第1話 開店
蒼が異世界にやってきてあっという間に二ヶ月が過ぎようとしていた。今日は蒼の軽食屋が開店する記念すべき日だ。
(あぁ~……緊張する……)
リルケルラから与えられた特別な空間の中にある、特別な家のキッチンで蒼はこれまでより早起きをして仕事を始めている。
「まったく……まだギリギリ有給中だってのに」
ブツクサ言いつつも彼女は少し浮かれていた。新たな仕事に不安もあるが、同時に楽しみでもある。
蒼の家にある冷蔵庫は一般的な家庭用サイズより大きい。大容量冷蔵庫というやつだ。彼女の弟がなかなかの大食漢だったので、両親が思い切って購入したサイズそのままにここにある。
このおかげで食品のまとめ買いがしやすくなり、両親が嬉々として週末大型スーパーへと出かけるようになったことを不意に彼女は思い出した。
(私としょうくん……元の世界でどんな扱いになってんだろうな~)
あちらの世界のアフターケアなんてリルケルラには期待できないが、もしかしたら『先輩』が上手くやってくれているかもしれない……という僅かな可能性にかけるしかない。
「初日はこんなもんか~?」
蒼の冷蔵庫は大容量といえども結局は一般家庭用。何百食も作れるほど食材が入っているわけではないので、商売に使うにはそれなりに考えが必要だった。
本日のメニューはミートパイとミニドーナツの二品。
それぞれ三十食用意した。もちろん冷凍のパイ生地とホットケーキミックスをフル活用している。このメニューはこの世界で販売するのにちょうどいい塩梅の商品として支持を受けたものだ。つまり似た食べ物がある。
『まずは手堅くいこう』
冒険した商品は商売が安定してから、というのが実に蒼らしい判断だった。その方がこの世界に紛れ込みやすいだろうとも。
(ドーナツはバリエーションあるから定番にしたいとこだけど)
ホットケーキミックスを使うかどうか、トッピングをするかどうか、形を変える手もある。
(しかしまぁ~……五、六人分作るのとはやっぱり労力が違うわね~)
一人でこなすのだから当たり前だが、初日のメニューをあまり手が込んだものにしなくてよかったとメニューを決めた過去の自分自身を褒める。
「鍋も買っててよかった。家庭用だったら何回揚げることになったやら」
揚げ物用の鍋はこちらの世界で少々大きさのあるものを新調していた。元の世界で以前使っていたものは処分し、どうせ自分と翔の分くらいしか揚げないし……と小型のものに買い替えており、それがこの家の中でも反映されていたからだ。
「油の量もちゃんと計算しないと。うーん……週に二、三回ってとこかな~」
試食会で、揚げ物は何を作っても大人気だったのだ。年齢関係なく彼らは揚げ物だと大喜びで食べてくれたので、蒼がリストアップした軽食屋のメニューにも多く載っている。
「さてもう一仕事」
蒼は余った材料で再度同じメニューを作り始めた。そしてそれを小さく切り分ける。
「よしよし。イマイチなやつと合わせたらそれなりの数になったかな」
これらはお客を呼び込むための試食だ。試作品は例の上級神官とアルフレドだけではなく、ある程度メニューを絞った後は彼ら周辺にも意見を求めていたので、蒼の出す食事のファンは順調に増えていた。だが、それでも蒼は不安だったのだ。この商売で身を立てることができるのか。
この街には屋台も食堂もたくさんある。その中で戦うのだから目立ってはダメだが目立たなさ過ぎてもダメなのだ。
(まあ元手は大してかかんないし、利益率も気にしなくていいから気は楽だけどさ~今のところ無借金経営だし~ってまだオープンしてないのになに考えてるんだか……)
経費としてかかるのは食品用の包み紙や袋で、もちろんすでに支払い済みだ。そして……、
「私の愛車ちゃーん! がんばろーね~!」
可愛らしいワゴンが神殿の倉庫の一角に置かれてあった。それを蒼の特別な鍵を使い、特別な空間に入れ込み、とっておきの商品を綺麗に並べる。これはまさかのアルフレドがプレゼントしてくれたものだ。
『領主様から報償金をいただいたんだけど……アオイがいなかったら受け取れないものだったからさ。使ってくれると嬉しいな。どうせもう職人さんには返品できないし!』
とのことだったので、ありがたくいただいた。
倉庫から出るとチェスティがニコニコと待ってましたとばかりに声をかけてくる。
「言われた通りメニューと金額書いときました! 本当にこのお値段でいいんですか?」
今日もいい匂い! と蒼のワゴンを見て目をキラキラとさせていた。
「わ~! 助かります! ありがとうございました!」
リルケルラは蒼の体をこちらの世界のものへと作り変えた際、とても気の利く能力を授けてくれていた。こちらの言語に関することだ。
(当たり前のようにアルフレドの言葉がわかったもんな~)
おかしいと思っていたのだ。異世界の人達は日本語を話すの? と。だがもちろんそうではなく、蒼がこちらの世界の言葉を理解し話せるようカスタマイズされていたというオチだった。
そう、理解できるのだ。たとえトリエスタが属するアスティア王国以外の国の言葉であっても。
しかしそこはやっぱりリルケルラ。蒼はこちらの世界の文字はなんでも読むことができた。しかしながら、書くことは別だ。蒼は今、久しぶりに文字の勉強をしている。
(私が書いた文字を理解してもらう能力もつけてくれてよかったんじゃない!?)
だが見たこともない文字をこの世界の人が理解できてしまえばそれこそ騒ぎになりかねない。それもわかっているので蒼は黙々と文字を書いて覚えるのだった。
「文字を読み書きできない人は多いですよ。私だってアオイ様の世界の文字は読み書きできません!」
(励ましてくれてる……! 優しい~!)
チェスティはそれもあって、値札に可愛らしいイラストも入れてくれていた。
◇◇◇
今日の販売場所は神殿の門のすぐ側。ガラガラとワゴンをチェスティと二人、そこまで移動させていると、すでにグレコとブラス、そしてアルフレドが待ち構えている。
「アオイ~!」
目が合った瞬間、アルフレドが駆け寄ってきて代わりにワゴンを移動させ始める。重さや、車輪がきちんと動くかも確認しているようだった。
「美味しそう~!」
幸せそうな顔をして、ミートパイとミニドーナツを熱い視線で見つめながら。
「皆の分は別で用意してるからね」
「今日俺はお客さん! 一番客だよ!」
当たり前じゃん! と、これまた嬉しそうにアルフレドは宣言した。
「ありがと! でも後でお弁当届けるよ。……多分たりないから!」
「うっ……確かにそうかも……ありがとう……」
彼はちょっとバツが悪そうにへへへと笑っていた。最近のアルフレドが食べている量を見たら、蒼の屋台の商品だけじゃあ少々量が足りないのは明らかだ。本人も自覚がある。
「開店おめでとうございます!」
予定していた場所につくと、グレコとブラスが小さな花束を蒼に手渡した。
「えええええ!! 綺麗~! ありがとうございます!」
まさかのサプライズに蒼は本気で驚いていた。ガーベラに似ているが、茎や葉の色が白い。この世界の植物はすでに色々見ているが、これは初めて見るものだった。見ているだけで元気が湧くような姿をしている。
「これはリルの花と呼ばれておりまして、滅多に咲かないのですが……今朝裏庭でこれみよがしにたくさん咲いていたのです。それも突然」
ブラスは少々浮かれている。
「御使リルからの開店祝いですねぇ~」
「お告げがあったんですか!?」
「いえ。ですがきっとそうですよ~この花、何かしらお祝い事がある時しか咲かないので~」
グレコも嬉しそうにしていた。
(リ、リルケルラさぁぁぁん! ありがとー!!!!!!)
蒼も心の中で大声で叫んで感謝する。まさかの気遣いに、これまで不満を垂れ流していたことを深く反省もした。彼女も少々調子がいい。
(引きこもり生活を選択しないでよかった)
いい意味でも悪い意味でもドキドキする新たな世界での生活は、もちろん蒼の人生設計にはなかったものだ。だが彼女は今、この世界を楽しんでいる。それはやはり、人との繋がりのおかげで得られたものだ。
「さあ! アオイ様の屋台、ついに開店でーす!」
「……!!?」
感動に浸っていた蒼の代わりに、ちょっとテンションの上がっていたグレコの声が高らかに響き渡った。




