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スチル22.主人公(オペレッタ)

 一カ月はあっという間に過ぎた。

 自室のカレンダーの前に立ち、花丸で囲まれた今日を指ではじく。

「メリー・ウィドウ」の文字が燦然と輝いてみえた。


『口に出さなくても 恋が始まったことを示すのよ。お馬鹿な騎士様。私の気持ちが分からないのね』


 第二幕の8曲目。未亡人となり莫大な財産を相続したハンナと、彼女の昔の恋人ダニロが掛け合う二重唱「お馬鹿な騎士様」をドイツ語で歌いながら、階段を下りてリビングに入る。

 ミュージカルスターさながらの登場をキメた私を見て、花香お姉ちゃんは破顔した。


「おはよ、真白。よっぽど今日の舞台が楽しみなんだね!」

「おはよう! だって、ハンナ役はあのテレーゼ・リヒテンベルグだし、ヴァランシエンヌ役はマルタ・イステルなんだよ? テンション上がるなって言う方が無理!」

「……んー。ごめん、誰?」


 世界に名だたるソプラノの歌姫を知らないなんて……。

 がっくり膝をついた私の前で、お姉ちゃんは首を傾げる。


「オペラ歌手なの? どんな感じなんだろ」

「見たらびっくりするよ。二人ともめちゃくちゃナイスバディなお姉様だからね!」


 そりゃあ実際に見るのは今日が初めてだけど、写真では見たことある。

 初めて見た時は、あんなにスラリとした細い体のどこから、あそこまでの声量が出るんだろうと驚いたものだ。


「ね、朝ご飯食べたら、髪の毛やってね?」

「もちろん。真白、今日は何を着るの?」

「白のワンピースにしようかなって」

「ああ、あれも可愛いよね。じゃあ、お花のバレッタでハーフアップを留めて、残りは巻いて下ろそうか」

「うん!」


 お姉ちゃんなら、きっと可愛くしてくれる。

 鼻歌交じりに姉の分のオムレツも一緒に焼いて、レタスとトマトのサラダを作った。

 父さんと母さんは、朝の6時から運動会のテント張りに出かけていてもういない。


「いっただきまーす」

「ありがとね、真白。オムレツもサラダもすごく美味しい!」

「えへへ、良かった」


 お姉ちゃんが大学生になってからというもの、一緒に過ごす時間は減ってしまってる。

 こうして二人で朝ご飯を食べるのも、久しぶりだった。


 開場は十四時。

 十三時過ぎに三井さんが車で迎えに来てくれるというので、私はそれまでピアノを練習することにした。今は徹底的にバッハをさらっている。


 私の出たいコンクールの予選曲がバッハのシンフォニアだということを、亜由美先生は知らない。

 それでもコンクールに出るのなら、ということで色々工夫してくれた結果がバッハだった。これもゲームの強制力なのかな。ラヴェルの「亡き王女の為のパヴァーヌ」を弾きたい、ということは最初に話した。先生はちょっと考えていたけど、まあいいでしょう、と頷いてくれた。


「コンクールは、審査する人の好みによって結果が変わりやすいから、概要が発表されたら改めて相談しましょうね」


 亜由美先生は顔が広いから、来年秋に大きな学生コンクールが開かれることをもう知ってるのかもしれない。ゲームでは、そのコンクールに今の青鸞の理事長や理事たちもやって来て、ヒロインが優勝し、そして特待生に選ばれる、という筋書きだと紺ちゃんからは教えて貰った。

 特待生になったら、授業料も制服代も教材代も全部免除らしい。両親に負担をかけずに本格的な音楽教育が受けられるチャンスなのだ。絶対に優勝して、その権利を勝ち取りたい。



 練習に没頭していると、あっという間に約束の時間が近づいてきた。

 慌てて即席のパスタを作って二人で食べ、洗面台前に並んで歯磨きをする。

 真新しい国産車のSUVに乗ってやってきた三井さんは、相変わらずの爽やかイケメンだった。


「こんにちは。真白ちゃん、今日も可愛いね!」


 せっかく綺麗にした髪が崩れないようそうっと頭に手を乗せて、軽く撫でてくる。

 彼とお姉ちゃんとの付き合いも、もう3年。チャラ系の見た目に似合わず、誠実で真面目な人なんだと私も最近では分かってきているから、大人しく撫でられておいた。


「ほら、もうその辺にしとけ。島尾が困ってるだろ」


 少し遅れて松田さんが車から降りてくる。うすいブルーのシャツとチノパンの上に黒のジャケットを羽織った彼は、学校で見るより若々しかった。

 松田さんの「島尾」という言葉に、お姉ちゃんも顔を上げる。


「ん? どっちのこと?」

「え、ああそうか。分かりづらいな」


 松田さんはうーんと唸ってから、お姉ちゃんの方を見ずに「花香の妹の方」と言った。

 そっけない言い方だったけど、お姉ちゃんは「わ~。ようやく名前呼びしてくれた!」と無邪気に喜ぶ。三井さんまで「長かったよな~、ハナの苗字呼び。トモイは人見知りだからな」と笑っている。

 和気あいあいとした空気の中、私は何ともいえない気持ちになった。


 今まで松田さんがずっとお姉ちゃんを苗字で呼んでたのは、人見知りのせいじゃないんじゃないかな。

 隠してる想いが溢れないよう、自分で抑制する為じゃないのかな。


 当たり前のように助手席に乗り込むお姉ちゃん。

 私は松田さんと一緒に後部座席に座り、楽しそうにお喋りする前の二人を眺めた。

 お姉ちゃん達が彼の想いに気づくことは、きっとこれからもないんだろう。いつも後部座席に乗ってる松田さんがどんな気持ちで二人を眺めているかなんて。


「寂しい?」


 気づくと、松田さんが私の顔を覗きこんでいた。


「え?」

「大事なお姉さんを三井に取られて、寂しいのかなって」


 冗談めかして松田さんはそう言った。さっきから黙ったままの私を気遣ってくれたみたい。


「違いますよ~」


 私はおどけて手を振った。


「相変わらず、仲がいいなあとは思ってましたけど」

「だな。今日も誘われて驚いたよ。邪魔じゃないのかって聞いたんだけど、チケット勿体ないからって言われて」

「そうなんです。4枚貰ったので」


 先生と一緒に行けることになって、嬉しいです。

 そう言いたかったのに、どうしても言えなかった。松田さんが自分の学校の先生だってこともあるけど、それだけが理由じゃない。彼がお姉ちゃんを見る目で、今度こそハッキリと分かってしまったからだ。

 松田さんは、もうずっとお姉ちゃんに恋してる。


 劇場は、すでに多くのお客さんで溢れかえっていた。

 なんとか車をとめて、建物の中に入る。はぐれないように、と松田さんは手を握ってくれた。


「だ、大丈夫ですよ。ちゃんとついていきますから!」


 大きな男の人の手に、胸がドキドキして苦しい。

 こんなとこを誰かに見られたら、先生が困るんじゃないかな。照れ交じりの引け目は、明るい松田さんの返事によって見事にかき消された。


「なに言ってんだ。子供が遠慮しない」

「……はい。ありがとうございます」


 子供。そうだよね。間違ってはいないのに、笑みが強張る。

 『また、子ども扱い』

 脳裏を過ぎった拗ねたような声は、私が捉える前にするりと逃げて行った。


 紺ちゃんに貰ったチケットは、すごくいい席だった。

 周りにはいかにもなセレブマダムや年配の男性ばかりが座っている。


「このチケット、どうやって手にいれたの?」


 三井さん、お姉ちゃん、私、松田先生の順に席に落ち着いてすぐ、三井さんが声をひそめて尋ねてくる。


「お友達の玄田さんに頂いたんです」

「玄田って……え、それってまさか玄田グループの娘さん!?」


 三井さんは目を見開いて、パンフレットの主催者名を指す。

 私が黙って頷き返すと、彼ははあ~と大きなため息を漏らして首を振った。


「真白ちゃん、交友関係広すぎでしょ」

「あ、あはは。それ、よく言われます」


 紺ちゃんも紅様も蒼も、大企業のご子息ご令嬢だ。

 一般家庭の中学生との接点なんて、どこにあるの? って感じだよね。

 まさかゲーム関係で、なんて説明出来るはずもなく、私は曖昧に笑って誤魔化した。


 花香お姉ちゃんはといえば、オーケストラピットから流れてくる調弦の音に驚き「あんなとこに人がいる!」なんて言って、三井さんに微笑ましげに見つめられていた。

 松田さんは、劇の筋に興味があるのかパンフレットの解説をじっくり読み込んでいる。

 私の視線に気づくと、松田さんは照れくさそうに眼を細めた。


「当たり前だけど、セリフも歌も全部ドイツ語なんだな。話が分かるかな、と思ってさ」

「よければ簡単に説明しましょうか」

「お、頼めるか?」


 もちろん、と私は頷き、簡単なあらすじを紹介した。


 一幕目は、パリにあるポンテヴェドロ公使館のサロンから始まる。

 銀行家の夫を亡くし、莫大な遺産を相続した未亡人ハンナと、彼女のかつての恋人であるダニロ伯爵の再会のシーンが見どころだ。

 ハンナがただの庶民だからという理由で別れさせられてしまったダニロ伯爵は、今でもハンナのことが忘れられないんだけど、「遺産目当て」と思われるのが嫌で決して思いを打ち明けない、と決めてしまっている。じれじれすれ違いの王道展開ですよ。

 そこへ、パリ公使であるミルコ・ツェータ男爵と、男爵夫人ヴァランシェンヌ、男爵夫人の恋人であるフランス男のカミーユが絡んできて、話はややこしくなってしまうのだ。


 私が一息に説明すると、松田先生は難しい顔をした。


「男爵夫人とその恋人って、不倫じゃないのか?」

「ええ。でも夫人は大っぴらには認めてないんです。『愛してる』と歌いかけてくるフランス男に『私は貞淑な人妻です』って返すんですよ」


 私が肩をすくめると、先生も眉を上げた。


「はぁ~。よく分からんが、最後はハッピーエンドなのか?」

「はい。男爵夫人は元鞘に、ダニロはハンナにプロポーズして終わりです」

「そうか。うん、まあ、あれだな。深く考えずに見た方がいいな」


 松田さんの生真面目な口調に、私は思わず吹き出してしまった。

 くつくつ笑う私の頭を、先生はコラ、と軽く小突く。


「そんなに笑うことないだろ」

「だって、先生の言い方が」


 言い合ってるうちに、開幕を知らせるブザーが鳴った。


「あ、始まりますね」


 慌てて姿勢を正し、舞台に集中しようとした私を見て、松田さんは優しく笑った。


   ◆◆◆◆◆◆


 本日の主人公ヒロインの成果

 攻略対象:なし

 前世リンクイベント発生 「無自覚な恋心」クリア


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