雑にキレたのが最後の思い出だ。
秋臣は心配性な蒼と違って自由奔放型。大学に入学したが勉学を疎かにバイトに明け暮れ、金が貯まると国内外問わずあっちへこっちへと動き回っていた。羨ましいと思いつつ、ああはなれないなという諦めが蒼の中にあった。
(世界どころか異世界旅行してるなんて、あの時の自分に言っても信じないだろうな~)
どうにも信じられない知らせを聞いて、蒼は現実逃避している。
「……アオイの弟ってどんな人?」
早足でニコロス家の屋敷へ向かいながらアルフレドは何気なく尋ねたつもりだが、内心動揺していた。
(そういえばアオイの家族の話、聞いたことがなかった……)
そしてそれを寂しいと感じる自分と、そんなこともこれまで尋ねなかった自分に嫌気がした。リデオンへ行くまでは自分が実家のことを尋ねられると都合が悪かったというのもあるが……。
(アオイが元の世界を恋しく思って帰りたくなったら嫌だったんだ)
今この瞬間、やっとアルフレドはそのことを自覚した。傍から見ると驚きの鈍さである。
蒼は蒼で今の状況を飲み込むのに精一杯で、アルフレドの変化に気付けていなかった。
「生き急いでるって感じね」
まるで人生が短いと知っているかのように。暇さえあれば何かしていた。蒼なんて暇さえあればベッドに転がっていたのに。
「本物の弟かな?」
「本物だったらどうしよ~~~……」
どうしようもこうしようもないが。
ニコロス家の広い玄関ホールに、黒髪の男の後ろ姿が見える。
その時、蒼は即座にあれは偽物だと気がついた。背格好が違う。あの男性はかなりのがっしりとした筋肉質。秋臣は線の細い体型をしている。
(ったく、どこで私の弟の情報なんて手に入れたんだろう!)
せっかくの楽しい朝の散歩を台無しにされて、蒼は少々怒っていた。なんの目的があって自分の弟なんて名乗るのか知らないが、バシッと言ってやらねばと鼻息が荒くなる。
その時、蒼たちの足音に気が付いたのかその男がクルリと振り返った。
「……へ?」
「わ! マジで生きてた!!!」
声は、その男の胸元から聞こえてきた。男は大きな丸い手鏡を大事そうに抱えている。その中に映る顔は蒼ではなく、
「秋臣……」
「ねーちゃん久しぶり~~~!」
弟がいた。鏡の中に。いつものノリで。まさか再びこの顔を見る機会が出てくるとは。
「初めましてアオイ様。私はシノノメと申します。御使アーレイからの神託にてアキオミ様をお連れしました」
鏡を持った男性は鏡の中の人間とは打って変わってのんびりとした、穏やかな声だった。
「ご、御丁寧にどうも……」
相手が深々と頭を下げるので、蒼も同じ角度で頭を下げる。混乱した頭のまま。そしてそのままその場にいたアルフレドとオルフェとミュスティー、そしてオルフェが蒼を呼びに行っている間、玄関ホールで待っていたレーベンとフィアに向かって半笑いで紹介した。
「これ、私の弟のアキオミ……」
「これってなんだよ~~~! あ! 姉がいつもお世話になってます!」
いかんいかんと弟も急いで鏡の向こうで頭を下げた。アルフレド達も見よう見まねで頭を下げる。
シノノメと秋臣以外、いまだに状況が飲み込めず、蒼を見たり鏡を見たり。
「久しぶりのご家族の再会です。積もる話もおありでしょう。皆様恐れ入りますが、しばしお二人のためにどこか別室にてお待ちいただけませんでしょうか」
「ここは私の実家だが!?」
丁寧だが図々しいぞと、オルフェはシノノメにくってかかるが、
「つい気が急いてしまいましてとんだご無礼をいたしました。申し訳ございません」
またもゆったりとした口調で丁寧に謝罪されたので、オルフェはまあ別にいいが……と言うしかない。
◇◇◇
蒼の家のダイニングに先ほどの丸い鏡が置かれていた。中にはもちろん秋臣。他に人はいない。
「いや~生きててよかったよ~」
目を輝かせながら言葉を発する弟に、ご心配おかけしましたと蒼はあらためて伝える。
秋臣の体はちゃんと蒼が元いた世界にあった。なんなら彼女達の実家に彼は今いる。見覚えのあるカーテンが弟の背後に見えた。
「やっぱそっちじゃ大騒ぎ?」
「今はもう収まったけど、一時期ワイドショーに出まくりよ」
なんせ家が隣同士のイケメン高校生と元社畜OLが同時に失踪したのだ。世間が注目してしまった。
この時ほど親が海外にいてよかったと思ったことはないね! と、秋臣は大笑いしている。
「そりゃあご迷惑を……」
「いやいや。翔を助けに行ってそのままだったんだろう? 聞いた聞いた!」
ならばよし、ということだ。
「誰に聞いたの!?」
「アーレイドって人? あの人ってなに? 神様?」
「は!? いやあの……」
蒼の言葉を遮って秋臣は自分の話を続ける。
「言われてみれば翔って勇者っぽかったよな!」
この辺りで蒼は弟があえていつも以上にいつも通りに振る舞おうとしていることがわかった。だから蒼も『いつも通り』を心がける。
「あんた……適当に言ってるでしょ」
「バレた? いやぁ~だって全然気付かなかったし!」
「そりゃそうだ!」
一体誰が爽やかな隣人が異世界からやってきた勇者の末裔だとわかるというのか。本人も知らなかったのに。
秋臣によると元いた世界で、蒼と翔はなんらかの事件に巻き込まれたということになっていた。
(事件といえば事件ね)
「翔とねーちゃんの叫び声を聞いた人もいるし、なんならねーちゃんが翔の叫び声の後大慌てで翔の家に向かってる姿が防犯カメラに写ってたからな~」
「監視社会ね~」
「家の前に防犯カメラつけてたらとんでもないスクープ映像とれたかも」
ついでに蒼がコンビニでスイーツを爆買いしている姿も、猫に喋りかけている映像も残っていると。
「……父さんと母さんは?」
「そりゃあ心配してたよ。あの二人が憔悴してるのなんて初めて見た」
途端に罪悪感が蒼を襲う。自分は呑気に異世界ライフを楽しんでいたのだから。
(いや、考えてもしかたないって考えないようにしてただけ……)
なんて親不幸な娘なんだと急激に落ち込み始めた頃、
「ねーちゃんがいなくなって一週間後かなぁ~突然この鏡が降ってきてさ」
「え?」
唐突にシリアスモードな話がファンタジー色を帯びてきた。
「中からアーレイドって人が出てきて、ねーちゃんが無事だってことと、事のあらましを教えてくれたんだ」
その時、トリエスタでの生活を楽しんでいる蒼の姿も見せてもらったと。信じられなかったけどここまで奇々怪々なことに遭遇したらもう信じるしかなかったと。
「で、まあ生きてるならいいかって」
「流石うちの親……」
(そして流石先輩!)
痒いところに手が届く配慮だ。
蒼の両親は、自分達が知っていることを蒼に伝えなくていいと言っていたそうだ。里心がついて、こちらの世界に戻りたくなっても可哀想だからと。今、自分達の娘が必死に異世界に馴染もうとしているところに水を差してもよくないと判断した。
「でもねーちゃん。そっちの生活めちゃくちゃ楽しんでるだろ」
「え? わかる?」
性格は違えど血を分けた弟は一味違う。すぐに見抜かれてしまった。
「わかるわかる。悲壮感ゼロ」
そうなのだ。現状とんでもなく大変なことになっているが、心配や不安は大きくあれど蒼はなんとかなると思っていた。もちろん楽観もしていないが。
「まあなんとか楽しくやってるから。父さんと母さんに心配しないでって伝えといて」
というか、この鏡っていつでも使えるの? と聞こうとしたが、
「でもアーレイドって人、時間はかかっても蒼ねーちゃんが帰れるようにするって言ってたよ」
「マジ!? 初耳なんだけど!」
一番最初に自分が帰りたいと騒いだからだろうか、それとも両親の親心を見たからだろうか、と蒼はアーレイドの責任感の強さを知った。
(赤ん坊のしょう君をあっちの世界に送るの、かなり大変だったって言ってたけど)
つまり大変だがどうにかする方法があるのだ。
しかしそれを聞いた瞬間、手放しに喜べない自分がいた。異世界から離脱し、元の生活に戻れるのに。
「え~全然喜んでないじゃん」
案の定、弟には見抜かれた。
「いや……そっちではたいした生活送ってなかったからさ……」
蒼の中にモヤモヤとした不安が渦巻き始める。
(これ、帰れって言われたら帰らなきゃダメなやつ?)
あまりにも蒼が元の世界に帰りたくないという雰囲気を出していたので、秋臣は思わず心の声が漏れ出した。
「いいなぁ!!! 俺もそっち行きてー!!!」
「言うと思った」
蒼は呆れ声を出したが、弟のその大声でハッと現実に戻ることができていた。そして唐突に思い出す。この弟は以前、
『火星移住したい』
と言っていたことを。
火星はどうやら難しそうだから、自分も姉と同じく異世界に行きたいと本気で今思ってるんだろう……と、ここまでくると弟の冒険心に感心する。ぶれない男だ。
「はぁ~悩むのやめよ」
何かを失うことを心配する前に楽しいことに突撃していく弟を、今は見習うことにした。
「ごめんごめん! こっちは余計なことだったな」
秋臣は心配性な姉の懸念事項であったであろう、両親のこと、そして元の世界へ戻れる可能性の有無については伝えた方がいいと考えていたのだ。だが後半の方は思ったよりも動揺した蒼を見て、しまったと反省したと同時に、姉の変化にも驚いていた。
「まだ帰れると決まったわけじゃないしね~」
不確定要素が多いのに、鬱々としても仕方がない。せっかくいい流れが出来てきているのだ。
「そうだな。俺の分まで楽しんでよ。ついでに俺もそっち行けないか聞いといて」
「聞かなかったの?」
「ダメだって~」
やっぱり聞いてたか、と蒼は大笑いした。
◇◇◇
「どうだった……?」
部屋から出てきた蒼を待っていたのは、不安そうな顔をしているアルフレド。だが蒼はなぜ彼がこんな表情になるのかわからない。
「お! さっきのイケメンだ! 姉のことよろしくお願いしますね~!」
秋臣のテンションが上がっている。冒険者の姿を見てさらにこちらの世界への憧れが強まったようだ。
「うわぁっ! は、はい! 姉君のことは必ず守ります!」
アルフレドが不意打ちで驚いている姿を見るのはなかなかない。鏡がまだ稼働中とは思っていなかった。魔物でもないので加護の範囲外だったのもある。
「冒険大好きな弟に自慢するために、今まで通りこの世界を楽しむって話で終わったよ」
何かが変わるその時までは。
「いいな~! でもその自慢話、楽しみ~~~!」
雰囲気が似ていないようで似ている漆間姉弟のやり取りを、アルフレドは無意識に見入っていたのだった。




