第三章~⑤
「ところでフルネームは何というの。アオイは下の名前よね」
「いいえ、苗字です。資格者名簿に葵水木という名で登録されていたようなので、偽名の可能性はないでしょう」
どういう字を書くのか説明されたが、ミズキという名前には珍しい漢字を充てていた点にどこか引っ掛かりを覚えた。最近どこかで聞き覚えがあったからだ。その為尋ねた。
「水木って、今回の事件関係者にいなかったっけ」
「良く気づかれましたね。いや、隠していたつもりはありませんよ。事情聴取をして詳細が分かり次第、お伝えするつもりでした。葵という名字は、多賀目良晴の母方の旧姓です。水木は身分を隠す為に、一度は離婚した彼の妻の旧姓である武蔵になった後、祖母と養子縁組をして葵の姓を名乗り、その後分籍しています」
多賀目という変わった名で思い出した。二人目の被害者である、手嶋由美が勤めていた会社の元上司だ。確か彼女が殺害された際、新原明日香に続く連続殺人の被害者と見られたが、念の為にと関係者を洗った。その際多賀目の名と過去の事件が明らかになり、彼の家族の所在確認をした記憶がある。
だが殺人者の子として目をつけられたのだろう。母方の苗字も珍しいことから、居場所を特定されないよう複雑な手続きを取ったようだ。祖母方の籍からも抜けたのは、そうした理由だと想像がつく。
分籍とは在籍する成人が単独の戸籍を作る事だ。そうすれば戸籍から住所が辿れなくなる。変わった苗字だとはいえ、そこまでしなければならなかったのかと思い、かろうじて覚えていた。その際名が水木という珍しい字を書くと烏森から聞いていたが、苗字の葵とアオイが繋がらなかった。下の名前だと思っていたし、戸籍には読み仮名が書いていない。それも影響したのだろう。
またそこまで調べていたけれど深く追わなかったのは、あの時点で連続殺人の線が濃かったから必要ないと判断したからだ。
しかし葵が二番目の被害者と因縁があるのなら話は大きく変わる。
「その子供なら、父親の復讐の為に手嶋由美を殺したのかもしれないわよね。事件と繋がったじゃない」
「それがそうとも言えないんですよ。もちろん可能性はあります。手嶋由美を助けようと、彼女に付き纏っていたストーカーを投げ飛ばしただけなのに、そのせいで父親が逮捕されてしまった。過剰防衛で刑務所に入り、しかもそこで病死していますからね。ただそれから六年以上経っています。それが今頃になって殺すでしょうか。それに逆恨みもいいところです。悪いのは、彼女をストーカーしていた江盛ですから」
しかもよく聞けば、多賀目良晴と智子の間に生まれた子ではないという。葵の実の父親は暴力を振るう男だったらしく、それが原因で三歳の時に離婚したそうだ。それから三年後に多賀目と再婚していた。つまり多賀目良晴は血の繋がらない養父になる。
的場達が葵と事件の関係性に懐疑的なのも、そういった事情があるのだろう。だが義理の父とはいえ、十年以上育ててくれた親だ。
その為須依は反論した。
「でもその人は刑務所内で亡くなったのよね。だったら憎しみが手嶋由美に向かったとしてもおかしくはないでしょう」
「はい。ですからこちらもその線を疑った上で、事情聴取する予定でした。しかし話が聞けないとなれば、まだ犯人だという確証はありません。それに第二の事件が起こった際の防犯カメラで、葵らしき人物は確認できなかったと聞いています。もちろん第一の事件でも同じだったようです」
「それはたまたま、映っていなかっただけかもしれないでしょ」
「そうかもしれません。けれど葵が犯人だとしたら、一人目の犠牲者である新原明日香を殺す動機が分かりません。二人に接点があるかどうか、今後の捜査次第だとは思います。けれど何人も殺そうとするなんて、余程の事が無ければ考えないでしょう。少なくとも被害者二人には、関係性が見つかっていません」
いずれにしても行方を捜して事情聴取し、また二つの事件時におけるアリバイ等を調べた上で無ければ机上の空論にしか過ぎない。そう二人で話し合い、葵の件は一課の捜査員達に任せ、分かり次第連絡を貰うよう依頼した。須依は先程まで話していたように、米村の上司で事故死とされた伊野口の周囲を取材すると言って別れた。
早速烏森に連絡を入れて会い、的場から仕入れた情報や警察の捜査状況を伝えたところ、彼は言った。
「また色んな人物が現れたものだな。今回の被害者達が、それぞれ訳ありだったというのは余りに偶然が重なり過ぎている。やはり今回の連続殺人には、何かあるとしか思えない」
「はい。ですから私達は警察が再捜査しにくいだろう伊野口の周辺を洗い、彼の事故死を疑っていた人物を探しましょう」
「そうだな。だがそれだけでは足りないだろう。これまでは第一の殺人である新原明日香殺しの犯人について、怨恨の線は薄いと考えられていた。だが改めて調べ直す必要もでてきたんじゃないか」
「なるほど。新原明日香を恨んでいた人物が、二人目の被害者である手嶋由美と関係がある可能性も考えられますね」
「ああ。憎い人間が二人もいたからこそ、愉快犯の仕業に見せかけたのかもしれない」
「手嶋由美の周辺は、葵水木を含めて一課が捜査していますから、私達は伊野口を皮切りにして、第二の事件に繋がりがある人物がいるかを含めて取材しましょう」
そう打ち合わせをし、米村や伊野口が勤めていた会社にアポを取り、何人かに話を聞いて回った。しかし結果は空振りに終わった。
米村が嫌っていただけあり、伊野口の評判は散々だった。その為彼が事故死したと知った同僚や部下達の多くは、口に出せないけれど内心喜んでいたという声ばかりだったのだ。
しかも伊野口の妻やその家族と接触も試みたが、反応はほぼ同じだった。三つ年下の五十歳の妻や二十二歳になる息子や二十歳の娘さえ、清々したという感情を隠しもしなかった。どうやら家庭でも彼は嫌われていたようだ。
女の影があるのかと探ってみたけれど、そうした気配は全くなかった。つまり彼が殺されたと知って、復讐しようと考える人物は皆無だったのである。




