赤子として観察する日々
ここはどこだ?
気が付くと薄暗い場所にいた。
薄暗く、温かい液体に包まれている気がする。
まるでお風呂に沈んでいるような気分だ。
しかし、沈んでいるといっても、息苦しさはない。
私は死んだ。
たしかに死んだはずだ。
ベッドの上で死の淵にいた倦怠感はもうない。
トクントクン。
死後の世界はこのように脈動する世界なのか?
どこからか心地のいいリズムの鼓動が聞こえる。
この鼓動を聞いていると、心地よさで眠くなる。
しかし、突然周囲に存在した温かい液体が減っていく。
どこかへと流れているようだ。
それからは長時間の間、うごめく周囲。
まるで私を押し出そうとしているかのようだ。
私は押し出されないようにと意識してみた。
だが、身体は動かないので、無力にも押し出された。
押し出された先は暗い。だが、明かりはあるようだ。
何の光だ、あれは?ロウソクか?
私は自身の状況を確認する。
先ほどから、赤子の泣き声がするのだ。
どこから聞こえるんだ、この泣き声は?
そう考えていると、私の視界に二つの顔らしきものが見える。
どうやら、赤子の両親のようだ。
私はどうやら赤子の視点で物を見ているようだ。
だが、私自身は呼吸をしている感覚はない。
私自身が赤子と言うわけではないようだ。
不思議なものだな。
生まれ変わったわけではなく、赤子の視点で人生を送るというのは。
あれから私は赤子の視点でこの家を観察している。
赤子として生きているわけではないが、感覚は共有しているようだ。
一度、赤子が裸にされたとき、私は寒いと思ったのだ。
だから、この赤子と私は感覚が共有されている。
視覚や聴覚も共有されている。
今のところは、ぼんやりとしか両親の顔を把握できていない。
髪の色もよくわからない。
成長を待つしかないな、こればかりは。
両親がよく赤子に話しかけているのだが、うまく聞き取れない。
赤子だから、という理由もあるだろう。
しかし、それ以前に発音が私の知っている言語と違うのだ。
私も少しは語学を嗜んだ。
発音の特徴でどこの地域の言語かはわかるくらいにだ。
だが、どの言語にも一致しない特殊な発音に聞こえる。
ここは私の知らない国なのだろうか?
半年くらいは経っただろうか?
赤子の視点で観察する生活にも慣れたのだが…
飽きた。
その一点だけが苦痛だ。
最近は身体が温かいという感覚がある。
周囲は冷えているが、赤子の身体はポカポカと温かいのだ。
さすがは赤子だな。子供の体温は高いと聞く。
両親にも湯たんぽ代わりにされている気がする。
最近は視界も少しはマシに見えるようになってきた。
ここで驚いたことは、両親の髪色だ。
父は明るい青。真っ青である。染めているのかと思ったほどだ。
対して、母は暗い茶色だ。見覚えのある色で私は安心したよ。
父が異常に明るい性格をしているのかと言えば、違う。
父はよく玄関先で、狩りで仕留めたらしい大きな獲物を見せては、
母を大いに喜ばせている。
そのため、赤子は母から栄養たっぷりの母乳を毎日吸っている。
そして、赤子が布おむつを交換されているときだった。
母は布おむつを木桶に入れて、別の桶に手から水を注いでいる。
そう、手から直接、水を木桶に注いでいるのだ。
その後、何かを呟き、手のひらに火を灯す。
その火を水の入った木桶に入れて、水を温めてお湯にしているようだ。
物理法則はどうなっているんだ!?と驚愕する中、
母は布巾をお湯に浸し、赤子の尻を温かい濡れ布巾で拭いた。
まさか、あれは魔法というものなのだろうか?
ファンタジー映画で見るものを、目の前で使われたのだ。
私はこの世界が地球ではないことをほぼ確信した。
言語も私の知る範囲ではあり得ない発音なのだ。そう考えるのが妥当だろう。
ここは異世界だ。
だが、私の現在の境遇はどういうものなのだ?
地球で流行っていた物語の所謂、『転生』と言えるのだろうか?
私は赤子の視点で、観察しているだけだ。
私はこの赤子ではない。
なので、私自身が『生きている』訳ではない。
もう少し様子を見てみるしかないか。
それにしても、魔法か。
私にも、というよりも、この赤子も使えるのだろうか?
気になる。非常に気になる。
それからは、赤子がすくすくと育つ光景を赤子視点で見続けた。
ただただ見続けた。本当に飽きる…
だが、ハイハイとつかまり立ちをしたときは、ものすごく応援した。
『頑張れ!頑張れ!』と。
ハイハイのときはそれで頑張っていた。
しかし、つかまり立ちの時は、何か嫌なもやっとした感情を私は抱いた。
この赤子の感情だろうかと思い、応援をやめて静かに見守ってみた。
すると、嫌なもやっとした感情は消えた。
この赤子とは感覚だけでなく、感情も共有しているのかもしれない。
そして、私の声は赤子に届いている。
もしかすると、この子が成長したらこの子と話が出来るかもしれないな。
そう考えると、この赤子の成長が楽しみだな!
しかし、このときの私は浮かれていた。
まさか、あのような別れがあるとは思わなかったのだ。




