プロローグ
趣味で書き始めました、完結するまで書けるかわかりませんがよろしくお願いします。
2023/1/25
再開、再構成中。
プロローグはすべて書き直しました。
物心がついた小さな頃から音に敏感だった。
幼稚園で、歌の練習中にピアノの音を覚えた。
物音がすると、あの音だねーと何気なく先生に報告した。
それから先生に音階というものを教わった。
ピアノを弾き、
「この音はね、『ド』っていう音階なのよ」
という簡単な教えの繰り返しだった。
先生も『あの音』という表現を正そう、という程度の気持ちだったのだろう。
だが、私は正確に音階を覚えた。
小学校に上がって、音楽の先生と六年間の付き合いをした。
低学年の頃から、私の才能を見抜き、丁寧にピアノを教えてくれた。
休み時間も自由に音楽室のピアノを使わせてくれた優しい先生だ。
音楽室はいつも私の遊び場だった。
友人たちからも、あれ弾いてこれ弾いてと頼まれては弾いてあげた。
私も面白がって、音を覚えて弾いていた。
卒業する時にはお世話になったからと、先生の下に挨拶に向かった。
「あなたはこれからきっと、多くの人と関わるでしょう。
その中で多くの人を喜ばせ、感動させることになります。
それは私にとって誇りとなるでしょう。
あなたを育てたのは私だ、と言えるのですから」
と、冗談めいたことを言ってくれた。
私が仕事に就いて、ゲームの背景音楽を作り上げて、
本当に多くの人を感動させたとき、一番に喜んでくれたのは先生だった。
先生は私の実家の連絡先を知っていたので、一報を入れてくれたのだ。
それから、現在の連絡先を交換して、飲みに行った。
飲みの席で先生は私のことを語ってくれる。
「君には音楽の才能があると思っていました。
けれど、その才能がまさか作曲にもあるとは思いませんでした。
当時言った言葉に嘘はありませんが、ここまでとは思わなかったですね…」
と、苦笑いしていた。
私も同じように語る。
「先生からピアノを学び、私は楽しかったです。
音楽室で友人たちに囲まれ、あれ弾いてこれ弾いてとせがまれていました。
まさか、それがここまでになるとは、私も思ってもいませんでしたよ」
これは私の本音だ。
あの少年がここまで大成するとは、周囲の人たちは誰も思わなかっただろう。
大学時代の友人からは連絡はあったが、小学生の頃の友人たちからの連絡はない。
少々寂しいな、と切なくなったものだ。
先生と飲んだ後の別れ際、
「君は教えるのもうまかっただろう。
誰かに教えて過ごすのも悪くないものだよ?
それと、誰かいい人と結婚したまえ。
私のように独身のままじゃ、仕事漬けで寂しくなるよ?
それじゃ、よい眠りを。またいつの日か会おう」
先生に痛いとこを突かれたが、いいことも聞けた。
私も誰かに技術を伝えよう。
しかし、音楽は感性によるところも大きい。
私は何を伝え、何を残そうかと考えた。
結婚はいずれでいいだろう。
この時の考えが、私に悔いを残したのかもしれない。
ここは病室のベッドの上。私ももう若くない。
あの時の答えを出せないまま、この世を去りそうだ。
教えを乞うてきた者たちに、私の技術を教えたことはある。
しかし、私の教えが悪いのか、次々と私の下から人が去っていった。
だが、僅かながらに残った者もいた。
その者たちは、必ずと言っていいほど、この音楽業界で大成した。
私から去った者たちは、さぞ悔しいだろうなと笑ったものだ。
去る者追わず、残る者に教える。
私の信条だ。
だが、私は生涯をかけて、この世に何かを残せただろうか。
彼らには彼らの技術がある。あれはもはや私のものではない。
私が残せたもの…
いや、あるな。残せたものはある。
私の曲たちだ。
多くの人たちを感動させた、耳に残り、誰もが口ずさむ曲たちだ。
『彼ら』はきっとこの先も、語り継がれるだろう。
私の命の灯は消えかけている。
ああ、叶うならば、もっと曲を作りたかった。
結婚もしたかったな。
もっと音楽に携わっていたかった。
ゲームの中の勇者たちのように、私も勇ましい姿を見てもらいたい。
というのは、少々、少年の憧れがすぎるだろうか?
私の最後の言葉を書き残したノート。
いつか読まれるだろうか?少し恥ずかしい気持ちもあるが…
私くらいになれば、名言として残ってくれるだろうさ。
弟子たちに囲まれて、見送られる私は幸せ者だろう。
だが、叶うことなら。
もう一度だけ…
この日、沢山の人に惜しまれ、亡くなった音楽家がいた。
その最後の願いが叶ったかどうかは、この世界の人にはわからなかった。