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第五章~⑮

 その通りだ。秀介とは年が九つ離れている。あいつが極度の弱視の状態で生れた時、小学三年生だった私は弟を絶対に守ってやると誓った。その為にそれまで習っていたサッカーに加え、空手道場へも通い出したのだ。

 そこで学んだ押忍の精神を、秀介に叩き込もうとしたのは確かである。父は仕事で帰りが遅く、母も専業主婦とはいえ家事で忙しく、秀介ばかりを見ていられない。

 よってもう手が離れた年齢となった兄として、面倒を看る機会は多かった。だから一緒にいる時、男は心も体も強くなければならない。

 そう言い聞かせ、ボールを蹴ったり投げたりという遊びを兼ねた体力作りをさせた。時折習ったばかりの空手の技を真似させた記憶もある。

 そうして自分も大きくなり高校卒業後の将来を考えた時、警察官が良いと思った。余り勉強が得意でない事もあり、得意の体力を活かせる職業はないかと悩んだ結果だ。それでも筆記試験はある。そこで必死に勉強し、何とか警視庁に合格した。

 その時は両親だけでなく秀介も喜んでくれた。当時小学三年生になっていたこともあり、こう言ったのだ。

「お兄ちゃんは僕の自慢だよ。そうだ。これから警察官になるんだし、お兄ちゃんじゃなく兄貴と呼ぶことにする。その方が恰好いいから。僕は警察官になれないけど、自分なりに頑張って将来は一人で生活できるようになる。だからしっかり勉強するよ」

 いくら体力があっても視覚障害者が就ける職業は限られる。当時はほとんど按摩師などだった。

 しかしパソコンなどが普及し始め、訓練次第だが徐々にそうした事務仕事も将来の選択肢になりつつあった。その為に勉強したいと思ったのだろう。健常者のように出歩けない分、家で点字を覚えたり音を聞いたりして学ぶ機会が多かった。

 だから机に向かう時間も自然と長くなる。そうしてコツコツと努力する事を苦にしなかったから、本もよく読んで文字起こしという事務的仕事にも就けるようになったのだ。

 的場が警察学校の寮に入る為、家を出なければならなかったことも大きなきっかけだったという。これまで頼っていた一人がいなくなる分、母への負担を軽減しようと思ったらしい。自分で出来ることを増やし、極力自立できるよう日々訓練していたのである。

 そのおかげで二十九歳になり両親を失い兄もいない広い家に一人きりになっても、大丈夫だと言えるほどになったのだ。

 もちろん的場は同居することも提案した。しかしあいつは断ったのだ。両親が残した家であり、長年住み慣れどこに何があるかを全て把握している場所から離れたくなかったのかもしれない。またその方が生活しやすいと考えたのだろう。さらに出来る限り自立できるよう頑張ってきたから、その成果を見せる時だと思ったようだ。 

 兄に頼りたくない気持ちもあったに違いない。それで一人暮らしをすると言い張ったのだ。正直、そう言ってくれて助かったと思う自分がいた。実家にいた頃とは全く異なり、仕事で忙しく家にほとんど帰れない日々が多い立場だ。引き取るとなっても実質面倒を看るのは妻である。

 しかし彼女も当時四歳と二歳の子を抱えており、それ以上負担をかけるには余りに申し訳ないと思っていた。だから時々電話をかけ状況を聞き、必要と判断した際に実家を訪れることで話が決まった。 

 それでもそれらほとんど全てを、妻に任せっきりになっているのが現状だ。そんな兄をかつてと違い、頼りにならないと秀介が感じていたとしてもおかしくはない。

 その上、両親がコロナに感染した際の対応もまずかった。六十五歳以上の高齢者であり、感染すれば重症化するリスクは高いと言われていた事も知っている。

 だが仕事柄、不特定多数の人と濃厚接触する必要に迫られ、そんな悠長な事など言っていられない環境にあり、認識も甘かった。だから普段滅多に顔を出さない実家へ、あの頃訪ねたのである。

 たいした用件ではなかった。捜査の関係もあり近くまで寄っただけで、三十分もいなかっただろう。丁度秀介が外出していた時だ。 

 しかしその後、三人共がコロナに感染したのである。最初に発症したのが秀介で、取り引き先の企業でも陽性者が出ていたこともあり、自分が感染元だと彼は思い込んだ。

 連絡があり話を聞いた時、的場もその可能性が高いと言った覚えがあった。注意しないといけないな、と何気なく口にしたかもしれない。

 けれど決して責める気などなかった。両親の症状が悪化し、その後亡くなってからも、そんなことは言っていない。それどころか自分が悪いと嘆く彼を妻と一緒に宥めていたのだ。

「誰が悪いという問題ではないから」

 そう告げた。けれどもコロナの特性が徐々に分かり始め冷静に考えた時、的場が感染させた可能性もゼロでは無いと思った。発症しなくとも、あの家にウイルスを持ち込んでいたかもしれないと気付いたのだ。もしかすると秀介もそう考えていたのかもしれない。

 葬式の後実家に寄った話を何気なく漏らした時、彼は一瞬険しい表情をしていた。何も言わなかったが、心の中では恨んでいたのではないか。これまでと立場が逆転したからだろう。

「黙ってしまわれましたが大丈夫ですか、お兄さん」

 葵の言葉についカッとなった。

「お兄さん何て呼ぶな。この人殺し野郎が」

 しかし彼は笑った。

「それなら弟さんも人を殺したという意味では同じでしょう」

「何だと。あいつはお前に唆され指示され、死にたがっていた江盛が殺されたように見せかける手伝いをしただけだ。個人的な恨みで人を殺そうとした訳じゃない。一緒にするな」

「一緒とは言っていません。殺したという意味では同じだと言っただけです。それに彼とは違い、私は誰も刺してはいません。そこは確かに異なりますね」

「貴様、」

 その言葉を葵は遮った。

「先程の続きですが、警察が秀介さんと私の関係を把握した時、引き続き行われた任意の取り調べで、様々な暴言を吐かれたようですね。ご存知でしたか」

 ギクッとした。思い当たることがあった。的場もいくつかの言葉を投げかけられたからだ。答えられずにいると、葵は続けた。

「男とヤッて気持ち良かったか、変態か、他にそういう男友達がいるのか、いつ目覚めた、お兄さんは知っているのか、それともお兄さんに教えられたのか、関係を持ったのか、」

「止めろ!」

「いいえ、止めません。彼が江盛さんを刺したのは、そうした取り調べを受けた後です。本当に私が唆したから、また江盛さんに刺してくれと頼まれたからやったのでしょうかね」

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