スチル24.サポートキャラ登場(真白&紺)
早いもので8月も終盤。
ノボル先生とのレッスンは順調に回を重ねていた。
バッハやショパン、ベートーヴェンにブラームス。
ノボル先生の出す課題はバリエーション豊かだった。
彼はまず、私達に自由に弾かせ「J'aime」か「J'en'aimepas《好きじゃない》」と簡潔に感想を述べる。首を振ってダメ出しされた曲は次回に持ち越してもいいんだけど、次にも「Non!」と言われてしまうと、同じ曲はもう2度とみてもらえないという、非常にスリリングなレッスンだ。
パリでの生活が長いせいか、感情が昂ぶるとノボル先生はフランス語になってしまう。
その日も先生は、早口のフランス語で何事かをまくし立ててきた。不躾だとは分かっていても、堪らず途中で口を挟む。
「Je ne comprends pas!《分かりません》」
「あーと、ごめん。えっと、どうしてこの部分のテンポ指示がAllegroになってるのかをもっと考えて、って言いたかったんだ」
「分かりました。ちょっと前から弾きますか?」
「うん、ここの頭から」
そんなノボル先生のおかげで、私の自宅学習には『フランス語』も追加された。
毎日が忙しすぎて、時間が過ぎるのがものすごく早い。
1か月なんてあっという間だった。
「ノボル先生って、鬼だよね……亜由美先生を上回る人がいるとは思わなかったよ」
帰り道、迎えの車の中で紺ちゃんに思わず愚痴をこぼす。
こんなみっともないこと、彼女以外の誰にも言えない。同等の真剣さを持って私と同じ道を行く紺ちゃんなら、私の気持ちを正確に理解してくれる気がした。
紺ちゃんは大きな溜息をつき、疲れたように首を振った。
「真白ちゃんはまだいいじゃない。私なんて、ピアソラとかガーシュウィンとか、ジャズ要素の多い作曲家ばっかりなんだよ? しかも、なかなか先に進ませてもらえないし……」
そうなんだよね。
先生はなぜか、私と紺ちゃんでは全く指導法を変えてきている。
蒸し暑い一階で待たせるのは可哀想だから、というノボル先生の言葉に甘えて、お互いのレッスンをその場で聴いている私達なんだけど、その点は不思議でしょうがなかった。
その日も、紺ちゃんはピアソラのリベルタンゴを弾かされていた。
途中からなんともう一台のピアノでノボル先生も加わり、セッションの体になっている。
「コン、もっと頭を空っぽにして。リズムと音だけを追うんだ。だめだめ、考えないで!」
ノボル先生が自由自在にテンポを変えるものだから、紺ちゃんは半泣きになっている。
「心を開放して、コン。ほら、ここまでおいで!」
抽象的すぎる指示にキレたのか、紺ちゃんは突然、楽譜にはない即興を挟み始めた。
心臓発作という持病を抱え、祖国アルゼンチンでは革新的なタンゴへの批判と戦っていたピアソラが、新天地イタリアで作曲した「自由」な「タンゴ」。
今ではすっかり彼の代表曲になっている。
有名なチェロ奏者のCDは私も持っているんだけど、ピアノ連弾でのリベルタンゴを聴くのはこれが初めてだった。
暗い情念が揺蕩うメロディ。哀愁ただよう激しいリズム。高音からの美しい下降音形。
紺ちゃんの抱えている全ての苦悩を叩きつけ、そして昇華していくような見事なタンゴが紡がれていく。
ノボル先生はピアノを弾く手を止め、じっと彼女の演奏に聞き入っている。
知らず浮かんできた涙で視界が揺らぎ、ふと視線を落とす。
むき出しの腕には鳥肌が立っていた。
「tres bien !」
紺ちゃんが弾き終えた後、ノボル先生は歓声をあげた。
魂が抜けたように呆然としている紺ちゃんのところまで歩いていき、彼女の右手をそっと取る。
「素晴らしかったよ、コン。君はもっと、音楽への情熱に素直になっていい。自分のピアノを認めてあげて欲しい」
「……はい」
「じゃあ、来週はリストにしようかな。ラ・カンパネラをみせてもらうね」
ようやく、古典に戻れるらしい。紺ちゃんはホッとしたように頷いている。
うわ~。ラ・カンパネラか。大好きな曲なんだよね!
ワクワクしながらノボル先生を見つめていると「真白も弾きたい?」と聞かれてしまった。
「弾きたい、ですけど。来週までに仕上げてくる自信はありません」
「ふうん。じゃあ、また今度」
ノボル先生はにっこり笑って「今日のレッスンはおしまい!」と宣言した。
レッスン時間は決まっていないので、いつも終わってから紺ちゃんが能條さんを呼ぶことになっていた。お迎えが来るまでの時間、先生に色んな曲を弾いてもらう。ノボル先生の凄いのは、楽譜を一度もさらったことのない曲でも、耳にしたことのある曲なら何でも再現してしまえるところだ。
私と紺ちゃんが調子に乗ってあれこれリクエストしていると、突然レッスン室の扉が開いた。
「ノボル!」
「……はあ。見つかっちゃったか」
ピアノを弾く手を止めて、ノボル先生は突然現れた藍色の髪の美少女に向けて顔を顰めた。
あっけにとられている私たちを尻目に、その少女はタタッと駆けてピアノの前に座ったままの先生に飛びついた。
「会いたかった! ねえ、どんなに私がノボルに会いたかったか分かる!?」
このセリフ、前にも聞いたような……。
私たちと同い年くらいに見えるいたいけな少女と、30代のノボル先生。
嫌でも『ロリコン』の四文字が浮かんできてしまう。同じことを思ったのか、紺ちゃんも毛虫を見るような目でノボル先生を見ていた。
「ちょっと、待って。違うから! この子は、妹だよ」
私たちが抱いた疑惑を的確に読み取ったのか、先生は首にしがみついた少女を必死に引きはがそうとした。だが、そうはさせまいと少女が更に力を込めたせいで、ノボル先生は呼吸を止められ息も絶え絶えになってしまう。
「――あ、あの。その辺にしとかないと、大変なことになってますよ」
大事なピアノの先生を縊り殺されてはたまらない。
恐る恐る声をかけると、少女はようやくノボル先生から離れた。
ようやく先生以外にも人がいたことに気づいたのか、彼女は訝し気な顔でこちらを眺めてくる。
「あなた達、だれ? あ、人に名前を尋ねる時は自分から名乗るのが筋よね。私は、美坂 美登里。ノボルが言った通り、彼の妹よ」
よかった、先生がロリコンじゃなくて。
ミサカ ミドリちゃんか。ふぅん……ん?
「「えええっ!?」」
私と紺ちゃんのユニゾンに、美登里ちゃんは目を丸くした。
ノボル先生も驚いたように私たちを見つめている。涙目だけど。
それはそうだ。名前を名乗っただけで、普通の人はここまで驚かない。
いち早く態勢を立て直した紺ちゃんは、軽く咳ばらいをして微笑んだ。
「あ、ご、ごめんね。友人からあなたの名前を聞いたことがあったものだから。――私は、玄田 紺。こっちが島尾 真白ちゃんだよ」
紺ちゃんが私のことも紹介してくれる。
その言葉を聞いて、今度は美登里ちゃんがのけぞった。
「え!? あなたたちが、コンと真白なの?」
私たちが頷くと、美登里ちゃんは何故か嬉しそうに破顔して両手を合わせる。
「じゃあ、コウって人の妹があなたで、ソウのFemmefataleがそっちの子なのね! こんなところで会えるなんて、すごいわ!」
ファム・ファタル、という言葉に思い切り咽こんでしまった。
なんなの、運命の女って! 違うよ!
ちょっと待って。ここで紅と蒼の名前を出してくるってことは、やっぱりこの子が蒼の婚約者の「美坂 美登里」ちゃんなんだ。
蒼編のサポートキャラである彼女が登場するのは、高校生になってからじゃなかった?
何がどうなってるのか、さっぱり分からない。
早く紺ちゃんと2人きりになって、起こってる状況を整理しなきゃ。
ああ、能條さん、早く来て!
願いが通じたのか、その後すぐに玄関と連動している2階のインターホンが鳴った。
よろよろとノボル先生が立ち上がって、画面を確認する。
「はい、今行かせます。――コン、マシロ。お迎えだよ」
「分かりました。紺ちゃん、行こう」
「そうだね。じゃあ、先生。また土曜日にお邪魔しますね」
私達はあたふたとレッスンバッグを手に取り、軽くお辞儀をしてその場を逃れようとした。
ところが、美登里ちゃんも私たちの後をついてきてしまう。
無言のまま玄関でサンダルを履き、彼女にも別れの挨拶をしようと振り返ったところで、チェシャ猫のようににんまり笑っている美登里ちゃんと目が合った。
「ねえ。私も2人のこと、紺と真白、って呼んでもいい?」
「え? あ、はい。どうぞ」
「いいわよ。もちろん」
「やった!」
美登里ちゃんは嬉しそうに笑っている。
どうしてそんなに上機嫌なんだろう。
『私の婚約者に手を出すな!』とかそんな罵声が飛んできてもおかしくないのに、と身構えた私は、その後に続いた美登里ちゃんの言葉にポカンと口を開く羽目になった。
「良かった。あのね、真白には是非ともソウとくっついてもらいたいの。その為なら、どんなことでも協力するからね! 麗美おば様が邪魔なら、全力で潰すし」
麗美おば様って。もしかしなくても、蒼のお義母さんのことだろうか。
……潰すって。こわっ。過激派だよ、この子!
「それ、本気で言ってる? 美登里ちゃんは、城山くんの婚約者だって聞いてたんだけど」
紺ちゃんが硬い声で尋ねると、美登里ちゃんは盛大に顔を顰めた。
端正な美貌は、そんなことくらいではビクともしない。逆に愛嬌が生まれるってどういうことなんだろう。紺ちゃんとためを張るくらいの美少女っぷりに、私は状況が許せば膝をつきたくなった。
「絶対に、イ、ヤ。あんなツンケンした冷徹男と結婚なんて、冗談じゃないわ」
ツンケンした冷徹男?
一体誰ですか、それは。
同じ人のことを話してるとは思えず、私は念のため確認してみることにした。
「城山 蒼、だよ? 人懐っこくて優しくて寂しがりの男の子の話で、合ってる?」
恐る恐る尋ねた私に向かって、美登里ちゃんはおおげさ肩をすくめてみせた。
「You must be kidding! ありえない! シロヤマ ソウは、あなたの前では猫かぶってるのよ。私なんて、顔を合わす度、ゴミでも見てるみたいな目で見られるんだから。こっちだってお断りよ!」
何を思い出したのか、悔しそうに地団太まで踏んでいる。
さすが、ノボル先生の妹。エキセントリックさでは負けてない。
現実逃避なのか、妙に美登里ちゃんに感心してしまった私の隣で、紺ちゃんは頭を抱えていた。
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本日の主人公ヒロインと前作ヒロインの成果
イベント名:蒼の味方?
攻略対象:なし
無事クリア




