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001.はじまり

 ああ。

 今日ほど生まれ変わって新しい人生を送りたいと思った日はあるだろうか。いや、ない。


 ナチュラルに反語を使ってしまうほど、今の俺は憔悴していた。

 生きていくのがつらい……。


 10年間恋し続けていた女の子に、完全に振られてしまったからだ。


 あれ、結構良い関係になってきたんじゃない? と思い始めていた矢先だった。

 大事な話があるって呼び出されたものだから、年甲斐もなくウキウキして待ち合わせの喫茶店に向かった。


 これはもしかしてもしかするのかと、滅多にしないオシャレもして――鏡の前であれでもないこれでもないと二時間も悩んだ――胸の鼓動を高めながら向かったのに。


 面と向かって、あんなに良い笑顔で「本当に大切な人ができたんだ」とか言われたらもうダメだろ。心がズタズタのグサグサに抉られてしまったよ。


 ああ、あんなに好きだったのになぁ。

 こうして涙で枕を濡らしている三十路越えのオッサン。端から見ればキモさ抜群だろう。


 俺こと柴田浩之、三十六歳。未だ独身。


 「優しそう」と評される顔つきはきっと垂れ目のせいだろうけど、それ以外に大きな特徴もない平凡な顔つき。中肉中背。お腹の弛みがちょっと気になるお年頃。どこにでもいる普通のオッサンが俺だ。


 俺の人生、ずっとこんな感じだ。


 決して不幸ではない。むしろ恵まれている方だ。

 友達も僅かではいるが存在しているし、お金で本当に困った経験もそんなにない。女の子と付き合ったこともあるけど、他人が羨むような彼女ができたことはない。職場でもある程度は信頼されているが、エリートにはほど遠い。


 そんな普通の人生だけど、俺にはひとつ大きな特徴があった。

 要所要所――ここぞ、という時に限って勝負弱いというか、運命の巡り合わせが悪いのだ。


 はぁ、ともう一度ため息を吐きながら妄想する。

 きっと、俺の本当の才能はまだ眠ったままなんだ。


 野球やサッカーの才能に溢れていて世界一のプレイヤーになる。

 あるいは銃や戦闘技術が半端なくて、世界を股にかける諜報員になる。

 商才があって掃いて捨てるほどのお金を貯める。


 そんな才能がきっとまだ目覚めていないだけ。

 だから現実世界いまは、思うようにいかないんだろう。


 きっとそうだ。


 だからお願い。誰か俺の才能を開花させて。そんな才能溢れる人生を一から送らせて。

 そんな下らないことを本気で願いながら眠りに入る。


 もちろん、目覚めたら生まれ変わっているわけでもなく。

 いつも通りの俺が目を覚ました。昨夜の妄想は心の奥底に閉じ込め、出勤の準備をする。今日も地獄の仕事の始まりだ。



 俺の仕事は高校教師。

 昨今セクハラ事件が多発しており、教師ということだけでロリコンの烙印をおされていそうな犯罪予備軍。


 この評価、真面目にやってくれている先生方からすれば、たまったものじゃないだろう。

 まぁ、俺の場合結構ロリコンの気があるので、あながち不当評価というわけではない。


 それはそれとして。


 俺の勤める学校――私立岡美学院高等学校は地元では結構大手の部類に入る高校だ。

 普通科だけでなく、商業科、IT科、保育福祉科と様々な学科が存在していて、全学科合わせると一学年が400人を超える。


 俺はその中の一クラスを担任しているのだが、このクラス、なぜか個性的なメンバーが集まってきてしまった。


 入学前のクラス編成――他の学校がどうかはしらないが、ウチの学校は同じ科の担任同士が話し合い、生徒を取り合うカタチをとっている――では、性格のキツイおばさん先生と、その先生にべた惚れしているオッサン学科長に無茶を言われ続け、濃いメンツは基本ウチの方に流れてきてしまった。


 どう濃いか――これは一言では話しきれない。良い意味でも悪い意味でも個性的なメンバーばかりだ。


 例えば教師のカリスマ性を遙かに凌駕した男子学生。こいつのせいで、クラスのヒエラルキーは教師と生徒の立場が一部逆転してしまっている。


 成績優秀、容姿端麗。否の付け所のない生徒だが、その優秀さ故におばさん先生は取るのを嫌がったんだろう。

 イケメン好きのおばさん先生にしては珍しいと思ったが、さすがベテランの感だった。予想通りクラス運営がやりづらかった。


 例えばどうやって学校に入ることができたのか分からないヤンキー。


 理不尽な勢いで四方八方に噛みつく三枚目。これで硬派を気取ればまだ格好良いのかもしれないが、強いヤツには媚びを売り、弱いヤツにはイキリだすという情けなさ。

 さらには女好きで、クラス内のアイドルに手を何度も出そうとして失敗し、周りにヤツ当たるという分かりやすいモブキャラ感だ。


 俺とは馬が合わないらしく、常に敵対行動をしてくる。俺はけんかが弱いんだ。突っかかってこないでほしい。


 例えばテレビのアイドルなんて目じゃない可愛い女子生徒。


 この子も何を間違ってこの学校に入ってきたのか分からないほどの、美少女っぷり。性格も優しく温厚で、とにかくモテまくる。

 本人は困っているようだが、ファンクラブや親衛隊も存在している。俺の癒やしだ。


 例えば、いつもブツブツ言っている超オタク。


 俺自身、そちら側の部類に入るのでオタク自体には嫌悪感はないが、こいつらはひと味もふた味も違う。

 自分の世界だけを大切に、そして一番だと考えてしまうタイプのオタクだ。普通の会話が成り立たないので、つらい。


 他にもまだまだ沢山の生徒がいるが、総勢30人のこのクラス。まとめ上げるのは一苦労どころか二苦労三苦労だ。


 しかもこの苦労を誰も分かち合ってくれない。

 常に怒ってばかりの上司に、協力体制のないオバサン先生。生徒のことではなく自分たちの体裁のことばかり気にする学校。


 もう俺自身が登校――通勤拒否を起こしちゃいそうな毎日。

 それでも必死に働く。


 いつか生まれ変わる日が来るんだと信じて。

 そして――。


 その日は、案外あっけなくやってきた。

 


 憂鬱な気分を押し殺して、教室のドアを開けた瞬間。

 世界が光に包まれた――。


 というのは、大げさか。


 ただ少なくとも、俺の視界は完全に光で覆われていた。

 最初はまたクラスの誰かのイタズラかと思ったが、教室内から響く喧噪がそれを否定する。


「落ち着け!」


 と何も見えない中大きな声で叫ぶが、もちろん誰も聞いているわけもなく。

 結局、光が収まるまで騒ぎは拡がるばかりだった。


 徐々に光が収まり、視力が戻るなか、なぜかガチャガチャと鉄の擦り合う音が聞こえ始める。

 ざわざわと生徒達とは違う声のざわめき。


 何度か目をはためかせ、やっと周りを見渡せば――。

 そこは、異質な空間だった。


 入ってきたはずの教室はなく、大理石のようなつるつるとした石に四方を囲まれた、広めのホールのような中にいた。


 壁には松明のような灯りがついていて、窓のない部屋を明るく照らしている。

 床には大小の魔方陣のような幾何学模様の線がいくつもひかれ、その線からは光の粒子が幻想的に漏れていた。


 一際大きな魔方陣の中心に俺達がいる。


 そんな俺達を取り囲むのが、鉄の鎧を纏った存在――おそらく兵士だろうか、手には物騒な武器をもち、油断無くこちらを見据えてきている。


 日本の武士の鎧というよりは、西洋の騎士の鎧に近いなぁ、と場違いな感想が思い浮かんだ。

 オノとヤリが合わさったような武器――おそらく槍斧ハルバードというやつだろう――には、ぎらりと光る刃がしっかりとついている。


 今までの混乱が嘘みたいに、生徒達は口をつぐんでいた。

 あまりに自分の常識から外れるようなことが起こった時、ヒトは喋ることを忘れ、ただ呆然としてしまうんだと、この時初めて知った。


 かといって、静寂がこの場を支配していたわけではない。

 俺達の周りを取り囲む兵士達の後ろでは、何人もの倒れているヒト達を担架で運び出す姿が見えた。


 ぐったりと倒れ込んでいる姿からは『生』を感じさせない死の気配があった。

 運ぶ兵士達の慌てた声や、周りを取り囲む兵士達のざわめき。異様で異質な雰囲気が出来上がっていた。


「お、おいおい……このご時世に今更な異世界転移かよ……」


 そんな中、ぽつりと誰かが漏らした言葉が嫌にひどく響いた。

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