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怖い飴

作者: PINOO

※残酷描写が途中何点か入りますので、嫌いな方はご遠慮ください。

なお、作品内の人名など固有名詞は全てフィクションです。

「ねぇ、知ってる? こんな噂……」


 梅雨が明け、学校ももう休みに入る前の日の放課後に私はそんな話を聞いた。


「なんでも、この学校の近くにある駄菓子屋で売ってるお菓子に、変なのがあるらしいのよ」


 教室の隅、目立たない窓側の最後尾の席に私は座っていて、少し離れた教室の前側にたむろっている女子達の声を聞いていた。

 そのなかで、どうやら黒い長髪の似合っているその女の子がメインになって、さもひそひそ話、といった感じに声のトーンを落とし、続けた。


「『こわい飴』っていうらしいんだけど、なんでも、それを舐めると怖いものが無くなるらしいのよ……」

「それって、なんか変なクスリでも入ってるんじゃ……それで、恐怖心を消す、みたいな?」


 近くに居た、私より小柄で、ともすれば小学生にも見えてしまいそうな女の子がか細い声で口出しすると、黒髪の女の子は帰り支度の教科書とかを乱雑に投げ込んでいた手を止め、さらに声を落とし語った。


「ん……そういうことじゃないみたい。なんでも、本当に――」


 ――と、ついには私には聞こえなくなってしまって、少し後に、どよどよっと集団はざわめいた。

 交友も無いクラスメイトの語る不明瞭な噂。インパクトも無い。

 それは、他のクラスメイトと関わらないで、一人で孤独に過ごす私だから普段ならすぐに記憶から消してしまうはずなんだけれど、でも、そうはならなかった。



 忘れられなくなってしまった始まりは、その日の放課後だった。

 私はいつも一人で帰る。今日もいつも通り誰も誘わず、誰からも誘われず、穏便に教室を出る。

 すると担任の先生が、お前家近いだろ。と交流の無いクラスメイトのプリントを私に押し付けた。


「すまんなぁ、本当は先生が行く予定だったんだが、急用が入ったんだよ」

「わかりました……」


 頭の後ろを申し訳なさそうに掻きながら、中年男性のサンプルにふさわしそうな小太りで血糖値を気にする担任は苦笑する。

 私が受け取ったのはA4サイズの分厚い茶封筒。

 殆ど話したことない相手だし、本当は断りたかったんだけど、自分でも自己主張ができないってわかってるから、短く肯定の返事をした。


 そして、私は普段とは違う道を歩くはめになった。

 プリントの届け先は住所の上では近所だが、家の周辺は路地が入り組んでおり、直線距離で近くても実際は結構遠かったりすることが多いのであんまり気分も良くない。

 そして、今日プリントを届けさせられる相手の家も、封筒にくっついていたメモのふにゃふにゃな手書き地図で確認する限りでは、予想通り遠かった。


 学校から出て、迷いそうになりながら、地図と表札を確認しつつ家を探り当てる。

 一応クラスメイトなんだけど、悪いけど全く印象に無い名前だった。まあ、私が他人と関わるのを拒んでるから当然か。

 家は、モダンな建築様式で、お洒落だった。住んでみたくないというと嘘になるけど、掃除が大変そうなデザインでもある。

 玄関まできて、ドアの左手にあったチャイムを一度、押した。

 かすかに鐘を模した電子音が一度聞こえたが、家の中で物音はしない。

 今度は玄関のチャイムを何度も押す。数秒間隔で押してみても全く応答が無かったので、仕方なくチャイムの隣にあった木製の備え付けのポストに封筒を投げこんだ。

 玄関を後にし、振り向くと、最初は気付かなかったが、どうやら全ての部屋のカーテンが閉まっているようで、おおよそ住人が居そうな雰囲気は無かった。


 帰り道。近所のはずなのに見なれないこのあたりを見回しながら、私は歩いていた。


「へ〜こんなトコあったんだ〜」


 路地の作りは変わらないのに、どこと無く異質な感覚を受けるのはなぜだろうか。

 何の変哲も無い公園、古ぼけた衣料品店、洒落た雑貨屋。

 その一つ一つを取ってみても、どこか、自分の経験した事の無い感覚を覚える。

 いや、逆に身近な場所との共通点があるから、異質だと思うのかもしれない。

 そして……一軒の駄菓子屋が、そこにあった。

 その時、学校で聞いた噂を唐突に思い出して、続き小腹が空いたのかお腹が可愛く鳴った。

 ふと、私は考えた。

 今日の晩御飯の時間は、遅い。母の帰りが遅い番なのだ。

 どうしてもあの飴の噂が気になるけれど、ここがその店だとは限らないし、と、私は看板に目を止めた。

 木製の、きっちりとした楷書で『源商店』と大ぶりな文字が横書きされた重厚な看板が、店の入り口上方に掲げられている。

 大して変な名前はしていないし、店舗自体も怪談とは縁遠く、前面がガラス張りの新し目な建物だった。

 外から見ての広さは大体店の幅が軽自動車を縦に2つ並べたくらいで、奥行きも同じくらいだ。

 ついつい私は食欲の赴くままに、常に開放されているらしい入り口から店内に入る。

 いらっしゃい、という声を聞きつつ店内をざっと見回してみるも、品揃えもいたって普通。レジに向かって縦に3列配置されている陳列棚に置いてある商品は、スーパーでも買えるようなポピュラーなお菓子から、駄菓子屋ならではといった10円ガムなどまでと幅広い品揃え。

 レジに立っているのは、包丁が似合いそうな老婆ではなく、無精ひげの似合うさわやかな青年で、拍子抜けした。

 なんだ、やっぱり単なる駄菓子屋か、と、入り口に近い陳列棚の商品からお気に入りのスナック菓子を一つ取り、レジへと向かった。

 台にお菓子を置き、コンビ二肉まんみたいなノリで近くに置いてあったショーケースから冷えたジュースを取り出そうとして扉を開けて……気付いた。

 ガラスに印刷されていた赤ラベルの黒い炭酸飲料の宣伝のせいで隠れていたが、飲み物の棚、ちょうどその中段に並べられている商品に私は目を奪われた。


『こわい飴』


 あまりに長い間呆然としていた私を見て、店員の青年が怪訝そうな顔をして、扉をひっつかんでゆっくりと閉めた。

 パタン、と、ゴムとゴムが吸い付いて空気を遮断する音とともに、私は自我を取り戻す。


「あ、あんまり長い間開けとかないで、中のものが温まっちゃうよ」


 慌てた声で、警告されて、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になっている気がする。いや、絶対なってる。

 でも、それよりも、私はあの飴のことで頭がいっぱいになっていた。


「え、と、この飴……怖い物が無くなるって噂の……?」


 ショーケースの、中段あたりを指差しながら、おそるおそる店員の青年に声を掛けた。

 すると、青年は微笑し、庫内から包装されたあの飴を取り出しながら答えた。


「ああ、あの噂? それは多分、ほら、ここ」


 と、飴の包装の裏面を指さした。

 レトロな構成だった。題字が表に書いてあって、裏には説明と成分だけ。イラストは全く無い。

 色も橙と白の二色という非常にシンプルなデザインである。

 そして、店員の青年が指さしている説明を見ると、そこには『糖分の吸収を高める製法で、心を落ち着けたり、勉強の合間の栄養補給に最適です』と、商品PRが短く印刷されていた。


「商品名が『こわい飴』だから一人歩きして、あんなへんてこな噂になったんだと思うよ? マイナーな飴だし、俺が直接工場から買い付けてるから県内では他に置いてるとこないし」


 私は気さくな感じに話しかけられながら、すばやくケースに飴を戻して、青年は微笑み、続けた。


「で、飲み物、何にするの?」


 聞かれ、適当に手に当たった飲み物と、あの飴もつかんでレジ台に置いた。


「これと、これもお願いします」

「あ、飴も買ってくれるの。ありがとう」


 店を出ると、私は、スポーツドリンクと、スナック菓子と、あの飴を買っていた。

 特に何かを思っていたわけじゃなくて、黒いつややかな小粒の飴が4つ入ったその袋とお手ごろな値段についつい魅力を感じてしまったからだった。


 そして私は、さあ、家に帰ろう、と歩き出した。

 うっすらと夕暮れに差し掛かり、全てが紅に染まる道を、歩いていく。


 このあたりの住宅地は、夕方はあまり人通りが多くない。

 基本的に子供の居る家庭は少なく、夫婦のみの家庭がほとんどで、今時、若いうちは専業主婦になる人も少なく、夕方のこの時間帯は人の流れが途絶えているのが日常だった。

 街灯もまばらな道をゆっくりと歩く私。


 そしてふと、家まであと10分のあたりで、気付いた。

 コツコツという、革靴らしきものがコンクリートを叩く軽い足音が、先ほどからずっと一定間隔で付いてくる。

 私が、靴紐を直すフリをして立ち止まると、その足音も止まる。

 立ち上がり、また歩き出すと、付いてくる。

 次第に、背後、おそらく4メートルくらい後ろから鳴る足音の主を私は想像し始めた。

 もう日が落ちたし、ストーカーだろうか、それとも不審者か……幽霊ってことはないだろうけど、もしそうだったら怖くて後ろを振り向く気にはなれない。

 でもどっちにしろ、足音が付いてくるのは、怖い。

 気のせいかもしれないけど、怖い。

 そう思った時に、私はふと、駄菓子屋の白いビニール袋に入っている、飴の存在を思い出した。

 あと、家に着くまでたかだか5分くらい。家の中にこもってしまえば、ひとまずは安全なはず。

 今は落ち着こう、落ち着くために、飴でも舐めよう。

 袋から飴の包装を取り出し、袋の口を開けた。私は、小指の先ほどの小さな一粒を摘み上げて、口に放り込む。

 すぐに、蜂蜜のよう濃厚な甘さが口の中に広がり、消えた。


「あれ?」


 後ろに不審人物がいるかもしれないのに思わず声を出してしまう。

 普通の飴ならどんなに急いでも5分くらいは舐めていられるだろうに、この飴は、口に入れて一瞬で消えてしまった。

 なんとも味気ない。しかし、糖分の吸収は多分尋常じゃないくらい早いんじゃないだろうか。

 そして気付くと、先ほどから聞こえていた足音が、嘘のように消え去っていた。

 いくら歩いたり、立ち止まったりしても一向に鳴る気配も無く、私は不思議に感じた。

 さっきまで、飴を舐めるまでは聞こえていたはずの足音。それが消えている。

 不思議に思ったが、足音の主が別方向へと進んだのかもしれないし、私は気にしない事にした。きっとストーカーとかじゃなかったんだろう。

 はっと気がつくと、もう家は目前だった。表札も見えている。

 木造の築12年くらい。手入れのおかげか、今でも小奇麗な外観は保たれていた。

 家に門や庭なんて高尚なものは無いので、普通乗用車一台に自転車を数台置ける駐車場を突っ切って玄関のドアを開けた。


「ただいまー」


 返事はもちろん無いのだが、私は毎日こう言う。

 玄関から、廊下、階段は過ぎて、洗面所と順々に電気を点けつつ、まだ暗い階段の3段目にカバンを置いて、洗面所へと向かった。

 手を洗って、うがいをして、顔を洗う。

 顔を拭き、ニキビの有無と日焼けを確認してから洗面所から出て、私は洗面所、廊下の電気を消しつつ階段の電気を点けた。

 玄関は母親が帰宅するので点けっぱなしのまま、カバンを拾って2階へと上った。

 上がってすぐ電気を消し、右の自分の部屋に入りながら手探りでスイッチを探し、パチリ。

 廊下や洗面所など、共用部分はすべて手元ランプが付いたスイッチなのだけれど、各部屋にはそれが無い。

 光量が安定してきた蛍光灯が照らした私の部屋は、良くも悪くもいつも通りだ。

 縦に長い長方形をした部屋の、入って正面に勉強机、右奥にベッド。手前右側にテレビが置いてある。

 全部、可愛げもないし、飾りつけも無い。かなり質素な部屋だと自分でも思いながら、カバンを机の上に置いて、ベッドに座った。

 手に当たったリモコンでテレビを点けて、私服に着替えながらぼうっと考える。

 飴を舐めた時から気配を感じなくなったのは偶然なのか、それとも、あの飴に何かの力があったのだろうか?

 私は汗でぐしょぐしょになったシャツと下着をまとめて着替える。

 シャワーをしたいのだけれど、あいにく今日はお風呂の日、その上母が帰るまでは汲めない。

 仕方なくそのまま軽く汗を拭いて、私はパジャマに着替えた。

 今は見たいドラマもないし、恐怖心もだいぶ和らいだので、お菓子を食べようとテレビをつけたまま机の上に置いた鞄からビニール袋を取り出した。

 少し飲んでるドリンクと開けてないスナック菓子を並べて、スナック菓子の袋を開けた。

 香ばしいコーンの匂いに食欲をそそられ、ぱくぱくと食べ始めた。

 一口食べる毎にサクサクとした食感と心地よい塩味が広がる。

 どんどん、私は食べ続けた。

 間にドリンクを挟みながら食べていると、見る見るうちにその量は減っていきものの数分で一袋を食べ終えてしまい、少しさびしさを感じる。


「あ、もう無くなっちゃった」


 空になった袋を探るなんて悲しい真似をしてしまった私は少し落ち込んだ。

 が、気を取り直して、お菓子のゴミを捨て、テレビの電源を切って私は勉強に取り掛かった。

 どうせ暇なんだし、頭がまだ学校モードな今の時期に夏休みの宿題を進めてしまおう。

 苦手な歴史の教科書を取り出し、私は机に向かった。



 勉強も4教科目、少し得意な数学を始めて数分後に、玄関から物音が聞こえた。


「ただいま〜、帰ったわよ〜」


 ふと、充電中の携帯の画面を見ると時間は10時を回った所。いつもより4時間遅く母が帰ってきた。


「おかえり〜」


 定型句を出力するようにそう返事をして、勉強道具もそのままに、1階へと向かった。

 タタタ、と軽快に降りて、洗面所の奥、風呂場に向かう。

 給湯のために蓋をし、蛇口をひねった。


「お母さん、今日私一番にお風呂入るから、もう汲み始めるよ?」

「あら、珍しいわね、いつもはもっとゆっくりなのに」


 帽子を引っ掛け、台所に向かう母は、まるで初雪を見たかのように珍しがっている。なにもそこまで珍しくないと思うけど。

 私は後ろ手でお風呂のドアを閉めながら、むっとした表情を作って台所へ向かった。


「そんなに珍しくはないわよ、今日暑かったし」


 何故か母に、不審者の事や不思議な飴の事を言おうとは思わなかった。

 台所、我が家ではダイニングも兼ねてるので食卓もここにある。


「へぇ〜そう。まあいいけど」


 夕食の準備を着々と始めた母を見てから、台所から出た。

 また階段を上がり、部屋に戻った。

 勉強道具を片付けて、くしゃくしゃになってる脱いだ服を拾い上げて、部屋の電気を消した。

 今度はゆっくりと階段を降りて、私は洗面所の洗いかごに服を投げ込んでから再び台所へと戻る。


「それはそうと、なんであんたお風呂の前なのにパジャマ着てるの?」

「あ、それは、なんか汗かいちゃって」


 振り向いた母に、パタパタと手で顔をあおぐしぐさを見せた。

 すると、母は、何かに気付いたように、


「ああ」


 と言った後、すぐに微笑んでこう続けた。


「あら大変、明日の朝はお赤飯ね。小豆買ってこないと……」

「ちがあぁう!」


 明らかに母は私をからかう様子で、片手に持った木杓子で鍋の中身をかき混ぜ、料理を続けている。


「『今日は、親、遅くまで帰ってこないの……。よかったら、家来る?』みたいな?」

「だから違うって!」


 私は首をぶんぶん振って否定の意思表示。

 母も本気で言っているわけではないのだろうが、いかんせんあの下品な笑み(私にはそう見える)を浮かべられると断言できない。

 話題を逸らそうと、漂ってきた匂いを頼りに、今日の夕飯を尋ねた。


「今日は肉じゃが?」

「そうよ、ジャガイモが安かったから」


 母は半音外れた鼻歌を歌いながら答えた。

 いとも簡単に話題変更ができたあたり、さっきのはやっぱり冗談だったのだろう。

 結局、その後食事中も、終わってからも、母に飴の事を話すことは出来なかった。


 そして、私は食事後、すぐにお風呂に入った。

 ゆったりと浸かって、今日の汗を洗い流す。

 そして、体重計に乗って、私は恐怖した。

 何故だろうか、期末試験の勉強の時、糖分補給とか言って合間合間に甘いものを食べ過ぎたのがいけなかったのか。

 4キロ増。洒落にならない。

 お腹のラインは太くなってないはずだし、ましてや胸が成長もしてない。

 背も伸びてない。

 つまり、内臓脂肪ってヤツが溜まってるのだ。

 明日から、毎日走ってダイエットにつとめよう。間食も減らして。

 そこまで考えて、今日の夕方に食べたお菓子類を思い出して、再び落胆した。

 あれも、太る原因になっていくのだろう。

 落ち込みつつもパジャマを着て、私は階段をとぼとぼと上がった。

 ドアをゆっくりと開き、部屋のベットへとボスッと鈍い音を立てながらダイブする。

 いいじゃないか、現実逃避。もう寝てしまおう。

 そう考えはしたものの、私は眠気も無いまま眠れる人間ではないため、ゆっくりと体を起こした。

 さすがに風呂上りに腹筋をしようという気にもなれず、私はふと机の上に置いたままの飴の包みを見た。

 もしかしたら、この飴を舐めたら『余分な内臓脂肪』を消してくれないかな、このまま太るの怖いし……。


「って、そんなわけないか! というかこれ舐めて痩せたらそれはそれで怖いし……」


 と言いつつ、私はついつい袋を手に取り、中から一粒飴を取り出して、眺めた。


「ま、まあ、試すだけ試すだけ」


 自分にそうやって言い訳しながら、私は飴を口に含んだ。

 すぐに、強烈な甘味が広がった。しかしまたも一瞬にして消え去り、すうっと、体が軽くなった感覚だけが残った。


「あ、はは、まさか、これで痩せてるなんてことが……」


 そんな都合のいいことあるはずない。頭ではそう考えつつも1階に下りて、洗面所にある体重計におそるおそる乗った。

 ボタンを押して、計測。

 数値を安定させるまでの点滅表示を睨みながら、早く早く! と体重計を急かしたくなった。

 すると、やっと安定して、デジタル数字で表示された体重は、つい先ほどの体重よりも大体4キロ、減っていた。

 もちろん、汗をたくさんかいた覚えもないし、髪も濡れたままだ。

 つまり、私自身が、確実に軽くなっていた。


「うそ、そんな、うそみたい」


 あの飴は、噂通り『怖い物を無くす』。

 そう、私は確信した。

 途端に背中に嫌な汗が流れた。

 もしかしたら、どこの誰とも分からない人物が私の後ろを歩いていただけで、消されてしまったのかもしれない。

 口の中に広がったあの濃厚な甘味を思い出して、同時に何が起きたのかを考える。


 この飴、本当に、本物……。

 この飴が、私の体重、減らしてくれたのかな。


 次々、頭の中がそのことだけに支配されそうになったとき、ふいに後ろから声を掛けられた。


「あなた何してるの? 太ったのがショックでもいつまでもそこに居られると邪魔だわ」

「ご、ごめん。すぐよける!」


 聞こえてきた母の声に驚き、すぐさま体重計からおりて、元の場所にそれを戻して洗面所から出た。

 入れ違いに洗面所に入った母親は怪訝な表情で私を一瞬見て、すぐに奥へと消える。


「無理なダイエットはダメよ〜! お母さんそれで1回大変な事になったから」


 なんだかお腹のあたりで手を動かすジェスチャーをする母の忠告も耳に入らず、私はよたよたと、おぼつかない足取りで階段を上がった。

 部屋の扉を開けて、そのままベッドにぼすん。と沈む。


 さっき、私は飴を舐めたとき、本当に『余分な内臓脂肪』が怖い、と事細かにに思っていただろうか。

 もしかしたら『体重』が怖い、と思っていなかっただろうか。

 私の後ろを歩いていた人は、消されてしまったのではないか。

 そんな思考が頭の中をぐるぐると回っては、溜まっていく。

 全然解決しなくて、こんがらがったむちゃくちゃな思考だけがどんどん、蓄積されていく。

 どんどん、どんどん、わけのわからない考えで私の頭が埋まって、何にも考えられなくて。


 気付いたら――



 ――流れ出るそれは、鮮やかじゃなく、綺麗でもなく、ただただ醜く、赤黒くて生臭い液体だった。

 傍らには、血に染まった一本のカッターナイフ。

 慌てて、私はティッシュを箱ごとつかみ、真っ白なそれを傷口に当て、赤く染めた。


「また、やっちゃった……」


 ベットにもたれかかり、漏れる呟きは激しい後悔の表れ。

 もう最後から1年以上も経って、癖は抜けたと思っていた。

 ……いや、勘違いしていた。

 私は、日常生活で人と交流するのを避けて、逃げて、隠れて、抑えていた。それでこれが終わったと思っていた。

 じくじくと痛む右腰。私が自分自身でその場所に傷を付けたのは、これで74回目。

 不気味な飴のことで頭が真っ白になって、自分の思考が無くなって。そして、切った。


「あ〜あ、ダメ。私、まだ、こんなこと」


 傷口に当てるティッシュを替えて、私は考えた。

 やはり、自分の感情が抑えきれないある一点を越えてしまうと、こうなる。

 私の自傷行為は、バカみたいなお遊びだと、自分でも思っている。

 だって、わざわざ、こんなに目立たない所を選んで切って、死んだりするようなことだってない。

 正直、こんな私は、捨てたかった。


 自棄やけになっていたのかもしれない。

 机の上に置きっぱなしだったあの飴の袋を手に取り、また一粒、口の中に放り込んだ。

 『ふとした時に、自傷行為に及んでしまう私』が、今は何よりも怖い。

 いつも通りの濃厚な甘さ。そしてそれはやはり一瞬で消えた。

 そして、私は、しかし、何も変化を感じなかった。

 けれど、体重が減ったのは確実だったから飴は本物のはず。

 効果は、感情が抑えきれなくなって、初めてわかる。

 定まらない意識を強引に静めるため、無理矢理にベッドに入って、思考を停止した。


 それから数十日間、私は無機質な日々を過ごした。

 夏休みという長期間の休暇なんてものは、私にとってはただ過ぎていく日常に過ぎない。

 普通の人なら友人と遊びに行ったり、勉強したりで一喜一憂しながら過ごすのだろうが、そんなものとは無縁だった。

 ただただ、自分の感情を押し殺して、静かに、静かに暮らす。

 そして、()だる様な熱さも、爽やかな夜風も、虫の鳴声も、子供達の笑みも、全てを記憶しないまま、私は夏休みを終えた。


 そして、気温が低くなり、日も短くなってきた夏の終わり、また学校が始まった。

 教室内も、その中に居た人間が様変わりし、全く違った空間にも思えるが、私はやはり、何も変わらず、ただそこに存在していた。


 でも、私は、変わることを望んでいて。

 ふと、隣の席の女の子を、見た。

 細めの髪質、サラサラと揺れるショートボブと小さめな顔が印象的な女の子。

 普段は全く話さないし、交流も無いけど、私はその子に、声を掛けた。


「おはよう、小松こまつさん」


 彼女は、最初誰から呼ばれたのか気付かず、しばらくきょろきょろと教室内を見渡してから、左隣にいる私に気付いて、少し表情を強張らせた。


「お、おはよう」


 返してきた挨拶はどことなくぎこちなく、しかし入学時から今までまともなコンタクトをとったこともない私にならこういう反応でも不自然ではない。

 こうして考えてみると、私も、やはり教室に居るほかのクラスメイト達と同じく、わずかではあるが、変わっていた。

 それは、あの不気味な飴のおかげなのか、それとも私の寂しさが夏休みのせいでついに限界に達したのか。

 小松さんは、今度は自分から私に話し掛けてきた。


桐野きりのさんから話し掛けてくるなんて、初めてじゃない?」

「ちょっと、たまには話してもいいかなって、思ったの」

「まぁ、私も桐野さんのことは気になってたんだけどね。ずっと隣の席だったし、いつも一人だし……って、ゴメン」


 とても自然な動作で、頭だけを軽く下げ、謝罪する小松さんに私は「いいわよ、事実だから気にしなくても」とは言えず、ただかすかに顔を崩した。


「ふふ、気にしてないわ」


 そして、気付くと私は、自然に言葉を紡いでいた。

 今までにない経験。

 今までは人と接する時は最大限言葉を選んで慎重に慎重に会話をしていたのに、嘘みたいにすんなり心から言葉が出ていた。


「今だって、挨拶されて、すぐ気付かなかったし……」


 苦笑いを浮かべながら、小松さんはそう呟いた。


「いいから」


 少し語気を強め、私は言葉が続くのを制した。

 心の奥がちくちくと痛む。

 この感情は、自分を傷つける時と似た感情だったが、もう、自分自身を傷つける衝動は起こらなかった。

 そして、ゆっくりと、私は小松さんと言葉を交わした。

 自分の好きなもの、趣味、好きな人のタイプ、嫌いなもの。

 授業の合間を縫って、短い休憩時間を目いっぱいに使って、私達はお互いを知り合った。

 ずっと話していても、小松さんに声をかけてくる人も居ないし、もしかしたら、小松さんも友人が少ないのかもしれない。

 私は勝手にそう思って、仲間を見つけた感覚に一人で嬉しがっていた。


 そして、気付くと、既に放課後になっていた。

 生徒の姿もまばらな教室、私はいつも通りに教科書をカバンにしまい終わり、いつもとは違って隣の席の小松さんに「さよなら」と一声かけて、学校を後にした。

 まさか、こんなに簡単に人と交流できるなんて、思っても見なかったことだった。

 今までの私は自傷を恐れて、感情を押し殺すだけのマイナスな思考に捕らわれていたけど、話してみれば意外に、すんなりと行った。

 もっとも、最初に話し掛けた小松さんが偶然いい人だったのは、否定できない。

 相手も私のことが気になると言っていたし、話した内容でも、好みや考え方も似ていた。


「あ〜やめよやめよ」


 帰り道、私はそう呟き、軽く背伸びした。

 相手と自分の交流を分析するようなこと、もうやめて、自然に接することにした。

 なんとなく気分が晴れる。

 そして、晴れたついでに、私はあの駄菓子屋『源商店』に足を向けることにした。

 あの飴を買った日から1ヶ月以上経っている。

 あれだけ不気味なことが起きて、私は怖かったのかもしれない。

 今まで、また行ってみようとは、全くといっていいほど思わなかった。

 一度だけ通った道をたどりつつ、少しの違和感を感じる路地を歩きつつ、目的の場所にたどり着いて、私は固まった。

 この前来た時からまだ1ヶ月と少しなのに、閉店どころか、建物すら消え失せ、そこには乾いた土が剥き出しになっている空き地になっていた。


「うっそ、潰れてる……」


 私はついついそう呟いていた。

 空き地になったそこをいくら眺めてももう店の面影も無い。

 つまり、もうあの飴は手に入らないから、家にあるあと1つきりが全てだった。

 もう、使う機会も無いだろうそれを、しかし大事に持っているあたり、私はやっぱり臆病なのかもしれない。

 なんにしても、あの飴を売っていた商店が姿を消したことで一抹の不安を覚えたが、かといってどうする事も出来ないし、無かった事によって少しの安堵感も覚えた私はその場を立ち去った。



 そうして、頭にこびりついて離れなかったあの噂も忘れた、10月の始めのことだった。

 あれからすっかり小松さんとは仲が良くなり、一番の友人になった。それに、浅い関係ではあったが他の友人も数人できている。

 つい数ヶ月前の自分では想像もつかないほどの環境に囲まれ、私の送る日々は幸せだった。

 途中いくつかの争いや、ケンカもあり、以前では自分を傷つけるような感情のゆれも、何事も無く過ぎていくようになった。

 そして、いつも通り笑顔のまま小松さんに挨拶をし、小松さんも軽い笑みを浮かべながら「またね」と、ひらひらと手を振った。

 今日は、久しぶりに母親の帰宅は遅いので、寄り道してもいいのだが、私は真っ直ぐ帰宅した。

 幸いまだ空は青いし夕暮れにはまだ時間がある。

 いつも通りの下校路。今日はしかし、普段より人影が少ない、というか無いと言っていいくらいだ。そこをぼうっと歩いていると、乾いた音が聞こえてきた。

 それは以前も聞いた、靴がコンクリートを叩く音。

 一気に私の表情はすっと固まり、数ヶ月前のあの時の記憶がよみがえってきて、自然に、カバンの外ポケットにある飴を取り出そうかと右手に力がこもる。

 しかし、同時に、消えた足音とその持ち主を想像して、手はどうしても飴を取り出せないでいた。

 とりあえず、あの足跡が私に付いて来ているかを確認する。

 立ち止まったり、はたまた足を速めてみたり、遅めてみたり、色々してみてもやはり、足音は消えず私の後ろにあった。

 その時、私の理性が本能に負け、飴を食べてしまおうと、カバンのポケットに手を差し入れようとして――


「――んぐっ!?」


 瞬間、肩越しに太い男の腕がにゅっと伸びてきて、布で口と鼻を塞がれ、途端に息が苦しくなる。

 次に私の腕を動かさないために体を背中に密着させてきて、両腕ごと左腕に抱え込まれる。

 抵抗しようにも、体が密着しているせいで足すら振り上げる余裕も無く、ただただ腕を動かし、体を倒そうとした。

 と、朦朧としている視界の端に、一台の車がやってきた。

 軽の白いワゴンタイプ。あと20秒もあれば気付いてくれるはずで、まさに天の助けだった。


 が、しかし、軽い排気音とともに私の側まで走ってきたワゴンは、事もあろうに、今まさに捕まえられている私の目の前に停車し、開いた後部ドアは間違いなく私にとっては地獄の門だった。

 その地獄の門に、私は強引に連れ込まれ、フラリ、と視界が歪み、そこで意識を失った。



 ここはどこなのだろうか……。

 先ほど目を覚ましてから、ずっと朦朧としているのが、自分でもわかっていた。

 乳白色の蛍光灯に照らされたあたりを見渡すと、そこはどうやら5畳くらいの狭い個室、私は四角形な部屋の、ちょうど入り口から最も遠い対角線上にいた。

 しかも完全なる防音加工の壁。叫んでもどこに届くとも思えない。

 部屋の隅にある生地の厚い木製のソファに座っていて、正面に木製の低い棚、その隣に小さな物書き机がある。どれも買ってそう時間は経っていないようだった。

 ここには自分以外誰も居ないし、縛られてもいない。

 ふっと、わずかな安堵感が訪れ、ようやく、力が戻ってきた。

 カバンは近くに無いので携帯も無い、もし私をさらったやつらが来たときのために何か武器は、と近くにあった棚を探る。

 一番下、何もなし。

 2段目、黄ばんだ紙数枚。

 3段目まで開けて、やっと削ってある鉛筆が何本か、そこに置いてあった。

 2BからHまである、種類も豊富だった。

 私をさらった奴等は何を考えているのか、縛られてもいない。 

 しかも、心もとないとはいえ、武器になる物も置いてある。鉛筆を適当に3本ほど取り出し、私はドアに向かった。

 一本を利き手で逆手に持ち、ゆっくりとドアノブに手を掛けようとして手を伸ばす。


「ガチャリ」


 と、ドアノブが回ったのは私の手によってでは無かった。

 すぐに私はドアの脇に移動し、開いた直後に相手を狙えるように身構える。

 ゆっくりと、ドアが開き、見覚えのある太い腕が見えた所で、思考が停止した。


 そこからは私の意識は完全に置いてけぼりで、まるで映画を見るかのように勝手に振り上げられる私の腕、鉛筆を振り下ろした先が狙っていたのは、人影の首のあたりだった。

 ぶじゅり! と、果物を踏み潰したような鈍い音が聞こえ、相手の首筋から鉛筆が生えていた。

 短く上がったうめき声とともに、相手は倒れ、ドサリという土嚢を積むようなくぐもった音が足元から聞こえた。

 呆然と立ち尽くす私だったが、幸いにしてその音を聞きつけて誰かが来る、といったことも無かった。

 ふいに、思考が体に戻ってきた。

 おそるおそる倒れた男を確認する。あまり手を掛けていない短髪、ふくよかな丸顔、無精ひげ、小太りで黒いTシャツとジーンズを着た、どこにでもいそうな男性だった。

 あまりしたくないが、首元に手を当てて脈を確認しようとした、が、全く脈は取れないし、口元に手をかざしてみても、空気の動きも感じない。

 それは、私が間近で見る、初めての“死体”だった。

 つまり、私は、人を……殺した。

 途端に、自分自身の存在が、穢れた何かに墜ちてしまったかのような感覚に襲われ、パタン、と座り込んだ。

 最悪、何でこんな事に。そんな思考。そして来る、真っ黒に渦巻いた衝動。

 ふと目をやると、ドアの外、すぐそこに自分のカバンが床に置いてあった。


「カランカラン」


 握り締めていた鉛筆が手から滑り落ち、自分でも気付かぬうちにそれを掴み、開いて、中をあさる。

 そして雑多な物の中からお気に入りのキャラクターがプリントされているピンクの筆箱を取り出し、カッターナイフをその中から掴んだ。

 チキチキチキ、という、まるで自分の衝動の目盛りを回すような音。刃をめいっぱいまで出して、私は自分の左手首を切りつけようとして―― 


「――うぁぁぁ!」


 勢いをつけて振り下ろした刃はしかし、皮膚に触れることすらなく止まった。

 不可視の力が働き、私の右腕は、皮膚スレスレでピタリと静止した。

 すぐに、あの飴で『ふとした時に、自傷行為に及んでしまう私』を消した事を思い出した。

 あれは、今もまだ、しっかりと有効で、私の体もあの飴のせいでおかしくなっていた。


「はは、バッカみたい。私、何してるの」


 自分に言い聞かせながら、ゆっくりとカッターナイフを腕から離す。

 しかし、相変わらず真っ黒に渦巻いた衝動は心の奥に鉛みたいに蓄積していて、とてもじゃないけど落ち着いては居られなかった。

 カッターを握り締めたまま、カバンを左手で掴み、私は部屋を出た。

 廊下に出ると、そこは部屋の中と空気が違っていた。

 見渡すと、延々と左右に続く通路。そして、通路の手前側にだけ、幾十ものドアが並んでいた。

 通路の端は曲がり角なのか、壁しか見えない。

 倒れている男性の死体を部屋の中に引っ張り込む。

 ズリズリと、もはや肉塊と言ってもいい男性は重く、ギリギリドアが閉まるくらいの位置までだけ移動させた。

 死体をまたぎ部屋から出て、後ろ手でドアを閉めると、本来部屋番号が書いてあるような位置に私の名前が、綴られていた。

 誘拐から、計画的な犯行だったのだろうか。

 もしかして、この手前にあるドア全部に、人がさらわれて閉じ込められているんじゃないか。

 携帯をカバンから取り出し、画面を見るも、圏外。

 そんなにこの建物の壁は分厚いのか、この建物があるのががよほど山奥なのか、地下なのか、はたまた妨害電波でも使っているのだろうか……私には分からない。

 取り合えず、わずかに明かりが見える、先がありそうな右の方に歩き出した。

 前と右を交互に見ながら、ドアに書かれている名前と前から誰か来ないかに注意を払う。

 私の居た部屋の隣のドアから、順に。


『前常 亜希子』

『由奈月 松恵』

『日比野 瑞樹』

『大黒 千鶴』

『秋野 鈴香』


 どれも、女性らしき名前ばかりが、5つ。何人かは、見覚えのある名前……同じ学校の生徒のような気がする。

 そして、次のドアを見て、最初その文字の並びから、すぐには思いつかなくて。


「小松……茜」


 でも読み上げたその名前は、確かに、放課後に笑って別れたあの友人の名前だった。

 私は、おそるおそる中の様子を聞こうとドアに耳を当てるが、無音。

 もし何かが起こっていても、防音で聞こえないのかもしれない。

 そっとドアノブに手を掛け、ゆっくりと、ひねった。

 

「ガチャリ」


 少し手で押し、後は入った直後を狙われないように、ドアを蹴り飛ばした。

 ガゴっという鈍い音とともに扉は開き、私は中の様子を伺うべくカッターを構えながら入った。

 奥には、人影。


「小松さん?」

「桐野……さん?」


 お互いがお互いの名前を呼び合って、私はほっとした。

 

「大丈夫? 何もされてないよね?」

「う、うん。帰り道にいきなり知らない車に押し込まれて、気付いたらここに居たの」

「立てる?」

「たぶん、なんとか……」


 私と全く同じ状況だった。彼女の声は、怯えからか震えている。

 取りあえず、小松さんに近づき、そっと肩を貸して、再び部屋を出た。


「ここに居ても、そのうち誰かが来るわ、逃げないと」


 右手のカッターナイフで警戒しつつ、ゆっくり、ゆっくり、進んでいく。

 若干、足を引きずっている小松さんは、しかし軽いのであまり苦にはならなかった。

 

 こうやって、肩を貸していると、私が自傷するようになったきっかけを思い出す。

 そう、それは7年前、私が10歳の時だった。

 当時一番仲良くしていた女の子と公園で私は遊んでいて、ふとした時に転んだ女の子は足に怪我をした。

 軽い捻挫だったと思う。ひょこひょこと、歩きにくそうにしていたので、私は肩を貸して女の子を送ってあげることにした。


「きりちゃんありがと」

「いいよ、家の方向同じじゃん」


 そういって、少し得意げに肩を貸してあげて、私達はその女の子の家に向かう。

 公園を出て、ゆっくりと足をいたわりながら。

 途中、交差点も気をつけて、渡っていたその時だった。

 急カーブを描いて左側からやってきた大型のトラックが私達に突っ込んできた。

 小さな子供なんてガブリと呑み込んでしまいそうな、大口を開けたバンパー。

 その所々に付いている泥や汚れがまるで食べかすのようにも見えて。

 迫る大きな怪物に恐怖し、私は慌てて女の子を突き放して、横断歩道を駆けてしまった。


「きりちゃぁん!!」


 反動で、足を捻挫していた女の子はバランスを崩して倒れ。

 ……そして、車にはねられた。

 ガァン、という、チョークを黒板に思いっきり叩きつけたような音と共に、バンパーに弾かれた女の子は舞って。


「きり……ちゃん」


 ドサリ、と落ちたときには、もう、モノになっていた。


 あれから数年は、ふと落ち込むたびに女の子の声が響いて、そのたびに、それを忘れようと自分を傷つけて。

 それから、声が聞こえなくても落ち込むたびに、自分で自分を傷つけた。



 小松さんは絶対そんな目にあわせたくないという、過去への償いの意識から、私は今こうして彼女を助けたのだろうか。


「ねぇ、私達、どうなっちゃうのかな」

「きっと大丈夫よ」

「ここのドアに書いてある名前、見覚えある気がする」

「私もよ。それに、私も部屋に入れられていた」

「私、怖くて動く事も出来なかったのに、桐野さんは凄いのね」

「怖いわよ、私も」

「…………」

「…………」

「ねぇ、どうしたの? 小松さん、黙っちゃって――」


 ――ふっと、会話が途切れ、小松さんに呼びかけた私は、気付いた。

 ずりずりずり、と、小松さんの足は完全に私に引きずられている。

 それだけじゃなく全身の力も抜けていて、だらん、と棒を抜かれたカカシみたいに左手が下がったまま、動かない。


「っ! あ、そんなっ!」


 ふと見ると、小松さんの首、ちょうどその前面がぱっくりと割れていて、ボトボトと血が溢れ出して床に血の道筋を描き出している。

 左手の指には、小松さんのものであろう噛み跡がくっきり、残っていて、右手は生暖かい液体で濡れていて。

 真っ赤に染まったカッターナイフを、私は握り締めていた。


「いやぁっ!!」


 左肩を貸していた、既に生きてはいない小松さんを地面に放り捨て、私は右手に持っていたカッターナイフも地面に投げつけた。


 そんなこと、あるはずない。私が小松さんを殺しただなんて、そんなはずが。

 頭を抱え、地面にひざまずく。

 ふと気付くと、心の底で真っ黒に渦巻いていたあの感情が、晴れていた。

 その時初めて、私は悟った。


「ああ、また“やっちゃった”」


 呟いて、確信した。


 私は、無意識の内に、小松さんを殺した。


 自分を傷つける代わりに、小松さんをコロシタ。


 ジブンガスクワレタイカラ、キズツキタクナイカラ。


 アンナアメデ、ジブンダケタスカルタメニ。


 思考は、どんどんとスローモーションでカクカクとしたものになっていった。

 自己嫌悪、罪悪感、そして、無意識の内に人を殺してしまう、自分への、恐怖。


「そうね、そうよ、一番怖いのは何より――」


 私はカバンを探り、外ポケットから取り出した、最後の1粒を、口に含む。

 強烈な甘味が広がり、一瞬で……。


「――私」


「                    」

「                           」





……コレデ、モウコワイモノハ、ナイヨネ?


<了>

どうも、初めまして、PINOOと申します。

最後までお読み頂きありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?

飴の効果については詳しい裏設定などもありますが、もしかしたら短編連作として続きを書くかもしれませんので秘密にしておきます。



ちなみにこの作品は私が携帯サイト〜IN THE BLUE SKY〜で執筆した作品です。


では、以後よろしくお願いします

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― 新着の感想 ―
[一言] 恐ろしい主人公ですね。感情移入して読んでいたので、最後の結末には衝撃を受けましたf^_^; そして、『飴』と『謎の駄菓子屋』さん……短編連載の方、楽しみにしています^^ これからも頑張ってく…
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