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 コンクールの後、学校は大変な騒ぎになった。

 登校した日の放課後、さっそく職員室に呼ばれてお褒めの言葉を頂く。次の全校集会で表彰してくれるらしい。


「島尾くんなら、やってくれると思っていたよ!」


 校長先生は、頬を上気させて力強く握手をしてきた。

「ありがとうございます。先生達のおかげです」とお礼を述べると、感極まったのか、そのままぶんぶん上下に振ってくる。

 うう、腕のつけねが痛い。ピアノを弾いてる手なので、どうかお手柔らかにお願いします。


 松田先生は、私を取り囲む先生達からは一歩離れたところで騒ぎを眺めていた。

 目があうと、ふわりと微笑んでくれる。彼も三井さんと一緒に決勝を見に来てくれていた、と後から聞いた。


「おめでとう」


 先生は声を出さず、口だけを動かしてそう言った。

 松田さんが穏やかな笑みを浮かべると、とっつきにくい雰囲気が一変する。

 そういう所が昔はすごく好きだった。すでに過去になった想いをひそかに点検し、胸を撫で下ろす。大丈夫、今はもう懐かしいだけだ。


 そう。どんな激情も、いずれ時間が風化していってくれる。

 どうにもならないことなら、じっと待ってやり過ごすしかない。

 あの頃そう気づけたら、どんなに良かっただろう。



「真白、マジですごいよ! 本当におめでとう!」

「ネットで見たけど、感動して泣いたわ! ほんとすごすぎ!」


 休み時間にはいつもの仲良しメンバーにもみくちゃにハグされた。


「みんなの応援のおかげだよ。御守りも色紙も、どんなに心強かったか。ほんとうにありがとね! 大好き!」


 ぎゅう~と抱き締め合う私達を、間島くんと木之瀬くんは苦笑しつつも見守っていたんだけど、田崎くんはちゃっかり女子の輪に紛れ込んでいた。


「はい、島尾さん。次は俺とハグする番」

「そんなわけない」


 一刀両断して距離を取る。


「なんだよ~。ちょっとくらいいいじゃんか、ケチ!」


 可愛いふくれっ面をしてみせてもダメなものはダメです。


見境(みさかい)なしか!」


 咲和ちゃんは手に持っていたプリントを丸め、スパーンといい音をさせて田崎くんの頭を叩いた。


 校舎に掲げられた垂れ幕には、でかでかと【おめでとう! サディア・フランチェスカピアノコンクール中学生の部 第一位 島尾 真白さん(多田中学校二年)】と染め抜かれてあり、しかも同じものが役場にも垂れ下がっている。感謝一割、恥ずかしさ九割といった気分だ。羞恥プレイとどう違うのか分からない。 


 TVのニュースにも特集で取り上げられたので、私は一気に地元の有名人になってしまった。

 近所の人達が応援してくれたり、お祝いの言葉をかけてくれたりするのは本当に有難いと思うんだけど、同じくらい気恥ずかしい。


「おめでとう、真白ちゃん! 今度おっちゃんにも、ピアノ聴かせてな!」

「あはは。ありがとうございまーす!」


 元酒屋さんで最近コンビニに商売替えした近所のおじさんに手を振って、ようやく家までたどり着く。

 部屋着に着替え、さっそく日課のピアノと勉強にとりかかろうとしたところで、扉をノックされた。


 大学4年生になったお姉ちゃんは、学校の講義が減ったのか、最近は自室で採用試験の勉強をしていることが多い。私のいない間に、アイネでバイエルも頑張っているみたいだ。


「おかえり、真白。コンクール事務局から、案内が届いてたよ。記念コンサートは12月だって。」

「ただいま。分かった、後で見てみる。そうだ、洗濯物入れてくれてありがとね」

「いいってことよ。亜由美先生のレッスン、明日でしょ? 忘れず持っていかないとね」

「だよね。選曲相談しなきゃだし」


 高校の部でも大学の部でも、青鸞学院の学生が入賞を果たしている。

 中学も合わせれば、三冠達成だ。マスコミでも大々的に、その快挙が取り上げられている。

 トビーの敏腕ぶりが空恐ろしい。自分のとこのクリスマスコンサートには、寄付金目当てな子を出しておいて、コンクールのエントリーメンバーにはきっちり実力者を揃えてくるなんて。

 紺ちゃんの話によると、もともと現理事長よりもトビーの発言力は大きいのだとか。

 他の理事たちを味方につける根回しは、すでに終了してるんだろう。きっとバックについてる実家の影を、存分にチラつかせたに違いない。ふふふ。流石だよ、腹黒王子さんよ。


 完全アウェイな立場での記念コンサートか……。

 ドヤ顔で会場に現れるであろうトビーには、十分注意しとかないと。

 同じ入賞者の中では、富永さんだけが私の心のオアシスだ。


 はあ、と一つ溜息をつき、アイネの蓋をあける。

 どんなに憂鬱なことがあっても、いったんピアノの練習を始めてしまえば、頭の中から全ての雑念が追い払われる。

 私の指と、そこから生まれる音色。そしてそれを受け止め、導いてくれる楽譜だけが世界に残る。夢中になって鍵盤を追っていると、すぐに時間は過ぎてしまうのだった。



  ◇◇◇


 

 11月がやってきた。

 そう、一大イベント『修学旅行』のある月だ。

 小学生の時はあんなに行くのが億劫だったのに、今回は楽しみでしょうがない。

 だって、絵里ちゃん達とこうして過ごせるのは、これが最後だから。


 コンクール直後、トビーは早速動いた。うちの両親に奨学制度の話を持ち掛けたのだ。

 ある晩、真面目な顔をした父さんに呼ばれて、TVの消えた静かなリビングでその話をされた。


「山吹さんが仰るには、真白が望むなら特待生として大学まで面倒をみてくれるそうだ。色々話を聞いてみたけど、破格の申し出じゃないかな、と父さんも母さんも思ってる」

「うん」

「だけどね」


 父さんは、おもむろにテーブル越しに手を伸ばして、私の両手を包んだ。


「ピアノで望まれる、ということは、裏を返せばピアノを弾けない真白はいらない、ということでもある。生半可な気持ちで入学すれば、きっと真白は傷つくだろう。父さんも母さんも、真白の若さでこれからの人生の選択を決定してしまうのはどうだろう、という不安を持ってるんだ。だから、教えてほしい。真白は、どうしたい?」


 父さんの真剣な表情に、ぐっと喉の奥が熱くなった。

 私をいつでも一生懸命守ろうとしてくれる父に、きちんと気持ちを伝えなくちゃ。

 前世の記憶を取り戻したあの日から、私の目標は変わっていない。


「――私は、ピアニストになりたい。厳しい道だって知ってるし、そんなに甘くないって思うけど、それでもやる前から諦めたくない。青鸞学院に、行きたいです!」

「……そうか、分かった」


 父さんは眩しそうに私の顔をじっと見つめ、それから小さく息を吐いた。


「成田さんのところにも玄田さんのところにも、まるで我が子のように可愛がってもらえて、山吹さんにまで親身になってもらえて。真白は幸せ者だな。……そんな真白が、父さん達の誇りだよ」


 我慢しようと思ったのに、涙が勝手に溢れてくる。

 ああでも、応援メンバーから「山吹さん」は除外しておいて。


 父さん、父さん。

 前世と何も変わっていない、私の大事なお父さん。


 娘2人にばかりお金をかけて、他の家のお父さんみたいにゴルフに行ったり飲みに出かけたりしない父に、つまらなくないのか、と一度尋ねたことがあった。

 会社と家をただ往復する働き蜂のような姿が切なくて、申し訳なくて、花ちゃんと一緒に「ごめんね」と謝った。父さんはものすごく怒った。二度とそんなことを言うな、と叱りつけられ、身を竦めた私たちの頭を撫でて、それからこう言ってくれた。


 ――『花香と里香が生まれてきてくれて、父さんは嬉しいんだよ。すごく幸せなんだよ』


 それなのに、置いてきてしまった。

 ごめんね。本当に、ごめんなさい。


 泣きながら謝る私に、父さんはあたふたし始めた。

 青鸞の話だけで泣いてるわけじゃないんだけど、上手く説明できるはずもなく、涙をとめようと手の甲で頬を拭く。だけど、次々に溢れてくる家族との思い出が私を包み込んで離してくれない。


「わお! なんか修羅場ってる!」


 お風呂から上がってきた母さんが、泣きじゃくっている私と必死になだめようとしている父さんを交互に見て呑気な声を上げる。感傷的な空気は一気に霧散し、2人して笑ってしまった。


 今度こそ、寿命いっぱいまで生きたい。

 少なくとも、この優しい人たちを残して先に逝きたくない。健康管理と路上注意! 

 私は改めて心に刻んだ。


 そういうわけで、高校は青鸞に行くことが決まっている。

 本決まりになったら絵里ちゃん達にも打ち明けるつもりだけど、紺ちゃんにだけはすぐに電話で報告しておいた。


『そっか。じゃあ、高校からは一緒に通えるんだね』


 電話口の紺ちゃんは、嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな声をしていた。


「あれ、何かひっかかる? トビーのこと?」


 思わず問い返してしまった私に、紺ちゃんはすぐさま「違うよ」と答えた。


『……もうすぐ私達も15になるんだなって思っただけ』

「うん。早いよね~。こんなんじゃ、あっという間に高校を卒業って感じになりそう」


 私には、明るい未来だけが見えていた。

 紺ちゃんは電話口でかすかに笑った。


『そういえば、もうすぐ修学旅行じゃない? どこに行くの?』

「九州だって。フェリーに乗って、長崎に行くんだ。あと博多と熊本をまわって帰って来るの。ね、お土産何がいい?」

『ふふ……そうだなあ。じゃあ、長崎でビードロを買って来て欲しいな』

「おっけー。可愛いやつを探してくるね!」


 いいよ、いらないよ、と遠慮されるかと思ったのに、紺ちゃんが素直にリクエストしてくれたことが嬉しくて、私は浮き浮きと通話を切った。

 蒼には綺麗な絵葉書を探そうかな。

 紅は、どうしよう。

 蒼と紺ちゃんにだけお土産をあげたら、間違いなく拗ねるよな。しかも可愛くない感じで。

 かといって、好みの煩い彼のこと。気に入らないものをあげても、嫌味で返されるに違いない。

 私はしばらく考えた後、本人に聞くのが一番だとメッセージを送ることにした。


『九州に修学旅行に行きます。お土産のリクエスト受付中。いらなかったら、返信なしでお願いします』


 これでよし、と。携帯をベッド脇のサイドテーブルに置き、勉強机に向かう。


 最近は、帰って来てからすぐにピアノ。夜、お風呂に入った後に勉強という自分なりのリズムが出来ている。宿題と自分ノルマが終わったら、リビングにいって録画しておいたフランス語講座を見とかなきゃ。

 そうして勉強に没頭しているうちに、自分が打ったメールのことなんて、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 

 夜も11時を回り、そろそろ眠くなってくる。

 べっちんにお休みのキスをして、ベッドに潜り込んだところで携帯の点滅に気がついた。

 あれ? 誰からだろ。

 暗闇の中、手を伸ばして携帯を取り画面を確認する。


 ……メッセージ5件、着信履歴2件。相手は全部紅だった。


「――なんなの!?」


 一気に意識が覚醒する。

 ごろんと寝返りをうち腹ばいになって、眩しい光に目をしょぼしょぼさせながら画面をスクロールした。


『こんばんは。九州ってどこを回るのかな? 楽しい旅行になりますように。お土産、気を遣ってくれてありがとう。せっかくだからお言葉に甘えようかな』


 毎回、紅からくるメッセはこんな感じ。

 執事の田宮さんに代筆させてるんじゃないか、とひそかに疑ってる。

 要約すると、『真白が選んだものなら何でも嬉しい』ってことらしい。


 おいおい、正直になれよ。紅さんよ。

 

 心の中で囃し立てながら、次のメッセを読む。

 どうやら、返信がないことを気にした田宮さん(もしくは本物の紅)が、リクエストが間に合ったかどうか知りたがったらしい。

 5件目はとうとう『いいから、俺にも買ってこい』になっていたので、とりあえず田宮さん疑惑は晴れた。この偉そうな文章は紅で間違いない。


 メールじゃらちがあかないと、電話をかけてきたのも紅だろう。

 お前はそんなに九州土産が欲しいのか! 形の良い額にチョップを食らわせたくなる。

 あんなに色々持ってる癖にねえ。

 そういえば、小学生の時も似たようなことがあったっけ。プレゼント交換用の手作りマフラーを、頑として蒼に譲らなかった紅を思い出して、思わずクスクス笑ってしまう。

 すっかり大人びてしまった彼だけど、こういう所は変わってないなあ。


『ごめん、今気づいたー! そんなに焦らなくても、ちゃんと買ってくるよ。ただし、気に入らなくても文句つけないでね。もう寝るので、返信は不要です。おやすみなさい』


 高速で返事を打ち込み、電源を落とす。

 修学旅行、本当に楽しみだなあ。





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