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 私が成田邸を後にしたのは、夜の二十時過ぎだった。

 紅が手配してくれた楽譜が届くまでベーゼンドルファーで練習させてもらい、18時過ぎに帰宅した桜子さんに捕獲され、夕食までご馳走になってしまったのだ。

 家に連絡はしてあるけど、流石にこれ以上は、とお暇を申し出る。

 桜子さんはわざわざ玄関先まで見送りに出てくれた。


「絶対また来てね? 真白ちゃんがいると屋敷がすごく明るくなるんだもの。紅もいつもより機嫌がいいし、私も楽しいわ。ね? 紅」


 桜子さんはそう言って、紅に意味深な視線を投げかける。


「そうかな。いつもと同じだと思うけど?」


 紅は表情を変えないまま、サラリと躱した。

 こういう対応を見る度、紅の中学生らしからぬ大人っぽさに感心してしまう。


「こちらこそ、夕食までご馳走して頂いて。本当にありがとうございました」

「いいのよ、私が無理を言ってしまったのだもの。それにしても、主人は悔しがるでしょうね。今日は真白ちゃんと一緒にご飯を食べたって、自慢しちゃおうっと」

「え? へへ……」


 褒められ慣れていないので、どう返していいか分からない。

 照れ笑いで誤魔化した私を、桜子さんはギュっと抱き締めてきた。


「もう、本当に可愛いっ。早くうちにお嫁に来てくれればいいのに!」


 スラリとしているように見えるのに、桜子さん、何カップあるんですか!? 

 豊満な胸にぎゅうぎゅう押し付けられ、息苦しくなる。

 紅は不機嫌そうに顔を顰め、桜子さんから私を引きはがした。


「いい加減にして。――ほら、行くよ。あんまり遅くなると、真白のご両親が心配する」

「う、うん……お邪魔しました」


 別れの挨拶もそこそこに紅に腕を引っ張られ、車に押し込められる。

 てっきり彼ともそこで別れると思ったのに、紅は私の隣に乗り込んできた。


「わざわざ送ってくれなくてもいいよ。水沢さんがいるんだし」

「違う、俺は――」


 紅は何かを言いかけてハッと口を噤み、それから「何でもない」と首を振った。

 車が動き出してからも、何故か浮かない顔をしている。


 はっはーん。これはあれだな。

 桜子さんの『お嫁にこい』発言で、憂鬱になっちゃったんだな。

 勘違い女につきまとわれるのが、何より嫌いな紅のこと。私をどう牽制しようか迷ってるんだろう。

 昔の紅なら歯に衣着せないで「勘違いするなよ。身の程を弁えろ」くらいは言いそう気がするけど、こうやって躊躇うなんて成長したなぁ。

 しみじみと感慨にふけりながら、安心させてあげようと口を開く。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」

「は? ……いきなり、何?」

「桜子さんは紅をからかいたくてあんな風に言ったって、ちゃんと分かってるからね。勘違いして付きまとったりしないから」


 紅は目を丸くして私を凝視し、それから盛大な溜息をついた。


「全く分かってないじゃないか」

「分かってるよ。冗談を真に受けられたら迷惑なんでしょう? 私に限ってそれはないから、安心してよ」

「……見当違いもいいとこだ。もう何も言わないでくれる?」


 紅は苛立ちを含んだ眼差しで私を射抜き、そっけなく言い放った。

 なんだよ、もう。可愛くないなあ。

 私は紅の機嫌取りを諦めて、窓の外に目を向けた。


 流れていく街灯や家の明かりを見ているうちに、なんだか眠くなってきてしまう。

 うつらうつらし始めた私を、紅はまたしても不機嫌そうに見つめてきた。

 視線が痛いけど、もう面倒だから気づかないふりでやり過ごす。……やり過ごしたいのに、視線はますます強くなった。いつまで見てるんだ!

 眠気も吹っ飛び苛々し始めた頃、ようやく家に到着した。


「水沢さん、ありがとうございました。紅も色々ありがとね」


 紅の不機嫌の理由がさっぱり分からない。こういう時は逃げるが勝ちだ。

 そそくさと車を降りようとしたところで、紅に声を掛けられた。


「真白!」


 今度は何を言われるのかと、警戒を高めながら振り返る。

 紅は少し悲しそうに眉尻を下げ、それからふっと頬を緩めた。


「文化祭、頑張って。成功を祈ってる」


 天変地異の前触れか! ってくらい驚いてしまった。

 本当にこの人、紅だよね。

 思わず二度見したじゃないか。


「う、うん。えっと、頑張るね」


 驚きすぎて、どもってしまう。

 少し前から、紅はおかしい。蒼がいなくなったこと、そんなに大ダメージだったのだろうか。

 でもまあ、紅に関していえば深く考えても無駄だよね。

 うっかり乗っちゃうとそれが彼の思う壺、ってオチも十分あり得るから怖い。

 私は気を取り直し、何も気づかなかったことにした。




 文化祭当日。

 合唱コンクールの後、結果発表までの間に私の演奏は挟まれていた。

 なんとなく場繋ぎ的に利用されてる気がしませんか、これ。

 釈然としない気持ちで、壇上に上がる。合唱の時に端に寄せられていたシロヤマのピアノは、先生たちの手によって中央に引き出されていた。生徒たちの間からは、ざわめき声が上がり始めている。


「え? 何が始まるの?」

「あの子、あれじゃん。ピアノやってて部活免除の子」

「ああ、一年でトップだっていう新入生代表の子か」


 教頭先生が、簡単に私が演奏することになった経緯についてマイクでアナウンスする。

 紹介が終わったタイミングでペコリと頭を下げ、ピアノの前に座った。

 ついさっき、伴奏で弾いたばかりの子だったから、どんな音が鳴るのかはすでに把握しているんだよね。調律が少し甘い気もするけど、弾けない程じゃない。

 おもむろに鍵盤に手を置き、まずは5度のシンプルなコード進行のアルペジオに、トリルをあしらった主旋律を乗せていく。それからシンコペーションを多用して、3度と7度のコードをベースにオープンとクローズのヴォイシングを織り交ぜて、アレンジしたメロディを浮き立たせた。

 ジャズのリズムに乗ることで、有名なフレーズが大人っぽく甘い囁きに変わっていく。


「あ、これ知ってる!」

「キラキラ星だよね?」

「カッコいいじゃん!」


 生徒達の間から、好意的な声が上がり始めた。

 嬉しくなった私はテンポを上げ、合間にアドリブも挟むことにした。

 左手で奏でる力強い和音。16分音符と半音階を駆使した右手のパッセージ。頭の休符をうまく使うと、よりjazzyな演奏になる。

 二拍子から三拍子に変わって更に盛り上がるフィナーレ部分を、音数を増やして華やかに弾きあげると、広い体育館がワッと歓声に沸いた。


 ああ、楽しかった!

 大満足な気持ちで舞台袖にひっこもうとしたんだけど、なんとアンコールの声援が飛んできた。

 3年生の中でも目立つグループの子達は、指笛を鳴らしてる。先生たちが注意して回っているものの、手拍子はなかなか収まりそうになかった。

 これ、どうしたら……。

 助けを求めるように職員の列に目をやると、松田先生と目があった。

 先生は小さく笑みを浮かべ『もっと弾いてやれ』というように親指を立ててくる。

 なんなんですか、その可愛い仕草は! このまま降りようと思っていたのに、先生の為に弾きたくなったじゃないですか。


 私が再びピアノの前に座ると、ようやく手拍子は止んだ。期待に満ちた空気が体育館中に広がる。

 少し迷って、今度は『星に願いを』を弾いてみることにした。

 この曲は実は全然自信がない。練習の合間の息抜きに、耳コピして好き勝手にアレンジしながら弾いてる曲なんだよね。でも、メロディは有名だからアンコールにはいいかな?


 まずは、基本のメロディを素直なコード進行で弾いてみる。

 女子生徒を中心に「知ってる!」の声が上がった。

 聴き入ろうとしてくれるのか、ざわめきはすぐに収まり、私の奏でるピアノの音だけが響いていく。

 一巡した後からは、メロディをアレンジして違う音の並びに変えた。原曲とコード進行を同じにしておけば、そう大きく外れることはない。CからDマイナーへの以降部分にA7やG7を挟んで、メロディ部分に装飾音を付け足したり、リズミカルに休符を挟んだり。

 自分の好きなように音を足して遊べるのがジャズの楽しいところだ。

 コードがCならドミソの音を中心に弾くのが基本だけど、そこに黒鍵を足してCマイナーの音を入れてみたりとかね。 

 しっとりした曲だったこともあって、みんな静かに聴き入ってくれたので、落ち着いて演奏を終えることが出来た。


 結局、演奏予定時間は大幅にオーバーしてしまった。

 壇上から降りた後、校長先生に怒られるかな? とびくびくしたんだけど「島尾くんの演奏で、一杯やりたいなあ」と褒められてしまいましたよ。……褒め言葉、だよね?


 クラスに戻ると、興奮した玲ちゃんに「すごい、すごいよ!!」と飛びつかれた。

 他のクラスメイトにも口々に「良かったよ」と声を掛けられ、単純に嬉しくなってしまう。


 選曲を悩んだ甲斐があったな。紅にメールでお礼をいっとかないと。

 楽譜を貸してもらった例の青鸞のお嬢様に、頑張って愛想を振りまいてるだろう彼の姿を思い浮かべ、心の中でそっと手を合せる。

 合唱の方では惜しくも2位だったけど、とても思い出深い文化祭になった。



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