善意だからいい、ってことにもならない
私自身の自戒も含めて思うことですが。
アンパンマンミュージアムの点字ブロックに、隠れアンパンマンのニュースに、なんとも言えない気持ちになってしまいました。
このケースは、悪意じゃないんですよね。
むしろ、ものすごく善意的に(ユニバーサルな発想で)考えるなら、
点字ブロックにも意識を向けられるような子どもに育ってほしい。心身にハンディキャップを抱える人と、そこまでのものは持っていない人
(あえて、健常者とは書きませんでした。私はこの境界は、明確に分けられるようなものではなく、果てしなくグレーゾーンが広がっていることだと考えているからです。
完全な健康体の人なんて滅多にいないはずです。それがどの程度表に現れるか、であったり、社会的な支援が必要なほど困っているかとかそういう話だと私自身は考えています。
もちろん、社会的な支援をする上ではどこかで「線」を引かなければなりません。基準をもうけて。だから、手帳であったり等級であったりが、心身のハンディキャップでも、医療介護分野でも存在するのであって
本質的に、別種の存在なんかじゃないと思うんですよね。支えあって生きていける、優しい社会が良いなぁと思います(*^^*))
話が脱線してしまったけれど。
善意だからいい、ってことにもならない。
こういう問題も、“何”を優先するのかで、答えは変わると思うんですよ。
社会のほとんどのことはグレーゾーンで、正解なんてないことのほうが多いと思います。
それでもどこかで結論を出さなければならないこともありますし、
その時、犠牲になる利益は必ず出る。
割を食う人は必ず出る。
様々な人の利害が複雑に絡み合い、時に対立するのが社会だから、それは事実として受け止めなければならないと思うんですよね。
白黒は「(時に傷つく、誰かを傷つけ、憎まれる場合だってある)覚悟をもってつける」ものであって、
はじめから正解不正解、正義と悪が決まっていることのほうがまれ。多くの場合、白黒なんて、ほんとうは、つけられないもの。
それでも、本来は誰の何を守るためにあるのかを考えることは、とても大事だと、
そういうことを考えさせられました。
自戒も含めて……善意だったら何を言っても良いしてもいいとは限らない。