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紙一重

作者: 池咲ゆき

 「バカと天才は紙一重」について、ふと考えた。


 この言葉は自虐、謙遜、嫌味、その他にも多様な使われ方をしてきただろう。

 そして、本当に紙一重の違いなのかという点において様々な見解があるのはよく見かける。

 しかし、実際に紙一重であるとしたら、その差は何なのかと、先日ふと気になり考えてみた。

 とても下らない事なのだが、頭の中を巡ってしまったのだから、仕方がない。


 結論から言うならば、認識する側の感覚がそう思わせるだけである。

 あえて線引きをするとしたら、「人と違う事をする+有益」を天才と称し、「人と違う事をする+無益または有害」をバカとしているのではないか、と言うところに落ち着いた。


 この2者は何を境に振り分けられているのか、この表現自体が誰基準で作られたものなのか。とても些細だが、よく考えてみると全く知らない事に気付く。

 だが、語源や由来と言った言語としての分野はきっと、他の人が語り尽くしているだろうから、それについては考えない事にする。


 さて、この問題を考えるにあたって1番大事な事は、この2つの類似点が何であるか、という事だろう。

 紙一重ほどの違いが、全く別の答えにつながるのなら、その差を除けば同一というわけである。

 「バカと同一視された天才」なのか、「天才と一括りにされたバカ」なのか、状況によって様々と思われるから、これについては、さておこう。


 この2つの最大類似点は、「人と異なる思考または言動が見受けられる」というところだろうか。

 私が思うに、周りが驚くかは事象によるが、他の人が思いつかない何かを生じさせるということは共通している。反応は受取手しだいで異なるが、その発想は無かったと周りに思わせた人に対して集まる賛否が、それを物語っている。


 そして、「人と異なる思考または言動」が誰かの為になる、または、誰も見つけられなかった何かを見出すと言った他者にとっても有益なものである時、褒め称えたり感謝する事が多いのではなかろうか。

 すると、「人と異なる思考または言動」以外の部分が当てはまらないものを「変わった事をしている」と言う扱いで終わってしまうのであろう。


 つまりは、有益な結果が出た途端、変人が天才に見えてしまった周りの人が、その相手に対する認識の変化が「紙一重」なだけだと言うことではなかろうか。


 では、それ以外は何かというのは、「凡人」と言うに尽きると思われる。平凡というのは「大多数のやりがちな範疇に収まる」と言うものを指すのだろう。故に「非凡」と言う表現が存在する。

 従って、凡人>バカ>天才と言う順に人数が少なくなっていくのだろう。


 そんなところまで考えて、思考停止した私は、ただの暇人、いや、「暇な凡人」に区分されるのだろう。

バカって言われるのは好きじゃないから、他の人にも言わないように生きて来た。今回こんなにも多用したのが自身にとっては珍しく、どうしようにも違和感が拭えない。

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