スチル17.花火大会(紅&鳶)
夏休み、私は紺ちゃんの家に通ってピアノを弾かせてもらうことになった。
発表会の連弾の為に建てた離れと2台のピアノが勿体無いから、いつでも練習に来て、と千沙子さんに何度も誘われていたのだ。
私も最初は遠慮してたんだけど、そのうち断り続けるのも失礼な雰囲気になってきたので、有難く厚意に甘えさせてもらってる。
練習しに行った初日、私は紺ちゃんと一台のピアノで連弾を披露した。
発表会の時にきたチャイナ服をお揃いで着て欲しい、と千沙子さんにリクエストされたのだ。
「ほら、あの日は二台のピアノでの連弾だったでしょう? 紺と真白ちゃんと別々のアングルの写真しか撮れなくて、すっごく残念だったの」
発表会当日、客席中央に設置してあった立派な録画機材と、スナイパーライフルみたいなレンズのついたカメラを構えたカメラマンさんは、どうやら千沙子さん達が手配したらしい。
「もう、母様ったら。ツーショット写真撮りたいってだけで、真白ちゃんに我儘言ったの?」
紺ちゃんの眦がきりり、と吊り上る。
私は怒る紺ちゃんをまあまあ、と宥め、「そんなことでいいなら、お安い御用ですよ」と承諾した。
だって、千沙子さん達が私にしてくれてることを思ったら、こんなの利子代わりにもならない。
それに、紺ちゃんと音を合わせるのは、私にとってもすごく幸せな時間だった。
浮き浮きとした様子でカメラを準備する千沙子さんを、微笑ましく眺めながらピアノの前に座る。
発表会と同じお揃いの服を着て隣に座った紺ちゃんも、文句を言っていた割に嬉しそうだった。
「じゃあ、花のワルツにしよっか」
紺ちゃんが言う。
花香お姉ちゃんお気に入りの一曲だ、と思い出し、ここにお姉ちゃんがいたら千沙子さんと一緒に大喜びしただろうな、と思った。
「うん、いいよ。まだちゃんと覚えてるから、楽譜なしでおっけーです」
「私も大丈夫。……じゃあ、いくよ?」
二人顔を見合わせ、息を吸って、鍵盤に指を落とす。
発表会の時に感じた一体感と多幸感に、再び包まれる。
彼女と音を合せる時に感じる喜びは、特別だった。
どうしてこんなに胸が熱くなるのか、自分でも分からない。紺ちゃんの存在は、どんなものにも代えられない宝物のように思えた。
その日は花火大会があるというので、夕方で練習を切り上げさせられた。
桜子さんも後から合流して、花火の見える高台の料亭で夕食を頂くことになっている。
「そこまでしてもらうのは」「そんな! 遠慮しないで」というもはや定番となった押し問答の末、これまたいつも通りに私が押し切られた。
紺ちゃんには「いい加減、諦めたら?」と囁かれてしまう。
ああ、出世払いの負債が雪だるま式に増えていく……。
私は上布の麻の着物姿で、中庭に面した広い縁側に腰を下ろした。千沙子さん直々に着つけてもらったのだ。私の帯は朝顔模様、紺ちゃんの帯は花火模様。
8月もお盆を過ぎ、夕方の風は涼しくなってきている。
遠くから聞こえてくる蜩の鳴き声に、私達はしばらくの間耳を傾けた。
「夕方に聞く蝉の声って、なんだろう、すごく寂しくなっちゃう」
ぽつり紺ちゃんが零す。
「確かに。なんだろうね、この気持ち」
「……望郷、かな」
空の遠くをじっと見つめながら、紺ちゃんは囁いた。
「……かと……に……たい」
声には出ないほど小さな声で彼女は言い、祈るように両手を合わせる。
「紺ちゃん?」
「ふふっ。なんでもなーい。ただの願掛け!」
紺ちゃんの表情に、さっきまでの憂鬱は見えない。
「コンクールの話だったよね。えっと、予選の課題曲は5種類の中から一つ選ぶはず。本選は、J.S.バッハのシンフォニアだったと思う。『ボクメロ』では、ましろちゃんは自由曲にラヴェルの亡き王女の為のパヴァーヌを選んだよ」
発表会という当面の目標をクリアした私は、3年後に行われる予定のコンクールに照準を合わせ直すことにした。
例の攻略ノートによると、中学2年の10月に大規模な学生ピアノコンクールが行われる。参加資格は中学生以上で、参加部門は中学生・高校生・大学生の3つ。
紺ちゃんからコンクールについての詳しい話を聞くのは、今日が初めてだ。
「ラヴェルかー。苦手だけど、頑張らないとだ」
「あと3年あるんだし、このまま頑張れば大丈夫だよ」
紺ちゃんは、確信に満ちた声で太鼓判を押してくれた。
本当にそうだといいな。
下駄をぶらぶらさせながら、高い空を見上げる。
たなびく雲の隙間から差す光が、辺りを濃いオレンジに染め上げていた。
「それさ、紺ちゃんは出場しないの?」
「うん。そのコンクールには出ない。私が出るのは、青鸞学院コンクールだよ」
紺ちゃんは、私と同じように空を見上げ、華奢な白い腕を伸ばした。
傾きかけたお日様を遮るように手を翳し、ふう、とため息をつく。
「そこで優勝して、私は必ず目的を果たすつもり」
「……目的って何か、聞いても大丈夫?」
恐る恐る聞いてみる。
紺ちゃんは首を傾げ、なぜか自嘲するように微笑んだ。
「今更隠したって、しょうがないよね。……私がこの世界にきたのは、大切な人を取り戻す為だよ」
彼女は言い切り、顎を反らした。そのまま何かの判定を待つように、じっと動かない。
私はすっかり混乱し、言葉を失くした。
紺ちゃんはやっぱり、自分がこの世界にいる理由を知ってるんだ。
私は知らなくて、彼女だけが知っているのは何故?
一体、どうなってるの?
紺ちゃんはやがて全身の力を抜き、私を食い入るように見つめた。
彼女の瞳が、真剣みを帯びる。
「私はあなたに負けない。青鸞では、絶対に」
カナカナカナ。
蜩のなく声が、一際大きくなった気がした。
そして夕方過ぎ。
高台にあるいかにも高級そうな料亭には、桜子さんだけではなく、なんと紅様と山吹姉弟までやって来た。
「え!? どうして……」
珍しく紺ちゃんが動揺している。
彼女も他のゲストのことは聞かされていなかったみたい。
「これってイベント?」
こっそり小声で尋ねてみると、紺ちゃんは勢いよく首を振った。
「分からない……。でもこんなイベント、ゲームにはなかった」
前から気になっていたんだけど、私達のボクメロ経験ってあんまり役に立ってない気がする。
とうの昔にフラグは折ったはずなのに、紅様にも蒼くんにもかなりの頻度で遭遇してるし。
リメイク版未プレイの私はともかく、紺ちゃんまで先が読めなくなってる。
「もう、私達の知ってるボクメロ世界じゃないってことなのかも」
私が言うと、紺ちゃんは考え込むように視線を落とし、頷いた。
「たぶんね……それか、私がクリアしてない三角関係ルートに入ったか」
三角関係ルート!?
ぎょっとした私に向かって、紺ちゃんは顔を顰めてみせた。
「違うとは思うけど、もしかしたら、って話。三角関係ルートは好感度の調整がものすごく難しいみたいで、ルート突入の為の攻略情報も出回ってなかったんだ。それを自然にクリアしたとか、考えにくいでしょ?」
「それはそうだね」
「うん。だから、もうあんまり気にしないことにしよ。ね?」
紺ちゃんは自分にも言い聞かせるような口調で念を押した。
「4人だけだと寂しいかしらと思って、彼らもお招きしたの。山吹さんご姉弟とは、去年のクリスマスパーティ以来よね」
千沙子さんは、彼らを呼んだ理由をそう説明した。
こんなに広い離れを予約するから、寂しく感じるんだと思う。
「うちうちの食事会だと思っていたわ。もっと小さな部屋で良かったのに」
紺ちゃんが小声で文句を言うと、千沙子さんは「だって、この部屋が一番眺めがいいのよ?」と目を丸くした。
なにいっちゃってるの、という表情だ。
お値段と広さより眺望を最優先なんですね……。
私と紺ちゃんは、こっそり顔を見合わせ溜息をついた。
「お招き、嬉しいですわ、おばさま。花火は大好きなんです。アユミも来られたら良かったのに」
亜里沙さんがにこやかに挨拶すると、トビー王子も如才なく千沙子さんと桜子さんに招かれたお礼を述べる。
トビー王子は、カーキ色のサマージャケットを羽織り、ボトムに白い麻のパンツを合わせていた。緩く結んだネクタイがアクセントになっている。相変わらず、文句のつけどころがない美青年って感じ。
紅様はといえば、小千谷縮の長物をサラリと着こなしていた。
低い位置で結んだ帯といい、軽く結わえた髪といい、絵から抜け出てきたような和服男子っぷり。
もともと紅様の見た目が好みドストライクという私にとっては、ご褒美でしかなかった。
ああ、悔しいな。今でもめちゃくちゃカッコいいと思ってしまうの、ほんとむかつく。
「You look stunning! 着物、すごく似合ってるね」
トビー王子は私と紺ちゃんの前まで来ると、にこにこしながら着物姿を褒めてくれた。
彼は5月の発表会にも来ていたようで、その時の話をし始める。
「アユミの発表会は毎回聴きごたえがあると思っていたけど、今回は特に当たりだったよ。コンは卒業したら、青鸞に来るって言ってたでしょう? あそこは、うちが運営してる学校なんだよ」
「そうなんですか? 兄から学校の話を聞いて、今から楽しみにしてるんです」
「君みたいな才能の子が来てくれると、学院にも箔がつくな」
「ありがとうございます。ご期待に添えるといいんですけど」
トビー王子と微笑みあう超絶美少女。
垂涎ものの美しい光景なのに、どうしても『腹の探り合い』という文字が浮かんできてしまう。
二人とも、目が笑ってないよ……。
私はそっとその場を離れ、桜子さんに勧められるまま、部屋の奥まで進んでいった。
腰高窓からは、大きな川が一望でき、打ち上げ花火の準備をする職人さんまで見える。
正座に慣れていないトビー王子たちを気遣って手配したのか、畳の上には絨毯が敷かれ、大きなテーブルとイスが設えられていた。
良かった! 足の痺れは心配しなくて済みそう。
私が物珍しげに窓の外を眺めていると、後ろから紅様がやってきた。
「こんばんは、ましろ。着物姿も意外といいね」
紅様は振り返った私に、いつもの調子で話しかけてくる。
「こんばんは、紅くん。ひとこと余計だと思うな」
「そう? 朝顔柄の帯は、叔母様の趣味かな。真白によく似合ってる。これは、蒼が悔しがるだろうな」
そんなことを言いながら、紅様は手を伸ばし、ほつれた髪を私の耳にかけてくれた。
着物に合わせてアップに結ってもらった髪から、まとめきれなかった束が落ちてきたみたい。
彼の手つきの優しさに、かあ、と頬が熱くなり、熱くなった後で待てよ、と思い直した。
少し前から、私に対する態度が怪しい。
もしかして、まだあのゲームを続けてるのかな。俺に堕ちてこいゲーム。
自分のネーミングセンスの酷さと相まって、背筋がぞくっとする。
「あはは、ありがと……それにしても紅くんって、蒼くんをからかうの好きだよねえ」
それってあんまりいい趣味じゃないよ、と窘めてみる。
「蒼の反応が面白いんだ。普段は何があっても自分には関係ないって顔で飄々としてるのに、お前のこととなると人が変わったようにムキになるから」
紅様は上機嫌な笑顔で、鬼畜なことを言った。
仲が良いからこそなんだろうけど、私をダシにしないで欲しい。
「ほんと、性質悪いな~。とにかく、蒼くんにわざわざ今夜の話はしないでね」
「ふふっ。真白は、俺たちだけの秘密にしたいってこと?」
紅様は、私のすぐ脇の桟に手をついた。
もう片方の手は反対側に。そうして両腕で囲い込んでから、私の瞳を覗き込む。
「いいね。そういうの、ドキドキする」
紅様は意味深に囁いた。
好みの声すぎて、条件反射的にときめきそうになったが、何とか踏みとどまった。
人を試すようなやり方には、断固抗議する。
「やめてよ、ふざけ過ぎ!」
紅様の胸元に手をつき、思い切り押すと、彼はあっけなく離れた。
「どうしたの? 頬が真っ赤だよ」
「そういうのが、悪趣味って言ってるの!」
わざとらしく驚いた表情を浮かべた紅様に文句を言う。
いつの間にか近くに来ていた紺ちゃんは、深い溜息をついた。
「紅。ましろちゃんを苛めるのは止めてって言ってるでしょ?」
「まさか! 可愛がってるだけだよ。ほら、そんな怖い顔するな」
紅様は最愛の妹の頭を撫でようと手を伸ばす。
紺ちゃんは首を振って紅様の手を避け、「いつか後悔しても知らないから」と謎めいた台詞を投げつけた。
それからどれほども経たないうちに、沢山の料理が運ばれてきた。
屋久杉の無垢の一枚板だという大きなテーブルは、あっという間に美しく盛りつけられた小鉢や平皿で一杯になる。
トビー王子と桜子さんは、江戸切子のグラスに注がれた冷酒を口に運んでいる。亜里沙さんと千沙子さんは、下戸なのだそうだ。
ドーン。
突然鳴り響いた鼓膜が震えるほどの振動音に、私は飛び上がりそうな程驚いた。
「始まったわね!」
桜子さんのはしゃいだ声につられ、開け放たれた窓の外に目を向ける。
次々と打ち上げられていく花火が、すぐ近くで大きく開花した。
暗闇に一瞬花開いては、薄い煙を残して消えていく眩い光の造形。
菊先と呼ばれる日本の代表的な花火に、トビー王子と亜里沙さんは歓声を上げている。
閃光がひらめくと同時に金色の火の粉が尾を引き、その先が紅や青に変化していくタイプの花火だ。
気づけば私は、箸を持ったまま陶然と花火に見入っていた。
「ましろ、行儀が悪いよ」
「あ、ごめんなさい」
隣に座った紅様に見咎められ、慌てて箸置きに戻す。
「謝っちゃうんだ。そういう素直なところ、ほんと可愛い」
紅様は私を見つめ、悪戯っぽく微笑む。
「いつまで、私を試すの?」
気になって尋ねずにはいられなくなった。
彼と普通に信頼関係を結んで友達になるって、不可能なのかな。
「……今のは普通に言ったのに」
紅様は不満げな顔になった。
そうなのか。何だか、今までの所業のせいで、狼少年みたいになってる。
「私は紅くんを好きにはならない。だから、安心していいんだよ」
心を込めて伝えてみる。
紅様は唇を歪め「それ、前ほど嬉しくない」と我儘なことを言った。
◇◇◇
本日の主人公の成果
攻略対象:成田 紅
イベント名:花火の夜に
前作主人公の成果
攻略対象:山吹 鳶
新イベント名:経過観察
クリア




