20年の停戦
魔女、それは限りなく飛行機に近い人間
箒に乗って空を飛び、風と共に大空を駆け巡る。
いや、そもそも飛行機こそ魔女のように飛びたいと思って作られたものだ
古代より続く長い長い思いは、ついに20世紀に入り実現する
そして魔女は、戦争に使われるという点でも飛行機と同じだった
最初に魔女が本格的に使われたのは、第一次世界大戦…それ以来、魔女は多くの国で戦力として保有されるようになった
それももう当たり前になった、大戦から22年の1940年のことである
いつもと変わらない朝。外では小鳥が鳴き、明けた窓から入る少し涼しい風が洗ったばかりの顔に当たると気持ちがいい
「レナ!朝食出来てるわよ!」
「今行くよ!」
母からの大声に、私もワイシャツのネクタイを整えながら大声で答える
結ぶようになってからもう数年になる。最初のころはお父さんや兄さんによく手助けされていたが、それももう昔だ
キッチンへ降りると、切られた黒いパンが並べられている。マーガリンはまだ出ていなかったので棚からさじと一緒に取り出した
蓋を開けて、パンに塗りつけていく…あまり使うとお母さんがうるさいのでほどほどに
「お父さんはもう行ったの?」
調理器具の後片付けが終わり、私の向かいに座った母に尋ねた
「うん。急ぎの要件らしいわ…朝海軍の車が来て、キールに行くんですって」
キールには父の乗艦がある。やはり軍に呼ばれたようだ
私の家族は俗にいう軍人家族…父は海軍所属で重巡洋艦の艦長。兄は陸軍の戦車部隊で隊長。弟は3か月前から空軍学校に通っている
そして私も一応軍の関係者。空軍に所属している
予備役で今は普通の仕事に就いてるけど
ラジオから流れる音楽を聴きながら朝食を食べていくうち、8切れほどあったパンはあっという間になくなった
時計を見るとそろそろ家を出る時間だ
「じゃあ行ってくるね、お母さん」
「頑張ってね。郵便物、落とすんじゃないよ」
「ははは…」と苦笑いで返す
この間、運んでいる最中に郵便物を落として1時間も探し回った話、まだ覚えているようだ
椅子に掛けてあった灰色の郵便局員用ジャケットと、同じく灰色のベレー帽を身に着けて玄関へ
靴をしっかりと履き、帽子を整えて…もちろん、父から貰った肩掛けのバッグも忘れていない
最後にドアの横に立てかけてある「箒」を手に取って外へ出る
ここから私の勤める郵便局までは、歩いていけば1時間と少し。車か自転車で30分。勤務時間は8:30からなので8:10の今からだとここに挙げた手段では間に合わない
でも私はこの中のどれでもない移動手段を持っている
先ほどの箒に跨り、柄を握る両の手に少し力を込めて念じる
すると箒は浮き上がり出す。枝でできた、通常なら汚れを掃く部分…そこの上部に付けられたサドルが尻へと当たる
そのままサドルに体重を乗せるが浮力が弱まることはない。箒はやがて私を持ち上げるほどに浮いていき、ついに足が地面から離れる
離れた足を金属の足置きに乗せて飛行するときの姿勢に。安全ベルトも付けて準備はよし
今から向かって15分で着きたい…今日は少し急ぐか
地上から2メートルほど浮き上がったところで急発進、銃弾のごとく勢いよく加速を付けて進みだした
木々の間を抜け、鳥を追い越し、風を切って、空を飛ぶ
当然、こんなことは普通の人間にはできない
ならなぜ私ができるのか?それは私が魔女だからだ
魔法とは、決して科学の反対に位置するものではなかった。科学と魔法の両方がともに存在し、ともに補い合うことで人類は発展を続けてきた
魔法の発展は新しい科学の道を切り開き、科学は魔法を持たざる者に魔法と同じ力を与える。それこそが現代人類の歴史だ
過去には魔法と科学…正しくは魔法を持たざる者達と、持つ者達の間で諍いが起こることもあったが…今ではそのようなことはほとんどなく、私たち魔女も普通の人間として暮らしている
私、レギーナ・フィッツェンハーゲンは魔女だ
今はこの力を使って郵便物を届けるのが仕事。自転車や徒歩より圧倒的に速いのでそこそこのお給料をもらっている
郊外の森から都会の中へ入ってしばらく、もう見慣れた郵便局の建物へ到着する
着いたのは計算通り15分経った8:25。すぐに使うと思うので箒は職員用玄関のホウキ入れに突っ込んでおき、オフィスへと向かう
「おはようございまーす」
仕事場に入った私は周囲に挨拶をしてから上司のコンラートさんの下へ
彼はデスクでタイプライターを打っていた。私が声を掛けると顔を上げる
「おはよう、フィッツェンハーゲンくん。配達物はいつもの君のデスクの上だ、1人休んだので量が多い。運ぶ時は気を付けてな」
言い終わるとまたタイプライターへ目を戻す。彼はタイプライターが本体なんじゃないかと疑うほど打っている様子しか見ない
私のデスクにはいつもより1.5倍ほど増えた配送物が載せられており、隣のカリーナの机にはカラッポなので今日は彼女が休んだようだ
彼女が休むのは珍しい。風邪でもひいたかなと思いつつ、配送用のバッグに荷物を詰める
バッグは2つ、肩掛け式の小さな方と箒に乗せる用の大きめの方があるが、今日は2つで収まりそうにないので予備のを出してそれにも入れる
バッグ2つを両の肩に掛け、大きいのを両手でもって玄関に向かう。オフィスを出る時に「配送行きます!」とコンラートさんの方に向かって呼び掛けると、書類と棚の間から彼がサムズアップした右手を掲げるのが見えた
箒と共に玄関を出た
階段を上がり道路に面した歩道へ出て、そこで準備を整えることにした
まず箒単体を少し浮かせて大きなバッグを載せる。重量が結構あるのと、直接触れていないので少し沈み込んだ
そうしたら柄をつかんで私も乗り込む
やっぱりいつもより重い、注意深く飛ばなくてはと思いながら、出発した
配送も中ごろになり、荷物はだいぶん軽くなっていた
次の宛先はこの通りを進んで右の大きな家。結構いい身分の人が住んでいるようで豪華絢爛の名にふさわしく、私もいつか住んでみたいと思うほどの家だ
少し速度を落として、荷物を腰の辺りにおいてあるバッグから取り出す
今回のは重量もサイズもなかなかだ、生まれたての赤子ほどはある
しかしこの荷物、ちょっと不思議な感じがする
なんだろう?それを口に出せるよう表現するのは難しいが何となくイヤな方の感じだ
ひっくり返したり回したり、四方から見るが、紙で包んであるのもあってどういうものかはわからない
切手もハンコもちゃんと付いてるし、違和感はない。差出はケーニヒスベルクから…
どうしても気になる、なので規則違反になるが透視魔法を使うことにした
紙の下は木の箱だ。その内部も見えるよう透視を強くすると
徐々にはっきりと見えてきた
中身は機械のようだ。よくわからない歯車や配線が色々で、オルゴールか何か…
いや、オルゴールじゃない
歯車の底、機械に覆われるように3つの筒のようなものが3角形になるよう固定されている
それは筒ではない
軍学校で訓練の時に見た覚えがある、間違いなくダイナマイトだ
ダイナマイトの郵送は受け付けているわけがなく、そもそも購入や使用にも強い規制がかかる危険物なのはこのプロイセンどころか世界共通だ
どこから紛れ込んだのか、はともかくとしてこれは…俗に言う「郵便物爆弾」か
新聞などでよく見る最近増えたテロの一種だ。郵便局員を運び台にして政治家や資産家を狙うらしいが、よもや自分がその運び台になってしまうとは
身の危険を感じた私は一刻も早くこれをどこか遠くへやってしまいたかった
だがここは市街地の真ん中、下手なところへ捨てるわけにもいかない…と辺りを見回していると、下に町を流れる小川が見えた
ここに捨ててしまおう。その一瞬の考えは冷静に再検討するよりも早かった
下に船や人は居ない。今なら安全に投弾できると考えた私は、速度をギリギリまで落として…気持ち前に投げ出すように荷物を手放した
爆弾は放物線を描いて川に吸い込まれていく
そのまま水面に叩きつけられて少し後、落とした衝撃で信管の入った爆弾は、水中で勢いよく爆発して水柱を上げた
かなりの威力だ。もし私の腰元で爆発していたら、いくら魔女でも耐えられなかっただろう
そして水しぶきが顔に降りかかるところでようやく私は冷静さを取り戻した
あれ…今のは客観的に見れば、私が犯人だと疑われてもおかしくないのでは
爆発現場にはすでに人が集まりつつあり、このまま居座ると面倒なことになりそうだ…
うん、次の配送先へ向かおう
コンラートさんには郵便物落としたらたまたま爆弾でしたと言っておこう
その後の配送は何事もなく、すっかり軽くなったバッグ3つと空いた腹と一緒に郵便局へ帰ってきた
夏が終わった外は肌寒く、その中を飛んでいるとかなり冷えてしまって郵便局の中があったかい
午後からはデスクワークになりそうなので個人用ロッカーにホウキを閉まって鍵を掛けておく
パタパタとオフィスへ戻ると全員が一か所に集まっていた
全員が声も出さずに集中しているのはラジオのようで、ノイズ交じりの音だけがオフィス内に響いている
一体何の放送だろう、不思議に思いながら、デスクから離れて他の人と同じく放送に聞き入っていたコンラートさんへ近づいた
「どうかしたんですか?」
「戻ったか」と小さく呟くと「放送を聞けばわかる」とだけ言い向き直る
やはり注目の的はラジオか。私も耳を傾けてみる
「…繰り返します。本日、1940年9月1日、フランドル・コミューン連合は我がプロイセン連邦帝国、及びローマ連合王国、チュニス=アンジェル共和国に宣戦を布告しました。これにより、我が国は現時刻より戦争状態に突入しました。国民の皆さんは―」
あまりのことに、一瞬何が何だかわからなかった
次に私が理解したのは、30年続いたヨーロッパの平和は、今ここで終わったということだった
かつて、戦争があった
それは今から26年前…1914年、アウルストリア=マジャール二重帝国の皇太子がルヴェニアで暗殺されたことを引き金とした
両国の間に構築された複雑な安全保障の絡み合いはありとあらゆるところで戦火の引き金を引き、ヨーロッパの6大国、そして最終的にはアジアの大穂本帝国も参戦する、人類史上最大の戦争
第一次世界大戦を引き起こすに至った
戦争は、当初こそシュリーフェン・プランを発動させフランドル共和国の隙を突いたプロイセンの優勢であったが、ベルギエン攻略に時間がかかったのと、欧州の島国でフランドルの同盟国、アドリス連合王国の増援により戦線は膠着
「またクリスマスに!」と言って故郷から前線へ送られた兵士たちのほとんどはクリスマスまでに帰ることはなく、塹壕の中で息をひそめるか泥にまみれて死んでいった
その後も膠着状態が続き…戦線が動いたのは、開戦から3年たった1917年
この間には新大陸の大国、オルスター合衆国へフランドル及びアドリスが参戦を求めるも拒否される
17年秋には長らくプロイセン、二重帝国、オスマン帝国と交戦状態にあった大ルーシ帝国の首都で革命が起こり、やむなく講和。これにより東部戦線の兵力を西部へ転換可能になったプロイセンは
1918年春、皇帝の戦い(カイザーシュラハト)と称される春季大攻勢に打って出る
プロイセンの新戦術、多大な兵力、そして魔女が本格的に投入されたこの攻勢は大成功を収め、各地でフランドル軍とアドリス軍は士気が低下し続けていたのもあって潰走、壊滅状態に陥り、戦線は完全に崩壊する
最後の望みであるローマ連合王国も結局本大戦に参加することなく最後まで中立を維持。1918年6月にはついに首都パリが陥落した
しかしプロイセンも長引く戦争の傷跡は深く、2国との講和を開始
陸上戦力の8割を失ったフランドルと、巻き込まれた戦争に対し非協力的になりつつある国民を抱えた両国は講和を受け入れた
結果、1千万以上の戦死者を出した世界大戦は併合も賠償もなく、複雑な安全保障が無くなった以外、一見何も大戦前と変わらないで終わった
本格的に世界が変わったのは、戦争が終わった後からだった
フランドルでは終戦直後から政府への信頼が失墜。やがて1924年に内戦が起こり、社会主義が新たな国家の体制となった
かの国は「プロイセンへの復讐」を国家理念として掲げている
アドリスでは戦後の不況を引き金とする10年の政治的混乱でほとんどの植民地が独立。1931年の総選挙で勝ち上がった「ジャイルズ・アレグザンダー・キングスコート」が政権を握り安定を見せたが
当初は民主主義だった政府は次第にジャイルズへほぼすべての権限が集中する独裁国家へと変わっていった
大ルーシでは1917年より始まった社会主義者の革命によって王朝が廃されたものの、それをよしとしない勢力との間に内戦が起こる
それはシベリアでの大ルーシの分断という結果をもたらした。モスクワを首都とする「ソビエト・ルーシ社会主義共和国」とウラジオストクを暫定首都とする「ルーシ正当共和国」は経度98度近辺を境とし、主にシベリア鉄道付近で睨みあっている
オルスター合衆国は戦渦に巻き込まれこそしなかったものの、多くの物を失った
大戦中にフランドルとアドリスに貸し出した金はほとんどが返ってくることなく、20年代後半に相次いで返済拒否が通達された
そして1929年の世界恐慌によって経済に大ダメージを負い、すでにほとんどの国家が立ち直りつつあった1940年にもまだその影響が尾を引いている
今年1940年は大統領選挙の年だ。国民党は経済の復興と中立不干渉主義の維持を唱えるフランクリン・ドワイト・ビューローを。主民党は現大統領であり、中立からの転換と秘密裏に中央集権を進めるチャールズ・サイラス・ランドンが出馬している
プロイセン連邦帝国は、大戦を経てもあまり変わらかった
依然として政体は立憲君主制。皇帝の権利は少し弱まり民主的な方向へ近づいたが概ね戦前と変わらない
長い歴史を持つプロイセン陸軍はその数、質ともに強大ではあるが拡大はされていない
大戦前のアドリスとの建艦競争にて、飛躍的な拡大を遂げたプロイセン帝国海軍は現在世界3位の海軍力を有している。ただ最近は旧式艦の更新に追われている
1932年に新しく設立された空軍も、規模はあまり大きくないがプロイセン三軍の名に恥じぬ実力を有している
特に魔女部隊の運用数は世界最大だ
「すべての戦争を終わらせるための戦争」と称された第一次世界大戦は結局何も終わらせることなく、ただ未来への火種を残しただけであった
そしてその火種は今、激しく燃え上がりつつある