第二章~⑪
「素晴らしい考えだと思います。それを実行しようとする施設はそう多くありません。ただでさえ介護サービス業という仕事は、苦労が多い業界です。それなのに働く人々は決して恵まれているとは言えません。いえ、これは経営者を責めている訳ではありませんよ。国の補助制度の不十分さに、根本的な問題があると思っています。それは新型コロナの感染拡大で、よりはっきりしたのではないでしょうか。現場に丸投げし、雀の涙のような補助金でなんとかしろと、あくまで自助を強いられてきたではないですか。そこで実際に利用者と接している方々の怒りや嘆きなど、生の声を伺いたいのです。もちろんその中でも仕事を続けてこられたのですから、何らかの光も見出していたのではないでしょうか。その点を是非取材したいのです。是非ご理解頂き、お願いできないでしょうか」
手応えを感じたもののまだ若干逡巡している気配がした。しかしこれ以上しつこくなれば逆効果になる恐れがある。次はどう対処しようかと悩んでいた時、烏森が口を開いた。
「ご協力頂ける方には、一人一万円ずつの謝礼をお出しします。これは施設長にお預けしますので、インタビューが終わった後にでも事務局長を通じてお渡し頂けたらと思います。そんなに長くはかかりません。一人三十分程で結構です。宜しくお願いします」
そう言いながらがさがさと音が聞こえたところで、彼がポチ袋を取り出し渡しているのだと気付いた。紙の擦れから二人分を渡そうとしているらしい。須依は心の中で感心した。さすがだ。
先に渡しておけば、従業員に支給しないで彼らが懐に入れられる。さらに事務局長と分けあえるよう二万円出しておけば彼女も同意しやすくなり、また最低でも二人は紹介せざるを得なくなると考えたらしい。彼らがお金に目が眩むタイプなら、一石二鳥の手だ。
さてどう出るかと思いながら、須依はもう一度頭を下げた。
「お願いします」
すると彼らは腹を決めたようだ。恐らく市之関が目で合図したのだろう。津崎が言った。
「分かりました。少々お待ちください。今、手の空いている者がいるか確認して参ります」
彼女が席を立つと同時に市之関が口を開いた。
「私達への取材は終わりで宜しいですか」
「結構です。ただもう一点だけ。他に同じような施設を取材したいのですが、ご紹介できるところがあれば繋いで頂けると助かります」
烏森が答えると彼も立ち上がった。
「分かりました。どこを紹介できるかの確認もありますから、私はこれで失礼致します。後は津崎に対応させますので」
そう聞いて須依達も腰を上げ、再びお礼を述べた。
「有難うございました」
施設長達が部屋を去り、烏森と二人だけになったところで須依が小声で話しかけた。
「助かりました。熱意だけでは通用しなかったですね」
「いや、建前論を提示したからこそ、最後の一押しがより効果的だったんだよ。最初に謝礼の話を出せば、より警戒されていただろう。お金で動いたのではないという言い訳を、彼らに与えられた点は大きかった。しかしまだ喜ぶのは早い」
「そうですね。後で落ち着いて考え、従業員に下手な事を口走られたらまずいと思い直すかもしれません」
「あとは性的介助をしている介護士が、ここにいない可能性もある。ただでさえ人数が少ないようだったからな」
「あり得ますね。特にここでは施設に招くデイサービスだけでなく、利用者宅に出向く場合も多いようですから」
そうした懸念の一つが当たった。十分ほど待たされてようやく津崎が部屋に顔を出し、申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません。今日は手の空いている介護士が、一人しかいないようです。他の子は外に出たばかりだったり休みだったりするので、二人となれば最低でも二、三時間はお待ち頂かなければなりません。それだと申し訳ないので、今回は一人だけでお願いします」
それでは少なすぎる。かといってそれでも二、三時間待つと言えば怪しまれる恐れがあった為、須依は提案してみた。
「でしたら日を改めてお伺いしますが」
だが色よい返事はもらえなかった。
「申し訳ございません。余り何度も訪ねて来られては困ります。それなら先程聞きそびれたという、前の施設の介護士に話を聞いてみたらいかがでしょう」
そこまで言われれば引き下がるしかない。同じくそう思ったらしい烏森が答えた。
「分かりました。ではお一人で結構です。お話を伺うのはここで宜しいでしょうか。それとも場所を移しますか」
「この部屋に来るよう伝えていますので、もう少しお待ちください。あと先程頂いた、謝礼の一名分はお返しします」
ポチ袋の一つを戻されたようだが、彼は断わった。
「いえ、もうお渡ししたものですから。それはこれから来られる方にお渡しされてもいいですし施設で有効にお使い下されば結構です。あくまで取材にご協力頂いた謝礼ですので」
「そうですか。折角なのでご厚意に甘えさせて頂きます。では野中と言う介護士が来ますが、時間は三十分ほどでお願いします。終わりましたら、声をかけてください。私は事務局にいますので」
そう言い残し、彼女が部屋を出て行った。それから間もなく人が入って来た。時刻は二十時を知らせていた。
「失礼します。野中です。取材と聞いたんですけど、そんなの初めてなので、ちゃんと答えられるかわかりませんけどいいですか」
はしゃいだ女性の明るい声から推定すると、二十代後半だろうか。須依がこれまで会ってきた介護士やヘルパーとは違う、微かに異質な香水の匂いが鼻をついた。口調からしても、どちらかといえば水商売系に近い雰囲気を醸し出している。
「構いませんよ。お忙しい所すみません。余り時間を取らせてはいけないので、早速いいでしょうか」
烏森が声をかけ名刺を渡して座るよう促した。それからこれまで収集してきた施設や介護士達による不平不満の例を次々と挙げ、それ以外に何かあればと質問した。同じような感想を聞かされる時間を省く為だろう。
これだけ先に告げられたら、余程頭の回転が速い人でなければ違った意見を出すのは難しい。案の定、彼女はつまらなそうに言った。
「それ以外、って言われても。大体そんな感じですよ。どこでも同じじゃないですか」
先程までの高揚した気分が一気に抜けたようだ。あらためて話す事など無いと分かったのだろう。しかしその点を突いた。




