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幕間~修学旅行のお土産~

【SIDE:紅】


 修学旅行明けの土曜日。

 紙袋をぶら下げ玄田の家にやって来た真白は、離れにいる俺を見て瞳を瞬かせた。


「あれ、紅も来てたんだ」

「ああ。ちょっと紺に用事があってね」


 用事なんて本当はない。

 だけど真白が「どんな用事?」と聞いてくることは決してないから、俺のくだらない嘘はいつも見破られずに済んでいる。

 安堵するのと同時に、もどかしくなる。いつまで経っても縮まらない距離が苦しくなる。

 だからと言って本音を口にしたところで、相手にはされないことは分かっていた。

 過去の軽率な振る舞いが、真白を俺から遠ざけている。

 自業自得という言葉がこれほど当てはまる状況もないだろう。


「そうなんだ。でも会えて良かった! 紅の分は紺ちゃんに預けようと思ってたんだけど、今渡すね」


 真白は楽しげに紙袋を探り、2つの小さな包みを取り出した。


「えっとね……こっちが紺ちゃんで、こっちが紅のだよ」


 同じように見える包みを真剣な顔で見比べた後、はい、と手渡してくる。

 紺は満面の笑みを浮かべ、はしゃぎ声をあげた。


「わあ、嬉しい! 開けてもいい?」

「どうぞ、どうぞ」


 俺たちがどんな反応をするのか待ちきれない、といわんばかりに輝く真白の瞳。

 すごく可愛くて、思わず頬が緩んでしまう。


 包みを開けると、トンボ玉を使ったストラップが出てきた。

 組紐(くみひも)とガラスの組み合わせがすっきりと美しい。そんなに高価なものではないだろうが、デザインが洒落ていて一目で気に入った。


「トンボ玉ね。素敵! じっと見てると、吸い込まれそう」


 大げさなくらい喜ぶ紺を見て、真白はホッとしたように頬を緩め、ふにゃりと笑った。


「そうなんだよ~。気に入って貰えて良かった!」


 開けっぴろげな無防備な表情に、胸の奥が痛くなる。

 

 どうしてお前なんだろう。

 どうして、お前じゃなきゃ駄目なんだろう。


 会えればもっとと望んでしまうし、会えない時はどうしているか考えずにはいられない。

 典型的な恋煩いだ。誰かを好きになることは一生ないと諦めていたのに、自分でも笑ってしまうほど、俺は真白に夢中だった。


「実は私も自分の分を買ったんだ。蒼へのお土産も同じシリーズだから4人でお揃いなんだけど……ちょっと子供っぽいかな?」


 後半部分はこちらに向かって問いかけてくる。

 俺が何も言わないでいるから不安になったのか、真白の瞳は少しだけ潤んでいた。


 ――紺と蒼が余分だよ。


 喉元まで出かけた本音は呑み込み、無難な台詞を選ぶ。


「いいんじゃないか。俺は気に入ったよ、ありがとう。早速使わせてもらう」


 この気持ちをまっすぐに伝えて、俺のことしか考えられないように揺さぶれたらどんなにいいだろう。

 俺の言葉をそのまま信じて貰えたら、どんなに。

 そうなる可能性は、自分で捨ててしまった。あの頃の俺は嫌になるほど子供で、家族と蒼以外は誰も信用していなかった。


 真白は驚いたように、まじまじと俺を見つめてくる。


「なに。俺が素直に礼を言うのが、そんなに珍しい?」


 彼女の反応に毎回傷ついてしまうのを、いい加減何とかしたい。

 頭ではそう思ってはいるのに、唇は自嘲で歪んでしまう。


 散々からかってきた自覚はあった。

 最初は面と向かって攻撃したし、途中からは他の女との違いを知りたくて、馬鹿みたいに試してしまった。他の女の子にするように、真白の肩を抱き、耳元で甘い言葉を囁いたことだって何度もある。

 その度真白は、真っ赤になりながらも毅然とした態度で俺をはねつけてきた。

 

 あんなこと、しなければ良かった。

 そう後悔しない日はない。

 真白は最初から、本当のことしか言っていなかったのに、俺は彼女を信じなかった。

 今、全く相手にされていないのは、当然の罰だ。

 どう償えば、真白は信じてくれるんだろう。

 俺だってもう彼女には、本当の気持ちしか言っていない、と。


 しばらく考え込むように黙り込んでいた真白が、ふっと頬を緩める。

 自分だけに向けられた自然な笑みに、息が止まりそうなほど驚いた。


「ううん。紅も喜んでくれて嬉しいなって。これでも結構悩んで選んだからさ」


 はにかみながらも、俺から目を逸らさない真白に心が揺さぶられる。

 今度も駄目だろうと思っていたのに、何故か彼女は素直に俺の言葉を受け入れてくれた。

 都合のいい白昼夢を見てるんじゃないかと思うほど嬉しくて、「そうか」と短く答えるのが精一杯だった。


 俺のファンを自称する子たちに望まれる振る舞いをそっくり再現してみせるのはあんなにも簡単なのに、たった一人の女の子には手も足も出ない。


「……なんか紅、今日変じゃない? 言いたいことあるなら、ちゃんと言って。上手いアドバイスはできないかもだけど、話すだけでも楽になることってあるし」


 ね? と念を押してくる仕草が、たまらなく愛しい。


 お前の言う通り、思ってることをここで全部ぶちまけてしまおうか。

 強い情動を必死に抑え込む。

 彼女が困るだけなら、まだいい。拒否されても、そうだろうなと思うだけだ。

 だが怖がられ、避けられたら? 軽蔑され、憎まれたら? 

 多分俺は耐えられない。


「言えたらどんなにいいだろうな」


 皮肉ではなく、心からそう思う。

 真白は不思議そうに首を傾げ「紅にも色々あるんだね……」と呟いた。



◇◇◇



【SIDE:蒼】


 その日は雪が降っていた。鞄を掴んで車を降りようとすると、運転手の慌てた声が飛んでくる。


「蒼様、傘を!」

「すぐそこだからいい。ありがとう」


 俺に傘を渡す間に、彼の方がすっかり雪まみれになってしまう。

 昔の俺は、それが使用人なんだから、と当たり前のように思っていた。

 だけど、そういう傲慢を真白は嫌がるだろうと気づいてからは、極力彼らに面倒をかけないようにしている。感謝の言葉も意識して口にするようになった。


 ――『誰かに何かをしてもらうのって、当たり前じゃないんだよ』


 真白にそう言われたのは、林間学校のすぐ後だった。

 俺たちに振り回される水沢さんを気の毒がる真白に向かって、紅が「見合う対価は払ってる」と言い放ったことがあった。

 真白は冷ややかな表情を浮かべ、「その対価だって、あなたのお金じゃない。ご両親のお金でしょ?」とやり返した。


 そんなこと、考えもしなかった。だが確かに彼女の言う通りだ。

 俺も紅もただの子供で、使用人がそんな子供の言うことを聞いてくれているのは、俺達自身に価値があるからじゃない。


 玄関に走り込み、軒下で何度か首を振って髪に積もった雪を振り落す。

 暖房の利いたエントランスでコートを脱ぎ、待ち構えていた執事に「ただいま」と声を掛けた。


「おかえりなさいませ。急に降り始めましたね」

「ああ。もう12月だもんな」


 俺がマフラーや手袋を順に外していくのを少し離れていたところで待っている彼と、ふと目が合う。

 物言いたげな眼差しに違和感を感じた。


「……どうかした?」

「いえ。その――」


 よほど切り出しにくいことなのか、執事は申し訳なさそうに眉を下げた。


「お昼過ぎに蒼様宛に日本から小包が届いたのですが、この雪で湿ってしまったらしく、受け取った際に外側が少し破けてしまったのです」


 そんなことか。拍子抜けしながら、首を振る。


「それはどうしようもないだろう。中身が無事なら構わない」

「そう仰っていただけてホッと致しました。お部屋に届けてありますので」

「ありがとう、確認しとくよ」


 すっかり体が冷え切っていたので、ホットコーヒーを頼んで二階に上がる。

 自室のテーブルの上には、茶色のレターパックを白いレースでラッピングしたえらく可愛い包みが載っていた。日本から、という執事の言葉に期待してしまった自分がいる。そっと持ち上げ、差出人の名前を確認した瞬間、期待は歓喜に変わった。


 ――真白からだ。


 白いレースに見えたものは、光沢のある白い紙を複雑に切り抜いたものだった。

 手先の器用な真白らしい凝ったラッピングに感心してしまう。雪のせいであちこちが薄く破けているのを、心底勿体ないと思った。


 俺が彼女からの手紙を心待ちにしていることは、この家で働いている全員が知っている。

 それで彼はあんなに気にしていたのか。確かに真白からの小包が破れてるのは残念だけど、そんなことでいちいち怒らないのに。


 苦笑しながら丁寧に包みを解いていく。

 クッション材で包まれた……これはガラス玉? 

 テープで厳重に梱包されているそれを開けるのは後回しにし、先に便箋を広げてみた。



『城山くんへ


 こんにちは。

 コンクールの時は電話で話せて嬉しかったです。

 入賞者が参加する記念コンサートは、無事終わりました。

 すでにネットで見てくれたかもしれないけど、私がラフマニノフを弾いて、富永さんがシューマンを弾くという【ファイナル曲シャッフル企画】だったんだよ。富永さんと2人して、えげつない企画だよね、って愚痴を言い合いました。企画を考えたのは、山吹さんです。覚えてるかな? 亜由美先生の知り合いで、クリスマスパーティにも呼ばれてきてたあの人。彼は今、青鸞の理事をしています。

 聴きに来てくれた人たちには「演奏者の個性がはっきりと分かって面白かった」って評判良かったみたいだけどね。私のピアノソナタは全然ラフマっぽくなりませんでした。もっとダイナミックに表現できる力が欲しい! 富永さんのシューマンはすごく良かったです。第二楽章なんて特に。富永さんにはつれない恋人がいるのかも、と邪推してしまいそうになる切なさでした。

 コンサート後、富永さんにお願いされて亜由美先生を紹介したんだけど、亜由美先生には「必ずといっていいほどあるミスタッチ。すごく気になるわ」と笑顔で注意されていました。ズーンと分かりやすくへこんだ富永さんが面白かったです。』


 そこまで読んで、手紙の中で真白に名前を連呼されてる『富永 翔琉』が気になった。

 コンクールで真白と同時受賞した男だ。

 そういえば一学年上にいたな……。

 確かにピアノは飛び抜けて上手いという評判だった。感情先行型の荒削りなピアノは、正直いって俺の好みじゃないけど、真白が自分にないものに憧れる気持ちは分かる。そいつの男性的な音色は、真白の繊細で優美な持ち味とは全く違うものだった。


 真白は賢い割にどこか抜けていて、他人への警戒心が薄い。

 簡単に人を信じて、懐いて、大切にする。彼女の性格上、世界が広がれば広がるほど、色んな人と仲良くなっていくのは分かっていたはずなのに、胸が苦しかった。

 

 誰とも親しくして欲しくない。

 俺が一緒にいられないのなら、彼女だって独りぼっちでいて欲しい。

 もう一人の俺が心の奥で喚く。

 幸せになって欲しいと願う気持ちは嘘じゃないのに、油断するとすぐこれだ。いつになったら俺は大人になれるんだろう。

 醜い化け物の声に耳を塞ぎ、無理やり思考を切り替える。


 紅、お前はどうなんだ? 

 傍で見ていて、何とも思わないのか?


 彼女が誰かを選ぶとしたら、それは紅だろうと思っていた。

 だけど、それは俺の身勝手な願望なんだと改めて思い知らされた。


 ――紅を選んでくれれば、友人面(ゆうじんづら)してこの先もずっと彼女を見守っていけるんじゃないか、なんて。虫が良過ぎると自分でも分かっている。


 真白が誰と仲良くなろうが誰と付き合おうが、それは彼女の自由だ。

 俺はただ、笑って彼女の選択を祝福するしかない。我儘を言って、また真白を困らせてしまうことだけは避けなければならない。


 自分に繰り返し言い聞かせ、メイドが運んできた温かいコーヒーを何口か飲んで心を落ち着かせる。

 そうして、ようやく手紙の続きに戻った。


『今回同封したのは、ちょっと遅くなっちゃったけど、修学旅行のお土産です。

 私と紺ちゃんと紅と城山くんの4人お揃いで買った、ストラップ。お揃い、迷惑かな?

 すごく素敵なデザインだったので、蒼にも送りたくなりました。本音を言っちゃうと、私がお揃いで持ちたかったっていうね。自分勝手なお土産でごめんなさい。

 気に入ってくれると嬉しいけど、気に入らなかったら誰かにあげて下さい。

 日本のものだから、ドイツの人には珍しがられるかも!

 では、また手紙書きますね。

 ますます寒くなってきました。風邪ひかないように気を付けてね。


                       12月吉日  島尾 真白


 追伸:ストラップのガラスの色は、城山くんの髪の色と同じものを探しました』


 後半部分を何度も読み返す。


 迷惑なわけない! お揃いで持ちたかったとか……ああ、もう!

 嬉し過ぎて、どうにかなりそうだ。


 逸る気持ちに急かされながら、緩衝材を剥いでいく。

 よほど心配だったのか、小さなストラップは何倍にも膨らんで梱包されていた。

 透き通った水色のトンボ玉には、色鮮やかなオレンジと群青の水玉模様が入っていた。


 どこで買ったんだろう。店頭で一生懸命選ぶ彼女の姿がすぐに浮かんだ。

 目の前にぶら下げ、綺麗な細工のストラップをしばらく眺めてみる。

 うるさく喚いていた化け物は、いつの間にか口を噤んで底へと引っ込んでいた。


「真白」


 無意識のうちに、俺は声に出して彼女の名前を呼んでいた。

 一度口にしてしまえば、止まらなくなった。


「真白……ましろ。会いたい。会いたいよ」


 ――好きだ。今でも、こんなに君が好きだよ。


 想いは返してもらえなくていい。

 こうして気にかけて貰えるだけで、目が眩みそうなほどの幸せを感じられる。

 

 俺はもう何も望まない。

 遠くからでいい、時々でいい。この世界に真白がいることを実感させてくれたらそれでいい。


 日本を離れて三年目。

 真白への焦がれるような恋情は純度を増し、静かで穏やかな執着に変わろうとしていた。



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