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スチル29.食事会(紅&鳶)

 

 予選を通過したと聞かされたのは、全ての演奏が終わった後、しばらく経ってからだった。

 テクニック、表現力とも申し分ない、という審査評にぶわりと頬が熱くなる。感極まって涙ぐんだ私を、亜由美先生はぎゅっと抱きしめてくれた。

 サディア・フランチェスカの採点は「A-(マイナス)」

 通訳さんの文字だろうか。コメント欄には「もっと愛を込めて弾くと完璧になる」とあった。愛、かあ。ノボル先生もよくそう言ったっけ。上手く弾けた気がしたけど、何か足りていないのだろう。

 帰る準備をして、控え室を出てからも私は考え続けた。

 ぼんやり考え込んでいたもんだから、うっかり紺ちゃんと紅の前を通り過ぎそうになって、慌てて足を止める。ホールから出てすぐのところに2人は立っていた。


「あ」

「あ、じゃないよ。お前今、素通りしようとしただろ」


 紅がしかめっ面で腕組みしている。それだけで、無性に嬉しくなった。そうそう、これこれ。


「ごめん……ちょっと考え事してて。今日は、聴きにきてくれてありがとね!」

「ううん。すごく良かったよ、真白ちゃん。また上手くなったね」


 紺ちゃんは眩しそうに瞳を細めて私を見た。

 紅も気を取り直したのか、表情を元に戻している。


「亜由美が一緒に夕食食べにいかないかって。真白のとこのご家族も来てるんだろ。一緒にどう?」

「え? いいの?」

「うん。それを伝えようと思ってここで待ってたの。先生達は先に駐車場に行ってるって。私たちも行こう」


 こんなことなら、制服じゃなくてワンピースでくれば良かったなあ。

 そうぼやいた私に、紅は色っぽく微笑んでみせた。


「真白は制服姿も可愛いよ」


 あれ。ホストな紅に戻っちゃった。露骨にがっかりした私の顔を見て、紺ちゃんはプッと噴きだした。

 

 亜由美先生が予約を入れてくれたのは、芸術会館から車で30分ほどのところにあるひっそりとした創作フレンチのお店だった。住宅街の中に突如として現れた緑の空間に、ぽっかり口が開いてしまう。

 ぐるりと生垣で囲まれているものだから、中が全く見えない。森だよ、森。

 ホントにこんなところにお店があるの? 

 両親とお姉ちゃんも目を丸くして見上げている。背の高い生垣の切れ目に、洒落たアイアンワークの門扉があった。鳥とつるバラをあしらった意匠がすごく素敵だ。


「亜由美。よく予約取れたな」

「ついてたみたい。さあ、いきましょう?」


 紅の言葉に嬉しそうに頷き、亜由美先生は迷いなくその門扉を押して中に入っていってしまった。

 紺ちゃんと紅は前にも来たことがあるのか、平然とした顔で先生の後に続いていく。

 私達も、置いていかれたら大変とばかりに慌てて足を踏み入れた。勝手に入っていいの?感が否めないけど、予約してあるのなら大丈夫だよね。


 中に入って、私はますます驚いてしまった。

 まるでバーネットの「秘密の花園」に出てくる庭園みたい。

 野趣あふれる煉瓦造りの遊歩道だけど、葉っぱや薔薇のとげで通る人が怪我をしないよう、道の近くの草花はきちんと手入れされている。等間隔に置かれている足元のライトが、誘導灯のように私達を導いてくれた。見上げれば、グラデーションに染められた薄紫の空。視線を前に戻すと四季咲きの薔薇がうずもれた緑の庭。う~ん、別世界。


「真白、花香。ほら、あそこ!」


 声を低めて、父さんが私たちを振り返る。指差す方に目をこらすと、木立ちの中に赤茶色の小鳥が見えた。


「わあ。可愛い! すずめ?」


 可愛いものに目がないお姉ちゃんと母さんが歓声をあげる。その声に驚いたのか、パタパタと小鳥は飛び去っていってしまった。父さんはがっかりしている。


「ベニマシコだよ。こんなことなら、車からカメラを持ってくるんだったなあ」

「勝手に撮っちゃダメでしょ」


 すかさず窘めたんだけど、父さんは諦めきれないようにキョロキョロ辺りを見回していた。

 そうこうしているうちに、小さな白い箱型の建物に到着する。

 庭がどこからでも見えるようにという配慮だろう、三方に大きなガラスがはまっていた。


 ゆったりとした肘掛椅子に、白い大きなテーブル。テーブルの上には人数分のナプキンが準備されているのが外からも見える。だけど不思議なことに、誰もいなかった。

 紺ちゃんと紅に追いつき、小声で「今日はお休みじゃないの?」と聞いてみると、2人ともに同じような表情で笑われた。可愛いな~、みたいな顔。ちょっとムッとくる。


「ここは完全予約制で、1日に1組のお客様しか取らないお店なの」

「だから、よく予約が取れたな、ってさっき言ったんだよ」


 なるほどね。そうじゃないかと思ってましたよ。

 もっともらしく頷いたんだけど、紅には頭まで撫でられてしまった。ええい、やめんか! 

 お店に入ると、すごく小柄な女の人が私たちを待っていてくれた。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 清潔感あふれる白いシャツに黒いパンツ。茶色の髪はきっちりひっつめて、前髪もピンでとめている。年齢不詳な女性だ。10代後半にも20代後半にも見える。

 オイゲン・キケロのジャズがゆったりと流れている店内も、白を基調にシンプルに纏められていた。コップにさりげなく飾られている小さな花を見ていると、紅が「ムラサキセンブリだよ」と教えてくれる。「可愛いね。こういう花、好きだな」と答えると、紅は何故かくしゃりと瞳を歪めた。


「その花、蒼も好きだって言ってたよ」

「そっか」


 なるほど。私の言葉で蒼を思い出しちゃったんだね。悪いことしちゃった。

 高級料理店、というよりは、隠れ家という雰囲気に父さんたちも肩の力が抜けたようだった。


「もう1名、遅れてくることになっているの」

「はい。先に始められますか? それともお待ちになりますか?」

「彼はフロマージュとワインだけでいいそうだから、先に運んでもらえるかしら」


 亜由美先生が例のウエイトレス(?)さんに何か頼んでいるみたい。

 メニュー表が見当たらないので、私たちは手持無沙汰にあちこちを眺めていた。


「本当に私が勝手にコースを選んでしまって良かったんでしょうか」


 お店の人がいなくなってから、心配そうに亜由美先生が父さんと母さんに確認した。メニューみても分からないからお任せします、とか何とか頼んだんだろうな。


「いやあ。こういう場所に来たことないので、そうして頂けると助かります」

「うちはみんな好き嫌いないんですよ。どんな料理が出てくるのか楽しみです。ね?」


 父さんと母さんがニコニコ答えるのを見て、亜由美先生はホッとしたように胸を撫で下ろした。

 父さんも亜由美先生も車で来てるのでワインは頼まないみたい。

 ペリエでいい? と先生に聞かれ、「炭酸じゃない方がいいです」と伝えると、普通のミネラルウォーターが運ばれてきた。

 どこかに隠しカメラがあるんじゃないか、というような素晴らしいタイミングで現れ、給仕してくれる白シャツ姉さんはプロだ。


 花香お姉ちゃんはこっそり「ね、デザートもあると思う?」と聞いてきた。

 私の隣に座っている紅にも聞こえたらしく「コースなので出てくると思いますよ。ここはデセールも美味しいので、期待していいんじゃないかな」と代わりに答えてくれる。

 声変りを済ませた紅の、艶やかな低音にビクっとする。すっごく好きだったなあ、この声。今でも声は好きだ。あと見た目も。

 青鸞に入学出来たら、紅様ファンクラブに入っちゃおうかな。めちゃくちゃ嫌がるだろう紅の眉間の皺を想像して、1人で笑ってしまった。


「でせーる?」

「デザートのことだよ」


 小声でフォローすると、お姉ちゃんは「知らなかった! うわ、恥ずかしい」とほっぺを赤くした。

 デセールって普段は使わないもんね。デザートだよ、うん。そんなお姉ちゃんを見て、紅は笑うかと思ったのに笑わなかった。


「真白のご家族は、皆いい人たちだな」


 ぽつり、と紅はそんなことを言う。


「そうかな。……えへへ。ありがとう」


 大好きな家族のことを褒められ、途端に嬉しくなってしまった。

 紅の口調に揶揄するような含みはなくて、ただ単にそう思ったから口にした、というような感じだったから余計に。


「何も裏がなくて、素直であったかくて。一緒にいるとホッとする。……嘘じゃない」


 付け加えられた最後の一言に、流石の私の胸もズキリと痛んだ。

 別に紅のこと、嘘つきって思ってるわけじゃ……いや、欺瞞(ぎまん)はよそう。

 異性方面限定で大嘘つきだと思ってます。


「紅、大丈夫?」

「なにが」

「疲れてるんじゃない? 無理しないで、たまには何もかも投げ出しちゃえば」

「そっくりそのまま返してやるよ、って言いたいけど。……そうだな。それで何か変わるなら、そうするんだけどな」

「ほっといたら、どうなりそうなの?」


 私が誰のことを指してるのか、勘のいい紅にはすぐに分かったみたいだった。

 ファンクラブの子たちに常に取り囲まれてる生活は、紅には針のむしろだろうな。


「適当にかまってるだけで満足してくれるから、楽といえば楽だよ。あの子達だって俺に本気なわけじゃない。ただ、鬱憤が溜まって紺に何かされてからじゃ遅いから」

「うん……恐いよね」


 運ばれてきたお料理を食べながら、小声でぽつぽつ紅と会話する。不思議と心は凪いでいた。紅と一緒にいて、ここまでリラックスできたのは初めてかもしれない。


 前菜も、カボチャのポタージュも、メインの魚料理もどれもすごく美味しかった。素材の味がふんだんに伝わってくる優しい味付け。目を楽しませてくれる綺麗な飾り切り。なかなか予約が取れないというのも納得の素晴らしさだ。

 みんなが和気藹々とお喋りしながら、食事を楽しんだ。他に誰もいないから人目を気にする必要もない。そりゃ人気もでるよね。

 

 紺ちゃんはと云えば、花香お姉ちゃんから三井さんについてノロけられていた。

 うっかり「お付き合いされてる方がいるんですよね。いいなあ」なんて話題を振るからだよ。お姉ちゃん、最近忙しくて三井さんと会えてないから語りだしちゃうよ、きっと。

 ほら、スマホまで出してきた。三井さんとのデート写真をスライドで披露する、とかは本気でやめてよね。


「わあ、カッコいいですね!」

「いや~。紺ちゃんがカッコいいって言ってたよって教えてあげたら、シンくん舞い上がっちゃって帰ってこなくなるね。危険だね!」


 危険なのは、花香お姉ちゃんだよ。

 私が溜息をついたのを見て、紅は肩を震わせ笑い始めている。

 花香お姉ちゃんと紺ちゃんを引き合わせるのは、本当は怖かった。紺ちゃんが『花ちゃん』である以上、複雑な気持ちになるんじゃないかな、と心配で。だけど杞憂だったみたい。2人は今度はSAZEの話で盛り上がり始めた。デビュー当時の瑞々しさも捨てがたいけど、大人になってからの彼らは『マジでヤバイ』らしい。


「真白は全然アイドル興味ないし、紺ちゃんがファンで嬉しいな。今度コンサートとか一緒に行こうよ!」

「行きたいです!」


 行きたいのかよ。即答かよ。


「真白はTVもほとんど見ないの。見るの国営放送くらいだよ。しかめっ面で見て、ノートとか取ってんの。ねえ、どう思う?」


 紅はたまらず口元をナプキンで押さえてる。笑い過ぎでしょ、さっきから!


「真白ちゃんは、真面目だから」

「そこも姉としては、可愛いくてたまらない部分なんだけどね」


 花香お姉ちゃんのしみじみとした口調に、紺ちゃんはわずかに目を細め、小さく微笑んでコクリと頷いた。

 みんなのメインのお皿が空になった頃。タイミングを見計らったように姿を現したのは、トビーだった。紅は形のいい眉を吊り上げ、亜由美先生を見遣った。


「後からくるって、山吹理事のことだったのか?」


 クリスマスコンサートで会った時、私をあれだけ挑発したんだから、きっと来ると思ってた。

 紅はトビーへの警戒心をあらわにし、私をちらりと横目で見る。大丈夫、と伝えたくて一つ瞬きしてみせた。トビーはそんな紅を歯牙にもかけず、にっこりと王子様スマイルを浮かべた。


「そうだよ。アユミから聞いてなかったかな? そんな怖い顔しないで、我が麗しきコンテスタントに挨拶くらいさせてよ」


 そして片手に抱えていたピンク色の薔薇の花束を、うやうやしく私に差し出した。


「遅れてごめんね。どうしても外せない会合があって。何はともあれ、予選突破おめでとう。サディア・フランチェスカが今日『A』をつけたのは、君一人だったよ、真白」

「え?」


 お礼を言うのも忘れて、花束を手にトビーの煌めく瞳を見つめ返す。

 喜びを驚愕の感情が追い越しちゃって、ピンとこない。控室で見かけた青鸞の3年生の演奏もすごく良かった。彼もきっと「A」だろうと思ってたのに――。


「真白とショパンの相性はすごくいいみたいだね。でも、次のバッハはどうかな。楽しみにしてる」

「あ、ありがとうございます」


 トビーは、繊細な笑みを浮かべ私の家族みんなに挨拶して回った。

 金髪碧眼の王子様。しかも青鸞の理事と聞いて、父さんも母さんも感心してるのが丸わかりの顔で、彼の挨拶に応えている。ミーハーな花香お姉ちゃんも、きっとテンション上がってるだろうな、と身構えたのに、意外と冷静だった。


 あ、あれ?

 どうしてお姉ちゃんが平然としてたか、後から理由を聞いて私は思わず脱力してしまった。

 なんでもトビーの『バッハはどうかな』って言い方が気に入らなかったらしい。『真白はバッハもスゴイに決まってる!』と家に帰った後で息巻いていた。姉バカ過ぎる。

 言っとくけど、お姉ちゃんはバッハとヴィヴァルディの区別がつかない。たとえばパッヘルベルのカノンのコード進行は本当に美しくて整っている。それを真似たのか、同じコードで展開するポップスなんて、それこそ星の数ほどある。そういう感じで混同するなら分かるけど、バッハをヴィヴァルディと間違うことってあんまりなくない? お姉ちゃんに「春」を聴かせると必ず「知ってる、これバッハだよね」と得意げに鼻をうごめかすのだ。可愛いけど、違うよ。


 一通りうちの家族に愛想を振りまいたトビーは、ワインとチーズを注文して、ゆったりと紺ちゃんの隣に腰を下ろした。


「久しぶりだね、コン。見る度に、君は美しくなるな」

「ありがとうございます、理事」


 白シャツ姉さんは、流れるような動きでトビーの前にワイングラスをおいた。

 量が飲めないから、とボトルで注文するのは避けたみたい。トビーは優雅な仕草でチーズを口元に運び、ゆっくりとワイングラスに唇をつける。すごく綺麗に食事をとる人なんだな、とちょっと見直した。


「理事なんて言い方、他人行儀で寂しいよ。コンには是非、名前で呼んでもらいたいのに」


 うわっ。

 もしかして、これ前作ヒロインのイベント?


 一瞬にして鳥肌がたった。紅の方を向いて、涙目で訴える。あいつをどうにかしろ! 

 ところが紅は、何故かフイと視線を外してしまった。耳が赤い。なに、照れちゃってんのおお!? 

 こんな緊急事態にラブギミックとか本当に勘弁して。

 仕方ない。こうなったら、私がばっきばきにフラグを折ってやる。紺ちゃんをトビーみたいな胡散臭い男に渡してたまるか。


「理事でいいんじゃないかな、紺ちゃん。自分の学校のうーんと年上の偉いさんだもん。名前でなんて呼べないよ、ねえ?」

「ま、真白ちゃん」


 私が会話に割ってはいると、トビーも紺ちゃんも目を丸くした。


「ふふ。そうかな。このくらいの年の子って、年上に憧れたりするものじゃない?」

「しても、せいぜい高校生とか大学生までじゃないですか? 犯罪ですよね、15も年が離れてたら」


 犯罪と15のところにアクセントを置いてトビーを挑戦的に見返してやる。何を企んでるのかしらないけど、いいようにさせるもんか。


「……トビー。あなた、真白ちゃんに何したの」


 亜由美先生が呆れた声をあげるまで、私とトビーは一歩も引かず視線を交わし合っていた。バチバチバチ。


   ◆◆◆◆◆


 本日の主人公ヒロインの成果

 攻略対象:成田 紅

 イベント:私には分かるよ

 前作主人公の成果

 攻略対象:山吹 鳶

 イベント:思わぬ邪魔

 無事、クリア


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