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夏休みがやってきた。
今年もまた、孤独なブートキャンプの開幕だな。
若干遠い目になっていたところへ、紺ちゃんのお誘いがかかる。
「せっかくの長期休暇だもの、一度くらいはお出かけしない?」
「行く! 行きたい!」
「ふふ、良かった」
受話器越し、即答した私の声に、紺ちゃんが嬉しそうに微笑むのが分かった。
やった~! 紺ちゃんとデートだ!
先にご褒美がある方が、より頑張れそうだもんね。
彼女の提案で、玄田邸が所有している海辺のコテージに遊びに行くことになった。
カレンダーに書き込んだ花丸を見ながら、勉強とピアノのノルマを粛々とこなしていく。
そしてやってきた、花丸の日。
私は早起きし、うきうきそわそわ持ち物を確認した。
水着に、帽子、タオルに、ビーチボール。
よし、おっけー! ああ~、楽しみ過ぎて、時間経つのが遅いよ。
「真白ー。紺ちゃん、お迎えに来てくれたみたいよ」
階下から聞こえた母さんの声に待ってました、と立ち上がり、急ぎ足で階段を駆け下りる。
「いってきまーす!」
元気よく声を張って、玄関を飛び出したはいいものの。
家の前に停まっていたのは、いつもの紺ちゃんの車ではなく例のロールスロイスだった。
「久しぶりだね、真白」
「こんにちは、真白!」
車の窓がスーッと下り、予想通りの2人が顔を覗かせる。
どうして紅様と蒼がいるのかな?
君たちは紺ちゃんにもれなくついてくるおまけかな? いらんわ。
今日は紺ちゃんと二人、プライベートビーチで気兼ねなく遊ぶ予定だったのに!
「これ、どうなってるの?」
紺ちゃんの隣りに乗り込み、ラウンジシートに腰かけてる彼らを指差す。
紅様には、立てた親指をもぎ取られそうになった。
「……ごめんね、ましろちゃん。私がそわそわし過ぎて、紅に見抜かれてしまったの」
そんなに紺ちゃんも楽しみにしてくれてたのか!
何とも可愛い返事に一瞬高揚したものの、すぐに勘の良い紅様が恨めしくなる。
「紅くん、あのさ。紺ちゃんのこと見張り過ぎ。どこにでも着いていくなんて、真性のシスコンなの? はっきり言ってこわいよ?」
率直に意見してやると、紅様は秀麗な眉をグッと寄せ、私を睨み返してきた。
「だ、ま、れ。逆に聞くけど、どうしてそんなに嫌がるの。俺達に着いてきてほしくない疾しい理由でもあるのかな?」
「ないよ! ただ単に、ゆっくり出来なくなるのがイヤなの!」
私と紅様がいつものように喧嘩し始めたのを見て、紺ちゃんは深い溜息をついた。
蒼は、眩しそうに目を細めて私を見ている。
蒼の視線が気になって「なに? 今日の恰好、変?」と自分の服を見下ろした。
何の変哲もない黒の膝丈キャミソールワンピに、編上げのサンダル。普通だよね?
「いや、そういうシンプルな恰好も似合うなぁって。ホントは誰にも見せたくないな、って思ってた」
甘すぎる台詞を平然と吐いた蒼に、流石の紅様もドン引きしている。
紺ちゃんは胸を押さえ、「私、助手席に移ろうかな」と呟いた。
「甘い台詞言うのも禁止っ!」
私が叫ぶと、蒼は「ふふ。真白、耳真っ赤」と笑った。
くそう、余裕か!
私の家から車で一時間半くらいの場所に、そのコテージはあった。
小さな入り江の端に佇んでいる瀟洒な建物に、思わず目を奪われる。
真っ青な空。澄み渡った空の下に広がるひとけのない海。
近くで見てみると、海もコテージも遠目に見るより綺麗だった。
「うわ~……、すてきな場所だね。紺ちゃん、誘ってくれてありがとう! 水沢さんも、連れてきて下さってありがとうございます」
「どういたしまして」
「いえいえ、お安い御用です」
にこにこ笑顔の紺ちゃんと、運転手を務めてくれた水沢さんにお礼を言う。
荷物運びは、水沢さんと紅様と蒼の3人でやってくれた。
私も手伝いを申し出たんだけど、紅様が頑なに拒否してきたのだ。
「お前に手伝って貰うことは何もないよ。ここはいいから、早く紺と着替えておいで」
「だって。真白ちゃん、いこ!」
紺ちゃんは私の手を引きながら、こっそり耳打ちしてきた。
「たまには紅にカッコつけさせてあげて」
ええ!?
今の、かっこつけてたの!?
『お前ごときにこの荷物を任せられるか』という意味だと思ってしまった。
紅様、相変わらず分かりにくい……。
私達は、さっそくコテージの二階で水着に着替えた。
紺ちゃんは、レイヤードフリルのついたビキニ姿。濃いピンクに小さな花柄が散っている可愛い一着だ。彼女は色が白くてスラリとしてるから、ビキニを着ても清楚な雰囲気が漂っている。
私は、黒地に水玉のシンプルなタンキニに着替えた。
「あれ。ましろちゃん、胸けっこう大きくない!? 私達まだ小学生なのに、ずるい~」
「え、ええ!? そんな言うほどないよ!」
思わず胸元を隠す仕草をした私を見て、紺ちゃんは「わあ、今のドキっとした。……紅、大丈夫かな」と謎の台詞を吐く。
それまで何とも思わなかったのに、紺ちゃんのせいで無性に恥ずかしくなってきた。
水着の上にパーカーを羽織ってから、外へ出る。
水沢さんは、万が一に備えて浜辺で私たちを見守ってくれるらしい。
いざという時は海に飛び込めるように、とハーフパンツに白いTシャツを着た水沢さん。はっきり言って、大人の魅力全開でカッコいい。
今までスーツ姿しか見たことなかったけど、カジュアルな恰好もよく似合うんだなぁ。
紅様と蒼は、去年より逞しくなっていた。細かった二の腕にも筋肉がついてきてる。
こちらもまた眩し過ぎて直視できない。
水沢さんもダメ。紅様と蒼もダメ。紺ちゃんを見ると、お日様も真っ青の眩しい笑みを返してくる。
あまりのキュートさに、クラリとした。
これ、どこ見たらいいんだろう。
「真白、こっち! 一緒に泳ごう!」
蒼は珍しくはしゃいでいた。
紅様もすでに海に入っている。濡れた髪をかき上げる彼の仕草は、けしからんほど色っぽい。
腐っても鯛ならぬ、小学生でも攻略キャラだ。
否応なく、胸が高鳴るのが分かった。
はぁ……。だから一緒に来たくなかったんだよ。
心の中でひとしきりボヤいた後、よし、と腹をくくる。
それでもここまできたんだもん。とことん楽しまなくちゃ、勿体ないよね!
「紺ちゃん、いこっ!」
羽織っていたパーカーを脱ぎ、ビーチパラソルの下に投げ入れる。
今度は私が紺ちゃんの手を引き、波打ち際まで走った。
もちろん、コテージで準備体操は済ませてきてますとも。
「いくよ? せーのっ!」
二人で同時に海に飛び込むと、白い波しぶきが思い切り顔にかかった。
それだけで可笑しくなって、紺ちゃんと顔を見合わせてくすくす笑う。
私達を見ていた蒼と紅さまは、顔を寄せ、ボソボソと話し始めた。
「なにあれ、すっごく可愛い。真白はマジでずるい。来て良かった」
「……分かってると思うけど、あんまりじろじろ紺を見るなよ」
「は? 見るわけないだろ。じゃあ、紅は真白を見るなよ」
「それは話が違うだろ」
「なに? 何の話?」
遠くから叫ぶと、彼らは一様に口を噤んだ。
バツが悪そうな顔をしてるところを見ると、ろくでもない話に違いない。
私は小脇に抱えたビーチボールを、彼らに向かって思い切り投げつけた。
「これでもくらえー!」
「……っと。ナイスパス」
私の渾身の一球は蒼が軽々と受け止め、それからしばらく4人でボール投げをした。
紅様は、私には強い球を投げるのに、紺ちゃんにはふんわり優しく投げている。
無性にムカっとしたので、私も紅様に投げる時はアタックする勢いでボールを打った。
「俺と蒼で、打つスタイル変えるのやめてくれない?」
「それは、こっちの、台詞ですよっ!」
最後は私と紅様の一騎打ちになる。
紺ちゃんと蒼は、ムキになる私達を見て、ずっと笑っていた。
紺ちゃんと2人で浜に戻り休憩している間も、彼らはボディボードでずっと遊んでいた。
きらきら輝く海に負けないくらい眩しい紅様と蒼を、思う存分眺める。
こうして遠目に見てる分には、本当に綺麗でカッコよくて、最高の2人だ。
紺ちゃん達と海に行った次の週、今度は絵里ちゃん達と市民プールに行くことになった。
木之瀬くんと平戸くんも合流して、いつもの7人で楽しく遊ぶ。
「また来ようぜ」と木之瀬くんが誘ってくれたけど、炎天下の中、水遊びするとすごく体力使うんだよね。遊んだ日は夕方勉強してても、ついウトウト舟をこいでしまう。
なので「ごめんね、沢山やることあるから」と丁重にお断りした。
絵里ちゃん達は、私の付き合いの悪さには慣れっこなので驚きもしない。
みんなのそういう所、すごく好きだ。相手のペースを尊重してくれる友人って貴重だよね。
そういうわけで、せっかくお姉ちゃんがバイト代で新調してくれた水着は、結局二回しか出番がなかった。
夏休みの終わりには、家族で花火大会を見に行こうか、と父さんが提案してくれた。
4人揃ってのお出かけは本当に久しぶりだ。
私は2つ返事で承知したんだけど、お姉ちゃんは両手を打ち合わせ、父さんを拝んだ。
「ごめん! その日はちょっと……」
どうやら姉は三井さんと先に約束してたみたい。
「ふぅん。花ちゃんは彼氏と行くのか。ふうん」
すっかり拗ねた父さんの大人げない返事に、私は苦笑してしまった。
「先約は仕方ないでしょ。たまには3人で行こうよ」
「ましろも、紺ちゃんと約束してるんじゃないの?」
台所で揚げ物をしながら母さんが尋ねてくる。
そうなのか、と更に肩を落とす父さんに、にっこり笑いかけた。
「してないよ。ね、連れてってよ、父さん」
「しょうがないなあ。ましろがそんなに言うなら、3人で行くか!」
私の言葉に元気を取り戻した父さんを見て、母さんはクスクス笑っていた。
両親が機嫌よく笑ってると、すごく嬉しい。胸がほんわり温まる。
それから、何故かちょっとだけ切なくなる。
今はもういない誰かを惜しむような感情が湧き起って、喉の奥がきゅっと締まる。
名前も顔も思い出せない誰かとも、こうして笑い合ったことがある気がした。