音楽で乙女は救えない（共通ルート）

小学生編

スチル２０．別れ（蒼）

　いつもは学校帰りの子供たちで賑わっている公園なのに、天気が悪くなってきたせいか人影はまばらだった。雪避けくらいにはなりそうな小さな東屋の下に入り、古いベンチに並んで腰かける。

　丸い木のテーブルには、小学生が彫ったのだろうか、拙い相合傘があちこちに刻まれていた。

「向こうで何があったの？」

　お互いしばらく無言のまま座っていたけど、このままでいいわけがない。

　私が思い切って口火を切ると、蒼は膝の上の拳をぎゅっと握り込んだ。

「……４月からドイツに行くことになった。話が出た時から嫌だって言い続けてきたのに、もう決まったことだから我慢しろって。……なんでだよ。あいつらは、なんであんなにいつも勝手なんだよっ！」

　蒼は悔しそうに叫び、潤んだ瞳で私を見据えた。

「真白を待ってる間さ。俺、ずっと考えてた。父さんにもあの人にも何を言っても無駄だって分かったから、日本に残る為にどうすればいいのか、って」

　彼の瞳に浮かぶ凶暴な影に目を奪われる。

　私はお腹に力を込めて彼を見つめ返した。

　あまりに危うげな蒼を、なんとかこちら側へ引き戻したかった。

「ご両親にも、きっと何か理由があるんだよ。蒼くんのお父さんだって、何の意味もなしに嫌がってることを強要したりしないでしょう？　お父さんはなんて言ってたの？」

「理由なんて俺には関係ない」

「蒼！」

　すっかり意固地になってしまった彼をどうにかしたくて、腕をゆさぶる。

　蒼は、熱いものが触れたかのようにビクリと身体を震わせた。

「……森川の祖父を頼ろうと思うんだ。一度も会ったことないけど、頼めば何とかしてくれるかもしれないし」

　森川、と云うのは蒼を産んだ理沙さんの旧姓だ。

　お祖父さんがいるなんて初耳だったけど、それよりもっと驚いたのは、彼の次の言葉にだった。

「俺は城山の家を捨てる。真白の傍にいられなくなるのなら、あんな家いらない」

　蒼の出した短絡的な結論に、血の気が引く。

　一度も会ったことのない血縁上の祖父が、快く蒼を引き取るとは思えない。

　家を捨てる、という重大な決定をやすやすと決めた理由がおそろしくもあった。

　私？　

　私への執着のせいで、蒼はおかしくなってるの？

「ちょっと待ってよ。落ち着いて考えよう？　そんなこと、出来るわけ――」

「出来るよ！　マシロが大きくなってどんどん俺から離れていくのを、遠い場所から黙って指をくわえて見てろなんて、そっちの方が無理なんだよ！」

　叩きつけられた激情に、私は息を飲んだ。

　何より自分がここまで彼を追いつめたんだという事実に、愕然とするより他なかった。

　もっと早く、蒼の手を放すべきだったんだと強く思う。

　感情のままに走り出そうとしている彼を、どうすれば止められる？

　私は、どうすれば――

　迷いと怯えを敏感に感じ取ったのか、蒼は私の手を強く掴んだ。

　彼は切迫した眼差しで、私の瞳を覗き込む。

「真白は平気なの？　俺が日本を離れても。このままもう、戻って来なくても」

「……そういう問題じゃない」

「ましろ」

「そういう問題じゃないでしょう！？　もっと自分のこと、しっかり考えてよ！　今だけじゃなくて、もっと将来のことまで考えてから言って！　森川の家に行ってどうするの？　チェロは？」

「チェロだって、止めなきゃならないなら止める」

　蒼は間違いなく、チェロを愛している。

　何度も彼の音色を聴いてきた私を、音を合わせてきた私を、騙せるとでも思ったの？

「どうかしてる。……そんなの、どうかしてる！」

　今、彼を突き動かしているのは、子供の執着だ。

　もう二度と捨てられたくない。その一心で蒼は私に縋りついている。

　私は理沙さんの代わり。

　彼はきっと否定するだろう。

　感情が麻痺してしまう程抉られた深い、深い傷が、彼をここまで駆り立てているなんて、絶対に認めないだろう。

　蒼を強く抱き締め、慰めたい衝動が込み上げてくる。

　大丈夫、私だけは傍にいるからと言いたくて堪らない。

　でもそんなこと、ただの小学生である身分で言えるわけがない。

　一時の同情で寄り添ったって、結局は蒼を裏切ることになるだけだ。

　これ以上彼の温もりに触れていたら、自分が何を言い出すか分からない。

　私は距離を取る為、手を引きぬこうとした。

　いつもの蒼なら「ごめんな」と言って離してくれたはず。

　でも、その日は違った。

　気づけば私は、蒼にきつく抱きしめられていた。

　ふんわりとした甘い香りが、サラサラの髪から漂ってくる。蒼のいつもの優しい匂い。

　私はきつく目をつぶり、蒼の胸元に手をついた。

　今から、すごく酷いことを言わなきゃならない。

　おそらく、蒼は私を恨むだろう。

　もう二度と会いたくないと憎まれようが、今までの思い出ごと厭われようが。

　それでも彼の未来を、一時的な感情で閉ざさせるのは駄目だ。

「……大嫌い」

「え？」

「城山くんなんて、だいっきらい」

「――うそ、だろ？」

　蒼の腕が力なく下ろされる。

　信じられない、といわんばかりの傷ついた表情に叫びだしたくなった。

　笑って欲しいと思ってたのに。

　いつも嬉しそうに笑ってて欲しいって、いつだって願ってたのに。

　私は今、鋭いナイフを彼の柔らかな心に突き立てた。

　精一杯の気力を振り絞り、冷ややかに見える表情をこしらえる。

　泣くな。今、泣いたら、悟られる。

　ぎりと奥歯を食いしばり、私は立ち上がった。

　呆然としている蒼に向かって、乾いた言葉を投げつける。

「ご両親の言う通り、ドイツに行って。もっと大人になって」

「ま、しろ」

「私に寄りかからないで。これ以上、面倒見きれない。私のせいで城山くんの将来が変わるだなんて、そんな重荷を乗せてこないでよ」

「うそ、だ。……ましろ、嘘だろっ！？」

　とうとう、蒼の漆黒の瞳から大粒の涙が溢れ始めた。

　彼は苦しそうに喘ぎ、懸命に手を伸ばしてくる。

　その手から逃れる為、私は一歩後ろに下がった。

「城山くんのこと、忘れないよ。私のこと好きになってくれて、本当にありがとう。どうか、自分の道をまっすぐに進んで下さい。ドイツに行っても、元気でね」

「っく。……聞きたく、ない……頼むから……ましろ！！」

　ぼろぼろ涙を零していても、蒼は綺麗だった。

　才能も魅力も兼ね備えた、極上の男の子。

　傷つけて、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

「さよなら」

　自分の声とは思えない平板な響きは、弱り切った蒼にとどめを刺した。

　彼の瞳の奥で暖かな光がひっそりと息絶えるのを見届け、私は踵を返した。

　走り出したいのを必死で堪え、ゆったりとした足取りで公園を後にする。

　公園を出てしばらく歩いたところで、ようやく走りだす。

　頬にあたる雪粒の痛みに、喉が鳴る。

　こんなものじゃない。蒼の痛みは、こんなものじゃ――。

　家の前までようやくたどり着き、鍵を取り出そうとポケットを探った。

　蒼に貰った金色のくまの先に、冷えた鍵はぶら下がっていた。

「……っ。ぐっ。ひっく」

　次から次へと生まれてくる嗚咽を飲みこみ、震える手で鍵穴に鍵をさす。

　なかなか上手く入らなくて、その度にキーチェーンが揺れた。

　ようやく玄関の中に入り、誰もいない静まり返った空気に触れる。

　上り框に視線を落とすと、お客様用のスリッパが目に飛び込んできた。

　蒼が初めて家に来た時のことを、思い出さずにはいられない。

　その後も、蒼はいつもこのスリッパに足を突っ込んでペタペタと廊下を歩いていた。

　初めては、バレンタインだった。

　ちょうど今日みたいに、雪が舞ってて。

　見てるこっちが寒くなるくらいの薄着で、蒼は私を待っていた。

　――『友達なら、ずっと一緒にいてくれる？』

　今よりうんとあどけない彼の声が、耳の奥に蘇る。

「蒼……蒼っ！！」

　大声でかけがえのない友達の名を呼ぶ。

　私の掠れた声はガランとした廊下の壁にぶち当たり、あっけなく消えた。

　その場に崩れ落ち、慟哭する。

　ずっと一緒にいたかったよ。

　私だって、ずっとあなたと一緒にいたかった。

　まだ止まらない涙を懸命に手の平で拭い、よろよろと立ち上がる。

　私は一本の電話をかける為、リビングに向かった。

「もしもし……もしもし、真白ちゃん？」

　紺ちゃんの声に、再び熱い塊が喉にこみ上げてくる。

「こ、んちゃん」

「――どうしたの」

　かすかに息を飲む音が受話器の向こうから聞こえてきた。

　私は嗚咽を噛み殺し、紺ちゃんにとある頼みごとをした。

　◇◇◇

　本日の主人公の成果

　攻略対象：城山　蒼　

　イベント名：君の為の「さよなら」

　クリア