57 泣くつもりなんてなかった
ポロポロと零れてくる涙を乱暴にナイフを持っていない方の腕で拭う。
ああ悔しい。悔しくて悔しくて仕方ない。
なんでこんな奴の為に泣かなければいけないんだ。泣き顔を見られなければならないんだ。
不満ばかりが頭の中を回るけど、一度沸騰した頭が冷静さを取り戻すには時間がかかる。
「私だけじゃない、他の人だってそう。
みんなみんな誰の為でもない自分の為に生きてるの。自分が幸せになる為に頑張ってるの。
その努力を搾取するだけの“ヒロイン”ならいらない。
私の世界にあんたは必要ない!」
紛れもない本音が制御も出来ずに口から零れていく。
ああいやだ、みっともない。
こんな子供に泣かされるなんて情けない。
「セルリア…」
「気安く呼ばないで!」
呆然と私の名を呼んだユシルに吐き捨てる様に怒鳴る。
「この世界に生きてないあんたが、私の…この世界の誰の名前も呼ぶ資格なんてないし、関わる資格だってない!」
そんなの、この世界でちゃんと生きている人に失礼だ。
「ピンチの時に誰かが駆けつけて助けてくれるほど世界は甘くない、何もせずに愛されるほど世界は単純じゃない、自分の思い通りに動いてくれるほど世界は優しくない。それが当たり前なんだよ」
きっとユシルも元の世界でなら当たり前の様に理解していたはずだ。
なのに“ヒロイン”になんて転生してしまったから勘違いした。それはある意味で仕方のなかった事かもしれない。実家での仕打ちが“夢”に逃げ込むほど酷いものだったかもしれない。
いつか来る“幸せな生活”を思い描いて日々を過ごすのも悪いこととは言い切れない。
でも。
それが簡単に手に入ると思ってはいけない。
言いたかった事を言い終えて、意識して呼吸をする事で多少なりとも頭を冷やす。
「ねぇ?あなたは誰?」
出した声はまだ苛立ちを残していたが、思っていたよりは落ち着いた声が出せた。
私の言葉がどんな意味を持って彼女に浸透したかはわからない。今まで注意してきた令嬢たちの言葉の様に、意味がないものとして通り過ぎただけかもしれない。
だからこそ、問いかける。
今まで私と同じ意味で彼女にその問いをしたものはいないはずだ。…もしかしたら“本来のヒロインの母親”なら気付いたかもしれない。
外見だけが同じの、中身が全くの別人になってしまった娘に問いかけていたかもしれない。
幸か不幸か彼女はその問いを発する機会はなかった。
変わってしまった娘を見る事も、戸惑う事もなく、悲しむ事もなく…娘が幸せになる事を信じて亡くなったのではないか?
自分の娘がもうどこにもいないのだと、そんな絶望を味わわずに死んだのなら…それはある意味での幸福だったのではないかと思う。
「もう一度聞いてあげる“あなたは誰”」
大きく目を見開いた少女は震える声で答える。
「私はユシル…ユシル・ミラ・コ……」
「違う」
大人しく名乗ろうとする少女を途中で止める。
「“ユシル・ミラ・コレンス”は、“セルリア・フォル・オルレンス”の親友となるはずだった少女はもうこの世のどこにもいない」
本来の“セルリア・フォル・オルレンス”がもういないのと同じ様に。
それは“レオーネ・ナヅ・ケオグジヤ”という悪役令嬢がいない事にも繋がる。
少女と同じ様に“前世の記憶”という不純物が入ってしまったせいで“物語”に沿った行動が取れなくなった。
「あなたが“前世の記憶”を思い出して、自分が“ヒロイン”だって錯覚した瞬間に死んだんだ」
ああ痛い。
自分で放った言葉が真っすぐに跳ね返ってきて盛大に胸に刺さる。
記憶が戻ってからずっと拭え切れずに時折胸を刺してきた慣れ親しんだ痛みだ。
見ない様に、気付かない事にして封印していた事実が今更掘り起こされる。
「あなたは“ユシル・ミラ・コレンス”の屍に寄生して、本来の彼女が得るものだった全てを掠め取ったただの盗人でしかない」
とても痛い言葉だった。
少女だけでなく、私や、教卓の下に隠れたレオーネ様にまでダメージを与えてしまう諸刃の剣だ。私が付けた傷の痛みは初めてのものだろう、少女は違う違うと譫言を漏らしながら涙を流す。
自分が“転生者”であると自覚したのは十歳の時。
姉が話して聞かせてくれた当時の王子様の写真を見て“前世の記憶”を思い出してしまった時に“セルリア・フォル・オルレンス”は死んだ。
意識して行った事ではもちろんないけれど、ある意味で私が彼女を殺した様なものだ。そして彼女が歩むはずだった人生を奪った。
“セルリア”なら“ユシル”が本来の“ヒロイン”でなくとも親友になれたかもしれない。反対にもっと早くに見限って距離を取っていたかもしれない。
適度に距離を取って接したかもしれない。
…憶測はいくら出来ても正解はわからない。
だって私は“セルリア”じゃない。
前世の、家族の記憶が曖昧で、思い出せなくて良かったと思う。
ハッキリと以前の自分の生活を思い出せていたのなら、私は“セルリア”としてこの世界に馴染むまでもっと時間がかかったと思う。
“セルリア”の記憶はちゃんとある。
何が、誰が好きか。
反対に嫌いなものは何か。
エピソードを含めて全てではなくても思い出せる。
家族は好きだ、愛している。
家族だって私の事が好きだ。でもそれは本当に私?
“セルリア”じゃなくて?
自分が乙女ゲームの世界に転生してしまったという事実はわりと早い段階で受け止めたと思う。
自身の、前世の家族の記憶がぼやけていたのもあって今の“セルリア”の家族を自分の家族だと受け入れるのも早かったと思う。
お母様もお姉様方も美人だし、お父様だってたぶん本当の父親よりも格好良いと思う。
容姿だってヒロインや悪役令嬢ほどでなくとも前世の自分のものと比べたら将来が楽しみに思えるものだった。
でも。
記憶を必死で掘り起こして“セルリア”の真似をするのは疲れたし、いつ自分たちの家族ではないと言われるかと怖くもあった。
かといって疑われないでいれば、家族に対しても“セルリア”に対しても申し訳なさがつきまとった。
記憶はないけれど“私”の人生は一度終わってる。なのに“セルリア”の人生を奪って“私”が生きる事に葛藤もあった。
いっそ“セルリア”の情報が自分にない方がまだ折り合いを付けやすかったかもしれない。
それでもどうにか自分が“セルリア”であり、自分は悪くないと開き直る事が出来たのはサスケの存在があったおかげだ。
彼は私が前世の記憶を、私が“私”になってから知り合ったからだ。
私がどれほど前の“セルリア”と違くても、彼の中での“セルリア”は私しかいない。あと、そんな事を考えている暇がないほどに毎日が大変なものになり悩みが吹っ飛んだというのもある。
家族が当時の自分の様子の可笑しさは“恋煩い”によるものだと思っているのも大きい。断じてそんな事実はないが今は感謝をしておこう。
そのおかげで当時の私の奇行が追求される事がないのだから。
少女に傷を付け、恐らくレオーネ様の傷を抉った言葉の刃。
それを放った私自身が泣く事は許されない事だ。それなのに拭っても拭ってもボロボロと溢れて止まらない涙に辟易する。
他の誰でもない私自身が責任を取って、この茶番を終わらせないといけない。
私が始めたのだから幕引きは私の義務だ。
「これが最後」
これ以上はこちらも持たない。
「“あなたは誰”?」
通算三度目になる問いには泣き声だけが返ってきた。
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次の回で一区切りが付きますので、その話を更新した後は暫く更新をお休みさせて頂きます。
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