その世界に××はいない
【主な登場人物】
・榛名 縁
本作の主人公で平凡な日常を送る少女。「退屈」が口癖。
・湖口 恋歌
縁の良き親友でムードメーカー。実は怖いものと痛いことが苦手。
・佐島 夕輝
成績優秀な縁のクラスメイト。友達がおらず、話している様子を誰も見たことがない。
私の視界に広がる世界は灰色だ。
色覚に異常がある等と言うことはない。ただただ、私の人生は平凡で色がない。テレビをつければ、私と同世代の女の子達がスポーツや芸能で活躍をしているし、もっと身近なところに視点を置いてみるならば、クラス内には私よりも、可愛くて、成績も良くて、運動も出来る子が存在している。
そんな自分は、比較してみれば、どれも平凡で取り柄がない。唯一、1人だけだが、友達がいてくれることが、神様が私にくれた慰めであるのだろうと思えてくる。
「縁、どうしたの?また何か考えてたでしょ?…あー!分かった!!恋煩いだね!」
「んなわけあるか。特に考えてないよ。それに、小学校から女子しかいないこの学校で、どうやって恋をしろって言うんだよ…」
「縁に彼ぴっぴが出来たら私泣いちゃうよ?」
「話を聞け。暫く出来ないだろうから安心しろ」
私の名前は榛名縁。中学2年生。
前述した通り、平凡すぎる日常を送っている。
私が通っている籠宮学園は、小等部から大学までエスカレーターで上がれてしまう。つまり、私がやる気を出して他の学校への進学を考慮しない限り、受験勉強は就職まで一切することはなく、思春期特有のモラトリアム状態に苛まれることもない。ちなみに、勉強はあまり好きではない為、退学にならない程度しかやってない。
また、時期も時期なだけあり、恥ずかしながら軽度の中二病を患っているのかもしれない。榛名縁は心の底で平凡を忌み嫌い、そして突飛な世界を望んでいる。
「で、なんだよ恋歌。放課後また何処か行くのか?悪いけど今月はかなり金欠だ」
「ふふーん!だったら、お金がかからない遊びをしようよ。学校で流行ってるオカルトっぽいやつとかさ」
「くだらない…。あんなの信じる馬鹿いるのか…?」
「目の前で馬鹿って罵るのは酷いよ!?ちゃんと流行った根拠だってあるんだから。もう、そうやって毛嫌いしているから口癖が『つまらない〜、退屈〜』になっちゃうんだって。やってみなくちゃ分からないよ?」
「はいはい。分かった、なら付き合うよ。丁度放課後人も少ないし、誰かに迷惑をかけることは無いだろう」
時計の針は午後4時50分すぎを指している。ホームルームはとっくに終わってしまった。そのため、教室内には私たちと、少し離れた席で自習している女子生徒しかいない。学校内で勉強をするなんて、意識高い自分を見てくれと、自己主張が激しいように思えてきて、あまり好きでは無い。私は、努力をするなら隠れてしたい主義である。
「都市伝説って言っても3つぐらいあるよな。やるのってどれだ?5円玉のやつ?」
「うん、それそれ。5時になったら初めようかな?それまでに準備終わらせちゃおう」
「本当にやり方分かってるの?」
「恋歌ちゃんに任せておけって!」
私たちがやろうとしていること。それは学校内で脚色された都市伝説、『異世界コックリさん』だ。
この学校は過去に問題事が重なり、それらが非常に不吉なことだったために、幾つか都市伝説が生まれた。簡単に纏めれば、学校の七不思議の1つみたいなものである。七つも不思議なことは存在しないが。
逢魔ヶ刻にやることと、コックリさんお決まりの10円玉ではなく5円玉で、その媒体に髪の毛を用いること以外、本家コックリさんと異なる点は無い。しかし、本来のコックリさんとは儀式をやる目的はまったく違う。本家は呼び出した霊に真理を問うものだが、アレンジ版はある質問をすることで異世界へ飛べると言うのだ。
異世界と聞くとライトノベルの主人公がチートで無双しながらハーレムを築くイメージがあるかもしれないが、それは違う。過去、掲示板で話題になった『きさらぎ駅』のように、この世でもあの世でもない。そんな時空に飛ばされてしまうらしい。
「よしっと。準備出来たよ。はじめる?」
「逢魔が時にはまだちょっと早いが…。良いよ。どうせ何も起こらない。さっさとはじめよう」
「おうけー」
机に紙を広げる。自分の髪の毛を一本だけ取ってちぎる。それを5円玉の穴に通し固結びし、鳥居のイラストが描かれたところに置く。これだけでも雰囲気があって、禍々しい絵面に、少しばかり期待に胸を膨らませる。
「えっーと…、なんて唱えるんだっけ?縁覚えてる?」
「…結局私がやるのか……。――――コックリさん、コックリさん。お出でになられたら『はい』のところまでお進み下さい」
「そんなんだったっけ?」
「雰囲気壊すな。少しだけ話すの我慢しろ」
5円玉は期待を裏切らず。ゆっくりと亀が歩幅を刻むように『はい』のところまで移動する。私は動かしてはいない。「恋歌動かした?」と正面に座る友人に質問すると、彼女は黙って首を左右に振った。
「どうやらマジみたいだな。どうする?続行するか?」
「正直動くの見れたからどうでもいいやー。縁はどうするの?普通に質問攻めして遊ぶ?」
「いいや。…恋歌は私がどうしようが怒らない?」
「怒らないよ。いつだってお互い様でしょ?てか何するの?」
「あんたこの先知らないで私に提案したのか?」
「うん。名前だけ聞いてね、なんだか面白そうだったから」
彼女の好奇心に火をつけた理由がどうしようもなかった。でも動機の理由は分かるかもしれない。面白そうだから、という理由は、最大の行動力を生み出す。
ここまで来たのだったら、私だって踏み出してみたい。
「――――連れてって貰うのさ。未知の世界に」
私は大きく息を吸って、その言葉を紡ぎ出した。あちらへと繋がるかもしれない、都市伝説であると謳われる鍵。
「コックリさん、コックリさん。あなたはだぁれ?」
5円玉が動き出す。ひらがなが記された紙の上を、踊るように滑っていく。示した文字は『あ』『か』『い』『ろ』。――――赤色?
赤色とは何だ?
「…縁」
恋歌が何かに怯えたように目を見開く。「どうしたの?何?」と私は彼女に質問するが、声が出ない。音が聞こえない。シャッターが閉じられてしまったかのように聴覚が遮断されて伝わらない。
視覚が歪み、大波に飲まれた時に平衡感覚が狂うような、三半規管があちら側に持っていかれる。
「あーあ。どうしてわたしまで巻き込むのかしら」
澄んだ川のせせらぎのような声色だけが、私の近くで聞こえた。それを耳にした時、私は眠るように崩れ落ち、意識を、虚無の彼方へと手放した。
真上に誰かから見られている。
そんな恐怖を感じた気がして起き上がった。どうやら私は、机に突っ伏して眠っていたらしい。
上半身を伸ばして周囲を見回す。一瞬、さっきの名残で、自分の視覚が狂ったままなのかと思ったが、違うらしい。
「なんだこれ…」
赤、赤、赤。
暗記用の赤シートを通して覗いたような、目を刺激する毒々しい紅の世界だった。この色の正体は、窓から刺す赤色の夕焼けのせいかと感じたが、それだけでは無い。元から赤いのだ。
私たちが呼吸をする時に、空気を吸うように、赤色はそこからずっと滞在している。そんな風に感じてしまった。
「木の机…。机や椅子だけじゃなくて建物自体も木造か。現代の日本だと非常に珍しいな」
探索しながら物に触れる。私が今いるこの場所は元いた世界とは完全に異なっているみたいだ。では、一体此処は何処なのだろう?
「恋歌…?どこいった?」
私の独り言は、赤色に満ちた世界に虚しく消える。
気掛かりになることは他にもある。私がこちらの世界に移る時、唯一聞くことが出来た声。あれは誰のものなのだろう。私は思考を回らせながら廊下に出る。かなり古い木造建築の為、足元は不安定で歩く度に不安にさせる音が鳴り響く。床がそのまま抜け落ちてしまいそうだ。
廊下から教室外に掛けられたプレートを見上げる。そこには漢字で『一年二組』と記されていた。突き当たりまで歩いてみると、各学年2クラスずつで構成されているらしい。五・六年の教室は見当たらない。予想だが、1階にあるだろう。
「ここを探索しながら、恋歌を見つけるとするか」
床をギシギシと鳴らしながら「恋歌、どこだ?」と声を張り友人を探す。
途中、窓を開けてそこから脱出することを試みたが、鍵が外れていても開けることは不可能だった。恐らく、1階に行っても昇降口から抜け出すことは無理に等しいと考えられる。そうと分かっていても、やってみなくちゃ分からない。階段を見つけ、1階へと赴く。
丁度その時だった。
「…誰だ?」
声が聞こえた。少女のものである。少しだけ恋歌のそれと似ているように感じた。吐いた言葉は不明確であるが、助けを呼ぶような、危機が迫ったような調子であった。
距離は私がいるこの場よりも下から聞こえてきたように思える。此処は2階。1階に降りるしか選択肢はないだろう。
「恋歌!?…どこにいるんだ?」
駆け足で階段を滑るように降りる。泣きそうで、押し潰した声が、「助けて」と、私の耳を擽った。
1階に着き、順番に教室を覗く。
恋歌の姿は直ぐに見つかった。
窓を背に立っている。射し込む緋色が禍々しく、彼女の恐怖に歪んだ表情を照らしていた。
「恋歌、そこに立って…どうしたんだ?何かあるのか」
「…ゆ…縁…。え、何かって…?……もしかして…、見えないの…?」
今にも涙を零しそうな双眸で私の姿を捉える。置かれたこの状況に困惑して問い返す。
「嘘でしょ……?本当に…見えないの…?」
言っている意味が分からない。精神状態が不安定になった時には、誰かが傍に付き添ってあげることが重要だ。それに加えて、現在の状況を整理して、彼女の言い分を聞く必要がある。
私は恋歌の近くに行くべく、教室内に立ち入る。
「大丈夫だよ。二人いれば怖いことは無いって」
「そうじゃないんだって!いるの!やばいのがいるの!」
夕焼けが作り出す、私の身長を遥かに越える長い、長い影法師。その影法師を踏む何者かの気配がした。第六感が、背後にいるモノは人ではないと私に訴える。それは私がこの世界で覚醒する直前に感じた視線と非常に酷似していた。
正面に佇む恋歌の表情が益々悲しみと恐怖で歪む。
「駄目…縁…、分かるでしょ!?見ちゃ駄目だよ…!」
恋歌がそう言ったのは、私が振り向いてしまった後だった。
―――振り返ったそこには黒い髪の毛を垂らした小学生ぐらいの女の子が、大きな口を裂けるまで開き、潰れた瞳を細めながらケタケタと笑っていた。
目を合わせた瞬間、その少女に両足首を捕まえた。そのまま引き摺られて廊下に連れ出された。
体は金縛りにあったかのように動かすことが出来ない。少女の言いなりになる。廊下で押し倒された私の目の前で、奴はジャンバースカートのポケットからハサミを取り出した。文具用のハサミではなく、布の裁断に用いる裁ち鋏である。
「…誰?私に何をするんだ?」
私の問いに少女は無視。
「…ちっ。口を聞けないのか」
少女は話さない。潰されて窪んだ両目は感情を持たず、虚ろである。耳の方まで裂けた口から、「ケタケタ」と不気味な笑い声を唇から漏らす。その度に少女の血液が、ぼたぼたと私の顔面に降り注ぐ。放つ異臭が、私の気分を悪くさせる。
辛うじて動かすことを許された口で、離れた場所にいる恋歌に尋ねる。
「恋歌!?聞こえる?無事か…?」
「私は大丈夫…。ごめん…体が動かないの…!ごめん…ごめんなさい……」
「大丈夫だ、こっちはなんとかするから」
涙を啜る声が辺りに響く。動かないのは私と同様、湖口恋歌もそうらしい。私も無理を強いる訳にいかない。どうにかしてこの状況を打破する方法を打ち出さなければならない。
引き摺られた時に擦った顎の傷がジクジクと痛む。だが痛みはそれだけでは治まらなかった。 私の鮮血が他の場所からも迸る。
「…ったぃ!?」
嫌な予感は的中。指先に、小さな少女が手にした、大きなハサミが勢いよく突き刺さる。爪が破れて皮膚に食い込み、血液が溢れ出た。
「ぎゃあああぁああっ!!!!いったい!!!!待てって…おい!ちょっと、…タンマ!」
少女は私の言うことを相変わらず無視する。鈍くも、はっきりとした痛みが神経を刺激していく。潰されていくのは人差し指だけではなく、中指、薬指と、淡々と作業を熟すように刃物は劈く。昔の拷問器具で、爪を割って罪を白状させたり、けじめを付けさせたりするというものが存在したと耳にしたことがある。思わず私はそれらを連想してしまった。
体は動かない。痛さで顔を顰めたくても、出るのは掠れた悲鳴のみ。筋肉が氷のように固まってしまい、抵抗すら出来ない。このまま指先が無くなったら私はどうなってしまうのだろう?決して死には至らない、体を蝕む痛みが激しくなっていく。疼痛で思考が追いつかない。
左手が終わった。少女はハサミを反対側の手に持ち帰る。行動速度はかなり遅い。抵抗さえできればこちらのものだが、私の体がそれを許さない。お願い、動いて、動け――――
「待たせたわね」
突然、第三者の声が聞こえる。それと同時に、私を押し倒していた少女の額に、子どものサイズのローファーが命中した。直後、金縛りが溶ける。声の元へ振り向く前に、その人は、私の手を掴んで別の場所へと誘導される。顔を確認するまでもなく、その後ろ姿で、私は声の正体を見破った。
「お前…、佐島さん…だよな?どうしてここに…?」
「話は後。逃げるわよ。いつあの化け物が追いかけてくるか分からないわ」
「待って、恋歌が。あそこの教室に恋歌がまだ残ってるんだ」
佐島さんは「仕方ないわね」と短く舌打ちをし、私の手を引いて、恋歌が残る教室へと引き返す。
教室内を覗くと、涙で顔を汚した恋歌が座り込んでいた。
「縁…!?どうしたの、その血…」
「顔面のは私のものじゃないから安心しろ。他の傷は気合で耐えてる」
「気合って…。何があったの…?」
「良いから逃げるわよ。立てる?」
佐島さんの顔を見上げた恋歌は状況を読めず困惑の表情を見せる。しかし、それ所ではないと悟ったのか。背を向けて駆け足で逃げようとする佐島さんに、黙って恋歌は付いていく。
「だけど逃げるったって何処に行くんだよ?」
「良いから付いてきて。…あなたの指大丈夫かしら?平気そうに振舞っているけれどそんな余裕無いんじゃない?」
「…そうだな」
彼女の言い分に私はぐうの音も出ない。
佐島夕輝。私たちがコックリさんを行った時、教室内に残っていた女子生徒こそが彼女だ。成績優秀で、定期テストは常に学年上位に入るぐらいの常連である。だがしかし、頭脳の回転の良さとは対象に、友人関係が壊滅的だ。実を言うと、佐島夕輝が他の女子と話している場面を見たことがない。
あの教室で、コックリさんを行ったのは私と湖口恋歌の二人だけだ。何故、関係者ではない佐島夕輝がこの場に存在しているのか。さっぱり理解が追いつかない。佐島夕輝が、私たちの目の前に現れたことに対して訝しく思う。
「保健室に行きましょう。話はその後よ」
1階、昇降口の真横の保健室に着いた。
壁に掛けられた時計が4時58分を差したまま停止している。木と消毒液の混ざった匂いが鼻を刺す。
棚を漁ると、包帯や絆創膏など手当に必要なものは一式揃っている。本当に使えるようだ。私たちが今まで見ていたことが幻ではないと言える証拠である。
「指を出して。血を止めないと大変だわ。序に顔についた血も拭かないと。突っ張って気分が悪いでしょう?」
「ああ。悪いな」
部屋の隅にあった椅子を三脚取って用意し、それに腰掛け、私は指先を潰された左手を彼女に差し出す。佐島さんは「痛そうね」とだけ呟くとガーゼで血液を拭う。私は傷口に触れられる痛みに歯を食いしばった。
「ねえ…、本当にその傷大丈夫なの…?」
「手の傷は治りが早いし、それに利き手は右だ。心配するほどじゃないよ。痛いのは変わらないけどな。…しかし、あの少女。一体何者なんだ?あと何故、ここに佐島さんがいるんだよ?」
「それはあの教室ごと、空間転移しているから。わたしは降霊術に参加していないけど、あなたたちのせいで巻き込まれた。そのことは許さない」
「…えっと…、それはごめん」
私が謝ると佐島さんは「まあ今更言ってもあれよね。別にいいけれど」と答え、そのまま続ける。
「紛うことなきここは異世界。あの世でもこの世でもない、呪われた空間よ」
「それで…、あの化け物は何なの!?縁だってあれに襲われて…っ」
「あれは憑かれているだけね。きちんと接すれば害は無いわ。…ところで。あなたたちがやったアレンジ版コックリさん。あれが出来た経緯を知ってる?」
詳細まで私は知らない。ただの遊びのひとつで、この学校に入った時から、皆が口々にしていた根も葉もない噂だ。私たちのようにそれをやった者もいたはずだが、その先の話を聞いていない。恐らく何も起こらなかったのだと予想する。
私と恋歌は顔を見合わせて、首を左右に振って否定した。
「そんな事も知らないでやるなんて論外ね。…かくれんぼよ」
「…かくれんぼ?」
「そう。うちの学校、籠宮学園って小等部からあるでしょう。まずそこが派生。ある子ども達が放課後、校内でかくれんぼをしていたんだって。で、隠れていた子ーーー仮にAとBにするわ。その子たちは同じ場所に隠れたの。しかし、校内はとても広いわ。AとBは中々オニに見つからなかった。そこで待っている間、興味本位で、二人でコックリさんをすることになったの」
「それで…どうなったんだよ?」
「やっている最中にオニに見つかって、その反動で手を離してしまった。そしたらどうなる?」
「呪いお持ち帰りじゃなかったっけ」
「正解。呪いの影響で二人は狂い死んだ。それだけよ」
「おい、待てよ!?狂い死んだってなんだ!?それだと、この空間が出来上がった理由になってないじゃないか!?」
「そのままよ。その3人の想いで作られた世界。言っておくけど、ここは事件があったその後の過去じゃないわ。だから、わたしたちは未来人ではない。異空間に迷い込んだ子羊よ」
赤色が射し込む窓を、佐島夕輝は眩しそうに目を細めて見上げる。
「え…?あのさ、呪いをお持ち帰りをしたのは隠れていたAとBだけじゃ無かったのかな?もしかしてオニも巻き込まれた?」
「ええ。そうよ、湖口さん。かくれんぼのオニをしていた彼女も呪いの1部としてこの世界に取り込まれている。それが多分、榛名さんを襲った少女ね」
「質問ばかりですまない。もうひとつだけ聞かせて欲しい。校内では只の都市伝説でしか無いんだぞ?本当にあったことなのか、きちんと証明出来ない」
「証明出来るわ」
「…スマホ?ここって繋がるの?」
「いいえ。面白そうだったから過去の新聞記事を保存していたの。これを見て」
恋歌の問いに佐島さんはスマホの画像を見せる。随分前の新聞記事のようだ。拡大をして、文字を追う。
「1980年6月30日、3人の女子児童が死亡。その内1人の死体は眼球と口元が引き裂けられていた。 犯人は見つかっておらず、そのようになった経緯も不明…、って」
目を通したの確認した後、そして佐島夕輝は短く息を吐く。
「気付いた?ここは1980年6月30日のわたしたちの学校の小等部。あの悲惨な事件の延長にいるの」
「…ごめん。佐島ちゃん、私の脳みそじゃさっぱり分からないよ…。何かなこれ。大体、こんなすごい事件、私たち知らないよ?縁は知ってる?」
「いや、噂だけならな。明確には知らない。校舎を立て直す前のことだし、事件が風化されているのは納得しようとすれば出来るが、まさか本当のことだとはな…。この世界からは抜け出すことは可能なのか?」
「分からないわ。窓は勿論のこと、昇降口のドアも固く閉じられていたの。子どもの外履きがあったからそれはそれで良い収穫になったわ。あれに物理攻撃は可能のようね」
佐島さんも同じく、脱出方法を既に模索していた。いつあれが襲いに来るか分からない中で、私たちは考える。そこで私はまた、不可解なことに気がついた。
「あのさ、学校の都市伝説の話なんだけど。コックリさんに『あなたはだぁれ?』って聞くよな。あれって何の意味があるんだ?それが引き金でこちら側にやってきたみたいなものだろ」
「それが問題なのよね。ごめんなさい、わたしも分からないわ」
「確かだけど…さっき佐島ちゃん、あの化け物に対して〝憑かれている〟って言ったよね。それとは関係ないの?」
「憑かれているっていっても正体が分からないのよ」
「コックリさんを呼び出しても、それが本当にコックリさんなのかね…」
コックリさんを行ったことにより、子どもたちが『狂い死んだ』とされるなら、その呪いは降ろした霊に因果するに違いない。だったら、1980年6月30日の延長線上にある籠宮学園で、もう1度再現してみれば良いのではないのだろうか。呪いを被ったのが3人、そして私たちも3人。きっと、その過去と無関係では無いはずだ。
「ここでコックリさんをやろう」
「マジで言ってるの…?」
恋歌が涙目で怯える。こちら側に来るまで乗り気でいた彼女の様子とは大違いだ。
「わたしも榛名さんの意見に賛成だわ。元の世界に戻るにはコックリさんをやるしか方法はないと思うの。…湖口さん、こちらに来た時、あなたの体の他に付いて来たものがあったでしょう?」
恋歌はこくりと頷くと、ポケットから4つに畳まれた件の紙と、髪の毛が通された5円玉を机の上に出した。
「…うぇ…。本当にやるしかないのかな」
「やりましょう。今はそれしか方法はないわ」
髪の毛を一本引きちぎり、私たちのものに加えて佐島さんは自身のそれを通す。
そして互いに目を見て確認し、指を置いた。
「いいかしら?絶対に指を離しては駄目よ」
「…分かってるよ」
「安心して。それぐらいは私だって理解してるから」
深呼吸。覚悟を決めて詠唱をはじめる。
「コックリさん、コックリさん。お出でになられましたら『はい』へお進み下さい」
「…動いた」
あの時と同じく、5円玉はゆっくりと『はい』の位置まで動く。言うまでもないことであるが、私も、他の二人も動かすという行為はしていない。
「どうする?何を質問するの?」
「まずは無難に行くか。…コックリさん、コックリさん。『あかいろ』とは何ですか?」
あの時、『誰か』と聞かれた質問に、答えられた『あかいろ』の四文字。5円玉は再び静かに動き、ひらがなをなぞっていく。
その文字は『ゆ』『う』『や』『け』。
「んなこと知っとるわ!?」
「榛名さん落ちついて。質問を変えてみましょう。ーーーコックリさん、コックリさん。お戻りください」
5円玉が鳥居に戻ったところで改めて質問をする。
「コックリさん、コックリさん。わたしたちは元の世界に帰ることはできますか?」
5円玉は『いいえ』を指す。
「コックリさん、コックリさん。怒っていますか?」
5円玉は『いいえ』をまた指す。
「コックリさん、コックリさん。わたしたちをこちら側に呼んで楽しいですか」
3度、5円玉は『いいえ』を指した。
「何これ!?楽しくないのに呼んだの?さっさと私たちを帰してよ?…それか『いいえ』しか動くことが出来ないの?コックリさんってイヤイヤ期の2歳児?」
「それは無いと思うが…。それじゃあ、メインに行くか」
ごくりと唾を飲み込む。あの時のように私は続ける。当たり前に呼吸をするように、ゆっくりとじわじわと禁忌を犯していく。
「コックリさん、コックリさん。あなたはだぁれ?」
途端、5円玉は動かなくなった。
「何の音…?」
その音は、地の底から響くような秒針のものだった。
壁に掛けられた、止まったはずであった時計の秒針が急にカチリカチリと鳴り始める。秒針は動いても、短針と長針は動かない。永遠に4時58分を刻んだままだ。
「あははっ」
ねっとりと、溶けたチョコレートが喉に絡むような甘くて無邪気な笑い声が響いた。
半開きにしていた保健室のドアがバタンと音を立て塞ぎ、私たちは密室と化した保健室に閉じ込められる。
「ひゃっ!?何なの!?何が起こったの!?そんなに正体に迫ることは禁忌なの!?」
「随分とご立腹だな。大丈夫、三人寄れば文殊の知恵だ。怖いのは皆同じ。平静を保とう」
パニック状態になっている恋歌を宥める。だが、恐怖は私たちの心を侵し、蝕み続ける。
「コックリさん、コックリさん。おかえりください…!コックリさん、コックリさん。おかえりください…!え…?どうして?…コックリさん、コックリさん…っ!お願いよ、答えてください」
常に学校ではポーカーフェイスであったあの佐島夕輝も、動揺し、呪文を繰り返す。
停止していた5円玉は、紙の上を動き回る。文字をなぞることをせず、忙しなく往復を繰り返す。まるで私たちを拒むかのように。
「指先を固定したままで、これはどうやって逃げろって言うの…!?」
「締め切られているから逃げ出せない。今は逃げるよりあいつらと戦う対策だ。人じゃないから並の行動じゃ歯が立たない」
「そうね。こうなったら仕方無いわ。もういっそ指を離してしまいましょう」
佐島さんの突飛すぎる発言に、私と恋歌は目を見開く。
「じょ…冗談じゃないよ!?」
「何言ってるんだ?そうしたら過去の事件の二の舞になるんじゃないのか?下手をしたら全員呪いを被り、怨霊となり、彷徨うだけの存在になるかもしれないんだぞ?無事でいられる保証はどこにもない」
「だからこそよ。ここに来た時点でわたしたちは既に呪いを施されているだろうし、逆に捉えれば過去を再現することで真理に近付けるかもしれない。禁忌に対抗するのは、禁忌ってことよ」
「…なるほどな。何か行動を起こさないと帰れないもんな。一縷の望みに賭けてみるのもありかもしれない」
「え!?えぇ…縁まで…?嫌だよぉ…。こんなことになるなんて思わなかった…」
この先待ち受けるかもしれないことを想像したのか、恋歌が涙を零す。私だって彼女と同じ思いだ。このような状況になるなんて、誰があの平凡な日常で思ったのだろうか。
「泣かないで湖口さん。せーので離すわよ。…せーのっ!」
一斉に5円玉から指を離す。
禁忌とされる、コインから指を離すこの行為。鳴り続ける時計の音がうるさい。このエキセントリックな場で、何も起こらない訳がない。
無論、異常は直ぐ見られた。
「…あれ、佐島さんは?」
隣に座っていたはずの佐島夕輝が消えてしまっていた。
消失というより、欠落と呼ぶのが相応しい。彼女がいたその場に穴が出来たようにぽっかりと空いてしまっている。初めからいなかった。そんな雰囲気を醸し出す。佐島夕輝の匂いも温もりもそこに留まることをしていない。
「恋歌…?恋歌!?どうしたんだよ!?」
恋歌が首元を抑えてその場に倒れ込んだ。息を乱し、白目を向いて、何かを叫びたがっている。呼吸が上手く出来ないようで苦しそうに見える。
私は傍に寄り添い、その背中を摩る。序に首元の手を払い、前屈みにし、呼吸をしやすい態勢を試みる。
「…平気だよ。少し締め付けられただけ」
「本当か?無理しないで」
「みぃつけた」
背後に何者かが現れた。襲われた時とは異なり、殺意は感じられない。自分の第六感を信じて振り返る。
「…誰だ?」
「みつけた、ってあたしが言ったでしょ?だから次はお姉さんの番」
甘い声を放つのは、小学四年生ぐらいの女の子だ。
私が襲われたのとは異なり、5体満足であるが、生きている人ではない蒼白した顔色と、この世界のように真っ赤に濡れた瞳が私に恐れを抱かせる。
「私はお前に誰だって聞いてるんだ」
「あたし?あたしはめぐみ。多分もう死んでるから年齢は分からない。きっと本当の年に追加して30年はここの世界で生かされてるかもね。お姉さんはどこのひと?顔がこわいよ」
「うっさい。お前は裁ち鋏を持って私を襲わないんだな。それに殺意も感じない。今のお前は、あの少女とはどういう関係なんだ?」
「それは莉子ちゃんのことかな?莉子ちゃんは特別だからね。仕方ないんだ」
「特別?」
少女の話す謎の単語に、私はオウム返しをする。
「そう。遊んでいたらね、気が付いたらこんなところにいたの。それを仕掛けたのは莉子ちゃん。ここを仕切るのも、遊びを続けるのも、全て莉子ちゃんなんだよ」
「めぐみちゃん…だっけか。君はここから抜け出したい?この世界は君が思う以上に酷くて凄惨だ」
「出られないんだもん。あきらめるしかない。ここでのあたしは、たまに来る人をからかうことぐらいしかないわ」
「たまに来るの…?私たち意外に?」
めぐみは「うん」と頷く。その返事は軽くて、自らの肉体が閉じ込められたことに何とも思っていないようだった。
「お姉さんたち、あたしたちと遊んでくれる?」
「遊んだらここから出られるか?」
「それは知らないかな。莉子ちゃんが満足したら解放されるかな?この真っ赤な夕焼けに染られた世界から」
「もし…私たちが断ったら、どうするの?」
「あははっ、息の根を止めちゃうかも。さっきみたいに」
恋歌の問いに、幽霊少女は笑みを零す。その笑いは心の底から嘲笑する笑みだ。正直、この少女に問いたいことは沢山ある。だが、今は従うしか無いだろう。
「今、私たちは君に見つかったんだよな」
「うん」
「あの事件の日、コックリさんをやった君たちは二人で隠れていたんだよな?」
「そうだよ。それで見つかって手を離した。だから、本来はあたしたちがオニを続けるのだけれど、莉子ちゃんはずっと自分のことをオニだと思っているみたい」
「そうなんだ…。縁はそれを聞いてどうするの?」
「いいから黙って聞いてろ。君が見つけたのは、首を絞めた恋歌…彼女だけ?私もカウントされてる?」
「2人同時に見つけたんだもん。そんなのお姉さんたちに決まってるじゃない」
「分かった。最後の頼みだ。私らを幽閉したのは君か?もしそうだったら、ここの扉を開けてほしい」
「良いよ。ちょっと反応を楽しみたかっただけだし」
二つ返事で少女は答える。
得体の知れない力で、保健室の扉が開いた。
私は椅子から立ち上がる。「恋歌も一緒に行こう」と声を掛けると、涙目のままの彼女は不安を瞳に宿しながら、そっと席を立った。
「隠された佐島夕輝を探し出し、その序に君のお友達とも遊んであげるよ」
「たのしみね」
解答に少女・めぐみはまた笑う。目を細めてくつくつと笑う。
「だから、次は私たちがオニだ」
言葉を吐き捨て、私は保健室から、恋歌と共に立ち去った。
「ねえ、オニを引き受けたのは良いけれど、何処から探すつもりなの?」
「何も考えてない」
「はぁ!?どうせならあの子に、昔何処に隠れたのか聞けば良かったんじゃない?」
「ああ…、その手があったか」
「縁にしては抜けてるね…。まあ、端から探してみますかっと。私、かくれんぼをするなんていつ以来だろう?」
情緒が安定した恋歌は、いつもと変わらない様子で私と会話をする。
真っ赤な光が差し込むせいで、色が刺激して目が痛む。
かくれんぼ。昔よくやった遊びだ。オニが各所に隠れた他の人たちを探し出すゲーム。探す場所と隠れる場所、互いの読みを考え出さなければならない。
階段を上がり、途中の踊り場で私は考える。
「恋歌はかくれんぼをするなら何処に隠れるか?」
「え、私?うーん、そうだなぁ。縁は?」
「質問に質問で返すな。私はどちらかと言うと、無性にオニになりたがる奴だったから、敢えて見つかりやすい場所を選んでいたかも。例えば机の下だとか」
「へぇ…。逆に私は逃げ切りたいタイプだったなぁ…。掃除道具を入れるロッカーとか、教員用男子トイレの個室とか」
「よし、まずはロッカーから探そう」
「本気で言ってるの!?」
「他に探す宛もないんだから良いだろ」
まったりと会話をしながら二階に上がる。この世界に召喚された時に私がいた場所も二階であった。上がりきったこの場所から見下ろしてみると、此処より上の階は存在しないらしい。故に、二階建ての校舎だということに間違いは無いだろう。
「もう、いいかい?」
私たち以外に存在しないような、静まり返った廊下で声を出す。不気味なぐらいそれは反響して、赤色の中に吸い込まれていく。消えていく。
「何も聞こえないね?」
「…そうか?」
そんな訳ない。これはゲームだ。宣戦布告した私たちを無視するなんて、そのようなことは考えられない。
「もういいよ」
微かにだが、耳に届いた。
「恋歌は?」
私が尋ねると、彼女は首を横に振る。この世界は見えたり見えなかったり、聞こえたり聞こえなかったりと、怪奇現象が随分と忙しい。
「返答したとしたらどっちかな?ラスボスか、もう一人の子」
「変なあだ名付けるのはやめてあげろ…」
「化け物よりマシでしょ。佐島ちゃんがいるとしたらラスボスと一緒の可能性の方が高いかなぁ?ラスボスは自分のことオニとしか認識していなさそうだし、もう一人の方?」
「たまには結構まともなこと言うな。確かにその可能性はある」
「ちょっと馬鹿にしたでしょ!?」
廊下に出て、声が聞こえた場所を探る。教室の中を見ても、見えるものは、使い古された木の机と椅子だけ。人の気配は一切しない。
「小等部の時、恋歌って何組だったけ?」
「ずっと2組だったよ。3クラスしかなかったけれど、縁と一緒になったのは中学に上がってからだったよね」
「よし、じゃあ目の前にある2年2組に入るか」
「あれ!?私の過去話聞きたくない!?ちょっと思い出ぐらい感傷に浸ろうよ!?」
「いや…。ホラーとギャグは紙一重だって言うし」
「私をツッコミ役にしないで!?」
ガタッと何かが物音がした。
音のする方向に顔を向けると、2年1組の教室の扉が開いたり閉まったりしている。
「呼んでいるのかな?」
「そんな分かりやすい真似はいくらガキでもしないだろ。フェイクだ、フェイク。また遊ばれて保健室の時みたいに閉じ込められるぞ」
「…そうね。でも気にならない!?」
「お前怖いの苦手じゃなかったのか…」
そんなに言うなら、と私たちは2年2組ではなく、1組の教室へ入室する。
今にも抜けそうな床が体重を辛うじて支える。過去の時空の延長線上とは言え、年月は経過しているのだろう。
「何も感じないね。いると思ったんだけどなぁ」
「ロッカーだとか蓋が付いた棚の中を見てから言え」
ギィィと音が鳴り、少し遅れてバタンと何かが閉まった。掃除用具入れの扉が開閉したらしい。掃除用具入れは、教室の後方、窓側に設置されている。前のドアから入った私たちからはやや距離がある。
「…ちょっと縁見てきてよ」
「嫌だよ。つーか、やっぱ怖いんじゃん!?人をパシるな!?」
「怖くないもん!全然怖くないもん!」
「じゃんけんで決めよう。んで、負けた方が掃除用具入れの中身を見に行くか」
私の提案に恋歌が渋々頷く。
「じゃんけんぽい」で出したのは、私がグーで、恋歌がチョキ。即ち、私の勝ちだ。
「やだやだやだ!!無理!出来ない!何でパー出さないの!?信じられない!?!?」
「知るか。コックリさんよりも、今の恋歌の方がイヤイヤ期の2歳児だよ。宣言通り、勝ったからには、行って貰おう」
「うぅ…。薄情者め…。何かあったら助けてよね」
「当たり前だ。それを前提で話をしていただろう」
恐る恐る、千鳥足で恋歌が掃除用具入れに近付く。傍から見れば通報されるぐらい怪しい不審者だ。
あと3メートルの距離といったところで、再び物音が発生する。
閉められていたはずの扉が、再び開いて、勢い良く閉じた。
「ねぇ…待って無理…。見た!?今の見た!?」
気にならない等と巫山戯たことを言った本人が嘆いているのを見るのはやや面白い。以下のことはとても本人の前では告られないが、そもそも恋歌の反応が面白い。こんなことを考えるなんて、私はSなのだろうか?
顔を真っ赤にし、私が佇む方を、その潤んだ瞳で見る。
「うん。今のは見た。開いて閉じたね」
「ちょっと!?!?何でそんなに冷静なの!?助けてよぉ…。怖いから縁も来て…。お願い!本当にお願い!」
「…分かったよ。仕方ない」
もう少し反応を楽しみたかった故に、心ならず恋歌に従う。私は彼女の近くまで歩み寄る。掃除用具入れまでは目と鼻の先だ。
「開けるぞ?」
「待って、心の準備が!?」
「待たないよ」
ドーンと効果音が溢れるぐらい大胆に用具入れの扉を開けた。その瞬間、恋歌は覚悟をして目を瞑る。しかし、中には幽霊少女がいることはなく―――
「もぬけの殻だな」
「わ、私の心臓を返して…。じゃあ、隠れた子はここの他に何処へ?今のは本当にフェイクだったってこと?」
「そうだな…。あれとかどうか?」
私は前へと向かう。黒板のすぐ側へと周り、その前に置かれた教卓の中へと覗きこんだ。
「やっぱりな。みーつけた。お前、名前は?」
「…見つかっちゃった。私は早夜…榎早夜」
小さな声で語り出すのは髪の長い女の子だった。目鼻立ちが大人っぽく、成長したら美人になりそうな顔立ちだ。しかし、彼女もめぐみと同様、生きた人と掛け離れた外見をしている。肌はめぐみよりも青白い。その顔は、頬に大きな傷があり、完治せず、生々しい傷口があるのが印象的であった。
「すごい、縁…。よく見つけたね…。なんで?」
「上履きが教卓の隙間から見えたから。フェイクかと思ったけど、本当にいたとはな」
「次は…、私がオニ?」
「いや。まだ、他にも見つけていない子がいる。何か起こったら面倒だし、お前は此処で待機しておけ」
「…そう」
早夜は私の瞳をじっと眺めて首を縦にする。呪われた空間に取り残されているぐらいなのだから、もう少し凶暴かと思っていた。莉子というラスボスを除けば、祟を受けただけの被害者なのだろう。
「莉子ちゃんと私のクラスメイトの佐島夕輝って奴を探しているんだ。いそうな場所は分かるか?」
榎早夜は首を傾げる。数拍間を置いて、少女は話し初める。
「ここより下だと思う」
「下?1階ってことか?」
「…ついてきて」
突然教卓から抜けて立ち上がる幽霊少女に私たちは付いていく。
「…私がここに着いた時は1階にいたからある程度探索はしたけれども。1階に変わった場所なんてあったっけ?」
「さあな。私はあの女児に指先を潰されて、それ所じゃなかったし。幾ら子どもでもあんな自我の無い子どもに襲われたら歯が立たない。…早夜ちゃんは、どうしてこの世界に留まっているのか自分で分かってるのか?」
前を歩く少女は少しだけこちらを振り返る。
「まあ。…完全な死ではなく、呪いで精神だけ残されているのは、なんとなくだけど分かる。お姉さんたちもやったんでしょ、コックリさん。時々他からも来るからなんとなく分かる」
「やっぱり私たち以外にも来るのね!?」
こくりと少女は肯定する。
この世界に来て気付いたことは、殺戮者がいるのにも関わらず、死体が1つもないことだ。仮に籠宮学園の生徒があのアレンジされたコックリさんをやり、ここに繋がったとする。凶器を手にした怨霊が徘徊する中で、餓死や殺された形跡が、あちこちを観察しても見られない。ホラーゲームによくある、殺されたから同じ土地で彷徨うという設定も見られない。よって、召喚された生きた人間は、死を迎える前には元の世界に戻ることができる可能性が充分に挙げられる。
「不思議だよね…。どうして佐島ちゃんってこの世界について詳しいんだろうね。ガリ勉かと思ったら、実はオカルトオタクだったりして?」
「さあな。オタクって勉強出来るやつ多いし、そうかもな」
くだらない会話をしていると、榎早夜が「ここ」と言って立ち止まった。1階の階段を降りたところだ。その下に繋がるものは無いのに、少女はそこよりもずっと底を見ている。
「何かあるのか、そこに」
「うん。待ってて」
そう言うと床板を引っ張り初めた。強く固定されているようで、少女が掴み、大きなかぶを抜くように引き抜くと、勢いで尻餅を付く。3枚ほど抜くと人二人は通れるぐらいの大きさになった。
「入る?この中に多分、お姉さんのお友達と莉子はいる」
「なんなの、ここ?」
「床下。または校舎の地下。莉子はよく出入りしているの。莉子の場合、他者にそうあると認識されない限り肉体がないから、板を外さなくても、通ることが出来るんだけどね」
「入ったらこれ、内側からは出られないんじゃないのか?」
「ここの床はとても抜けやすいから、お姉さんぐらい体が大きければ、その力で1階に戻ることができるはず。だけど、今まで私が案内して態々戻ってきた人は1人もいない」
「それってどういう…」
「中で死んだか、元の世界に戻れたかその二択。死ぬ可能性の方が高いかも。で、お姉さんたちはどうするの?」
私と恋歌は顔を見合わせる。ここで息をしていたって時間の問題だ。食べ物もない、連絡手段もない。生命を脅かす強敵もいる。そんな隔絶された世界だ。
無論、答えはひとつだ。
「行くよ。行かせて」
「お好きにどうぞ。私はこの先入れないから」
「え…?どうして?」
「呪い、とだけ言っておくよ。じゃあね、お姉さん。帰れるといいね」
榎早夜は方向転換し、階段を上がろうとする。
その後ろ姿に私は問う。
「どうして私たちを襲わないのか?興味だけでここに来た生者を恨んでいないのか?」
「別に。…興味ない」
そう言って少女は去った。
床下に向かうには梯子を用いるらしく、それに足を掛けて数段降りる。
今までずっと視界は赤に染まっていたのだが、地下なだけあって光は弱い。薄暗い床下は私が立っても頭上はかなり余裕があり、意外にも広いように感じた。
まず、降りてから私たちを悩ませたのは臭いだった。ドブの中に腐った玉ねぎを漬けたような鼻を劈く強烈な臭気。
「くっさ!父さんが入った後のトイレよりも臭い!」
「…父さん泣くからそれは止めて差し上げて…。でも、本当に鼻が曲がりそう。これ、便とか尿の臭いじゃないだろ。そういうベクトルの『くさい』じゃない。まるで肉体が腐ったかのような…豚肉だとか鳥レバーだとか腐らせたらこういう臭いがしそうだ」
予想は的中。通路には女子生徒の死体が散乱していた。綺麗なものはひとつもない。スカートを穿いていることから辛うじて性別が判断できる。顔が確認できるものもあれば、中には溶けてしまって年齢が見当もつかないのもある。
私は制服のポケットからスマートフォンを取り出す。包帯の巻かれていない右手でスライドをし、懐中電灯をつけた。
「足元見えるか?」
「ありがとう。うん、よく見える」
「変な死体だな。額を狙って殺されたのか?」
死体はどれも額に大きな傷が出来ていた。白骨化したものも、額の骨まで砕けていたため、強い力で殴られるようにして殺されたのが窺える。
「不思議ね……。…あ、いたいた。佐島ちゃん…っ、みーつけた!」
今にも死にそうな顔の佐島夕輝は、私たちの顔を見ると安堵の息を漏らす。
彼女は横になっていて、体を遠くから観察してみると、足元に大きな血溜まりができていた。
「腱を切られたわ。立つことが難しいの。悪いけれど手を貸して頂ける?」
「そんなことより止血だろ。私が怪我した時はやたら止血推しだったが…ハンカチ持ってないのか?」
「ないわ」
「奇遇だな。私もない」
「あの…、女子力無い自慢は良いから…。私が持ってるよ。切られたのは右だけかな?」
恋歌はガーゼのハンカチで、傷口よりも上の部分を強く結ぶ。ぱっくりと傷口は開いていて、見ているこちら側までもが顔を顰めたくなる。あの裁ち鋏で切断されたのだろうか。
冷や汗を垂らしながら、息絶え絶えに佐島さんは言葉を話す。
「ありがとう。帰ることが出来たらきちんと洗って返すわ」
「気にしないで。何ならそれあげるよ?あと、帰ることが出来たらじゃなくて、帰るんだから。絶対に」
「そうね。皆で帰れると良いわね」
そう言って微笑む。そして、佐島さんは続ける。
「見つけに来てくれてありがとう。ここで死ぬのかと思ったわ。怖かった…」
「私は佐島さんにはさっき助けて貰った借りがあるからな。礼はいらん」
「そうだよ!佐島ちゃんがいなかったら、私たち冷静な判断出来なかったと思うしね。…その傷ってやっぱりあの子が?」
黙って彼女は頷く。
「急にこの場所に転移して襲われたわ。金縛りに見舞われたせいで抵抗すらもできなかった。腱を切った後、向こう側へ立ち去ったから、この先真っ直ぐ行けば多分いると思う」
「なるほどな…。奥は何があるんだろう。ここもただの床下では無い気がするし」
「ねえ、榛名さん。此処って地下よね?」
「…まあな。板を捲って侵入して来た」
かなりの死体が転がっていても歩けるスペースは確保されている。それぐらい大きいのだ。床も壁も土のトンネルではなく、木で作られている。床下と呼ぶより地下室、又は隠し部屋と呼ぶのが相応しい。
「籠宮学園、学校の3大都市伝説。言えるかしら?」
「えっと…『異世界コックリさん』、『女子トイレの首吊り用務員』…あとは…」
「…『地下の祭壇』。かなりマイナーだろ。都市伝説というより、オカルト好きの脳内創作じゃないのか?」
「そうね。校舎が建て直されてから、地下は中等部と高等部が兼用する武道場に改築されてしまったけれども。武道場倉庫にその名残は残っているはずよ。マイナーだと呼ばれる理由は『異世界コックリさん』と若干話が被っているってことも…今となったら考えられるわね」
「地下の祭壇…、って何?」
「昔からこの土地には祠があったのよ。正確には、学園が出来る前に建っていた家の庭に祠があった。だけど家主が土地を手放し、学園が買い取ったことで祠を壊さなければいけなくなった。だから、校内にかりそめの祠を作ったという話よ」
「至って普通に思える…。どこら辺が都市伝説なの?」
「よく考えるんだ。祠とは何なのか」
「神様のお家でしょ?神社の小さいバージョン…みたいな」
「間違っては無いわ。鬼門に建てて魔を封じる役割もあるけれど、都市伝説のは神様のお家ね。しかし、祠が壊された後、住まいにしたのは本当に神様かしら?」
「あぁ…。やっと分かった。そういうことね…。住まいにしたのは神様ではないと」
「夜中に怪奇現象に見舞われるらしいけれど、下校時刻が厳しいから、目撃者はいないに等しいわ。武道場なんて剣道部と柔道の授業でしか使わないし、そりゃ知らないわよね」
思考の歯車が噛み合ったのか、恋歌は少し大きな声をあげる。
「私たちをここに連れてきた女の子、榎早夜ちゃんって子はね、この先に入れないって言ってたの。関係あるよね?」
「関係も何も。わたしは此処が地下であると確信させられた時から察していたわ。憑かれた少女が本拠地にするのも合点がつくもの」
「で、どうするんだ?あまり騒ぎ立てたら気付かれるぞ?」
「強引にかくれんぼを終わらせて帰るわよ。証明が出来たのだから行きましょう。お腹が空いたわ」
「このくっさい環境でよくお腹が空くよね!?…ああっ、待って!支えるから!」
上手く歩めない佐島さんに、慌てて恋歌が肩を貸す。
強引にかくれんぼを終わらせることで、果たして帰還することは出来るのだろうか。甚だ疑問だ。
「佐島さんって、事件のことだとか都市伝説のことだとか、色々詳しいよな。なんで?」
「…わたしの姉が学生時代、この世界に行ったらしいわ」
「佐島ちゃんのお姉さん…?」
「ええ。4歳上の姉よ。今は引きこもりをやってるわ。当時の傷が癒えなくて、立ち直れないみたいなの」
「でも帰って来れたんだよな?だったら戻る方法も分かってるんじゃないのか!?」
「わたしが分かるのは、姉がこちら側に来たという事実のみ。それもわたし個人が勝手に調べただけだもの。姉が巻き込まれた当時わたしは小学生だったし、それに深い心の傷のせいでとても聞ける状況じゃなかったわ」
「深い心の傷ってなんだ…?」
「世の中には知らない方が良いことがあるわ。想像してみなさい?」
「…それはごめん」
話題に踏み込みすぎたことを反省する。
ともあれ、佐島夕輝がこの件について詳しいことがよく分かった。帰り方が分からなくても、今置かれている状況を把握することはとても大切なことであると思う。
臭いに顔を顰めながら歩いていると、観音扉が見えた。これが『地下の祭壇』であろう。見るからに禍々しい雰囲気を放っている。きっと、中に祀られているのは神様でない。人ならざるものだ。
「かくれんぼを終わらせるわ。さあーーーー」
佐島さんは私に促す。私は扉の取手部分に触れ、深く深く、息を吐いた。開ける覚悟は出来た。あとは恐怖心に打ち勝つのみだ。
「莉子ちゃん、みーつけた」
扉を開けた。中には、両目が潰れ、頬まで口が裂けた、歪な少女が一人。長い前髪を垂らし、体育座りの態勢でこちらを見つめる。
「みつかっちゃった。次はだれがオニ?」
あどけない少女の声。しかし、その声は直接喉の奥から発してものではない。ケタケタ笑い、私を襲ったのとは別人格だ。そもそも莉子という人間の殻であって、中にいるのは、あらゆる霊の想いだったり、『コックリさん』本人だったりするのだろう。
今は、中に住まう『コックリさん』が私たちに語りかけている。
「ねえ、こたえてよ?」
「お前が最後だ。もうゲームは終了。私たちを元の世界に返して。オニはお前だろ?」
「うわ。えらそう。それが神様にお願いするたいど?」
「神様じゃないでしょう。化け物風情が。何を勘違いしているのかしら?」
佐島さんも、その少女に言質を取ろうとする。
こいつは神ではない。かくれんぼとコックリさんが同時に呼び寄せた和国の悪魔。ーーー土地に憑いた鬼だ。
「ははっ、おもしろいことを言うね。いいよ。かえしてあげてもいいかも。でもそれなりのものはもらうよ?」
「それなりのもの…?」
「うん、とっても楽しいこと。あ、もちろん、その5円玉とワタシを呼んだ紙はもらう。ゲームはこれからもずっと、ずっと、おわらないよ。この世界にも、あちらにも祀られつづけるかぎり。つぎはあなたにしようかしら?ねえ――――」
奴が言い終わる前に、視界は揺らぐ。
「…あれ」
虚無、虚無、虚無。
頭の中が真っ白だ。整理がつかない。
―――私はアレに何と言われた?
ここは教室だ。籠宮学園中等部2年3組。私が勉強をして、1日の大半を過ごし、偶に親友と談笑をする、平凡な日常の象徴、その教室だ。
時刻は5時ちょうど。小学生の帰宅を促す夕焼けチャイムが鳴る。心の隅が痛くなるような、『ふるさと』のメロディー。その音色が傷を抉り、涙腺を決壊させていく。
「榛名さん…」
泣き始める私に佐島さんが心配そうにこちらを見る。
違う。私の側にいて欲しいのは彼女じゃない。
「…佐島さんは知ってたのか?アレが鬼だって」
「嘘は吐きたくないわ。―――ええ、そうよ」
「帰れば、1人が人質になることも知っていたのか?」
「…ええ」
「ねぇ………、湖口恋歌は何処に…、何処に消えたの?」
私の質問に、苦しそうに佐島夕輝は目を逸らした。
言われなくても分かってる。親友が今何処にいるか知っている。
―――鬼は人の魂を食べるのだから。
「あの赤い世界で…、鬼に食われてしまったのでしょうね」
この世界に、私の親友は帰って来ることはなかった。