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 パーティが終わったので、蒼くんと一緒にお暇の挨拶をした。

 今年はプレゼント交換はなし。

 私が「高価なプレゼントを買ってくる子がいるから、不公平になる」と主張したのだ。

 蒼くんと紺ちゃんはがっかりしていた。ええ、君たちのことですよ。


 時計は18時を回ったばかりだが、真冬の日暮れは早く、すっかり外は暗くなっていた。

 蒼くんは運転手さんに「高台を通って、真白の家まで行ってくれる?」と頼んでいた。

 そう云えば、寄り道して帰りたいって言ってたっけ。


 いつだって色んな話をしてくれる蒼くんが、今日は大人しい。

 私も演奏で疲れていたので、くったり力を抜いてシートにもたれかかる。

 私達の間に漂う静けさは、不思議なほど安らかだった。

 無理して会話しなくていいって、すごく居心地が良い。

 

 車の振動に身を委ねながら、ぼんやり窓の外に目を向ける。

 流線型を描く街の明かりが斜め下に流れていく。ずいぶん高台まで上ってきたんだな。

 視界に映り込む家々の明かりは、群生する蛍のようで、私は感嘆の息を洩らした。


「ここでいいよ」

「かしこまりました」


 蒼くんが運転席に向かって声を掛けると、車は静かに路肩に停まった。


「ちょっと寒いけど、外に出てもらっていい?」

「え? ここで降りるの?」

「うん。見せたい場所に着いたよ」


 先に車を降りた蒼くんが手を差し伸べてくる。

 お姫様のようにエスコートされながら、私もシンと冷える冬の空気に身を浸した。

 

 蒼くんは無言のまま、私のコートの一番上のボタンを留めてくれた。

 更には蒼くんのマフラーで首元をぐるぐる巻きにされる。

 

 それから彼は私の手を握り、坂道を登っていった。

 しばらく歩いていくと、広くひらけた場所に出る。


「ほら、ここ。綺麗だろ」

「――ホントだ!」


 蒼くんが案内してくれたのは、街の明かりが綺麗に見える絶好の場所だった。


「真白、空も見て」


 言われた通りに視線を上げると、刷毛で塗りつぶしたような漆黒の空に沢山の星が瞬いている。

 浮かんだ月は、青白く幻想的に輝いていた。


「わあ……」


 これはすごい。

 林道の路肩に立ってること、忘れてしまいそう。

 目前の光景に見入った私を、蒼くんは満足げに眺めた。


「――あのさ。ちょっとだけ、昔話。いい?」

「うん」


 コクリと頷き、視線を蒼くんに戻す。

 彼は数度瞬きをした後で、ゆっくり話し始めた。


「……母さんが家を出て行ったのは、ちょうど今くらいの時期だった。雪が降ってたな。俺は母さんの後を追って、裸足で外に飛び出した。その時俺はまだ5歳で、上手く靴が履けなくて。もたもたしてたら母さんがいなくなるって必死だった。外で待ってたタクシーに乗った母さんを、追いかけて追いかけて。母さんも、俺が追いかけてるって気づいたら、車を停めてくれるんじゃないかと思って。……でも、ダメだった。あっという間に、タクシーは見えなくなった」


 蒼くんの口調は、淡々としていた。

 当時の情景がありありと浮かんでくる。


 大きな鞄を下げた母に気づき、懸命に後を追った幼い蒼くんは泣いただろう。

 泣きながら駆け、何度も母を呼んだだろう。


「それから一年も経たないうちに、父さんは今の母さんと再婚した。元々知り合いだったみたいだし、麗美さんの実家は裕福だから、城山の会社も大きく出来たんだって。それなのに、再婚した翌年に父さんはドイツへ行って、日本へは戻って来なくなった。――ドイツには、俺達を捨てたあの人がいるんだって。……父さんは一体、どうしたいのかな。麗美さんだって、なんで文句言わないのかな。俺には、大人の考えてることがよく分からない」

「蒼くん……」


 彼の今にも消えてしまいそうな儚さがこわくなる。

 繋いだ手をきつく握り返すと、蒼くんは苦笑を浮かべて私を見つめた。


「俺がドイツに行っても、母さんは決して俺に会おうとしないんだ。それは、今でも俺が憎いからかな。それとも、もうどうでもいいからなのかな。真白は、分かる?」

「分からない」


 私は正直に答えた。

 分かるはずがない。

 5つの蒼くんを雪の中に置き去りにした理沙さんの気持ちなんて、分かりたくもない。

 ピアノが弾けなくなったことは、死ぬほど辛かっただろう。それは分かる。


 それでも、愛した人との間に生まれたたった一人の子供を、ここまで打ちのめすことが出来るなんて、私には信じられなかった。


「そっか……。真白にも分からないなら、俺に分からなくても当たり前だよな」

「会いたいんだね」


 蒼くんの悲しげな瞳に、つい言葉がこぼれる。

 彼は少しの間考え込み、「俺も分からない」と答えた。


 その後蒼くんは、もう一度空を見上げた。


「この場所さ。再婚する直前の父さんに教えて貰ったんだ。母さんが気に入ってた場所なんだって。産まれてくる子供が女の子でも男の子でも音楽をやらせたいって、ここで父さんに口癖みたいに言ってたんだって」


 私は、そっか、とだけ相槌を打った。

 胸が固い塊で塞がれたように重い。


 蒼くんは確かに望まれて生まれた子供なのだと、蒼くんのお父さんは伝えたかったのかもしれない。


 でもじゃあ、どうして今、傍にいてあげないの?

 蒼くんがこんなに寂しがってるのに、どうして?


 本音をいえば、今すぐ蒼くんを抱きしめたかった。

 だけど彼が望む形の愛情を返せない私が、中途半端な同情で彼を抱きしめるのは良くない気がして、一歩も動けない。


「……変な話してごめん。真白には甘えてばっかりだ」

「そんなことないよ。私は何も出来てないよ」


 なんとか笑みを浮かべようと口角を引き上げた瞬間、ボロボロと熱い涙が滴り落ちてくる。

 ここで私が泣いてどうする!

 何とか泣きやもうと歯を食いしばっても、一度溢れた涙はなかなか止まらなかった。


 蒼くんは手袋を外し、冷え切った指先で私の目尻を拭った。


「……真白が俺のこと、ただの友達だと思ってるのは知ってる。それでも、言わせて」


 彼はそのまま、私の頬を両手で挟んだ。

 まっすぐ過ぎるくらいまっすぐな彼の眼差しが、涙でぼやける。


 言わないで。

 これ以上、私を揺さぶらないで。


「好きだよ。俺は真白が好きだ。真白がいるから、もう寂しくないし、真白が俺の代わりにこうやって泣いてくれるから、今でも未練たらしく母さんのことを考えてしまう自分を許せる」

「わ、私も好きだよ。でもそれは――」

「うん、大丈夫。分かってる」


 答えを言わせまいとするように、蒼くんは両手を離し、踵を返した。


「そろそろ帰らなきゃ、真白のご両親が心配するよね。行こう」


 遠ざかっていく蒼くんの背中を見つめながら、きつく胸元を握り締める。


 つらい。

 彼の一途な気持ちに応えてあげられないことが、苦しくて堪らない。


 私だって好きなんだよ。

 家族みたいな近しい気持ちで、私はあなたを好きになった。

 

 ボクメロの城山蒼じゃなく、あの日歩道橋で見つけた寂しがりの蒼くんを、私は好きになったんだよ。



 ほろ苦いクリスマスが終わった後、日々はまた平常の速度に戻り、容赦なく過ぎていった。


 年末は「久しぶりに温泉に行こう」と父さんが言い出し、近場に一泊で家族旅行に出かけた。

 指をなまらせたくない私が、紙で作った88鍵の鍵盤シートを持参して、旅館にいる間中カタカタ指を動かしていたので、旅行の言いだしっぺである父さんは涙目になっていた。

 母さんは、「仕方ないわよ。ましろは本気で上を目指してるんだから」と笑って許してくれた。

 お姉ちゃんは寂しいのか、鍵盤を叩く私の背中にぴったりくっついてきた。


 バレンタインは、いつものメンバーにチョコを配った。

 ココア味のスノーボールを手作りしてみたんだけど、かなり好評だった。

 お姉ちゃんは手作りに拘らないことに決めたのか、デパートのはしごをして納得いく一品を選んだらしい。

 三井さんの最初の印象は良くなかったけど、花香お姉ちゃんが幸せなら何も言うことはない。

 皆が木之瀬くんと平戸くんにあげるというので、私も仕方なく渡した。

 平戸くんは「俺、モテモテじゃん!」と飛び跳ねて喜んでた。

 いかにも小学生な平戸くんが視界に入るたび、すごく心が和む。

 木之瀬くんには「お世話になってる人だから。友達だから。義理だから」と念入りに釘を刺しておいた。

 「そんな標語みたいに言わなくてもよくない?」と流石の木之瀬くんもへこんでいた。


 蒼くんと紅様にはあげなかった。

 単に当日タイミングが合わなかっただけなんだけど、ホワイトデーには彼らから高級店のクッキーを貰った。

 わざわざ家まで押しかけてきた2人を前に、首を傾げる。


「なに、コレ?」


 紅様と蒼くんは揃って深い溜息をついた。


「なにって、薄情にもバレンタインを忘れてた真白への嫌味のつもりだけど?」

「俺はもともと貰えなくても、あげるつもりだったから」


 それぞれ違う台詞を吐いていたけど、同じように背後から邪悪な何かが立ち昇っている。

 人付き合いには、義理が不可欠なのだと思い知らされた。


「本当にすみません。会えたら渡そうと思ってたんだけど……」


 私は小さくなって謝った。


「なに? 俺達から貰いに来いってこと?」

「そういうつもりじゃ……」


 ごにょごにょと言い訳をする私を見て、紅様がふう、と息を吐く。


「分かった。来年からは貰いに来るね。今年は他の男にあげてないなら、許すよ」


 続けて偉そうに言ったので、反発心から危うく「あげたよ」と言い返しそうになる。


 隣を見ると、蒼くんが息を詰めて私の返事を待っていた。

 なんとか踏みとどまり「あげてないよ! あげるような人いないし」と答える。

 今の選択肢が蒼くんのバッドエンドフラグだったらどうしよう。

 心臓が早鐘を打つ。

 彼らは私の返事に満足したのか、それは美しくにっこりと微笑んだ。

 ああ、良かった。なんとかフラグは回避したっぽい。

 「そういう2人はどうなのよ」と聞き返したくなったが、更に面倒なことになりそうだと気づき、私は笑ってその場をやり過ごした。


 

 そして、4月。

 私はとうとう6年生になった。

 背は154センチまで伸びた。

 もうブラもしてるし、生理もきてる。

 ああ、そうそうこんなんだった、と下腹部の鈍い痛みに顔を顰めたのは2月のことだ。

 昔は早く元の年に追いつきたいと思ったものだけど、実際に身体が大人になると、色々と面倒くさい。

 とうとうお姉ちゃんの背に追いついた私を見て、母さんは感慨深げに首を振った。


「早いわね~。あーんなに小さかったのに。子供なんてあっと言う間に大人になっちゃうんだから、嫌になるわ」

「本当だね。寂しいなあ」


 両親の感傷を、花香お姉ちゃんは豪快に笑い飛ばした。


「健康で無事にここまで育ったんだよ? 父さんたちのお蔭じゃない! もっと喜ぼうよ!」

「でも、花香。どうする? このままどんどんピアノが上手くなって、ましろが海外に行くとか言い出したら」


 途端にお姉ちゃんは顔色を変え、口をへの字に曲げた。


「……は? 海外? やだやだ、絶対反対! ましろ、拠点はもちろん住み慣れた日本がいいよね?」


 半泣き状態になっているお姉ちゃんに縋られながら、私はボソリと言ってみた。


「それよりお姉ちゃんが結婚して、家を出る方が早いんじゃないかな」


 父さんは眉を吊り上げ、「そんな話、まだまだ早い!」と新聞を握りしめる。

 そう言うと思った。

 グシャグシャになった新聞を見て、私とお姉ちゃんは顔を見合わせて笑った。


 

 修学旅行のある6年生は「仲良し同士のクラス」にしてくれるんだってよ、と登校中、絵里ちゃんが教えてくれた。

 そんなことってあるんだろうか。じゃあ、特別仲良しがいない子はどうなるんだろう。

 もやもやしながら、気乗りしない相槌を打つ。

 絵里ちゃん達が首を長くして待っている修学旅行。私は憂鬱でしょうがない。

 ピアノから3日も完全に離れるなんて、耐えられない。当日は仮病をつかって休んじゃおうかな、とも思ったんだけど、両親が払っている積立金のことを思うとそれも勿体無くて出来ない。八方塞りだ。

 

 今日は始業式。

 クラス発表を見て、私は絵里ちゃんの言葉が正しかったことを知った。


「わ~い、みんな一緒だあ~」

「すごくない? 修旅の班、もうこのメンバーでいいじゃん!」


 6年3組の教室に入るや否や、みんなが集まって喜び合っているのが見える。

 絵里ちゃん、麻子ちゃん、咲和ちゃん、朋ちゃん。そして平戸くん、木之瀬くんまで同じクラスだ。

 去年は誰とも同じクラスにならなくて、単独行動が多かった。それもまたよしと思ってたはずなのに、やはり気のおけないメンバーが揃うのは嬉しい。

 担任は、一年ぶりのクマジャー先生だ。


 帰り際、野太い声で「島尾!」と呼び止められる。

 何だろう、と思って振り向くと、クマジャー先生が真剣な表情で立っていた。

 先生は、「何でも相談してこいよ。思い詰めるな」と両肩を掴んでくる。

 こ、こわっ。先生こそ思い詰めないで下さい!


 自分から積極的に友達と関わらない私のことを、お高くとまってると敬遠してる同級生は多い。

 そのせいで去年、私がクラスで浮いてしまったこと気にしてるのかな。……してるんだろうな。


「はい。じゃあ、修学旅行先での自由時間、ピアノの練習が出来るようにして貰いたいです」

「それは難しいな」


 即答か! 


「そのこと以外では、特に相談したいことはないです。気にかけて下さって、ありがとうございます」


 深くお辞儀をしてくるりと踵を返す。


「しまおー。ピアノもいいけど、六年生は人生に一度きりだぞー」


 クマジャー先生が後ろから大声で叫ぶ。

 実はこれで二度目なんだよね。

 私は遠い目になった。


 6年生になって変わったことって、特にはない。

 私の行動パターンは殆ど前と同じだ。

 学校、家、亜由美先生のところ、玄田邸。

 その4つをぐるぐる回ってるうちに、あっと言う間に月日は流れていく。


 紺ちゃんは、ますます綺麗になった。

 大人になったら、どれだけの美女になるんだろう。想像するだけで、口元が緩んでしまう。

 紅様の身長は165センチを越えたらしい。

 紅様に比べると小柄だった蒼くんも、しっかりとした体つきになってきている。

 2人が公立小学校に通ってるところを想像して、おかしくなった。

 彼らほどランドセルが似合わない小学生はいない。


 

 5月になって蒼くんは、自分のことを呼び捨てにして欲しい、と言ってきた。

 それが誕生日プレゼントのリクエストだそうだ。

 日頃から色々お世話になっているのに、そんなことがプレゼントだなんて悪い気がする。

 

 私の去年の誕生日、蒼くんはすごく可愛いキーチェーンをくれた。

 金色のクマさんがころんとついたやつ。べっちんに似てる! と思ったのはここだけの話。

 せっかくだから毎日使えるように、と玄関の鍵につけた。

 家の鍵を開ける度、愛らしいクマさんが目に入ってほっこりする。


「んーと。そんなんでいいの?」

「そんなんでいいの。……ダメ?」


 私が渋ると、蒼くんは小首を傾げ、両手を合わせた。


 不覚にも胸がキュンとしてしまう。

 いや、キュンじゃ足りないな。ギュンときた。


 時と場所を選ばない無自覚攻撃には、だいぶ慣れたと思ってたんだけどなあ。

 自分のルックスを計算し尽くしての仕草だったら、本気で恐ろしい。

 うちのソファーに座り、期待に満ちた眼差しでこちらを見ている蒼くんを前に、私は腹をくくった。


「よし、分かった。じゃあ、いくよ。言っちゃうよ?」

「うん、どうぞ」


 すうっと息を吸い、思い切って口を開く。


「そ、蒼」

「……もっかい言って」

「蒼」

「……やば。想像以上に嬉しい」


「今、顔ニヤけてるからこっち見ないで」と照れる蒼の愛らしさときたら、筆舌に尽くしがたいものでした。


 自分で頼んだ癖に、実際呼んだら真っ赤になるとか、なんなの!?

 私まで真っ赤になってしまうじゃないか!


「何なの、やってらんない!!」


 蒼の照れ顔に錯乱してしまった私は、隣にあったクッションに次々と拳を叩きこんだ。

 蒼は照れるのを止め、私の暴挙に困惑していた。

 

 ……すみません、甘酸っぱい雰囲気に耐えられませんでした。




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