スチル10.山道(紅&蒼)
紅様のお家でベーゼンドルファーを弾かせてもらえたお蔭で、林間学校への鬱屈とした苛立ちは薄まった。
確かに、クマジャー先生の言う通りだよね。一人の生徒だけを贔屓できない。
私は色々詰め込み過ぎて重たくなったボストンバッグを抱え、家を出た。
「おっはよー、ましろん!」
ついこの間まで殺人的な暑さにぐったりしていた絵里ちゃんが、満面の笑みで駆け寄ってくる。
彼女がどうしてこんなにご機嫌なのかというと、ずっと憧れていた間島くんと同じ班になれたから。
銀縁フレームの眼鏡をかけた間島くんは、勉強も運動も両方出来る男の子。
スポーツ刈りにしてる男子が多い中、少しだけ長めに髪を伸ばしてる。
温和な間島くんは女子への態度も紳士的なので、かなり人気のある子だった。
「絵里ちゃん、今日の服、もしかしてBranberryの新作?」
「えへへ、分かる? ママにおねだりして買ってもらっちゃった!」
流行に疎い私にもすぐに分かった。
小学生女子の間で圧倒的な人気を誇るブランドだ。
真っ赤な半袖ブラウスはパフスリーブがポイントで、薄いブルーのミニフレアスカートの下にはレギンスを履いている。
林間学校のしおりは『スカート厳禁』って書いてあったけど、下に一枚履いてるし、セーフなのかな。
「良かったね。すごく似合ってるよ」
「えへへ。間島くんも、こういう服好きだといいな」
いじらしいなぁ、もう。
集合場所にすでに停まっている大型バスは5台。
「ましろ、おはよー」
「島尾の荷物、それ何入ってんの!?」
2組のバスのところまで辿り着くと、すでに来ていた同じグループの子達に話しかけられた。
最初に挨拶してくれたのは、朋ちゃん。
イツメン、と彼女たちが呼ぶ「いつものメンバー」5人のうちの一人だ。
私の荷物に驚いてるのは、平戸くん。地域のサッカークラブに所属してるスポーツ少年で、いつも教室で馬鹿騒ぎをしている。
「ほんとだ。足りない物あったら、島尾に聞けば何でも持ってそうだな」
茶目っ気たっぷりにからかってきたのは、木之瀬くん。
整った容姿が例のたっくんと人気を二分してる、多田小学校きってのイケメンですよ。
紅様や蒼くんを知ってる私に言わせれば、「うん、確かに綺麗な顔してる、かな?」くらいの感想なんだけど、女子からの評価はかなり高い。
木之瀬くんは、超人気アイドルグループ『SAZE』のメインボーカルに似てるらしい。
全くTVを見ない私には、これっぽっちもピンとこない。
今回は、この4人で一泊二日の林間学校のカリキュラムをこなすことになっている。
真面目な朋ちゃんはいいとして、男子二人がかなり不安……。
面倒だけはかけんじゃねえぞ、という気迫を込めて「よろしくね」と挨拶しておいた。
バスは、グループで固まって座ることになっている。
私は当然、朋ちゃんと並んで座るものだと思っていた。
「はい、島尾が窓際どうぞ」
あれよあれよという間に、木之瀬くんに窓際の席に押し込まれ、隣にはそのまま彼が座ってくる。
「え? だって朋ちゃんは……」
「宮野さんは、平戸と座るから」
そんなの、いつ決まったの?
唖然としてるうちに、クマジャー先生がバスの先頭に乗り込んでくる。
「よし、みんな静かにー! これから先生は、大事な話をしまーす!」
基本的な注意事項を先生が繰り返す間、私は嫌な予感を覚えつつ隣の木之瀬くんの様子を伺った。
目が合うたび、ニッコリ微笑まれてしまう。
アイドル似かどうかは分からないけど、彼の対女子スキルがかなり高いことは分かった。
木之瀬くんは、チャラ男の素質あり。心の中にメモする。
嫌な予感は当たり、オリエーテリングの間中、私は木之瀬くんに徹底的にマークされた。
もらった地図に書いてあるヒントを頼りにチェックポイントを探し、一番最初にゴールした班の優勝、という簡単なゲームなのだけど、何故か朋ちゃんと平戸くんは私たち2人の遥か後ろからついてくるのだ。
木之瀬くんが浮ついた態度で構ってくるようなら、ピシャリと一刀両断にしてやるのに、流石はモテ男、なかなか尻尾を出さない。
真面目にヒントを解いて、チェックポイントでスタンプを集めていくものだから、私も協力して進んでいくしかなかった。
トイレ休憩の時間に、ようやく朋ちゃんと合流することが出来た。
「――ちょっと! 朋ちゃん、助けてよ!」
「だって、どうにも出来ないよ。ましろちゃんのとこに行こうとしても、平戸くんにすぐにブロックされちゃうんだもん!」
何だそれは。平戸め、木之瀬くんに何か弱みでも掴まれてるんじゃないだろうな。
「木之瀬くん、ましろんのことずっと前から好きなんだって。お前も協力しろって平戸くんに言われたよ。……どうするの?」
「はあ~」
めんどくさ、という呟きを、何とか飲みこみ、溜息をつく。
小学生の色恋沙汰に、私を巻き込まないで下さい!
お昼のカレー作り。夕方の竹とんぼ作りと、ずっと木之瀬くんは私の傍にいた。
何を言ってくるわけでも、してくるわけでもなく、ただ目が合うと嬉しそうに笑いかけてくる。
私主導で作ったカレーを「めっちゃ上手い! 島尾って料理も出来るんだな!」と大げさなくらいに褒めてくれた。
「も、って? そんなに色々出来ないよ」
「なんで? 勉強だって出来るし、ピアノも上手いんだろ? すごいなって前から思ってた」
なるほど、そういうことね。
小学生男子は、何でもこなすお母さん的な女子に弱いんだな。
蒼くんもそんな感じだもんな……。
夜ご飯は、宿泊施設の食堂でバイキング形式だった。
ようやく班行動から外れることが出来て、ホッと息をつく。
絵里ちゃん達と合流してすぐ、木之瀬くんのことを聞かれた。
「……もしかして、噂になってるの?」
「学年中のね。木之瀬くんとましろんが付き合うことになりそうって」
絵里ちゃんが瞳を輝かせながら答える。
はぁ!?
お茶が気管に入った。咳き込む私の背中を、隣に座った麻子ちゃんが擦ってくれる。
「ないよ! ないない!」
「なあ~んだ」
皆がつまらそうな声を上げる。
近くに座っていた他のクラスの女子達の間からも、似たような声が上がった。
いつから聞いてたんだ!
「まだ告られてないの?」
「そんな隙、与えない」
即答すると、「ましろんの鬼!」「木之瀬くん、可哀想」と一斉に責められた。
食事の後は、入浴時間になっている。
着替えを取りに行こうとバンガローに戻る途中で、クマジャー先生に呼び止められた。
「島尾、電話が入ってるぞ。おうちの方からだ」
「えっ!?」
何かあったのだろうか。
一気に青ざめた私を見て、クマジャー先生は慌てて手を振った。
「違う違う。伝え忘れたことがあるそうだ。大したことはないと言っていたが、帰りの迎えの話かもしれないから、折り返し電話してくれるか」
クマジャー先生が渡してくれたメモを広げてみる。
あれ? 父さんと母さんの携帯番号って、こんな数字だったっけ?
朋ちゃんには先に戻ってもらい、まだ薄明るい空の下、本館まで駆け戻った。
公衆電話に小銭を入れ、メモ通りの番号を押してみる。
「はい。水沢です」
――紅様の仕業かよ!
無言で切りかけ、そんなことで諦める赤い悪魔ではないと思い直す。
こめかみを押さえながら、受話器に向かって力なく声を発した。
「……こんにちは。島尾です」
「これは、ましろ様。お手数をおかけして申し訳ありません」
「いえ」
「ただいま、紅様と代わります」
水沢さんの静かな声には、明らかな疲労感が滲んでいる。
気まぐれお坊ちゃまのお守りも大変だ。お疲れ様です、と心の中で手を合わせた。
「もしもし、ましろ? 林間学校、お疲れ様」
「さっさと用件を言って。電話のお金、もったいないし」
「ああ、公衆電話って、お金がかかるんだっけ。紺から今日のこと聞いたよ。ピアノの練習を休むことになるって、べそをかいていたらしいじゃないか。どうして昨日言わないんだ。何とでもしてやったのに」
確かにちょっと前に、紺ちゃんにも愚痴ったことがあった。
紅様は、私のピアノへの執着を理解してくれている。
その事自体は、ものすごく嬉しかった。紅様が分かってくれるのは、きっと彼も同じだからだ。
たゆまぬ努力の末に、あの確かな技術と表現力を獲得したんだ。
「言ってもどうしようもないでしょ。……でも、ありがと。気にしてくれて」
「どうしようもない、ってこともないよ」
紅様は謎めいた台詞を口にし、くすっと笑った。
「何時から自由時間? ――そうか、分かった。じゃあ、その頃水沢を迎えにやらせる。バンガローで待ってて」
「え!? それどういう意味?」
「電話代、もったいないんだろ。切るよ」
……本当に切りやがった。
結局何がしたいのか、さっぱり分からない。
がっくりとその場に膝をつきたいのを堪え、とりあえず予定表通りお風呂に行くことにした。
走り回ったせいで、汗でベトベトだ。
大浴場は広く綺麗で、お湯もちょうどいい熱さだった。
洗い髪をお団子にまとめ、パジャマ代わりのワンピースに着替える。
麻混合のゆったりとしたノースリーブワンピは、楽ちんだし涼しいし、この季節すごく便利だ。
朋ちゃんと一緒に外に出て、大きく深呼吸する。
「はぁ……気持ちいい。やっぱ、山の空気って違うね。スッとする」
「本当だね! お風呂上りだから、余計に涼しく感じるのかもだよ」
朋ちゃんと仲良くお喋りしつつ、バンガローの近くまで来たところで、木之瀬くんと平戸くんに出くわした。
昼のことがあったせいでどうしても身構えてしまう。
「あ、良かった、会えた! あのさ、自由行動って予定ある?」
木之瀬くんに尋ねられ、「ごめん、ある」と即答してしまった。
言い方、きつかったかな?
でもとてもじゃないけど、このむず痒い雰囲気に耐えられなかったんだ。
平戸! ニヤつくのは今すぐやめろ!
「……もしかして、誰かと約束してる?」
うう。そんなしょんぼりした顔で追撃してこないで。
正直わんこキャラは、蒼くんだけで手一杯なんだよ!
「島尾さま」
ナイスタイミングなのか、バッドタイミングなのか。
スーツ姿の水沢さんが突然背後から現れた。
ずらりと並んだバンガローの周辺には小学生しかいないので、異常に目立っている。
「お迎えに上がりました」
紅様が言っていたのはこのことだったんだ!
どこへ行くの知らないが、今は正直助かった。
「……ちょっと行ってくるね。キャンプファイアーまでには帰るから」
「え? し、島尾!?」
朋ちゃんにだけ「友達が来てるんだ。先生に聞かれたら、上手く誤魔化しといて」と耳打ちする。
反射的に頷いた朋ちゃんに小さく手を振り、水沢さんに着いて行く。
裏道を抜けると、広い林道に出た。
路肩に停められていた黒いセダンの脇には、2人の少年が立っていた。
「ましろ!」
「こんばんは、真白」
一人は紅様。もう一人は、なんと蒼くんだ。
2人は爽やかな笑顔をたたえ、私に向かって「おいで」と言わんばかりに手を差し出した。
まるでゲームのスチル画面のような構図に、眩暈がする。
イベントではなく、これも偶然だっていうの?
この世界って本当に、紅様ルートなの?
ここにはいない紺ちゃんに問いかけながら、私はワンピースの胸元をぎゅっと握りしめた。
◇◇◇
本日の主人公の成果
攻略対象:城山 蒼 & 成田 紅
イベント名:真夏の略奪
三角関係ルートに突入しました