025.ハンカチと決闘
「いい加減にしなさいっ!」
「ひっ!?」
凄い剣幕でロイントリッヒを叩こうとするアリエルさん。
その眼差しは殺気すら抱き、本人が気づいているかどうかは分からないが、漏れ出す魔力によって身体能力が向上してしまっている。
ロイントリッヒは反射的に悲鳴を上げてしまい――いつまでも痛みがこないことで、自分が悲鳴を上げていたことに気づいて顔を赤くしていた。羞恥と怒りだな。
「な、なんで止めるんですか!?」
「俺たちのために怒ってくれるのはありがたいけど、そんなやつのために痛い思いしなくて大丈夫だよ」
アリエルさんの手がロイントリッヒに届く前に、俺が止めていた。
叩かれる側は身体的な痛みがあるが、叩く側も心を痛めるときがある。
こんな屑のためにわざわざ傷を負うことはない。
「ふ、ふん。ヒト如きが……ん?」
ビビっていたロイントリッヒが髪をかき上げながら、平然を装うとする。
でも、アンタ手も足も震えてるがな。
そんな屑野郎が初めて俺たちを視界に入れたのか、恋唄の方を凝視する。
「何ですか?」
恋唄も怒りモードだ。顔は全然怒っていないように見えるが、それが逆に怖い。
「ヒト族にも、まだマシなヤツがいるとはね。
……いいだろう。キミを私の側室にしてやろう」
「……はっ?」
さすがの恋唄も、ロイントリッヒの仰天発言がすぐには理解できなかったみたいだ。
大丈夫。俺も理解するのに少し時間が必要だった。
「最ッ低!!」
ララノアちゃんが吐き捨てるように叫ぶ。
うん。その意見に完全同意だ。
なんだ、この世界中のヒトを敵に回しそうなアホな発言は。俺の理解の範疇を超えている。
「ハハハ。妬くなララノア。もちろんキミも愛しているから大丈夫さ。
さぁ行くぞ!」
恋唄の手を掴み引っ張ろうとする――前に、二人の間に割り込むように身体を滑らせた。
「……消えろ、下郎が。本来であれば私の視界に入った瞬間に塵一つ残さず消し去るところだが、あの賢者の顔を立ててやる。
竜の威を借りる猿が。さっさと失せろ」
「……いい加減、その臭い口を閉じろモヤシが」
よく分かった。
こいつは敵だ。正真正銘の、叩き潰すべき敵だ。
「……なんだと?」
「アホなお前に教えておいてやる。恋唄は俺の女だ。ヒトの女に手を出してんじゃねぇよ!」
キレた勢いで勝手に俺の女宣言をしてしまった。
言っていることは目の前の屑と同じような内容だが、俺の場合は無理強いしないからセーフだ。きっと大丈夫。
……後で謝っておかなければいけないが、今はこのまま突き通す。
恋唄が望んでロイントリッヒの元に行きたいなら別だが、そうでないなら当然ながら渡すわけにはいかない。
「汚らわしい。下賤な猿が私のモノを汚すな」
「そのお前の思想が汚らわしいわ。頭までモヤシか、このイモ野郎が」
「……よかろう。そこまで死にたいのなら、殺してやる」
顔を茹で蛸のように赤くしたロイントリッヒが、胸ポケットから白いハンカチを取り出し叩きつけてきた。
「……なんだそれ?」
「決闘も知らぬのか。これだから田舎者の猿は困る」
「決闘?」
また古風な言葉が飛び出してきた。
「ヒロユキさん、自らのハンカチを相手の足下に投げつけることは、決闘を申し込むことになるんです」
そうなのか。
どこかで聞いたような話だが、実際にそんなことやってるんだね。
「決闘では事前に勝負方法、決着方法、勝敗時の要求などを決め、互いの納得と同意の上で戦うことになります。
決闘上では命のやりとりがあったとしても犯罪行為になることはありません。
逆にルールを破ってしまうと、たとえ勝ったとしても戦を司る神マルスにより天罰が与えられるという神聖な戦いです」
アリエルさんの説明を聞く限り、俺のイメージしている決闘とそんなに違いはなさそうだ。
「受けないっていう選択肢はとれるの?」
「もちろんです。本来であれば決闘を受けないことは恥ずべきことだという慣習もありますが、この状況で決闘を受ける必要性も意義も義理もないでしょう」
「ふん。やはり猿は臆病で卑怯なようだな」
「誰も『受けない』って言ってないだろ?」
何を勘違いしたかロイントリッヒが勝ち誇っているが、別にビビってもいないし断ろうとも思っていない。
「とりあえず勝負方法とか要求とか言ってみ?」
なるべく偉そうに言ってみる。こういうプライドの高い奴をおちょくるのは簡単だ。
「貴様……ッ!? まあいい。
勝負方法は本人同士の1対1のつぶし合いでよかろう。どちらかの降参、戦闘不能、死亡で決着をつける。
まぁ、賢者殿と懇意にしている貴様が戦闘不能になるとは思えないが……万一死んでも恨むなよ」
にちゃあとニタつきながら、皮肉気に提案してくる。
これはあれか。
俺が賢者様に守られているだけの弱い男だって言いたいのか。
なるほど。そう思っているからこそ、俺に対してそんなに強気で来ているのか?
「で、勝ったらどうなるの?」
「私が勝ったら、そこの女は私のモノだ。貴様はここから出て行き、どこぞで朽ち果てろ」
「いや、恋唄は誰のモノでもないだろ? 勝手に商品なんかに出来るか、ぼけ」
さっき『俺の女』発言している俺が言うのもなんだが。
細かいことを気にしたら負けだ。
「いいですよ。私が景品でも」
「恋唄!?」
突然恋唄がオッケーを出してしまう。
「ふん。その女は貴様より分別があるようだな。既に分かっているのだよ。私の元に来ることの幸福さをね」
「おい、いいのか恋唄!?」
「だって、先生負けないでしょ?」
「そりゃ、絶対負けないけど……」
「じゃあ、大丈夫。でも代わりに私のお願い事を1つ聞いてくださいね」
鼻息を荒くしているロイントリッヒを余所に、俺と恋唄は小声で言い合う。
「何だよ、願い事って?」
「それは秘密です」
うふふ、と可愛らしく笑ってごまかされる。そんな笑顔を見せられたら、追究できない。もう、恋唄は罪な女やで!
「仕方ない……じゃあ、俺が勝ったらどうするの?」
「そんなことは万に一つも起こりえないが……貴様の望むことをなんでもしてやろう」
「分かった。じゃあ、それでいいよもう」
「くくく。無知とは罪だな。いや、猿に分別を求めるのも酷か」
ロイントリッヒがキザったらしく髪をかき上げる。
「で、いつするの? 今から?」
「ふん。貴様に最後の晩餐を楽しむ猶予をやろう。私の恩情に感謝するが良い」
「はいはい。じゃあ、そういうことで」
しっしっと、ハエを払うように手を振る。早く帰ってちょうだい。
「これだから猿は困る。誓約の儀がまだだろうが」
「……なんだよ、今度は?」
もう新しいキーワードはお腹いっぱいな感じだ。
「決闘は神が認める神聖な闘いなんです。戦を司る神マルスに宣誓することで、初めて決闘の強制力が生まれるんです」
既に解説役が板についたアリエルさんが、説明してくれた。
強制力っていうのは、勝敗の結果が出たときに事前に決めていた要求をきちんと履行させる力のようだ。
「我、ロイントリッヒ・ヒル・ビレッジはマルス神に宣誓するッ! この男に決闘を申し込むことを!」
突然、天に向かって叫び始めたキザエルフ。
何事かと思っていたら、お前も言えよみたいな視線を投げかけられた。
「ヒロユキさん、もし本当に決闘を受けるなら私の言ったことを復唱してください」
アリエルさんがこそっと小声で教えてくれる。俺が頷くと、言うべきことを伝えてくれた。
「わ……我、ヒロユキ・シバタはマルス神に宣誓する……決闘を受諾することを」
なんだこの拷問は……ッ!?
背中がむず痒くなるくらい恥ずかしすぎる。恋唄は面白そうに見てくるし。
しかし、そんな俺の恥ずかしさは関係無しに、俺とロイントリッヒの足下に複雑な金色の魔方陣が展開された。
一切の前兆を感じさせない魔術の行使。これがマルスとかいう神の力か。
というかこの世界、神との距離感が近すぎる。
神の存在がこんなに間近にあるというのが、前の世界から考えると違和感でしかない。
ただ、幼女女神との出会いもあったので、神という存在については疑いようもない事実だと納得できていた。
「己の力のみで相手を戦闘不能、戦意喪失あるいは死亡させた者が勝利とするッ!
我、ロイントリッヒ・ヒル・ビレッジが勝利した暁には、ヒト族の女――貴様、名をなんという?」
今更恋唄の名前を尋ねるキザエルフ。
こいつにとって、恋唄の名前に興味はないってことか。本当にふざけた奴だな。
そんな屑相手にも、恋唄は丁寧に優しく自己紹介をしてあげていた。
「我、ロイントリッヒ・ヒル・ビレッジが勝利した暁には、コウタのすべてをもらい受ける!」
「……我、ヒロユキ・シバタが勝利した暁には、ロイントリッヒ・ヒル・ビレッジに一つ命令する」
アリエルさんの言うとおりに復唱。
この世界の決闘は、みんなこんな恥ずかしい想いをしながらやるんだろうか。
「全身全霊をかけ、正々堂々挑むことを誓うッ!」
ロイントリッヒがそう宣言すると、足下の魔方陣が一際大きく光り、黄金の光の輪が俺たちをくぐり抜けていった。
そのまま光の粒子を散らしながら、黄金の光は天へと消えていく。
「……これで誓約は成りました。本当に良かったんですか?」
アリエルさんが困ったように尋ねてくる。
「仕方ないよ。多分俺が何言ったってあいつには響かないだろ?
やらなきゃいけないときに遠慮して、後でツラい思いをするのは嫌だからさ」
「くくく。愚かな猿が何をほざこうが気にならんな。さぁ、アリエルにララノア行くぞ」
「行きません」
「行くかバーカ!」
キザエルフが差し出した手を、エルフ姉妹は一刀両断にする。特にララノアは普段の穏やかな態度からは想像できない、べーっと舌を出して辛辣な言葉を出していた。
「ふん……素直になれない女だな、キミたちは。
まぁいい。そこの猿は明日までの命だ。存分に楽しめ」
やれやれと、まるで子どものいたずらに付き合ってられないよ、みたいに首を振り去ろうとするロイントリッヒ。
最後までキザったらしさ満開だった。
「そうだ。最後だからといって、そこの女に手を出すなよ?
処女でなければ女も殺す」
「……お前、本当に最低だな」
去っていくと思ったら、急に振り返りクソみたいな一言を残し、今度こそ去って行った。
もうね。
容赦なくぶちのめすことに躊躇とか戸惑いとかが完全に失せたね。
読んでいただきありがとうございます。
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