最後の記憶
「くそっ! 何でこんなことに!」
カミソリのような三日月が仄暗く地面を照らす、夜。
ボロボロの装備を身にまとった5人の人物が、森の中を必死に走っていた。
彼らの背後では、大きな建物が、ゴウゴウと音を立てて燃え上がっている。
そこから風に乗って、獣のような唸り声が聞こえてくる。
先頭を走る、体格の良い男が、後ろに向かって叫んだ。
「橋に向かうぞ!」
後ろを走っていた女性が2人が、無言でうなずく。
剣士風の赤髪の青年が、一番最後をヨタヨタと走っている人物を振り返って叫んだ。
「大丈夫か! シオン、走れるか?」
シオンと呼ばれた黒目黒髪の小太りの青年は、何とかうなずくと、心の中で呻いた。
(なんでだよ。なんで、こんなことになったんだよ)
半日前。
異世界から召喚されたシオンは、仲間達と共に魔王を倒した。
魔王が討伐されたことにより、魔物を狂わせていた瘴気が消滅。
もう大丈夫だ、と、砦で体を休めていた時、事件は起きた。
真夜中の急襲。
襲撃してきたのは、消滅したはずの瘴気に侵された、ミノタウルスの大群。
彼等は、見張りの兵士達をあっという間に殲滅して、砦になだれ込んできた。
もしも、5人が万全の状態であれば、何とかなっただろう。
しかし、魔王討伐直後だった5人の状態は、万全からは程遠かった。
満身創痍、魔力も全く回復しておらず。
おまけに、シオンを強化していた魔道具も紛失。
5人に出来たのは、火災が起きた砦から逃げ出すことだけだった。
ミノタウルスが暴れまわっている砦を背に、無言で走り続ける5人。
足場の悪い森の中を、ひたすら前に進む。
そして、ようやく森を抜けたところで、先頭のカルロスが突然立ち止まった。
「……やはりか」
彼等の目の前にあるのは、目のくらむような深い谷。
対岸にかかっていたはずの頑丈な橋はなく、あるのは無残な残骸のみだ。
カルロスが、冷静に言った。
「さて、退路は断たれた訳だが、朝まで逃げ切れると思うか?」
女性の1人ーー魔法師団長ゾフィアは、焦げた前髪を払うと、肩をすくめた。
「100万ゴールド賭けてもいいけど、無理ね~。追いかけっこは向こうが上。隠れてもニオイでバレる。逃げても隠れても、朝どころか夜明けまでもたないわ~」
「アリスはどう思う」
もう1人の女性、斥候のアリスが首を横に振った。
「無理。相手が悪すぎる」
2人の回答を聞いて、考えるように目をつぶるカルロス。
そして、意を決したように目を開けると、強い目で4人を見回しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……逃げれないならば、戦うしかない。これからミノタウルスの殲滅に向かう。―――ただし」
カルロスは、肩で息をしているシオンに視線を向けながら、静かに言った。
「――ただし、シオン。お前はここに残れ」
シオンは目を見開いた。
「な、何故です?」
「ミノタウルスが、今のお前が戦える相手ではないからだ」
グッと言葉に詰まって俯くシオン。
ゾフィアが大きな溜息をついた。
「カルロス! 言い方! ……まったく、あんたって人は最後の最後まで……。
シオン、あんたはここに残って、助けが来たら事情を話してちょうだい。いきなり橋がなくて砦が燃え尽きてたら、みんなびっくりするでしょ?」
シオンの顔を覗き込みながら、子供に言い聞かせるように話すゾフィア。
ジャックスとアリスも、うんうん、と、頷いた。
「ん。それがいい。事情が分からなくて、うっかり砦に行ったら大変なことになる」
「だな! 誰かが残るなら、シオンが残るべきだろ」
明るい顔をして軽口を叩きながらも、彼等の顔に浮かぶのは、死の覚悟。
シオンの目に涙が浮かんだ。
「ごめ、ごめん……なさい。俺が、もっとちゃんと努力していれば、こんなことには……」
絞り出すような声で詫びるシオン。
ジャックスが、馬鹿なこと言うなよ、という風に、シオンの肩を叩いた。
「そんなの気にすんなよ。シオンがちょっと戦えたくらいで、この状況は変わんねえよ」
「そうだ。罪悪感を持つな。お前は俺達の勝手な事情に巻き込まれただけの被害者だ。怒りこそすれ罪悪感を持つのは間違っている」
「で、でも……」
「ま~ったく。シオンは、お人好しで優しいわねえ」
微笑みながら、シオンの肩を触るゾフィア。
その瞬間、シオンの体を軽い衝撃が走り、視界がグラリと揺れる。
「な、なにを……」
「いい? あんたが私達と一緒に来れないのは、私が魔法であんたを気絶させたからよ。朝には助けが来るから、それまで休みなさい」
何とか正気を保とうとするも、崩れ落ちるシオン。
その体を支えながら、ジャックスが小さな声で言った。
「お前に会えて良かったぜ。親友。――元気でな」
* * *
――――どのくらい気を失っていたのだろうか。
気が付くと、シオンは暗闇の中にいた。
手を動かすと、土や棒のようなものが手の甲に当たる。
それらをどけ、恐る恐る起き上がって周囲を見回すと、そこは森の中だった。
立ち上がると、自分が木の根元にある小さなうろに詰め込まれていたのが分かった。
恐らく、上から体に土をかぶせ、枝や葉で隠してあったのだろう。
周囲に魔物の気配はなく、シンと静まり返っている。
上を見上げると、太陽は既に頭上。
どうやら半日近く経ってしまったらしい。
(……もしかして、もう助けが来て、砦にいるかもしれない。みんな、砦で休んでいるかもしれない)
そんな淡い期待を胸に、シオンは、あちこち痛む体を引きずりながら、ヨロヨロと歩き出した。
焼け焦げた森の間を通り、砦に向かう。
そして、ようやく砦が見える場所に出て。
シオンは、そのあまりの光景に呆然と立ち尽くした。
昨日まで立派だった砦は見る影もなく、破壊しつくされ焼け焦げ、廃墟と化している。
シオンは思わず胸を押さえた。
心臓が締め付けられるような、とてつもなく嫌な予感。
荒くなる息を何とか静めながら、崩れた壁を乗り越えて、砦内に入る。
そして、中庭に出て。
彼は、両手で顔を覆って、喉を締め上げられるごとく呻いた。
「う……うあああああ!!!」
そこにあったのは、激しい戦闘の跡と、散乱するミノタウルスの遺体と。
最後の最後まで死力を尽くして戦ったであろう仲間たちの変わり果てた姿だった。
シオンは、倒れるように膝をつくと、己の頭を掻きむしった。
彼の中に沸き起こるのは、全身が震えるほどの、激しい後悔。
(……仲間を死なせてしまった!)
厳しい鍛練が面倒で、努力せず、チートや魔道具に頼った。
周囲の人々の優しさに甘え、面倒や大変な物から逃げた。
「勝手に召喚されただけ」を免罪符に、努力しないことを正当化した。
その結果がこれだ。
大切な仲間達も、焦がれた女性も、無残に死なせてしまった。
「俺の、せいだ。ごめん。みんな、ごめんなさい……」
物を言わぬ仲間達の傍らに跪いて、子供のように泣きじゃくるシオン。
――何分、何十分。
一体どのくらい、そうしていただろうか。
もう涙も枯れ果てたころ、彼はふらりと立ち上がった。
(……そうだ。シャーロット王女。せめて彼女の遺体を見つけなければ)
地面を踏みしめる感覚もないまま、ふらふらとした足取りで歩きだすシオン。
自分が憧れた美しい女性の姿を探し回る。
しかし、
ドゴッ
突然、鈍い音と共に、後ろから突如殴られるような衝撃。
それが何か確かめる間もなく。
シオンは、ドサリ、と地面に倒れ込むと、そのまま意識を失った。
プロローグ終了です。
次から本編に入ります。