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制服を脱ぎ、適当にクローゼットから引っ張り出した長袖のシャツとジーンズに着替えて部屋を出る。
着替えてきた私をじろじろ眺め、紅様は溜息をついた。
「俺とドライブデートだっていうのに、その恰好はないんじゃない?」
「制服が皺になるといけないから着替えただけだよ。じゃ、行かない」
「冗談だよ、拗ねるな。ほら、乗って」
拗ねてるのはそっちでしょ! ……本当に面倒くさいな、この人。
運転席の水沢さんに「お久しぶりです」と挨拶すると、「またお会い出来て嬉しいです」との返事が爽やかな笑顔つきで返ってくる。ああ、大人の余裕が眩しい。誰かさんと違って、話すとホッとする。
自然と笑顔になった私を見て、紅様はハンと鼻を鳴らした。前から思っていたが、彼には私の考え全てが透けて見えてるんじゃないだろうか。
紅様の指示に従って、水沢さんは目的地もなくゆったりと車を走らせる。
自分から誘った癖に、紅様はなかなか口を開こうとしなかった。
「蒼のこと、怒ってるんだよね? ごめん」
ここは年上の私が折れておくか。
口火を切ると、紅様はいや、と首を振った。
「蒼から一通りの話は聞いてる。紺からも。お前の取った行動には怒ってないよ。もっと他にやり方はあったんじゃないの、とは思ったけどな」
「うん……今考えたら、もっと優しく諭せば良かった。でも、『家を捨ててチェロも止める』って言葉に私もカッとなっちゃて――」
あの日のことを話すのは、正直辛い。絶望に染まった蒼の顔を思い出すだけで、じくじくと胸が痛むのだ。だが、私より蒼との付き合いが長い彼には聞く権利がある。
紅様は私の言い訳に黙って耳を傾けていた。
「紺ちゃんから、蒼がドイツに行ったこと聞いたよ。それで良かったと思うけど、紅くんは寂しくなったね」
なるだけ暗く聞こえないよう、おどけて言った私の頭を、紅様は乱暴に引き寄せた。
不意打ちに、されるがままになってしまう。ふわり、と香る甘い匂いに思わず息が止まった。
「本当に寂しいのは、お前だろ。……無理しやがって」
驚くのと同時に、ずっと見ない振りをしてきた感情と向き合わされる。
紅様らしからぬ、あまりにも優しい口調に、一気に涙がこみ上げてきた。
寂しい。会いたい。ずっと笑っていて欲しかった。
蒼には言えなかった言葉が、次々と浮かんでくる。
だめだ、泣くな。この人の前でだけは、泣いたらいけない。
「泣きたいなら、泣けばいい。俺は誰にも言わない」
ぎりぎりで踏みとどまっている私に、紅様は追い打ちをかけてきた。
どこか切なげな口調は、まるで好きな人を慰めるようなそれで、心底ずるい人だと思った。
――慰めてくれるなら、誰にだって縋り付く軽い女。
もう一人の紅様が、唇を歪めて嗤う。
どっちが本当? 私にはもう分からない。
目の前にいる紅様とかつて私をからかった紅様が、ごちゃ混ぜになって頭の中をぐるぐる回る。
私は膝に爪を立てて、硬いジーンズ生地をきつく掴んだ。
「お願いだから私で遊ぶのは、もう止めて」
必死に涙を堪え、体をよじって紅様の腕を振り払う。
彼はたじろいだように身を引いた。
「……そんなに俺が嫌なのか」
「どこまでが演技でどこまでが本当なのか、考えるの面倒なんだよ。紅くんはそういう駆け引きが好きなんだし、それに付き合ってくれる子と遊んで」
「真白」
「蒼はもういないんだよ? 私に構うメリットは、なに?」
まっすぐに紅様を見つめた拍子に、とうとう涙が零れてしまった。
ぼたぼたと頬を伝う水滴をシャツの袖で拭い、うすい涙の膜越しに驚いている紅様を見据える。
「心配することさえ、許さないってわけか」
紅様は、小さく呟いた。苦しそうな声に、わけがわからなくなる。
どうしてそんなに傷ついた顔をするの?
その表情すら駆け引きのうちなんだとしたら、私はいつかあなたを憎むようになる。
「私のこと、本当に友達だと思ってくれてるなら、今はそっとしといて」
気づけば私は懇願していた。これ以上、感情を揺さぶられるのは嫌だった。
紅様は、しばらく唇を噛みしめた後、「分かった」と言ってくれた。
「水沢。こいつの家に向かってくれ」
「かしこまりました」
私達の会話は全部聞こえていたはずなのに、何事もなかったかのように穏やかな声で返事をする水沢さんにまた泣きたくなる。
どうして私は、もっと大人な対応が出来ないんだろう。
紅様の気まぐれなんて今日に限ったことじゃないのに、過剰反応してしまった自分が恥ずかしくて堪らない。
「紅くん。――ごめん。ごめんね」
「もういい。お前を追いつめるつもりはなかった。……悪い」
十三歳の紅様に気遣われ謝られ、私はその辺に穴を掘って自分を埋めたくなった。
なぜかは分からないけど今の言葉だけは、紅様の正直な気持ちなんだと思えたから余計に苦しい。
情緒不安定過ぎる私は、本当に思春期なのかもしれない。
家に帰り、脇目もふらずに階段を駆け上がる。
心を空っぽにして、新しい教科書を整理しようと机の前に立った。
やらなきゃいけないことは沢山ある。立ち止まって感傷に浸っている場合ではないのだ。
机に目を向けると、一通の手紙が視界に入った。
震える手を伸ばして、封筒をひっくり返す。
差出人は、城山 蒼。――私が出掛けている間に、母さんがポストから取って来てくれたんだろう。しばらく動けず、じっと蒼の筆跡を見つめる。
紅様の次は、蒼くんか。
流石ボクメロ世界。こういうタイミングの良さは相変わらずだ。
震える手を伸ばし、思い切って封を切ると、そこには『立体の蛙』の折り紙が入っていた。
一瞬ポカンとしてしまう。
私を責める内容か、別れを改めて告げる内容の手紙が入ってると思っていた。
最後に見た蒼の冷たい瞳を思い出し、釈然としない気持ちで封筒の中を覗いてみる。
これだけだ。他には何もなく、ただ折り紙だけが入っている。
うちに最後に来た時に、挑戦していたヤツだよね。とうとう折れるようになったんだ。結構難しいのに、頑張ったんだな。感慨深く思いながら手に取った。丁寧な折り目が、蒼らしい。
でもなんで、わざわざ折り紙? しかもカエルって。
……そうか。
――帰る、か。
『次はこれに挑戦してみる』
そう言って笑ってた蒼の顔が、ありありと浮かんだ。
あの時にはもう、分かってたの?
ドイツに行かなきゃいけないことを覚悟して、この折り紙を練習してたの?
『真白のところに、きっと帰るから』
今にも蒼の柔らかな声が聞こえてきそうな綺麗な折り紙を前に、私はただ首を振った。
どうして、許すの。あんなに酷い言葉で傷つけた私を、どうして。
もうダメだ。どいつもこいつも、私を泣かそうと全力か。
これがフラグかどうかなんて、もうどうでもいい。
あの二人は私にとって特別な位置にいる人間なのだと否応なく突きつけられる。
私だって、紺ちゃんと紅様と蒼と。
ずっと四人で呑気に笑って、時には喧嘩して、一緒に音楽を奏でていきたかった。
なんてことなく過ごしていた小学生時代が、どれほど大切でかけがえのないものだったのか、私はようやく思い知った。




