出征
「クラウス!クラウス!起きろ、起きるんだ!」
身体を激しく揺さぶられながら、友人のダニエルの声で目を覚まさせられる
目を開けるとシュタールヘルムまで身に着けて、小銃も肩から下げる友人の姿があった
寝起きで頭の回り切ってない俺はまずなぜ起こされたかすらわからない。それよりもまだ残る眠気はもっと寝ていたいとしか思わせない
「俺の当直知ってるだろ…昨日の夜から寝てないんだ、もうちょっと寝かせてくれ…」
目を閉じようとした俺をダニエルはまた揺さぶる
「バカ言ってんな!今すぐ起きろ!」
激しい声で俺に呼び掛け続けるせいで段々眠気が収まってくる
一瞬、彼に揺さぶられるのとは別に建物全体が揺れたような感じがした
「一体何だってんだ、宇宙人でも来たのか?」
「戦争だ!フランドル軍が攻めてきた!」
その言葉で一気に眠気が吹き飛んだ
「なんだって!?」
シーツを捲り飛ばして一気に体を起こした
ベッドの下から靴を引っ張り出して急いで履く
「最初に言ってくれよ!」
「うるせえ!俺だって動転してんだよ!」
靴を履いたら椅子に掛けてあった上着を取り、袖を通してボタンを付ける
そして机の上のヘルメットを被ったところで、ダニエルが「お前の分だ」と言って小銃(Kar98k)と布製の弾薬ポーチを俺に渡す
ここ休憩所から足早にトーチカの方へ向かうダニエルを追いかけつつ、弾帯のポケットからクリップに5発収まった小銃弾を出して小銃に詰める
そのままボルトをいつでも撃てる状態にしておいた
トーチカに近づくにつれ外からの激しい爆発音がはっきりと聞こえてきた
入り口の前の、階段になっている通路の下側に上官と他の守備兵が揃っていた
「来たかクラウス。敵の砲撃中だ、止むまでここで待つ」
中尉が静かに告げ、4人はコンクリート越しに響き渡る爆発音と振動の中をじっと待った
飛び起きてさっきまでは若干興奮していたが、冷静になるにつれて「本当に、今戦争が起こっているのか」との自覚が強まる
今度は緊張してきた。銃身を握る手には汗がじっと湧き出し、心臓の鼓動が強くなる
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて深呼吸をする。兵士になった以上いつかは覚悟していたことじゃないか
それに―塹壕の中から飛び出して敵に突っ込むわけじゃない。俺達は守備兵だ
安全なトーチカの中から機関銃を撃つだけ、戦場の中じゃかなり安全な方だし、怪我だってするかどうか怪しい
そうだ、ここでフランドルのコミュニスト共を蹴散らしてやれば、俺たちは最初に戦った部隊として有名になる
昇進や勲章だってあるかもしれない。新聞のインタビューが来れば、一躍プロイセン中の有名人だ
緊張からくる恐怖心はいつの間にか消え失せ、早くトーチカに上りたいとすら思うようになった
だが命令は命令だ。早く砲撃をやめて突っ込んで来いと心の中で念じる
十数分近く経った頃、耳鳴りのように続いていた爆発音はやっと止み、要塞内は不思議なほど静かになった
「ダニエル!損害確認!」
上官の言葉で一番前にいたダニエルが階段を上ってドアを開ける
「第8番トーチカ損傷なし!」
「よし上がれ!すぐにフランドルの連中が来るぞ!」
残った3人は一列になって階段を駆けあがり、トーチカの中へ
急いで担当の機関銃の様子を見るが損害はない
「ダニエル、弾!」
振り返って呼ぶとすぐに彼は弾薬箱を引っ提げて俺の横に来る
彼から弾帯の端を受け取り、機関部へ入れた。これで射撃準備は整った
さあ来い、コミュニスト共め!
眼前の機関銃用のぞき穴から見えるのは、未だ土ぼこりの漂う一面と砲撃によってなぎ倒された木々
その土ぼこりの裏、少し遠くの方に何かが見え、考えるよりも早く指が引き金を引いた
まだ撃つぞ、という準備ができていなかったのもあって、思っていたより大きい反動に驚いてしまい反射的に指を離した
この銃は連射速度が速いので、たった0.何秒ほどしか握っていなかったがそれでも歩兵1人を殺すには十分な弾が発射された
引き金を握っていた左手を振ってから、落ち着いてよく見るとそれは人ではない、それよりもはるかに大きい…
直後、土埃を何かが裂いた。一瞬の風切り音とその後に後ろから聞こえた爆発音から、それが砲弾であると理解する
晴れた眼前には―フランドル軍の重戦車、ルノーB1がこちらに正面を向けている
「伏せろ!」
反射的に叫んで身をかがめるのと同時に、遠くから砲弾の発射音が聞こえ―
至る所で人が集まって、騒がしくなっている街中を飛びながら私は家に向かっていた
あの後…局長がオフィスにやってきて、予備役の者はすぐに招集がかかるだろうから今日は帰宅しなさいと告げた
普段なら喜ぶべきことなのだろうが、今はとてもそんな浮ついていられない。
戦争が始まった。それから来る漠然とした不安感が私の心に重くのしかかっている
色々と考え事をしながら飛んでいると家までの数十分はすぐだった
外は洗濯物が干されたまま。母は中にいるのだろう
「ただいま」
そう言いながら手に持った箒とともに玄関の扉を開ける
母が足音を立てるほど走ってこちらに向かって来、私の顔を見るなり駆けよって抱きしめた
「レナ!大変よ、戦争が…!」
「うん。ラジオで聞いたよ」
奥からラジオのような音が聞こえる。それを聞いたのだろうか
明らかに動転している。無理もない…母以外の我が家の全員は軍属で、今まさに軍の方へ行って家にいないのだから
「落ち着いて、お母さん。始まったものはもうどうしようもないもん、受け入れなきゃ」
それは母に言っているようで私にも言い聞かせる言葉だった
母の背中に両の手を回して抱き返す
少しして、落ち着いた母は身を離した
「ごめんね、お母さんちょっと慌ててたわ…レナもじきに招集がかかるのよね、支度しないと」
玄関を離れる母に続いて、私も中へ入った
自室に入った私は上着を脱ぎ、ベッドに倒れこんだ
天井を見つめてボーっとする
招集が来ると言ってもおそらく明日だろう、今日1日はまだ民間人だ
その1日は何をしよう、軍に行ったらどうなるのかな、戦争はどのくらい続くのだろう、生きて帰ってこれるの?様々なことが思い浮かんでは大して考えられもせず消えていく
頭はまだ状況が変わったことを理解しきれていなくて、混乱したままだから上手く回らない
それが無気力さを生み出している
目を閉じて一回深呼吸をする
「これじゃダメだよね、お母さんに心配かけちゃう」
顔を叩いて引き締めなおし、体を起こした私は、まず荷物を入れるカバンをクローゼットの中から探し出すことにした
あっという間に日が暮れて、夕食は母と2人きりで食べることになった
母が「召集前だから」と家にあるものをほとんど使って豪勢な食事を作ってくれたのには頭が上がらない
私の好きなシチュー、ヴルスト、ザワークラウト…他にもいろいろ
こんなにたくさんの料理が出てくるのは、弟の空軍学校の合格祝い以来だ
しかしその時とは違っていて、兄も父も、弟もいない
食卓はずっと静かだ
私は何かを言おうとするがそれは途中でつっかえてしまい、母も時折一言か二言話すが、少し相槌を打ったぐらいで会話が終わる
その気まずさから逃げるように料理を食べていると、あれだけあったいくつもの皿はすべて空になっていた
ちょっと食べすぎたかな、と膨れ気味のお腹をさすって
そこでふと母を見て、悲しそうな顔をしているのにやっと気づいた
そうか、これが最後の夕食になるかもしれないんだ
母はそれをいつから気にかけていたのだろう、今更気が付いたことを恥ずかしく思うとともに、母が積極的に話そうとしてきたのにも納得がいった
自身の娘がそばにいる瞬間を、少しでも長く感じていたかった…しかしそれを口に出すのは忍びないと思い、ずっと黙っていたのだろう
でも母は、感情がよく顔に出る人だった
「…ありがとう、お母さん。料理、とっても美味しかった」
やっと口に出すことができた。
皿を下げている母は少し止まって、その後優しくこちらに微笑む
「そう言ってもらえると、私もうれしいわ。それに…」
急に視線が横を向く
「ザワークラウト、いつからあるかわからなかったけど…その分だと痛んでなさそうね」
「ちょっと!?」
立ち上がって驚いた私に、母は冗談冗談と笑って返すが本当なのだろうか
これで明日トイレから出られなくなったら完全にお母さんのせいだ…
部屋着でベッドに横たわり、天井を見つめる
横の机の端には、夕方届いた召集令状が置かれている
お母さんが夕飯の支度をして、私が大きめの旅行用バッグに服を詰め込んでいるときに空軍の人がやってきて渡したものだ
「レギーナ・フィッツェンハーゲン予備役少尉 戦時につき軍務への復帰を命ずる。配属は追って沙汰。
明日9:00に担当員が赴くためそれまでに支度をされたし。
プロイセン帝国空軍 総司令官 ヘルマン・ヒルシュベルガー」
令状に掛かれているのはたったこれだけ
魔女部隊の配置は機密にかかわるため、内容は普通の物に比べると非常に完結。それに出征にわざわざ迎えも付く
他の予備役と比べればVIP待遇と呼んで差し支えないレベルだ
足元に押しのけられていた毛布をかぶった
このまま寝て起きたら戦争かあ…いまだ漠然とした緊張感が私の中にある
あまり実感がわかないが、ここは流れに乗っていよう。そうすれば次第に慣れていくはず
そう思って今日は早く寝て何よりも体を休めることにした
それに色々考えると眠れなくなりそうだし
電気を消して毛布を被る。このまま体の力を抜いて目を閉じていれば、そのうち寝れるだろう
その目論見は正しく、しばらくしたら完全に眠りについていた
いつもと変わらない風景の朝
昨日と同じように支度を済ませ、「正装で来るように」とあったのでいつもの郵便局員のスーツを着る
玄関で待っていた母とともに、外へ出ると結構な人数が集まっていた
近所の人や親戚のおばさんたちが主だ。叔母のレーネさんもいて、叔父さんになだめられながら泣いている
皆から「がんばってね」「ちゃんと帰ってきなさいよ」などと言われ、一人一人の手を握ったりハグをしたり、別れの挨拶をする
花やマフラーなどの贈り物も渡され、私の両手はすぐに物でいっぱいになった
そうしていると涙が出そうになってくるが、皆を心配させてしまうなと、ぐっとこらえる
すると、道の方から誰かが走ってくる音がしてそちらを見る
あれは…カリーナだ!
彼女は依然、徴兵検査ではねられたと言っていた。だから来てくれたのか
彼女はそのまま私の目の前まで走ってくるとそのまま抱き着いた
「レナ!」
すぐに体を離すが、両の手で私の肩を握ったまま私の顔を見つめた
彼女の青い目には涙が溜まっている
「カリーナ…!来てくれたんだ」
「当たり前よ!このまま何も言わないでお別れとか、イヤじゃない!」
再び私を抱きしめた
私も抱き返して、先ほどよりもずっと長く抱き合ったままでいる
彼女が手を緩めたのを感じて、私も身を離した
カリーナは小さく「そうだ」と言うとポケットから何かを取り出した
「これ、穂本って国で「お守り」って呼ばれてるモノよ。これを持っていると、その人を守ってくれるって言うから…」
彼女は私の手を取ると、手のひらの上にその「お守り」を載せた
小さな布でできた袋だ。口はひもで縛られていて、中には何か入っているようだった
「私の髪の毛が入ってるの。そうすると効果があるらしいわ」
カリーナは少し顔を赤くしながらそう告げる
彼女の美しい金色の髪、それがあるなら多少なりとも効果があるのだろう
そこまで思ってくれる昔からの友の優しさに、私はついふっと顔をほころばせた
「わ、笑うなんてひどいわ!?」
悲しげにしていた彼女がいつもと同じような感じでつっこんでくる
「あ、いやごめん、笑うつもりはなかったの」
私はさっきまでとは違い、柔らかい表情になっていたと思う
彼女の影響かもしれない
「カリーナ、ありがとう。お守りもそうだし、わざわざ来てくれて…」
彼女の手を私の両の手で握った
そしてじっと彼女を見つめる
「必ず帰ってくる。戦争が終わったら、また会おう。その時にはいろいろな話があると思うから…私と、カリーナの両方とも」
そう言うと、彼女もまた私の手を握り返し真剣な眼差しを向ける
「…絶対よ。遺品箱とか棺桶に詰められて帰ってきたら、承知しないんだから…!絶対、絶対、絶対に生きて帰ってきなさいよ!」
彼女の言葉に、私は大きくうなづいた
そこで、母がカリーナの後ろから現れた
「レナ、来たわよ」
母の後ろを見ると、軍用を表す黒塗りの大量生産車に空軍の制服を着た人がその傍に立っている
「カリーナ、もう行かないと…」
そう言って私が手を離すと、彼女も離した
あまり待たせるわけにはいかないので、空いた手で置いていたカバンと贈り物を持ち、急いで向かう
歩いている最中にも皆から声を掛けられた
車のドアの前まで行き、家の方を振り向くと皆が私に呼び掛けている
その光景に目頭が熱くなるのを感じながら「行ってくるね!」と大きな声で答え、手をひとしきり振った
これで気持ちの整理はついた。今この瞬間から、私はまた軍人だ
軍の人の方に向き直り、「すみません、お待たせしました」と言うと「荷物はトランクへ入れるように」と返され
言われたとおりにする
トランクを閉めて車の横へ行くと「席は後ろだ。座るのはどこでも構わない」と言われた。軍の人はそのまま助手席に座る
これも言われたことに従い、右側のドアを開けて座った
車には運転手がついていて、迎えに来た人が出すように言うと出発した
窓の外を見ると、まだみんなが手を振っている
私も小さめだが振り返した
少し走って家から遠ざかったころ、軍の人が口を開いた
「あれが君の家族か」
「はい」
初老の軍人は少し黙って、「そうか」と小さく呟いた後
「いい家族だ」
そう言ってこちらに微笑むと「家族は忘れるな。生きる原動力になる」と続けて前に向き直った
「…はい!」
私は力強く答える
車は、ガタガタと揺れるあぜ道からコンクリートで舗装された高速道路へ入ろうとしていた