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 どんなに悲しかろうが切なかろうが、時間は容赦なく過ぎていく。

 それが救いになることもあれば、絶望になることもある。私にとっては、前者だった。

 めそめそしてる場合か! と己を叱咤し、私はこれからの予定に意識を向けた。

 中二のコンクールは10月。

 それまでに私は、自分のピアノの音を磨き上げなければならない。


「真白はもう部活決めた?」


 GW明け、玲ちゃんが聞いてきた。

 うちの学校は、部活動は必須で必ずどれかに所属しなきゃいけない。玲ちゃんは北小時代の友達とソフトテニス部に入ると張り切っていた。絵里ちゃん達も、みんなもうどの部活に入るか決めてるらしい。


「真白もどう? 見学行ったけど、テニス楽しそうだったよ~」


 日焼けするのが怖いけどね、と笑う玲ちゃんに私は事情を説明した。


「私は部活免除なんだ。ピアノやってて、そっちのスケジュールがきついから」


 著名なピアニストである亜由美先生の口添えのお陰だろう、学校の許可はあっさり下りた。

 コンクール出場予定、というのが免除の決め手だったらしいので、ますますプレッシャーを感じた。


「へえ~。真白、ピアノやってるんだ?」

「うん。実は、結構真剣に」


 玲ちゃんとはすっかり仲良くなっていたから、本当のことを打ち明けた。

 ピアニストなんて無理でしょ、と茶化したりせず、彼女は真面目な顔で聞いてくれた。


「そっかー。だからいっつも放課後、すぐに帰っちゃうんだね。メールの返信も遅いし、私のこと実は迷惑だったりして……ってちょっと心配だったんだ」

「違うよ、それだけはない!!」


 前のめりで否定する私を見て、玲ちゃんはホッとしたように頷く。


「今の話で納得した。私も応援する! 頑張れ、真白」

「うん、頑張る!」


 玲ちゃんもテニス頑張ってね、と続けると、彼女はにっこり笑って親指を突き出した。


 中学と小学校で大きく違う点は、部活動以外にもある。

 そう、定期テストだ。

 私は前世の記憶を引っ張り出し、範囲が発表される前から中間テストに備えて勉強することにした。紅様攻略の為に始めた勉強も、今では生活の一部になっている。すでに高校レベルの問題集に取り組んでいる私にとって、中学の定期テストは敵ではなかった。


「真白、なんでそんなに頭がいいの? 五百点満点って超人じゃん。つらい……格差がつらい」


 がっくり項垂れた玲ちゃんの背中を優しく叩く。

 人生二度目だからだよ、とはとても言えない。代わりに「毎日すっごい勉強してるからだよ」と言った。


「そっか~。そこで『大したことないよ』って言わない真白が好きだわ」


 玲ちゃんはへへ、と笑う。そんな風に言ってくれる玲ちゃんが私だって大好きだ。


 初めてのテストが終わり、しばらく経った昼休み。

 『翌日の授業の持ち物を確認する』係りになった私は、急いでお弁当を食べて職員室に向かった。

 職員室の前に置かれたボードに書き込まれた明日の予定を書き写して、それをクラスの黒板に板書しておけばいいだけの係りなんだけど、これがなかなか手強い。

 時々昼休みまでにボードに書いてくれてない先生がいるんだよ! これ、本当に困る。その日も理科の欄が空白だった。……またか。

 理科の先生は四十過ぎのいかにもやる気のなさそうなおじさんで、隙あらば職員室の裏手で煙草を吸っている。吸ってもいいけど、先にやることやって欲しい。


「どうした、島尾」


 ボードの前で拳を握り締めていると、職員室からちょうど出てきた松田さんが声をかけてくれた。

 松田さんは私とはこの学校で初めて会いました、という態度を崩さない。

 最初は『あの、私、花香の妹ですけど、前にお会いしましたよね?』と声を掛けたくなった。

 でもすぐに気づいた。生徒の姉カップルと友達だからって、特定の生徒に親しい態度を取るのは良くないことだ。公私のけじめをきちんとつけようとする松田さんへの好感度はひそかに急上昇している。


 お姉ちゃんにスマホの写真を見せられた時から、松田さんには親近感を覚えていた。

 どこといって特徴のない平凡な容姿に、安心するというか何というか……。同族意識だったりして。


「理科のところが空欄なんです。あの、担当の先生、職員室にいますか?」

「いや、見なかったな」


 小首をかしげる仕草にドキリとした。

 大人の男性の垣間見せる可愛らしさっていいなぁ。


「そうですか……。じゃあ、五時間目の休み時間にもう一度出直してきます」


 面倒だな、という気持ちが顔に出ていたのか、松田さんは苦笑いを浮かべた。


「見かけたら、持ち物書いて下さいって言っとくよ」

「はい、ありがとうございます」


 ペコリと一礼し、階段に向かおうとした私を、松田さんはちょいちょい、と人差し指で呼びとめた。……ん? なんだろう。もう一度彼のところに小走りで戻ってみる。


「テスト、頑張ったな」


 松田さんは一重の瞳を優しく和ませ、小声で褒めてくれた。

 カーッとほっぺが熱くなる。


「え、あ、はい」

「授業態度もいいし、提出物もちゃんと出してるし、もともと頑張り屋の性格だったんだって感心してる。発表会の演奏、ほんとすごかったもんな」


 ピアノも頑張れよ。彼は悪戯っぽい笑みと共に一言付け加え、そのまま数学準備室に消えていった。

 発表会の時のことも、覚えててくれてたんだ!

 なに、これ。なに、これ!?

 自分でも信じられないほど嬉しい。

 浮き浮きしながらクラスに戻ると、すぐに玲ちゃんに気づかれた。


「んん? なんか真白、顔赤くない?」

「ええっ。な、ないよ」

「そう? それにすごく機嫌いいし」


 じーっ、と声に出していいながら、じろじろ玲ちゃんが見つめてくる。

 私は味わったばかりの胸のときめきについて、こっそり打ち明けることにした。


「松田先生にテストの点を褒められたの。それで嬉しかっただけ」

「松田先生って……ああ、あの陰険そうな数学の?」


 玲ちゃんの残酷な評価に、思わず反論してしまう。


「陰険!? カッコいいじゃん!」

「うわ~、真白、眼科に行きなよ」


 玲ちゃんはひらひらと手を振り、論外だわ、ないわー、と切り捨てた。

 そんなに駄目かな……。でもまあ、いいか。私だけがそう思っていればいいんだし。


 ――――『まあ、いいか。彼のいい所は私だけが知ってればいいんだし』


 ズグン、ズグン。

 突然、鋭い頭痛に襲われる。

 激しい痛みに、手に持っていたメモ帳がバサリと床に落ちた。

 玲ちゃんは、自分が同意しなかったことにショックを受けたと勘違いしたのか、笑いながら落ちたメモ帳を拾ってくれる。


「なに、その大げさなリアクション! 真白って時々すごく面白いよね!」

「……あ、あはは。ありがと」


 頭痛は、ほんの一瞬で過ぎ去っていった。……今の、何だったんだろう。

 以前母さんと病院に行った時のことを思い出す。検査結果は、異常なしだった。どんなに調べても、きっと原因は見つからない。これはおそらく病気ではなく、何かの警告。オカルトじみてるけど、そんな気がして仕方なかった。


 翌週の土曜日。

 ソルフェージュ帰りにいつものように紺ちゃんの家に寄った私は、練習後、彼女に封筒を渡された。


「どうしたの? これ」

「来月のオペレッタのチケットだよ。玄田の父が真白ちゃんにどうぞって」

「ええっ!? い、いいの!?」

「うん。招待枠分からのおすそ分けだし、気にせず使って。私も行きたかったんだけど、ちょうど青鸞の校外学習が重なっちゃって」


 残念! と悔しそうに眉を寄せる紺ちゃんを慰め、丁寧にお礼を言って私は玄田邸を後にした。

 歌劇を見るのは、蝶々夫人以来だ。しかも、すごく好きな楽団!

 来日するのは知ってたけど、発売と同時に完売したという話だったし、お値段もすごく良かったから諦めていた。

 自室に落ち着き、さっそく封筒を開けてみる。


 レハールの『メリー・ウィドウ』。オペレッタの名作と名高い『白銀の時代』の代表作だ。

 『こうもり』を代表作とするヨハン・シュトラウス二世の時代を『黄金の時代』、オスカー・シュトラウス、エメーリヒ・カールマン、そしてレハールの活躍した時代を『白銀の時代』と呼ぶんです。その後に起きた世界大恐慌と映画の台頭で、ウィンナ・オペレッタの人気は終わりを告げるんだけど、その直前の煌めきに満ちた作品だと言われている。

 ちなみに『メリー・ウィドウ』の原題はドイツ語で『Die Lustige Witwe』なんだけど、英語名のメリー・ウィドウが日本では定着している。『椿姫』だって、本当は『ラ・トラヴィアータ』(道を踏み外した女)だけど、日本ではあまり浸透してない。


 劇中のヴィリアの歌を口ずさみながらチケットを広げると、なんと4枚も入っていた!

 玄田パパ、太っ腹! このコンサートのスポンサーなだけあるわ~。

 夕飯の食卓で、私は早速父さん達にチケットのことを報告した。


「良かったわね。また玄田さんちにお礼の電話を入れとくわね。……あ、でもその日って、地区運動会じゃなかった?」

「そうだった。ごめん、真白。父さん達、今年役員なんだよ~。せっかく皆でお出かけ出来る機会だったのになぁ」


 残念そうに、母さんと父さんが溜息をつく。

 それまでニコニコとやり取りを見守っていた花香お姉ちゃんは、そうだ! と急に何かを思いついたように両手を合わせた。


「シンちゃんと友衣くんを誘うから、4人で行こうよ、真白!」

「え」

「久しぶりに会いたいね~ってちょうどSNSで話してたところなんだ。ダメ?」

「いや、私はいいけど、松田先生が」

「松田先生!? うわ~、新鮮!」


 だめだ、聞いてない。あれよあれよという間に、来月のオペレッタは4人で行くことになった。

 松田さんとお休みの日に会える。そうチラっと思っただけで、ぽわんと顔が熱くなる。

 そんな自分にもう一人の自分が、目を丸くする。

 なにトキめいてるの?

 大人でかっこいいなあとは思うけど、それだけだよね?


 だけど疑問に思う気持ちは、すぐに消えた。

 ……どんな服着て行こうかな。

 コンサートはまだひと月も先だというのに、早速クローゼットからよそ行き服を引っ張り出して、ああでもない、こうでもない、と鏡の前で合わせてしまう。


 なんか、変。いきなりどうしたの。

 自分でも首を傾げてしまうけど、そう思う理由が分からない。

 ただすごく心が浮き立つし、同時に、まるで私が分離してしまったみたいにちぐはぐにも感じる。

 その日は、ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかった。


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