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そして十二月。
二学期最後の期末テストもほぼ満点で1位だった私は、朋ちゃんと木之瀬くん、そして間島くんで結成された『私から一位を奪おう同盟』との賭けに勝った。
勝者である私はケーキセットを奢ってもらえることになっている。
五限授業で部活が休みの水曜日。
学校帰りの寄り道は禁止ということで、私達は一度家に帰ってから駅前のカフェに再集合することになった。
ジーンズにタートルネックの黒いニット。ダッフルコートにマフラーを巻いただけの私と違い、朋ちゃんも絵里ちゃんも可愛いワンピース姿だ。好きな男の子とのお出かけだもん、そりゃ気合も入るよね。
「私、関係ないのに一緒に来ても良かった?」
奥まった席に腰を落ち着けた後、絵里ちゃんは居心地悪そうに身を竦め、そっと尋ねてくる。
「なんで? 全然いいよ。っていうか、絵里ちゃん抜きで間島くんとここに来る方がありえない」
「俺もそう思う」
中学になって更に大人びた間島くんが、眼鏡越しに絵里ちゃんを優しく見つめて言った。
「えへへ。それなら良かった」
絵里ちゃんはホッとしたようにふにゃりと笑う。か、可愛い!
絵里ちゃんや朋ちゃんを見ていると、私も恋をしてみたいと素直に思う。
思ったところで浮かんできたのは、紅と蒼の綺麗過ぎる顔だった。
待って、そうじゃない。あんなハイスペックな美少年じゃなくていい。
悲惨なバッドエンドと背中合わせの恋なんて、スリルがあり過ぎる。
もっと普通でいいんです。普通に思って思われて、お互いを大切にして。
……普通って遠いな。
「さあて。好きなものを頼んでいいんですよね? 御三方」
私がにんまりすると、木之瀬くんも間島くんも不本意そうに頷いた。
朋ちゃんだけがニコニコと「今回は自信あったのになあ」なんて言ってる。
「じゃあね~。アップルパイと、フォンダンショコラと、キャラメルプリンと」
「そ、そんなに食うの、真白」
ドン引きしている木之瀬くんを見て、私は重々しく頷いた。
「当然。この日の為に、3日前からカロリー計算してダイエットしたんだよ。朝ご飯もお弁当もセーブしたし、お腹はちきれるまで食べる!」
「どんだけ用意周到なんだよ!」
テーブルに突っ伏した木之瀬くんの頭を、朋ちゃんがよしよしと撫でている。
ほらね。こんなに甘い彼らを前にして、ぼっちの私に出来ることなんて食べることくらいですよ。
お代わり持ってこーい!
その週の土曜の午後。
玄田邸の離れで練習させてもらった後、私は紺ちゃんとソファーに座ってお茶を飲んでいた。
家へ帰る前のこのひと時は、私にとって貴重な癒しとなっている。
「あ、そうだ。忘れないうちに、これ」
紺ちゃんはカップをテーブルに戻し、白いパンフレットを手渡してきた。
「――青鸞クリスマスコンサート?」
「うん。23日なんだけど、どう? 予定が空いてたら、聴きに来て欲しいな」
コンサートという名目ではあるものの、内実は青鸞学院の成績優秀者が日頃の成果を発表する場らしい。
23日が中等部、24日が高等部、そして25日には青鸞音楽大学の選抜メンバーと地元のオーケストラによるコンサートが行われるという。
私は指を傷つけないよう慎重にページをめくり、演奏者の名前をチェックしていった。
「わあ~。すごいね! 流石、青鸞。やることのスケールがでっかいわ」
地元のオケを振るのは、有名なコンクールで優勝を果たした新進気鋭の指揮者だ。最近メディアでもよく取り上げられてるから、一度は彼の指揮で協奏曲を聴いてみたいと思っていた。
私が25日のプログラムに見入っていることに気づき、紺ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、25日のチケットは持ってないの。でももし真白ちゃんが聴きたいなら、手配してみるわ」
「え? ああ、いいのいいの! すごいなあって感心しただけだから」
「トビーの初企画だよ。随分張り切ってるみたい」
紺ちゃんがひんやりした声で説明してくれる。
トビー王子は今、山吹グループの商事会社にお勤めらしい。だけど今年から青鸞の経営陣にも加わってきたんだって。それで3年後には理事長になるっていうんだから、彼がどれほどの遣り手なのかおのずと知れるってもんだよね。
「青鸞の卒業生を大々的に売り出して、学院の名前をもっと高めていこうっていう方針なのよ。青鸞には伝統と歴史があるけれど、最近は新興の音楽学校もどんどん増えてきてるから、経営陣にも対抗意識が芽生えているんでしょうね」
「そっか。トビー王子は、野心家なんだね」
仕事熱心なのは悪いことじゃないと思うけど。
続けて言おうとして、口を噤む。紺ちゃんの表情はとても険しかった。
ぴりりと尖った場の雰囲気を変えようと、23日のプログラムを改めて確認してみる。紺ちゃんと紅の名前もちゃんと載っていた。
「紺ちゃんは、ベートーヴェンのピアノソナタ熱情の第三楽章か~。うわあ、楽しみ!」
ピアノ科からは、紺ちゃんと沢倉 雪子って子がエントリーしている。紺ちゃんは、【沢倉雪子】と印刷されている文字を人差し指でトンとさした。
「この子も、紅の取り巻きの一人よ。ほら、キラキラ星の楽譜の子」
「ああ、沢倉さんって子の楽譜だったんだ。コンサートに出るくらいだから、かなりピアノが上手いってことだよね」
どんな演奏をするんだろう。日頃、自分と同い年の子の演奏を聴く機会がない私は、紺ちゃんの常人離れしたピアノしか知らない。
そう考えると、今度のコンサートは青鸞中等部のレベルを知るいい機会だ。ますます楽しみになってくる。
「上手いっていうか……」
紺ちゃんは曖昧な返事をした後、私をじっと見つめた。
「紅と一緒にオペレッタを観にいったのも、沢倉さんだと思う」
「そうなんだ! じゃあ、あの青い髪の美少女が沢倉さんか~。紅って面食いだよね」
「……それだけ?」
「ん? 他に何かある?」
紺ちゃんは何故かがっかりしたように私の顔を覗き込んでくる。
拍子にふわり、と茶色の髪が頬にかかって、くらくらする程の美しさを私の目に焼き付けてきた。ま、眩しい。
「……はぁ。自業自得とはいえ、可哀想になってきちゃった」
謎めいた台詞を零した紺ちゃんが不思議で首を捻ったが、「なんでもない!」と話を終わりにされる。
私は再びパンフレットに視線を戻した。
ピアノ科以外にも、弦楽器科、木管楽器科、金管楽器科からそれぞれの代表が出るみたい。
ふと、ある名前が目に留まった。
【クラリネット専攻 宮路 璃子】
うーん。どっかで聞いたことある名前だなあ。
誰だっけ。必死に記憶を手繰って、ようやく思い出す。
この子にも会ったことある!
黒目黒髪のエキゾチック美人じゃん! 紅の親衛隊隊長みたいなあの子!
「この宮路さんって子も、紅の取り巻きだったりする?」
「え? どうして知ってるの?」
「やっぱり!」
小学校の時、ショッピングモールで一度会って釘をさされたことを思い出し、簡潔に説明してみる。
私の話を聞き終え、紺ちゃんは苦々しく顔を顰めた。
「彼女ならそれくらいは言うでしょうね。あとは、ほら、ここ。ヴィオラ専攻の宇都宮 美沙。そして、フルート専攻の寺西 花梨。この2人が、宮路さんのグループの子達よ」
言われてみれば、隊長の両隣に仲間がいたような……。
「ファン全員、顔も良くて楽器も上手いなんて。紅のたらし能力、恐るべし! だなあ」
思わず感心してしまった。ところが紺ちゃんは、苦い顔のままで否定する。
「学院には、もっと上手い子が他にいるの。トビーは親が納める寄付金の見返りとして、彼女達をメンバーに選んだのよ」
うわっ。それは流石にえげつない!
でも、トビー王子なら涼しい顔でやりそうだな、とも思った。
彼は『勝てば官軍』を地でいくタイプにみえる。
「まじか~。ねえ、紺ちゃん。そんなろくでもない男を攻略するの、止めようよ」
私が唇を尖らせると、紺ちゃんは微かな笑みを口元に浮かべた。
「しょうがないわよ。前作ヒロイン(わたし)のお相手はトビーって決まってるんだもの」
その言葉に、引っ掛かりを覚える。
以前、紺ちゃんは私にこう言った。
――真白ちゃんは自由に生きられるんだよ?
私「は」自由に生きられる。じゃあ、紺ちゃんは?
紺ちゃんは、どうして『ボクメロ』の進行通りにトビー王子を攻略したいの?
ううん、そうじゃない。したい、のではなく、しなければならない、のであれば。
これまでの彼女の行動が、オセロをひっくり返すように違う意味を持ってくる。
紺ちゃんの抱えている秘密を解く糸口が見えた気がして、私はその後も事ある毎に、紺ちゃんの放った言葉の意味を考え続けた。
冬の日没は早い。17時を回る頃には、辺りは真っ暗になっていた。
能條さんの待つベンツに向かう途中、一緒に外までついてきてくれた紺ちゃんに一枚のDVDを渡される。
「これね、渡すかどうか、迷ったの。紅には渡すなって言われた」
紺ちゃんの美しい唇から、白い息が漏れる。
灯りのともった石灯籠に照らされた紺ちゃんは、羽織ったロングコートの襟をかき合せながら、私を見つめた。
「秋休み、私と紅がヨーロッパに行った時にね。オーストリアのグラーツで芸術祭が行われてたの。そこで、城山くんに会ったわ」
「蒼に?」
思いがけない名前にびっくりする。
文化祭のことで相談に乗ってもらった時、紅はそんなこと一言も言わなかった。
「元気にしてた? ちゃんとチェロを続けてた?」
勢い込んで尋ねると、紺ちゃんは黙って私の手にあるDVDを指差した。
「見てみたら分かるよ。……コウを責めないでやって。まだ真白ちゃんは辛いんじゃないかって、兄なりに気を遣ったのよ」
「――うん。だろうね」
入学式の日の自分の醜態を思い出し、私は素直に頷いた。
紅はああ見えて、気遣いの人だ。私だって今までも、何かと助けられているのは確か。
その事実を帳消しにするような傲岸な言動さえなければ、文句なしにいい男なのだ。
そこまで考えて素直な紅を想像し、いやそれも不気味だ、と思い直す。
天邪鬼で負けず嫌いで、ホントは優しいのにそう思われるのは嫌がるめんどくさい人。
恋愛的な意味ではないけれど、彼がこの世界から消えればきっと私は大きすぎる喪失に膝をつく。
心の中で欠点を並べあげても嫌いにはなれないところも、紅の欠点だ。それにしても――。
「紺ちゃんは、蒼のこと警戒してるんじゃなかったの? 私にこれを見せていいの?」
あまり蒼には近づいて欲しくないみたいなこと、だいぶ前に言ってなかったっけ。
不思議に思って尋ねてみると、紺ちゃんはきっぱりと言い切った。
「真白ちゃんに関していえば、もう私の知ってる『ボクメロ』じゃない気がするの。だから、私は、コウでも城山くんでもなくて、真白ちゃんの味方だよ。絵葉書に彼が何も書いてこないこと、ずっと気にしてるでしょう?」
「……バレてたか。紺ちゃんには、何でもお見通しだね」
蒼からの絵葉書は、一週おきにきちんと届く。
だけど、一度だって私の出した手紙への返事が綴られていたことはなかった。
それが何故なのか、私には分からない。
一緒に過ごしていた時は、手に取るように分かった蒼の気持ちが分からない。
その事実は、ひどく私を寂しくさせた。
それでも繋がりを断ち切りたくはなくて、手紙を出すことを止められない。
うんうん唸りながら、当たり障りのない穏やかな文面を綴っていく。
『元気にしていますか? ちゃんと食べていますか? ドイツは楽しい?』
質問ばかりになってしまう手紙をしたためるのが辛くなり、最近では折り紙を折って封筒に入れている。添えるのは自分の近況と、折り紙の解説だけ。
遺跡シリーズは不評だったみたいだから、楽器シリーズにしてみた。
チェロ、ヴァオリン、トランペット、トロンボーン。出会ってすぐに蒼にあげたグランドピアノに加えられるよう、オーケストラの楽器を網羅するつもり。
「――ありがとう、紺ちゃん」
私は貰ったDVDをしっかりと胸に抱き、車に乗り込んだ。
家に着いてすぐ、リビングのTVの前に陣取る。
珍しく家にいた花香お姉ちゃんが「真白がテレビ見るの、珍しいね。それ、なに?」と瞳を輝かせ、ソファーの隣に腰掛けてきた。
「蒼の映ってるDVDだって」
「蒼くんの!? うわ~、久しぶりだね。私も見てもいい?」
「もちろんいいよ。一緒に見よ!」
花香お姉ちゃんは私の分のココアも一緒に淹れてきてくれた。
焼いたマシュマロを浮かべた甘いココアは、私が淹れるよりもお姉ちゃんが淹れた方がなぜか美味しい。あんなに料理音痴なのに、本当に不思議だ。
私が感心する度、お姉ちゃんは「コツは愛情だよ?」と笑う。
2人並んで、DVDが始まるのを待つ。
両手でカップを持ち、ふうふう息を吹きかけながら少し冷ましていると、懐かしい声が液晶画面の向こうから聞こえてきた。
ハッと顔をあげたが、映っているのは広場らしき背景だけ。
「撮影? やめろよな」
「いいじゃないの、ケチケチしないでよ」
蒼と、この声は――。どうやらビデオカメラを回しているのは美登里ちゃんみたい。
ぐるんと画面が動く。直後、テレビ画面に一人の少年が現れた。
黒いジャケットを羽織った蒼が、しかめっ面でこっちを見てる。
胸を突き上げてきたのは、強い感傷だった。
蒼だ、蒼がいる。
サラサラの水色の髪は変わってない。あ、でも少し短くなった?
背が伸びたせいか、私の覚えている可愛い蒼じゃなくなっている。
ファンブックで見た城山 蒼にそっくりの大人びた少年がそこにはいた。
美登里ちゃんのカメラが再び動き、蒼の隣に並んだ別の少年を捉える。
「演奏前なんだから、今はまだ撮影禁止じゃないんだろ? 女の子のお願いは聞いてあげるべきだよ、蒼」
焦げ茶のジャケットにゆるくストールを巻いた紅が、からかうようにそんなことを言う。
美登里ちゃんが後ろに下がったのか、画面は2人の姿を同時に映した。
「露出狂のお前と一緒にするな。写真とかビデオとか、苦手なんだよ」
「はぁ? 随分な言われようだな。写真を許しただけで露出狂なわけないだろ」
蒼と紅が言い合いながら、お互いの肩を小突いている。
気づけば、涙がじわりと溢れていた。
慌ててココアをローテーブルに戻し、手のひらで目尻を拭う。お姉ちゃんは、そっと私の膝に手を置いてくれた。
懐かしい。懐かしくてたまらない。
こうやって、よくじゃれ合ってたよね。
口では文句を言ってるのに、二人とも顔は笑ってた。
「――ねえ。この映像、真白に送ってもいいでしょ?」
美登里ちゃんの声だけが入ってくる。蒼は、ふと目元を和らげ画面をまっすぐに見つめてきた。
「真白が見たいって言ったら、いいよ。無理強いはしないで。真白には、何の負担もかけたくない」
紅より少し高いアルトの甘い声。愛しげな眼差し。
蒼はまだ、私のことを想ってくれてるんだ、と分かってしまった。胸が苦しい。会いたい、と強く思う。
でもこれが恋情なのかと聞かれれば、否定するしかない。
大切で、守ってあげたくて、そして誰より幸せになって欲しい人。
私にとっての蒼は、『好きな人』という言葉では括れない存在だった。
それからしばらく他愛もない話をする紅と蒼、そして紺ちゃんが映し出される。
私はボロボロ泣きながら、大切な三人に見入った。
「そろそろ演奏の時間みたいだな。お前のチェロを録画できなくて残念だよ」
「どういう意味?」
「後から細かくチェックしてミスを探してやれるのに、ってこと」
「言ってろ」
蒼は紅に軽くハイタッチして、広場の中央に設置された舞台へと歩いていった。
前よりうんと広くなった背中が遠ざかり、画面が暗転する。そこで録画は終わっていた。
私も紅に同意だ。蒼のチェロが聞きたかった。
あの柔らかくて、胸が痛くなるほど優しい音色を聞きたかった。
「はぁ……。蒼くんも、紅くんもますますカッコよくなっちゃったね」
お姉ちゃんがしみじみと呟く。私も涙を拭きながら頷いた。
ほんとカッコいい。見た目だけじゃなくて、彼らの全てが眩しい。
恋や愛で結ばれなくていい。音楽で、彼らと肩を並べたい。
私は願わずにいられなかった。




