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 表彰状とトロフィー、副賞の金一封を抱えた私は、ひとまず控室へ引き上げることにした。

 記念の写真撮影は終わったけど、この後ロビーで新聞社と音楽雑誌の取材があるという。

 着替えてきてからでいいよ、と関係者の人に言われてホッとした。

 一秒でも早く、気楽なワンピースとペタンコのストラップシューズに替えたい。


 体は疲れ切ってるのに、優勝できた喜びでハイになっているのが分かる。

 スキップしたくなるほど浮かれた気持ちで廊下を歩き、控室のドアを開けた。そこには、客席から駆けつけてきてくれた父さん達と亜由美先生、それに紺ちゃん、紅、美登里ちゃん。更には千沙子さんと桜子さんまで揃っている。

 そんなに広くない部屋が、人と大量のお花でぎゅうぎゅうになっていた。


「おめでとう~!!」


 まっさきに飛びついてきたのは、花香お姉ちゃん。ずっと泣きっぱなしだったのだろう、せっかくのお化粧が崩れてしまっている。瞼を赤く腫らした彼女は、それでもものすごく可愛かった。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 私も思い切り抱き返そうとして、はっと気づく。手に持ってる荷物が邪魔でハグ出来ない。


「おめでとう、真白。とりあえず、それ貸して。テーブルでいい?」


 すかさず紅が近づいてきて、手を差し伸べてくれる。


「うん、ありがとう」


 こういう時の気遣いは流石の一言だ。

 モテ男は一日にしてならず。モテるべくしてモテているんだな、と感心しながら荷物を渡した。


「ほんとに、よかった。ものすごく、よかった。めちゃくちゃ上手かったああああ」


 感想を言っているうちに感極まったお姉ちゃんは、私の首にしがみつきまた泣き出してしまう。


「うん、ありがとう。聴いてくれてほんと嬉しい」


 花香お姉ちゃんが落ち着くのを待って、紅と紺ちゃんに向き直る。


「さっきはみっともないとこ見せちゃって、ごめんね。支えてくれてありがとう」


 紅はふっと微笑み、私の頭に軽く手を置いた。ぽんぽん。軽く二回撫でた後、大きな手は離れていく。

 その数秒の温もりに、私はすごくホッとしてしまった。トビーの手の感触を上書きするかのような紅の手が有難くて、ふにゃりと締まりのない顔になる。

 紅はそんな私をまじまじと見つめた。


「……勘弁しろよ」


 そしてぎりぎり聞き取れるくらいの小声で、愚痴を零す。

 普段ならムッとするところなんだけど、紅の耳が赤くなっていることに気づき、にやけてしまった。

 あの紅が照れてる! 珍しい!

 紺ちゃんは、私と紅を交互に見てクスクス笑った。

 次に私の前に立ったのは、亜由美先生だ。


「真白ちゃん。本当に頑張ったわね!」


 先生の手は、しっとりと湿っていた。いつもサラッサラの先生の手を知ってるだけに、驚いた。

 だけど、手に汗かくほど私のことを心配してくれてたんだとすぐに気づき、たまらなくなった。

 亜由美先生に指導してもらえなかったら、きっとここまでくることは出来なかった。


「私の方こそ、本当にありがとうございます。先生のお蔭です。これからもがんばります!」


 亜由美先生の右手を両手で握り、深く頭を下げる。

 先生はただ何度も頷いて、しっかりと握手を返してくれた。


「あのー。このお花って……」


 順番にみんなの祝福を受けた後、ようやく所狭しと溢れかえっているスタンド花に触れることができた。さっきからずっと突っ込みたかったんだよ!


「え? だって優勝したんですもの。花輪は必須よね?」

「そうよ。実は前もって注文してあったの。絶対に真白ちゃんが勝つと思ってたから」


 セレブママーズが声を揃えて答える。

 紺ちゃんはそれを聞き、額を押さえて唸った。

 白、紫、薄いピンク。彩どりの胡蝶蘭を惜しげもなく使った豪華すぎる2段スタンドに、私も頭を抱えたくなる。

 しかも種類違いで5つもあるんだよ? 有力政治家の事務所開きか! 値段は聞かないでおこう。うん、そうしよう。


 美登里ちゃんは携帯で誰かと話しているみたいだった。私と目が合うと、にんまり笑って「はい」と彼女の携帯を渡してくる。

 相手はもしかして……。私は恐る恐る携帯を受け取り、耳にあてた。


「もしもし?」

『……おめでとう』


 耳に響いた懐かしい声に、ぐっと喉が詰まった。

 蒼だ! やっぱり、蒼だった!


「朝早いの、大丈夫だった?」


 普通に話そうと思うのに、どうしても声が震えてしまう。

 彼にさよならを告げた日から今日までの、あらゆる出来事が脳裏を巡る。

 会いたかった。声を聞きたかった。蒼の優しい声で、名前を呼んで欲しかった。

 じわ、と目に涙が浮かび、慌てて瞬きを繰り返す。


『うん、全然大丈夫。……上手くなったな、真白。すごくいい演奏だったよ』


 穏やかな低声が携帯の向こうから聞こえてくる。

 一度ビデオで今の姿を見せてもらっていて、良かった。

 あれがなかったら、大人の声になってしまった彼をすごく遠くに感じていただろう。話し方もすっかり落ち着いている。記憶の中にいる可愛らしい蒼じゃなくなっていた。


 私はぎゅっと唇を噛み、2人を隔てる距離と流れてしまった時間を想った。

 あの頃、あんなに近くにいたことが嘘みたいだ。寂しい、と痛烈に感じる。

 

 だけど感傷に浸っていつまでも黙り込んでいるわけにはいかない。

 私は気を取り直し、明るい声を出した。


「そ……城山くんも応援してるって、美登里ちゃんに演奏前に教えてもらったよ。すごく心強かった。城山くんが、聴いてるなら、下手な演奏できないなって励まされた」

『――そっか。それなら良かった』


 少し間は空いたけど、柔らかな口調で蒼は言った。


『本当におめでとう。あと、いつも手紙ありがとう。それだけ伝えたかった』


 美登里には代わらなくていいから、このまま切ってと続けた蒼に、胸がぎゅうと絞られる。

 もっと話していたい。差し障りない挨拶でも何でもいいから、ちゃんと実在している蒼の声を聞いていたい。

 ……って待って、これ国際電話だ。あわわ! しかもこれ、美登里ちゃんの携帯じゃん!

 馬鹿高い通話料金が頭に浮かび、慌てて別れの言葉を告げる。


「ううん、こちらこそありがとう。また手紙書くね!」

『待ってる。じゃあ』

「うん、また」


 もう『さよなら』とは言わなくていい。

 そのことが嬉しくてたまらない。このまま二度と会えないとしても、彼とはずっと繋がっていけるような、そんな錯覚に襲われた。


「それだけ? っていうか、城山くんって……」


 美登里ちゃんは眉をひそめ、私をじっと見つめる。

 蒼を城山くんと呼んでいる理由を、美登里ちゃんには上手く伝えられない気がした。きちんと説明しようとすると、あの雪の日の話もしなきゃいけない。それはどうしても嫌だった。


「電話、代わってくれてありがとうね。久しぶりに話せて良かった」


 それだけ言って、携帯を差し出す。


「あなたの仕業?」


 美登里ちゃんは不満げに唇を尖らせ、何故か紅の方を向いた。

 彼女の鋭い視線を受けとめ、紅は両手を軽く挙げる。


「まさか。こいつが単に不器用ってだけ。俺は何も言ってない。――まだ、ね」

「ふん。どうだか」


 二人の間の雰囲気がぴりりと尖る。美登里ちゃんは紅が苦手なのかな?

 大抵の女の子は、紅のルックスと甘い言動にうっとりするものだと思っていたから、すごく新鮮だ。

 ……紅と美登里ちゃん、か。黙って並んで立ってれば、すごく絵になるカップルだよね。

 思わずニヤニヤしてしまった私を2人が同時に見咎めた。


「なんなの、真白。その気持ち悪い目」

「どうせまた見当違いなこと考えてるんだろ」


 冷ややかな視線と台詞の二乗に、ぐっさり胸を突き刺される。

 うう。私の考えてることって、なんで皆にすぐに見破られちゃうんだろ。



 全員に席を外して貰って着替えた後、私はロビーに向かった。

 先に席に着いていた富永さんに挨拶し、一緒に取材を受ける。

「今の気持ちは?」とか「弾く時は緊張した?」とかセオリー通りの質問が飛んできた。

 私が先週富永さんに尋ねたことと殆ど同じ内容だ。

 富永さんを見上げると、彼も私を見ていた。顔を見合わせ、二人で笑ってしまう。


「あれ、ずいぶん仲がいいんだね。ピアノ教室も学校も違うみたいだけど」


 一人の記者さんが不思議そうに首を傾げる。どう答えよう、とちょっと考えたその時。


「高校からは同じになるかもしれませんよ」


 富永くんの傍に、トビーが立った。


「山吹理事!」


 受賞後会うのは初めてなのか、富永くんは嬉しそうに立ち上がり、トビーと握手を交わしている。

 私はといえば、手袋を脱いでヤツの顔面に叩きつけたい気持ちで一杯だった。手袋を嵌めてこなかったことが心底惜しい。


「突然割り込んでしまい、すみません。青鸞学院で理事を務めている山吹です」


 トビーは人誑しな笑みを浮かべ、記者さんたちに挨拶した。


「ああ、あなたが! お名前はよく知ってますよ」


 そして始まったマスコミ各社との名刺交換会に、富永くんも困惑の表情を浮かべている。

 それが終わると、トビーはまるで保護者のような親しげな仕草で、私達の肩を叩いた。


 体は正直なもので、彼が背後に立った瞬間、総毛だってしまう。

 この場から逃げ出したくなる衝動を必死で堪えた。


「実は島尾さんには、特待生として青鸞学院に入学してくれないかと交渉中なんですよ。彼女のことは小さい頃から個人的に知っているんです。ファイナルはどちらを応援するべきか、非常に悩みました」


 嘘つけ、この野郎!!

 いけしゃあしゃあとでまかせを話すトビーに、沢山のフラッシュがたかれる。

 こうやって私の優勝まで、自分の学校の宣伝に結び付けようっていうんだから、大した玉だ。

 腹が立つやら感心するやらで、どんな顔をしていいか分からなくなる。


「島尾さんも高校は青鸞に? うわ、それは楽しみだな」


 トビーの言葉を聞いた富永さんは、パッと瞳を輝かせた。

 うう……あなたのその無邪気さが、眩しい。お腹まっくろけの理事に、これ以上近づかない方がいい。腹黒菌は感染力が高そうだ。


「そうなるといいよね。どうかな、島尾さん。僕の提案を受けてくれる?」


 ここぞとばかりに、トビーが私の言質を取ろうとしてくる。

 私はすっかり腹を立てていた。

 取材陣の前では何も言い返せないだろうとばかりに、初耳話ばかり並べやがって。

 こうなったら、ただでは起きないぞ。


「そうですね。両親がいいと言ってくれたら、是非。授業料だけじゃなくて、制服や教科書も全て無料なんですよね? 寮費もだったかな? すごく魅力的な話です」


 もちろん、そんな話は聞いたことがない。

 公然とした私の強請りに、トビーの口元が微かに引き攣る。


 ふははは! ざまあみろ! ……ってトビーの腹黒菌に感染したのは私か。


「では、青鸞学院の特待生制度の見直しがされるということですか!? これは朗報だ」


 一斉にメモを取り始めた記者さんたちに、トビーは「まだ本決まりではないので、オフレコでお願いします」と口止めしている。

 公の場で言われたことだ、おそらく本決まりになるし、ならなかった場合は下世話な推測を免れない。資金繰りに苦労してるのか? とかね。どっちに転んでも、私には得しかない。

 私は優雅に足を組み替え、トビーに向かって最上級の猫かぶりスマイルを披露してやった。


 まだ中学生の部しか終わっていないので、入賞者による記念コンサートの詳細は後日送付する、と事務局の人に説明された。交響楽団との協演は、大学生の部の入賞者だけの特典らしい。

 そこも紺ちゃんノートとは異なっている。

 そもそも、優勝は『リメイク版ヒロイン』一人のはずだった。

 やっぱり、ボクメロのゲーム進行とはどんどんズレていっている。


 ずいぶん昔に、紺ちゃんがそのことについて何か言ってた気がする。なんだったっけな……バタフライ・エフェクト?

 この世界に何かしらのアルゴリズムが存在するのだとしても、世界の成り立ちも自分が転生した理由も、何一つ知らない私は、今まで通り必死に生きていくしかない。


 

 取材と説明が終わったので、私は富永さんだけに向かって手を振り、ロビーを後にした。

 そういえば、千沙子さんたちが打ち上げいこう! って盛り上がってたっけ。

 みんなでご飯食べるの楽しいだろうな。

 軽い足取りで会場の外に出ようとした私を、またもやトビーが追いかけてきた。

 

 来るだろう、と予想はしていた。私は無言で足を留め、彼を振り返る。

 トビーはさっきまでの胡散臭い笑顔を消し、まっすぐ私を見つめてきた。


「本当に優勝おめでとう、真白」

「ありがとうございます。富永さんの優勝もおめでとうございます。これで理事も満足されたのでは?」

「――満足? とんでもない」


 トビーは長身を屈め、私の耳元に形の良い唇を近づけた。

 生理的嫌悪感で腰がひけそうになったが、弱みを見せるのは嫌だ。

 私はグッと両足を踏ん張り、感情を押し殺した。


「優勝は富永くんで決まりのはずだった。すでに根回し済みだったんだよ」

「……え?」


 予想外の台詞に、棒立ちになる。

 じゃあ、私にあんなこと言わなくても、優勝者はあらかじめ、決まっていたってこと?


「だけど、サディアがファイナルでも、君にだけAをつけた。女性ピアニストは扱いづらくて困る」


 トビーは苦々しげに吐き捨て、体を起こした。

 澄んだ瞳はいつも通りの余裕を取り戻している。


「だから、優勝おめでとうってこと。君はこの栄誉を実力で勝ち取ったんだ。……ねえ、休戦しようよ、真白。特待生でうちにおいで?」


 甘いねこ撫で声に、冷笑を返す。

 私はもう二度と、あなたに屈したりしない。


「実力を買って頂けて嬉しいです。前向きに考えておきます」


 軽く会釈をして、トビーの隣を通り過ぎる。

 彼は静かに笑っていた。

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