ジンと過ごす日々
ジンはあれからすくすくとはいかないが、身体は成長している。
初めて歩いたときは、両親が喜び泣いていた。
私も応援した。
だが、やはりちょっとうるさいのかもしれない。
嫌なもやっとした感情が湧いてきてしまったよ…
すぐに応援をやめて、見守ることにしたさ。
そういうのは、親の仕事だから我慢しようと決めた。
ジンがしっかりと歩けるようになった頃から、身体の熱が増してきた気がする。
運動での熱、魔力での熱。
両方の熱でジンは寝込むようになった。
それでも、普段は調子がいいようで、よく歩き回っている。
そんな寝込むジンを優しく介護する母のリーン。
私はこの頃から、ジンに言葉を覚えさせようと母に話しかけるように声を出す。
ジンならこんな風にしゃべるだろうなと思って、
「ママ、ありがとう」
と、母が何かしてくれるたびに、私はそう語りかけた。
ジンが覚えてくれるように願って…
その甲斐があったのだろうか。
今日もズレた布団をかけ直してくれた母に、私は語りかけようとした。
だが、私がしゃべる前にジンがしゃべったのだ。
「まっま、あいがとう」
と、まだ舌足らずな言葉だったが、母は驚き、泣いて、ジンを抱きしめる。
その様子をぼんやりと見つめるジン。
だから、私は追加で言葉を教える。
「ママ、泣かないで」と。
すると、ジンは物覚えがいいのか、すぐに真似してくれた。
「まっま、なかないえ」
母は泣き崩れた。
ジンを掻き抱くように、まるで連れて行かれないように、と強く抱きしめた。
ジンが苦しそうな感情を抱き始めた。
私は慌てて、言葉を教える。
「まっま、いちゃい。くるちい…」
すぐにジンがしゃべる。
これには母も焦り、抱くのをやめる。
代わりに、優しく愛おしげに、ジンの頭を撫でるようになった。
その母の顔は慈愛に満ちていた。
この事を夕食時に父のアルフレッドに話す母のリーン。
アルフレッドがジンに話しかける。
「ジン、俺が分かるか?パパだぞ?」
と、ジンにしゃべりかける。
だが、ジンはよくわからないと言うように、首を傾げるだけのようだ。
視界が傾いたからな。
アルフレッドがその様子に落ち込んだ。それを見て、リーンは笑っていた。
仕方がないと、ジンに言葉を教える。
「ぱっぱ、いちゅも、ごあん、あいがとお」
と、慣れない言葉をしゃべる。
あ、アルフレッドも泣き崩れた。そして、ジンを抱きしめる。
「どうして、お前は連れて行かれるんだろうな…」
と、感情を吐露する。
連れて行かれるという表現が気になるが…
たぶん、死神に連れて行かれるというような意味だろう。
その後も言葉を教え続ける。単語もたくさん教えた。
物を持って、動きが止まるときに、それが何かと単語を私は教えるのだ。
ある日、ジンの方から私に話しかけてきた。
「こりぇ、なあに?」
それを見て、私は言葉を濁して答える。
「服」と。
ジンは不思議そうにしていた。
そして、それを持って、母であるリーンの下に走って行ってしまった。
「ふく、あった」と。
あーあ。知らないぞ~、アルフレッド。
恐らく、父が母へのプレゼントのつもりだったのかもしれない。
ベッドの隙間に隠されていた紙袋の中から『えっちな下着』をジンが見つけたのだ。
しかも、それをジンに届けられる母のリーン。
ほれ見ろ。案の定、リーンは顔が真っ赤じゃないか。
そして、ジンにどこにあったのかと問いただしている。
浮気も疑われているぞ~、アルフレッド。
私は知らないからな。ジンが勝手に見つけたんだからな。
そんなジンはよくわからないと首を傾げていた。
視界が傾いていたからな…
夕方の騒動は激しかった。
父は機嫌よく、
「今日も大物が取れたぞ!リーン、ジン!」
と、家の中に聞こえるように大声を出す。
その声に応じるように笑顔だが、どこか冷たい声で、
「おかえり、あなた。これはどういうことかしら?」
と、父を歓迎していない母がいた。
アルフレッドよ、そこで「げっ!」はないんじゃないか?
リーンの目つきがより鋭くなったぞ?
「これはジンがベッドの隙間にあったという『服』だそうよ?」
なぜこちらをジト目で見るのかな、アルフレッドよ?
私は教育に悪いと思って、ちゃんと誤魔化したのだぞ?
感謝こそされど、恨まれるような覚えはないな。
仕方がないと思って、私はジンに指示を出す。
ジンは「わかっちゃ」と言って、動いてくれる。
その間も尋問されるかのように椅子に座らされ、怒られるアルフレッド。
尋問にもう耐えきれないと、アルフレッドが大声をあげそうになったとき。
ジンが二人の足元で服を引っ張る。
「どうした、ジン?」
と、チャンス!とばかりに話しかけるアルフレッド。
話を逸らすなと言わんばかりのリーンだが、相手はジン。
なるべくと心がけているのが分かる優しい声で、
「ジン、ママはパパと大事な話をしているの。座っててね?」
と般若を後ろに幻視してしまう中、そう語りかける。
私はジンにしっかりと指示を出して、間違いを起こさないようにする。
「こりぇに、入ってちゃ」
と言って、母に紙袋を差し出すジン。
母は訝しむように紙袋を見つめる。
どう見ても、贈り物用の包装なのだ。
だから、浮気の線はたぶんないぞ、リーン。
これに乗っかるようにしゃべりだすのは、父のアルフレッドだ。
「だから、言ったろ?お前に感謝を示すためのプレゼントだって」
いや、感謝を示すためのプレゼントが『えっちな下着』はおかしい。
私は思わず内心で、ツッコミを入れてしまう。
同じような感想を抱いたのだろう。
母のリーンも、
「アルフレッド、あなたって人は…」
と、頭を抱えている。
そんな二人を見て、よくわからないとジンは首を傾げた。
視界が傾いたものね。
その後、なんとか仲直りをした二人。
夕食は美味しいようだ。
ジンから美味しくて嬉しいという感情が伝わってくる。
母からは誤解が解けて、呆れてはいるが甘い空気を感じる。
父がその空気を感じて、何かの合図を出す。
だが、ジンがいるからお預けよ、と母は父を止めていた。
代わりにとばかりに、軽い口づけをしていた。
父はそれで我慢することに決めたようだ。
ちょっと、手は不穏な動きしていたけどね。
「おいちい」
という声がジンからあがる。
それを聞いて、幸せそうにジンの頭を撫でる母。
父も俺がとってきたんだぞ~?と、ジンの頬をつつく。
そして、父がやや悲し気に、
「もうじき新年だな」
と話し出す。
母もそれを受けて、
「そうね。もうジンも三歳になるのね…」
と悲しそうに返す。
雰囲気が暗くなるのを感じる。
私はせめてと思って、ジンに言葉を教える。
「ぱぱ、まま。かなしまないえ。しぇいいっぱい、いきりゅかりゃ」
この言葉に、さすがに疑問を感じたのか、両親が質問する。
まず、父のアルフレッドが、
「ジン、いつからそんな難しい言葉を覚えたんだ?」
と慎重に質問するも、ジンは首を傾げるだけ。
そこで、母のリーンが、
「ジン、誰かに言われてしゃべっているの?」
と核心をつく質問をする。この質問にジンは頷く。
いよいよ気づかれたか、と私は冷や汗ものだ。
さらにリーンは質問を続ける。
「いつからジンは、『その声』が聞こえるようになったの?」
ジンは首を傾げて、少し間があったが自分の言葉でしゃべる。
「ずっちょ、まえかりゃ」
その答えにリーンは納得したように頷く。
「そうなのね。ありがとう、ジン。
それと、ジンの中にいる『あなた』にもありがとう。
いつもジンの面倒を、見てくれていたでしょう?
だから、ありがとう」
と語る。
私はリーンに認められていたようだ。
それはそうか。
ジンに私の声が聞こえるようになり、ジンが歩き回るようになってからは、
危険なところには近づかないように、と指示を出していたからな。
私はリーンに伝えるための言葉を、ジンに伝える。
「『こちゅらこしょ、きじゅいてくれて、あいがと』だって!」
ジンがなぜか嬉しそうに伝えてくれる。
私の感情も、ジンに伝わっているのだろうか?
それもそうか。
私たちは感覚と感情を共有しているのだから。
その言葉に驚く両親。
「ジンの中にいる存在は、随分と知的な雰囲気を感じるな…」
「たしかにそうね。だから、ジンを見守ってくれるのね」
「いちゅも、あしょこには、ちかじゅくな!っておこられりゅ…」
ジンの言葉に、両親は笑う。
実際には笑い事じゃないんだがな。
まだジンには深そうな川を、ジンは立ったままのぞき込もうとするからな。
いつ川に落ちるんじゃないかって、ヒヤヒヤものなのだが…
そうして、私の存在が両親に気付かれて、何日か経った頃。
新年を迎えた。ジンが三歳になった。
命のカウントダウンは、刻々と進んでいく。
私はジンと会話が出来るようになったので、地球の面白いことを語ってあげた。
ジンは不思議そうにするときもあれば、両親に試してみせて驚かせていた。
そのときばかりはジンもドヤ顔だった。
だが、そんなジンが高熱を出して、寝込むことが増えた。